「逃げ恥」は市場競争的な世界からの逃避のすすめである 

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「逃げ恥」は、市場競争的な人間関係からの逃走のすすめである

「逃げるは恥だが役に立つ(以下、「逃げ恥」)というドラマをご存じだろうか。ここ数年テレビドラマが不調な中で、高い視聴率で話題になっている。原作は2013年に雑誌で連載された少女マンガであり、2015年には講談社漫画賞(少女部門)を受賞している人気作品だ。

内容について簡単に説明しよう。主人公は大学院を卒業して間もない25歳の女性「森山みくり」である。彼女は就職活動に失敗し派遣社員となるが、そこでも短期で契約が終了してしまう。失職した彼女は、父親の紹介で家事代行サービスの仕事を始める。そこで出会った雇用主は、女性との交際経験ゼロで、「プロの独身」を自任している36歳のシステムエンジニア「津崎平匡(ひらまさ)」である。詳細は割愛するが、彼女は雇用主に対して「契約結婚」を提案し、その結果「専業主婦」になる。契約結婚というのは住み込みの家政婦のようなもので、実際の結婚では無い。雇用主にとっても家賃や食費を折半できるというメリットがあった。また、契約は拘束されるものではなく、お互いの意思でいつでも解消することができた。

ヒットするドラマには時代の気分を映す鏡としての側面がある。その観点でこのドラマを観たときに、私には2つの点が気になった。1つは、ドラマの設定が昭和的でやや時代遅れな感じがする。女性活躍推進を謳っている時代に、若い高学歴の女性が「専業主婦」を志向するという設定は、やや時代遅れな感じがする。また、2人が出会った設定は、昭和時代の「お見合い」に似ている。2人は森山みくりの父親を介して出会ったのだが、実質的に父が仕組んだ「お見合い」である。お互いが自分の希望や条件に合う人を必死に探した結果として出会ったのでない。

もう1つは、男性主人公の津崎平匡のキャラクターが、けっこう女性に人気らしいということである。「平匡萌え」という言葉も生まれているほどだ。彼は恋愛恐怖症で感情を滅多に表に出さず、見た目も冴えない男なのだが、なぜそれほど人気があるのか。

代替可能な存在の象徴「家事代行サービス」

森山みくりは「リクナビ」などの、ネットエントリーで就職活動を行ってきた世代である。大量にエントリーするが、その分だけ大量に落とされる。選択肢が多いからこそ、選ばれるための競争は激しくなる。彼女は就職競争で大学卒業時と大学院修了時の2回失敗し、敗北感を味わっていた。そんな彼女がはじめて社会に必要とされている実感を持てたのが、平匡邸での家事サービス業であった。

しかし、家事サービス業も安定した仕事ではない。物語の中では他の誰かに「代替可能」な仕事として位置づけられている。そもそも平匡は以前の業者に不満を持っていたため、みくりに切り替えている。だから彼女が最初に来たときは、いつでも他の業者に切り替えられるように日当を前払いにしていた。先に渡しておけば、切り替えたくなったときに「次の日から来なくていい」と伝えれば済むからだ。

専属契約になった後も、契約自体はいつでも破棄できる内容であった。市場取引において、商品やサービスに差別性や希少性が乏しければ、多数の提供者を競わせた上で最良の選択をすることが合理的だからである。実際、みくりは真面目に働いていたが、彼女は掃除や洗濯のエキスパートと言うわけではなく、料理も「クックパッド」のレシピばかりで、サービスに関する差別性や希少性は乏しかった。

しかし、家事に関する特別なスキルを持たない彼女が、平匡にとっていつしか「代替不可能」な存在になっていく。それはなぜか。

津崎平匡が「感情を表に出さない」ことの意味

みくりが家事サービスに来た当初、平匡は無表情で儀礼的だった。契約結婚した後も、感情を表に出すことはほとんどなかった。それは、売り手と買い手の「市場取引」が持つ冷徹な面を表しているように感じられる。市場における取引では様々な駆け引きがあり、時に騙し合いもある。そこには温かい感情の交流は乏しく、儀礼的である。

さらに平匡は、みくりの「若さ」や「美しさ」に対しても無関心である。それはなぜなのか。仮に、36歳の独身男性が家事サービスを頼んで、若くてかわいい女性が来たら、多少は表情が緩むだろう。しかし、みくりが最初に来た時の平匡は無表情のままだった。女性に対する関心の低さは、「プロの独身」という設定でさらに強調される。

みくりの持つ「若さ」や「美しさ」のような要素は、「家事サービス」のように簡単に手に入れることはできない。だから、希少性を巡って男性同士の競争になる。しかし、平匡は最初からこの競争から距離を置いてしまっている。

平匡にとって、みくりの「若さ」や「美しさ」が興味の対象ではないとしたら、彼は彼女の何に惹かれたのだろうか。

「市場競争的」な要素を排除した後に残るもの

結婚から「市場競争的な要素」を切り出してしまったら、あとは何が残るのだろう(図1)。その答えを、このドラマは示してくれる。

 

            図1:結婚相手に含まれる要素

平匡はみくりと一緒に暮らすうちに悩み始める。それはみくりに対する「恋愛感情」の芽生えである。彼は雇用主として仕事関係に恋愛の要素を持ち込むことは相手にとって迷惑になると信じて疑わない。また、従業員に恋をしてしまったら、家事サービスを自由に切り替えられなくなってしまうので、ビジネス的に非合理に陥る。この状況で平匡が導いた結論は、恋愛感情を押し殺すことによって、ビジネスライクな関係を維持することであった。

こうした葛藤を抱えつつも、恋をしてからの彼の表情や態度は、以前の無表情から徐々に変化していく。それは、雇用主と従業員という「市場取引的な関係」から、お互いの人間性が触れ合う「非市場取引的」で、「代替不可能」な関係へと、関係性の軸足が変化したことを示している。こうして、代替可能な仕事(家事サービス)と、代替不可能な人格(みくり)が、対照的に置かれることで、みくりという人格の「代替不可能性」が強調される(図2)。

 


              図2:平匡にとって「みくり」の存在の変化


 

つまり、結婚と契約結婚の最大の違いは、2人の関係に、市場で取引され得ない「代替不可能な要素」が介在するかどうかの違いということが強調される。それは、相手がどれだけ「自分の役に立つかどうか」「自分の虚栄心を満たしてくれるか」という要素が取り除かれた、純愛である。

津崎平匡が人気の理由と、カントの言葉

ここで、哲学者エマニュエル・カントの言葉を紹介したい。カントは人間が守るべき道徳律について、次のように語る。「自分を含む全ての人格が持つ「人間性」は、常に目的として用い、決して手段としてのみ使用してはいけない(定言命法 第二定式※筆者意訳)」。平匡は、カントのこの言葉を実践しているように見える。

カントの言う「相手の人間性を手段として使う」というのは具体的にどういうことか。例を挙げて説明しよう。

我々は日々、様々なサービスを利用している。例えば電車やタクシーなどの交通手段である。我々はそこで乗務員や駅員の人たちからサービスを受けている。言い換えれば、自分の目的を達成するために、そうしたサービスを手段として利用している。しかし、そこでサービスを提供する人たちの人格に備わる人間性は、我々の目的のために存在していない。しかし、時にレストランやタクシー、駅などで、店員や乗務員、駅員に対して高圧的に接する人や、必要以上にクレームをつける人がいる。こういう人は、相手の人間性まで手段として使えるものと勘違いしている。組織内におけるセクハラやパワハラも同じ構図である。つまり、人間性は目的であり、誰かの手段としては用いてはいけないのだ。

平匡は家事代行サービスを自分の目的を達成するための「手段」として用いた。しかし、彼女の人格が備えている人間性に対しては、常に尊重していた。平匡は彼女の仕事ぶりに対して感謝の言葉を的確に伝えている。恋愛感情を抱いてからは、自分が彼女に迷惑をかけていないかばかりを気にしている。彼が恋愛に臆病なのは、自分が彼女に嫌われたくないからではない。彼女に嫌な思いをさせたくないからだ。それが画面を通じて視聴者に伝わってくる。

つまり、彼の目線は一貫して、代替不可能でかけがえのない「みくりの人間性」に向けられている。それと同時に、男女の関係において「どれだけ相手の役に立つか」と値踏みされ、評価されることも嫌っている。そこにお互いの人間性は介在しないからだ。だから彼は、現代の結婚や恋愛に対して心を閉ざしている。

こうした一連の言動が、「平匡萌え」という女性ファンの出現につながっているのだろう。単に恋愛に消極的な男性が人気というわけではない。

「逃げるは恥だが役に立つ」とは

平匡のように、恋愛や結婚から逃げるのは、恥かもしれない。また、みくりのように就職・転職市場の競争から逃げるのも、恥かもしれない。

市場競争では、「どれだけ相手の役に立つかどうか」でその人が判断される。だから、恋活や婚活が市場競争にようになってしまうと、相手のことを自分の「手段」として見てしまいがちになる。例えば、女性が結婚相手の男性を選ぶ際に、相手の収入(自分を養えるか)、学歴や勤務先(将来性や安定性はどうか)、容姿(友達に紹介して恥ずかしくないか)などの項目だけで選ぶとしたら、それは相手をもっぱら自分の生活の手段としてみなしていることになる。相手を自分の手段としてのみ使おうとしたり、その逆に自分が誰かの手段として使われることのみを受け入れてしまえば、自分の人間性を傷つけることになる。

物語の主人公は、人間が「どれだけ相手の役に立つか」で評価されるような市場競争から身を引いた。しかし、それにはメリットもあった。逃げたからこそ、市場取引的な恋愛や結婚によって、人間性を喪失せずに済んだ。さらに、心から大切にしたいと思えるパートナーと出会うこともできた。

「逃げるは恥だが、役に立つ」のだ。

逃げ恥は、恋活、婚活、就活、社内出世などの競争に疲れた人や、本当の結婚が契約結婚に変質してしまった人々にとって、夢を見させてくれる。世の中、誰かの役に立つことばかりが大事ではないのだ。
 

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