秋好陽介×伊藤羊一(1)弟と2人で創業、2年鳴かず飛ばず 

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活躍中のリーダーたちにリーダーとして目覚めた瞬間を問い、リーダーシップの出現メカニズムを解き明かす本連載。第8回は、日本初のクラウドソーシングサービス「Lancers」を運営する、秋好陽介さんにお話をうかがいました。

<プロフィール>
ランサーズ株式会社代表取締役社長CEO 秋好陽介
1981年大阪府生まれ。大学在学中にWeb制作の受託を始め、インターネットビジネスに目覚める。2005年、ニフティ株式会社に入社。インターネットサービスの企画・開発に携わる。仕事の受託者・発注者、両方の立場を経験したことから、仕事を依頼したい企業と仕事を受けたい個人をオンライン上でマッチングするウェブサービスを思い立ち、2008年4月に株式会社リート(現・ランサーズ株式会社)を創業。12月、日本初のクラウドソーシングサービス「Lancers」の提供を開始する。

起業後の2年間は会社に行くのがつらかった

伊藤:ランサーズさんは、2008年に日本初のクラウドソーシングサービスの提供を始めて以降の仕事依頼件数は100万件以上、額にして約937億円。まさに日本最大級のクラウドソーシングサービスですよね。創業からこれまでずっと右肩上がりで成長しているとか。

秋好: 毎年、前年比200%ぐらいずつ伸びています。そう言うと、すごいことのように聞こえますが、年間通して月の売り上げ10万円が20万円になるというような世界でしたから。プラットフォームビジネスって地味ですよ。

伊藤: それでも世の中に広まってくるにつれ、金額は増えていったとしても、伸び率が落ちるようなことはなかったのですか?

秋好: まだ全然広がっていないんですよ。僕らが扱っているのは仕事です。仕事のマーケットは6600万人の労働人口がいて、給料の総額は200兆~300兆円。その中のわずか数百億円にすぎないので、まだまだいけると思っています。

伊藤: そもそもの想定ではもっと早く成長できると思っていた?

秋好: サービスをスタートして8年目ですが、起業したときは3年程度で今ぐらいになると思っていました。だけど、全然うまくいきませんでしたね。創業当時、ゲーム業界がすごい勢いで伸びていて、例えば、僕と大して年が変わらない田中(良和)さん率いるグリーなどが劇的に拡大している一方で、僕は月の売り上げがやっと10万円とか。思い描いた世界と現実とのギャップで、最初の2年間は会社に行くのがつらかった。

伊藤: 自分で起業した会社なのに、行きたくないときがあるんですか。

秋好: 毎日の売上データを自動的にメール送信するシステムを作っちゃったんですよ。それを見るのが嫌で、嫌で。前日の依頼件数1とか2でしたから。

大学時代にインターネットビジネスで起業

伊藤:起業以前の話になりますが、そもそもインターネットに興味を持ったのはいつ頃ですか。

秋好: 大学1年生ぐらいです。夜遅くまで遊んでは、「めざましテレビ」を見ながら寝る、みたいな生活を送っていました。ある朝、ぼんやり番組を見ていたら、当時の森(喜朗)総理が「これからの時代はバイオとITと介護だ」と言っているのを見て、「ITってかっこいい」と思い、その日のうちに近所の家電量販店でソニーのVAIOを買ったんです。「何だ、これは面白い」とそこからはまった。チャットができるし、物が買えるし、「ヤフオク!」では結構稼ぎましたよ。

その後、自分でホームページを作って情報発信をしていたら今度はホームページの受託をすることになり、さらに発展して「価格.com」の旅行版みたいなサイトを運営していました。宿泊予約サイトに掲載されている宿泊料の情報を自動的に集めて、比較する。旅行会社から広告費をもらい、年間1000万円ぐらい稼いでいました。大阪にいながら東京の企業から受注して、会ったこともない人とインターネットで仕事をしていたわけです。

伊藤: それで起業しようとは思わなかったのですか。

秋好: ちらっと考えましたが、小さく収まりそうだなというのがあったのと、僕はお金がどうというより、インターネットで何か面白いことをしたらユーザーが集まって来て、というのが一番の楽しみだったので。だから就職活動でインターネット関連企業をたくさん受けて、縁があったのがニフティでした。年収が学生時代の4分の1ぐらいになりました(笑)。

組織が個人に発注するのは難しいと実感

伊藤: ニフティで3年働いて、その後起業されています。クラウドソーシングとの出合いは?

秋好: ニフティではブログや地図のサービスを担当していて、外部のパートナーと組む仕事が多かった。発注先は大抵いわゆる大企業です。きっちり仕事をしてくれる半面、納期までに割と時間がかかる。クオリティーは確かだけど、飛び抜けた感じではないという印象でした。そのとき「ちょっと待てよ、向こうは3カ月と言っているけど、僕なら土日でできる」と思ったんですよね。

それから「知り合いに僕みたいな人がいるから、その人に発注したらもっといいものが早く安くできますよ」と上司に言って、稟議を通しました。例えば、ある人に発注して、大手なら150万円と言われるところを30万円、1週間で納品してもらいました。その人から「ニフティと取引があることで信用力が高まるし、大きな企業にとって30万円なんて大した金額ではないと思うけど本当に助かる」と言われた。僕らからすると、稟議を通しただけなんですけどね。

伊藤: そういう人たちにお願いしたほうがいいじゃないかと。

秋好: お互いにウィン・ウィンなんですよね。とはいえ、組織が個人に発注するのは難しい。僕自身、むちゃくちゃ頑張って一度は稟議を通したものの、法務を通して、購買を通して、上司に説明してというのが大変で、もう1回これをやるかというとしんどいなと。そのとき、夜中の11時頃でしたけど、「このやり取りをオンラインでできるようになれば、みんなハッピーになるんじゃないか」とひらめいたんです。すぐにネット検索してみたら、こうしたサービスを提供している人はまだいない。「これは見つけちゃった」と思いましたね。

早速パワーポイントでサービスの概念図みたいなのを1枚作って、同僚に「このシステムやばくない?」って見せたら、「おお、いいじゃん」と言ってくれた。まあ夜中で眠かったから、さほどいいと思っていなかったんだろうけど(笑)。それがすべての始まりでした。何かそれまでの人生の体験がつながったというか。

ホテルでの一人合宿で起業を決断

伊藤:「ヤフオク!」や、フリーランスでの経験が積み重なってきっかけになったと。その後はどうしたのですか。

秋好: 最初はニフティの中でやろうと思いました。ただ当時のニフティのビジネスからすると全く異質なものだったので、実現にはほど遠かった。日々の仕事に追われながら悶々と過ごしていたのですが、「どうしてもやりたい」という気持ちが湧いてきて、アイデアを思いついてから半年後に起業しました。26歳のときです。

伊藤: 最終的な決断のきっかけは。

秋好: その半年の間にお正月があって、大阪の実家に帰りました。そのときにリーガロイヤルホテルを予約して、大量のソフトドリンクと本を持ち込んで一人合宿をしたんですよ。今、何でもありだったら何をするかと考えました。そのときにやっぱり一番やりたいのはこれだと。沸点を超えたみたいな感じですかね。起業家の本ばかり読んでいたので、感化されたのかもしれません。2008年3月にニフティを退職して、4月に起業しました。サービスインしたのは同じ年の12月です。

伊藤: その間1人で?

秋好: 弟と2人です。当初、一緒に起業しようという仲間がいたのですが、彼は彼で別に取り組みたいサービスがあり、「やっぱり無理だ」と言われてしまいました。そんなとき実家にいて、目の前に弟がいた。これまで26年間めちゃくちゃ彼を助けてきた。お金を貸したり、相談に乗ったり。「今が兄貴を助けるときだ。最初だけ助けてくれ」とお願いしました。弟は大阪のウェブ制作会社でHTMLコーダーをしていたのですが、今から会社に電話して3カ月休むと言いなさいと指示して。むちゃくちゃですけど、それぐらい焦っていたんですよね。彼も僕の本気にやられたのか、黙って東京へついてきてくれました。

4月1日に会社をつくるときに、弟に「今まで兄ちゃんとサトシと呼び合っていた。今日から社長と社員だ。俺のことは社長と呼べ」と言いました。今、社員はみんな僕のことを秋好さんって呼ぶんですけど、唯一彼だけが社長って呼ぶ(笑)。メンバー2人だけのときはよく衝突しました。「昨日の社長に言われたこの言葉が気に食わん」とか「そんな仕事の仕方じゃ駄目だ」とか、やっていましたね。

伊藤: 思ったことを言い合えたのがよかったんでしょうね。

秋好: 弟は今も開発のリーダーとして頑張ってくれています。かっこよく言っていますけど、「こいつがいなくなったらやばい」という思いで、理解し合うには対話するしかない、と。彼もつらかったと思います。僕にとって、弟は絶対に裏切らない大事な存在です。

伊藤: 起業からサービスインまで時間がかかっていますね。

秋好: 8月くらいだったか、もう少しでリリースというときにエンジニアのパートナーさんに逃げられて、ソースコードもほとんどなくなってしまって。そこから弟と2人でPHPという言語を覚えて、何とか12月にリリースしました。

退路を断ってこれをやると決めたので、このゲームをするしかない。しかも、もう少しで競合が出るかもしれないから急ぐ必要がある。強迫観念ほどではありませんが、わくわくしながらやったという感じでもないですね。

伊藤: リリース日を覚えていますか。

秋好: 2008年の12月16日です。このサービスは依頼がないと動かないので、最初は自分たちでたくさん発注していました。実は、我が社のロゴ作成が最初の取引です。今の騎兵隊みたいなロゴですね。1週間で38点ぐらい集まりました。

ただ、そこは布石を打っていて、僕はニフティ時代からWeb2.0ナビというブログを書いていて、5000人ぐらいRSSの購読者がいたんです。その人たちに「こういうサービスを出しました」とPRしたら、1000人ぐらいが会員登録してくれた。これはいけるじゃないかと思ったら、まあ、依頼が来ない。リリースして喜んでいたのは1週間ぐらい。そこからは、このまま終わるんじゃないかと胃が痛い毎日でした。

ランサーズで生活している人がいる

伊藤: 軌道に乗るのにどれくらいかかったのですか。

秋好: 最初のポイントは2009年の4月ぐらい。「どんな仕事でもできます」では駄目だと、ロゴに特化することにしました。ランサーズは仕事のマーケットプレイスではなくて、ロゴのコンペができますとコミュニケーションをすべて変えたんです。なかば諦めです。ただこの評判がよく、1カ月の依頼が10件程度から100件ぐらいに増えたんですよ。「5万円程度で、ロゴのアイデアが50案集まるのはいい」と思ってもらったんでしょうね。

そのタイミングで偶然NHKから取材が来たんですよ。これ自体はあまり効果がなかったのですが、それをJ-CASTニュースが取り上げてくれて、さらにそれがYahoo! JAPANのトップページに載った。これが大きかった。そこから認知が一気に広がり、会員数が増えました。

伊藤:つまり創業から半年ぐらいで芽が見えた?

秋好: 僕らのサービスは企業からの依頼がないと、会員が1万人いても1円にもなりません。ランサーの数は増えたものの、企業は全然増えなくて。ロゴ発注が月に50件、100件という日々が2年くらい続きました。確かに200%ぐらいでは伸びるんですけど、50件が100件、100件が200件という程度。我々の手数料は5%から10%なので、売り上げにするとたいしたことがない。そのあたりが一番つらかったですね。やめたいとは言わないまでも、M&Aのオファーがあると0.1秒ぐらい悩みましたよね。

伊藤: そこを抜けて、この道を選んでよかったなと思ったタイミングは。

秋好: 一瞬思ったのは2011年ぐらいです。月の依頼の件数が1000件ぐらいになったんですよね。東日本大震災で、新しい働き方みたいなものに注目が集まったのだと思います。僕にとって依頼件数が1000件超えるなんて夢物語だったので、「これでいけるかも」とちょっと思いましたね。

そのときから、だんだんといいことが起こり始めて、初めての正社員を採用したり、メディアに出られるようになったり、余裕ができて何か新しいことをやるたびにそれが取り上げられたりして、そこから成長サイクルに乗ってきましたね。

また、こんなこともありました。ランサーの1人から「ランサーズさんには、これで生活している人がいるということを認識してほしい」というメールがきたんです。それを見てはっとしました。僕がただただ好きで、いわばエゴで手掛けているサービスだけど、これで生活している人がいる。これはちゃんとパブリックに、安定的に成長させながら経営しないといけないと思ったんですよね。

伊藤: 自分がやりたいこのサービスはいいよねというところから、社会の中でのランサーズ、そして自分の役割、社会的使命みたいな部分をその一言ですっと気付いたんですね。

秋好: そういう人の存在は何となく把握していましたが、直接メールで届いたので、何かズドーンときた。「ああ、ここには人がいて、これで食べている人がいる」という何かうれしいような、痛いような感覚です。この方は宮崎県にお住まいの50代後半のランサーです。事あるごとにいろいろなご意見をいただくありがたい存在です。
 

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