トップは清貧であるべきか? 

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海外視察の贅沢な「大名行列」ぶりや、「合法だけど不適切」な政治資金の利用等の問題で都民の反感を買った東京都の舛添要一前知事が6月21日辞任しました。この件について、たまたま目にした記事に気になることが書いてありました。ある政治評論家の方が、次の都知事の条件として「清貧であること」を挙げていたのです。

結論から言えば、個人的にはこの意見には賛成できないのですが、今回は都知事のみならず、企業のトップも含め、トップが「清貧である」ということの必要性について考えてみましょう。

まず、実際にそのような清貧と言えるリーダーについて見てみましょう。国際政治では、近年、「世界一貧しい大統領」として知られたウルグアイのムヒカ前大統領が話題を呼びました。公用車には乗らない、飛行機はエコノミークラス、大統領報酬の90%はチャリティや寄付に回すという人物です。国民からの人気は大きなものがあり、ノーベル平和賞の候補にも挙げられました。

ビジネス界に目を転じると、筆者がまだ若い頃に第二次臨時行政調査会長として行革推進で活躍した土光敏夫氏(元石川島播磨重工業社長、東芝社長・会長)がすぐに思い浮かびます。彼は、「メザシの土光さん」と呼ばれるほどの質素な暮らしぶりで話題になりました。

特に日本では、昔から「清貧」であることには良いイメージがあります。しかし、トップは本当に清貧である必要があるのでしょうか? その効用と、逆にデメリットを検討してみましょう。

まず効用の方ですが、以下のようなことが挙げられるでしょう。

・部下がそれを範にせざるを得なくなる
リーダーの役割の一つは、部下に対して、とるべき姿勢や態度を身をもって示すことです。たとえばトップがセクハラに非常に厳しい態度をとっていれば、部下も自ずとセクハラなどはしなくなる可能性が高いと言えます。逆に、トップの意識が弱く、自らセクハラまがいの言動があるようでは、その組織はセクハラが横行することになるでしょう。清貧なトップのもとでは、部下は否応なく清貧な部下として振る舞わざるを得なくなるのです。

・コストダウンが進む
そのような姿勢や態度が浸透すれば、当然コストは下がっていきます。冗費を削ることは企業の収益性を上げる上で重要な要素ですから、それは相応の効果をもたらします。

・尊敬を集めることができる
清貧は日本人の意識にしみ込んだ美徳でもありますから、トップがそのような人物であれば、社内のみならず社外のステークホルダーからも一定の尊敬を集めることはできるでしょう。

しかし、このようなメリット面だけが生じるわけではありません。程度にもよりますが、以下のようなデメリットも同時にもたらされる可能性があります。

・「貧すれば鈍する」状態になりやすい
適切に冗費をカットする程度で済めばいいのですが、往々にして人間の行動は行きすぎるものです。その結果生まれる必要以上の引き締めは、まさに「貧すれば鈍する」の状況をもたらしかねません。たとえば研究開発費を必要以上に削れば、研究の質は落ちますから、長い目で見て企業の競争力を損ないます。あるいは、広告費のカットも、製品の認知度を落とし、売り上げ不振につながりかねません。費用を削った結果、それ以上に売上げが減って利益が縮小し、その結果また費用を削る・・・となってしまっては本末転倒です。

・至上主義に陥りやすい
「トップは清貧であるべき」というテーゼは、時としてドグマになってしまい、それこそが最大目的であるような状況をもたらすことがあります。本来トップに必要なのは、競争に勝ちぬいて企業を成長に導く能力のはずですが、それよりも清く慎ましいことが重視されるようになってしまうのです。そうした企業が競争という厳しい現実を勝ち抜けるかは甚だ疑問です。土光敏夫氏がビジネスパーソン時代に尊敬を集めたのは、その慎ましい生活ぶり以上に、経営者としての能力があったからです。

・マクロレベルで好ましい姿ではない
これはやや次元の異なる話ですが、慎ましやかな消費行動は、結果的に経済全体を縮小させてしまいます。経済成長が大きな問題となっている現代の日本において、マクロレベルでは好ましくない行動を、1社だけだからといって合理化するのは、実は自己中心主義とも言えるのです。

では、トップは結局どのような姿勢、態度をとるべきなのでしょうか? まず、仮に清貧が趣味であっても、それはあくまで自分自身のプライベートに留め、部下にまで強制しないことです。また、企業における活動については、冗費は戒めつつも、行うべき投資はしっかり行い、使うべき費用はしっかり使う意識を徹底させることです。先述した「貧すれば鈍す」ではなく、拡大再生産をしっかりと実現する道筋をつけてあげることこそが必要なのです。

上記の話は「清貧」の「貧」に関する話でしたが、では「清」についてはどう考えるべきでしょう? 筆者はこれも行きすぎた潔癖さは悪影響をもたらすと考えます。「清濁併せ飲む」という言葉があるように、優秀なリーダーは、極端な潔癖主義の罠には陥らないものです。もちろん、「濁」の部分が多すぎるとそれはまた問題ですから、バランスをとる必要はありますが、そのバランス感を(難しいことではありますが)自分自身が実現し、部下にも説くことこそが必要でしょう。

トップに必要なのは、能力もそうですが、「清貧」ではなく「正&品」(これは筆者の造語です)でしょう。つまり、公正で正義感があり、考える姿勢が正しい。その上で、品格があるという状態です。

都知事の話に戻ると、残念ながら、舛添前知事のケースでは「正&品」の両方が満たされていませんでした。どこまでこれを満たす候補がいるのかは現時点では不明ですが、次期都知事にはぜひ能力と、この「正&品」を兼ね備えていてもらいたいものです。
 

東京大学理学部卒、同大学院理学系研究科修士課程修了。戦略系コンサルティングファーム、外資系メーカーを経てグロービスに入社。累計150万部を超えるベストセラー「グロービスMBAシリーズ」の著者、プロデューサーも務める。著書に『ビジネス仮説力の磨き方』『グロービスMBAビジネス・ライティング』『グロービスMBAキーワード
図解 基本フレームワーク50』(以上ダイヤモンド社)、『[実況]ロジカルシンキング教室』『[実況』アカウンティング教室』『競争優位としての経営理念』(以上PHP研究所)、『利益志向』(東洋経済新報社)、『ロジカルシンキングの落とし穴』『バイアス』『KSFとは』(以上グロービス電子出版)、共著書に『グロービスMBAマネジメント・ブック』『グロービスMBAマネジメント・ブックⅡ』『MBA定量分析と意思決定』『グロービスMBA事業開発マネジメント』『グロービスMBAビジネスプラン』『ストーリーで学ぶマーケティング戦略の基本』(以上ダイヤモンド社)など。その他にも多数の共著書、共訳書がある。
グロービス経営大学院や企業研修において経営戦略、マーケティング、ビジネスプラン、管理会計、自社課題(アクションラーニング)などの講師を務める。グロービスのナレッジライブラリ「GLOBIS知見録」に定期的にコラムを連載するとともに、さまざまなテーマで講演なども行っている。

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