※この記事は日経産業新聞で2016年6月3日に掲載されたものです。
日本経済新聞社の許諾の元、転載しています。
「失敗や苦労談を教えてほしい」とよくきかれる。実はこの質問が、一番答えるのに苦労するのだ。失敗や苦労がなかったわけではない。ただ単に思い出せないのだ。
前者に関して考えてみよう。「失敗は成功の母」と言われる。それは「全ての試みは成功に向けたプロセスである」という考え方に基づく。企業経営の場合も同じだ。仮説を立て、行動計画をつくり実行に移す。すると必ず不確定要因にぶつかり、当初の意図とは違う結果になる。世間的にはこれがいわゆる「失敗」と位置づけられる。
だが、簡単に失敗と断定する前にやるべきことが山ほどある。経営環境を分析して、どの仮説や前提条件が違っていたかを見極める。その苦境から脱するための選択肢をあげ、長所短所を分析して意思決定し、再び行動計画を立てて実行する。
するとまた当初の意図とは違う結果になる。「失敗したぁ」と嘆く前に、すぐに頭を働かせて、行動する。この繰り返しを通じて、目標到達に近づいていくのだ。振り返っても「苦労」と感じる暇もなく働き続け、どこが「失敗」だったかが分からなくなっているのだ。むしろ「失敗」は、早い段階で進行方向が間違っていることを教えてくれる、ありがたいシグナルとも考えられる。
失敗をしたという事実を忘れてしまうこともあるだろう。米大リーグなどで活躍した松井秀喜さんが書いた「不動心」という本がある。松井さんは自らの失敗を一切公言しないという。チャンスで打てなかった悔しさや、自分のエラーでチームが負けた後悔を表に出さない。
彼のロジックはこうだ。失敗したことを公言することで失敗の印象や記憶が増幅する。必要以上に意識すると、自分の行動にネガティブな影響を及ぼす可能性が高まる。失敗は反省して、同じ失敗を繰り返さないよう努力する。だが、失敗したこと自体は記憶から忘れ去るのが良いのである。
おそらく僕はこの2つの理由によって失敗や苦労談が思いつかなくなったのだと思う。
失敗で落ち込みがちな人には、「失敗とは相対的なものだ。大きくとらえるか小さくとらえるかは自分で決められる」ことを伝えたい。失敗を「人生の終わりだ」と受け止めてしまうと、立ち直るのが難しくなる。そうではなくて「別にどうでもいいんじゃないの」と小さく考えると気が楽になる。失敗も成功も、全て気持ちの持ち方次第だ。
「AQ」という概念があるのを学んだ時に、大きな気付きを得た。「IQ」が知能指数、「EQ」が感情指数を指す。「AQ」は「逆境指数」と呼ばれ、逆境に対する対応能力を示す指標だという。AQ理論に従うと、試練を迎えるということは神様からギフトを与えられるようなものだ、という。試練を乗り越え、バネにすることで次なる成長につなげられるからだ。逆に試練がないと、自らの成長が止まってしまうのだ。試練に直面したら、「やった。自らを成長させるチャンスをもらえた」と喜ぶべきものなのだ。
失敗し、試練にぶつかるとき、ある人にはそれが「壁」に見えるかもしれないが、別の人はより高い場所へ自らを導く「階段」ととらえるかもしれない。失敗や苦労は相対的なもので、人によって感じ方が違う。失敗は成功に向けたプロセスであり、自分に足りないことを教えてくれる。苦労は、自らを成長させてくれる。双方とも歓迎すべきものではないだろうか。
ということで、今回も結果的に失敗や苦労話に関しては答えられなかった(笑)。