キャリアステップ、どう考えればいい? 

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Q:堀さんのこれまでのキャリアステップに関する解説をお願いしたいです。どうして京都大学に進学したのか、どうして工学部なのか、どうして大学院に進んだのか、どうして住友商事の採用選考を受けようと思ったのかetc(マチネさん)

A: 正直言って、僕のキャリアステップを解説しても、面白いとは思いませんが、ご質問頂いたので、淡々と簡潔にお答えすることにします。

先ずは、大学からです。「なぜ京大工学部なのか?」。僕の父方の祖父は、東京在住の工学系の学者で、母方の祖父が愛媛県の政治家でした。そして父は、工学系の研究員です。身近にいた祖父・父の影響で、僕の人生の選択肢は、工学系の研究員・学者か、政治家のどちらかと決めていました。

9歳の時に学者の祖父が飛行機事故で他界します。葬儀の後に友人が集って編纂した祖父の遺構集『吾人の任務』を、高校時代に読みました。それから祖父の経歴を意識しながら、僕の「吾人の任務」を模索し始めます。その経緯は、拙書『吾人の任務』(東洋経済新報)に書かれています。

高校2年生を終えて豪州で1年間留学しました。留学中に日本社会に疑問を持ち、帰国後政治家になりたいと思い始めました。そこで政治家になるならば、東大文一だと考え、志望校を固め、文系クラスに入りました(その当時の総理大臣はほとんど東大法学部卒業でした)。

高校3年の9月に開催された文化祭をリーダーの一員として切り盛りした後に、受験勉強に臨むのですが、どうやっても国語の点数が全く取れないのです。高校生と言うのは単純で、「国語ができない=文系失格=理系だ」と考え、高校3年生の10月に思い切って理系に転向しました。「文転」は聞いたことがありますが、「理転」はあまり聞いたことがないです。

3年の10月からセンター試験(旧共通一次)の7科目を学ぶとともに、数学Ⅲ、物理Ⅱ、科学Ⅱを独学で勉強しました。その当時は、ノーベル賞学者は、全て京大でした。「理系=京大」と言う頭があったので、京大工学部を受けることにしました。幸い現役で合格することができました。

ところが、望んで入った京大の工学部ですが、実験が面白くないんですね。「実験器具に向かうよりも、人に会っていると方が好きだ」と気がついて、理系の研究者・学者の道をあっさりと止めることにしました。すると何をしていいかわからなくなりました。そこで、アルバイトに励みながら、遊び呆けていました。僕は、学生時代に広告関係のアルバイトをして、月40-70万円も稼いでしました。学生時代はその関係で裕福になり、300万円ほど貯金ができました。

就活の際に考えた当初のキャリアは、電通・博報堂やテレビ局のプロデューサーのキャリアでした。ただ、広告関係の仕事をしていると、代理店やメディアよりも、使う側のビジネスそのものに興味を持ち始めました。「使われるよりも、使う側にまわりたい」とシンプルに思い始めました。

また、大学が工学部なので、研究に配属されるメーカーを避けることにしました。そこで、「ビジネスと言えば商社マンだ」との行きつきました。まさに留学経験を活かして、「世界を飛び回る商社マン」になろうと思いました。それが、「なぜ商社か?」の解説です。

そのアルバイト時代に京大生なのに、仕事の関係でよく東京に滞在していました。時は、バブル全盛時代の80年代ですよ。六本木によく出没して遊んでいました。毎晩毎晩本当によく遊びました。そこで出会った遊び人の先輩の一人が、ディスコでポロっと仰った言葉が、僕の人生を変えました。その言葉は、「堀君、MBA取りなよ」でした。「何ですか、そのMBA って?」。酔っぱらっていながらも、その説明を一生懸命に聞きました。彼は、スタンフォードのMBAホールダーで、流暢な英語で美しい外人モデルをナンパしていて、「何だか格好いいなぁ」と思っていました。

MBA取得には大学時代の成績が必要になるので、京大に戻り試験前に一生懸命に勉強しました。何とかGPA(優良可の平均)を上げて、卒業することができました。大学時代の友人には、ノートや試験情報などで本当にお世話になりました。

「なぜ住友商事か?」は、簡単です。京大で一番人気あるのは、住友系だからです。三井物産からも内定をもらっていたと後で聞きましたが、住商の人事部が「物産は、東大とか慶応の学閥が強いよ」と囁かれたのと、住商の内定の方が早かったので、住商に決めました。この囁きが、事実かどうかは未だにわからないです。

「なぜ大学院なのか?なぜ海外か?」は、簡単です。祖父も父も大学院まで進んでいましたし、海外留学もしていたから、当然のキャリアパスだったのです。そして、ハーバード経営大学院に留学して、MBA取得して、グロービスを立ち上げました。

その27歳からの軌跡は、拙書『吾人の任務』に詳しく書いていますので、ここでは割愛します。まぁ、こうやってみると、遊びながらも、何とかよくここまで歩んでこれたものだと、自分でも感心しています。

でも、いまだに工学系のことは好きです。だからベンチャーキャピタルやりながら、グロービス経営大学院をテクノベート(テクノロジーとMBAを融合)しています。日本の改革も一生懸命です。だからG1を立ち上げて、「100の行動」を執筆しています。「いろんなことが無駄じゃなかったなぁ」、と今はそう思っています。

なぜだか、54歳になっても「遊び人」ではありますが(苦笑)。僕が、街中で出会う20代がいれば、「○○君、MBA取りなよ」って絶対言うと思いますよね。僕の人生を変えた一言だと思うので。(^^)

堀義人への質問はこちら>>

※編集部注: 週に1度、堀義人が読者の皆さまからお寄せいただいた質問にお答えします。質問は一部編集させていただく可能性がありますが、ご了承ください。
 

京都大学工学部卒、ハーバード大学経営大学院修士課程修了(MBA)。住友商事株式会社を経て、1992年株式会社グロービス設立。1996年グロービス・キャピタル、1999年 エイパックス・グロービス・パートナーズ(現グロービス・キャピタル・パートナーズ)設立。2006年4月、グロービス経営大学院を開学。学長に就任する。若手起業家が集うYEO(Young Entrepreneur's Organization 現EO)日本初代会長、YEOアジア初代代表、世界経済フォーラム(WEF)が選んだNew Asian Leaders日本代表、米国ハーバード大学経営大学院アルムナイ・ボード(卒業生理事)等を歴任。現在、経済同友会幹事等を務める。2008年に日本版ダボス会議である「G1サミット」を創設。2011年3月大震災後に、復興支援プロジェクトKIBOWを立ち上げ、翌年一般財団法人KIBOWを組成し、理事長を務める。2013年6月より公益財団法人日本棋院理事。いばらき大使、水戸大使。著書に、『創造と変革の志士たちへ』(PHP研究所)、『吾人(ごじん)の任務』 (東洋経済新報社)、『人生の座標軸』(講談社)等がある。

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