間下氏が学生時代に起業し、グロービス・キャピタル・パートナーズも資本参加したブイキューブ社。今やWeb会議サービスでは日本国内No.1の地位を盤石なものとし、東証1部上場も果たした同社が、積極的にアジア各国での事業展開を進めている。間下社長自身がシンガポールに居を構え、シンガポールから日本を含む同社の全事業運営の指揮を執っていることでも有名だ。その間下社長に、グローバル展開をキーワードに同社の戦略的意図と事業展開の鍵は何かに迫る。ITベンチャー発の企業として成長し続ける同社の経営には、大手企業が海外展開する際に直面する壁をどう克服するか、という点でも学ぶべきことが多々込められている。
シンガポールから指揮を執ることで、どんな成果を上げることができたか?
■ 「小さい」「面倒」「英語」の3重苦を克服する手立てが自分だった
なぜ国外から指揮をとることにしたのか、まず話したい。2003年から北米に展開し、2009年頃からマレーシアを皮切りに東南アジア展開を始めた。日本から指揮していると、現地から上がってくるレポートを聞いてもよく分からないことが多すぎ、実態が掴めなかった。海外の現場を肌感覚で正確に把握する必要性を痛感していたというのが1点目。
2点目は、日本本社のグローバル化をどう進めるか。当時、日本本社から海外拠点へのサポートが全く進まなかった。それもそのはずで、始めたばかりの海外ビジネスは、本社から見れば、「ビジネスの規模が小さい」「海外のお客さんの要望などで面倒なことを色々言ってくる」「英語で来るので面倒」という3重苦。人間の性として普通にしていたら、この状況下やらないで当然だ。最前線で頑張っている仲間からの要望はどんどん後回しとなり、誰も真剣に対応しないまま。しかし、これではアウェーで仕事をするのに勝てる訳はない。まさに、兵站線がない中で苦しい戦いを強いる状況となっていた。
この状況を打破するには、社長が行くしかない。そうすれば、さすがに本社のスタッフも言うことを聞かざるを得なくなるであろうと考えた。そして、自らがシンガポールに移り住み、シンガポールから日本のオフィスに要望を言い続けた。結果、徐々に本社が動くようになって行った。本社はやらざるを得なくなったのだ。
自分がシンガポールに来ることができた背景には、日本のビジネスが成長軌道に乗っていたことも大きい。日本のことは海外からでもおおよそわかる。ビジネスが1を100にするフェーズに入っていたからだ。しかし、海外は0から1を創るフェーズ。無理をしないといけないし、時には既存で定めていたルールの変更も迫られる。上手くビジネスにならないといったことも当然おきるが、ルール以外のことをやり、リスクを取るのは社長にしか決められない仕事だ。当時の海外で「何が必要か?」「日本本社をどう動かすか?」という課題に対する解決策が、自分がこちらに来ることだったのだ。
ブイキューブがアジア展開で取った戦略とその成功の要因は?
■ITサービスという特性上、アメリカと戦わず、アメリカの弱みにどう攻めるかが鍵
最初の海外は北米から入ったが、日本のIT企業がアメリカで戦うことは極めて難しい。人材力やベンチャーの資金調達力で圧倒的な差をつけられている。王道を行くのは困難で、どニッチにいかない限り、日本から北米に出て行って成功したIT企業はない。しかし、この戦いはアジアに来ても同じで、アメリカの巨大資本との戦いをなるべく避けて、彼らが強みを発揮しづらいところで勝負すべきことは、場所が変われど同じだ。
そこで、狙うマーケットは、「英語が通じ難い国」、そして、「アメリカの文化と合わない国」にチャンスが大きいと考えた。具体的には、イスラム圏やベトナム、タイ、インドネシアなどの国々がそのカテゴリに入る。今後は、ロシアや東欧なども視野に入るだろう。
もう一点は、アメリカの弱み(ある意味強み)は、アメリカンスタンダードを押しつけてくるところ。彼らの多くのビジネスモデルは、グローバルスタンダートと称して、システムに人を合わせさせるのが常套手段。一方、これを気に入らないと思っているアジア人は沢山いる。我々はそういったアジアのお客さんの心を捉えて、ちょっと気の利いた事をやってあげることで、米企業に対抗する手段を選んだ。米企業はこれにはついて来れないし、ついて行く気もない。顧客の運用を変えさせるアメリカ式に対して、顧客の運用に合わせるアジア式を進めるにも、アメリカが来づらいところを選ぶのが得策と判断した。
しかし、ここで注意が必要なのは、全てのITサービスがこの戦略を取れるとは限らないということだ。基本的にITサービスは規模が効きやすく、国境も超えやすい。しかし、WEB会議サービスは、サービスの特性上、サーバーを現地に置かなければならなかったり、使い方が国ごとで違ったりして、効率が悪いサービス。効率が悪い方が、規模化に対抗しやすい側面があったことを付言しておきたい。
間下さんは、ビジネスパーソンとしてどのような自己研鑽を行っているか?
■投資家や株主を個人にとっても会社にとってもいい師とすべき
勉強は好きではないので、あまりやらない (笑)。しかし、「投資家と話をする」ことがすごく勉強になっていると思う。まず、投資家と話をするには、論理的に自分の考えを整理しなければならないし、投資家に話をしてしまったことは、やらねばといったような良いプレッシャーにもなる。投資家の質問は鋭いし、先行指標を見ている人たちなので、経営者に必要なロングタームの視点を養うこともできる。さらに、投資家は情報の宝庫で、「これ知っている?」と有益な情報をくれ、言わば応援団にもなってくれる。One on oneでの投資家とのミーティングもとても有益な時間と捉えている。
日本の大企業の幹部からは、IRはなるべく避けたいといったニュアンスの言葉をよく聞くことがあるが、投資家、株主から学び、自社の経営にいい意味で利用していくというスタンスが大事ではないか?また、大手企業では、実質的にIRを考えるのが、経営企画部の仕事になっており、幹部自らが自分自身で本当に向き合っている企業はあまり多くないように見える。
大企業の経営者は、お客さんと現場が大好き。それはとても大事なことで、お客さんから様々なヒントを得ることも多い。しかし、話は小さな視野にならざるを得ないことも多く、改善のヒントは見つけやすいが、大局的な話にはなりづらい。そういう意味でも投資家・株主とのコミュニケーションに日本の経営者はもっと真剣に自ら好んで向きあうべきだろう。
日本の特に若いビジネスパーソンに対してメッセージをお願いしたい
■海外に出てこい
一言で言えば、「海外に出て来い」と言いたい。日本国内だけでやれる仕事も沢山あるだろうが、上昇志向がある人は、国内だけではいずれキャップがはまってしまうだろう。
残念ながら日系企業の幹部から長期戦略が出てこなくなったのは、グローバル化が進んでからだ。役員の中に、そもそも海外での事業を経験した人がまだまだ少ないし、役員自らが単独で人に会ったり、電話をかけて、英語で直接情報を取れる人もそう多くないだろう。英語でIRをやれるCEOの人材も限られている。これでは、グローバルに長期戦略を立てられるようになるのは困難だろう。国内だけを見ていても、日本の市場が十分大きく成長していた時代は戦略が組めただろうし、それで良かったのだろう。しかし、その時代はもう終わったのだ。
もちろん、海外に来ればこれらの課題が解決するとは言わないが、海外の最前線に来て、自分の頭で考えて、行動し、長期にわたって切磋琢磨を続ける経験をしないと、グローバル経営を率いることは不可能だろう。
【ポイント】
・海外スタートアップの「小さい」「面倒」「英語」の3つの壁を克服する手段を講じないと最前線は孤立無援
・海外では、たとえ大企業でもチャレンジャーの立場となる。業界特性に応じた勝ちのパタンを理解して、初めて海外展開のプロセスも描ける
・長期的な視野で海外戦略を立てるには、投資家・株主から学ぶ姿勢が求められる