鈴木敏文氏の辞任劇に見た「カリスマ経営者」の葛藤 

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セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長兼CEOが引退を表明した。セブン・イレブン・ジャパン社長の井阪隆一氏を交代させるという自らの人事案が、取締役会で過半数の賛成を得られなかったことがその理由である。

1963年にイトーヨーカ堂に入社、71年取締役、73年にヨークセブン(現在のセブン-イレブン・ジャパン)を設立して専務取締役に就任、半世紀にわたって日本のコンビニ業態を生み・育ててきたカリスマ経営者だった。「カリスマ」という言葉には、「神から授けられた特別な才能」「多くの人を信服させる魅力」といった意味がある。カリスマと呼ぶにふさわしい偉大な経営者の引き際は、なんとも後味の悪いものとなった。

今回の辞任劇の示唆は、「カリスマ経営者の後継者をどうするか?」というコーポレート・ガバナンス(企業統治)に対する大きな問いを投げかけている。

鈴木氏自身、自らの後継者が育ってくれることを強く望んでいたはずだ。その思いが今回の騒動の根底にあると私は思う。しかし、抜きんでた能力をもったカリスマ経営者は、後継者にも非常に高いレベルのものを期待する。その基準に満たなければ、自らがどんどん口を出す。そうなると逆に、後継者は育たない。本人がそれに気づいたとしても自制ができない。多くのカリスマ経営者が直面する涙ぐましいジレンマだ。鈴木氏もこの例外ではなかった。

記者会見の席、「なぜ、後継者を育てられなかったのか」という記者の質問に対して鈴木氏は一言だけ残し去っていった

「私の不徳の致すところだ」

カリスマ経営者の矜持を感じた。
 

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