プロ囲碁棋士・梅沢由香里氏 -着眼大局、着手小局 

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囲碁も経営も、大切なのは「着眼大局、着手小局」ということ。そして、苦しいときほど目の前の一手に最善を尽くすこと――。グロービス経営大学院で講師を務める松林博文が、プロ囲碁棋士・梅沢由香里氏に聞いた(本稿は、2006年10月20日にグロービス東京校で行われた、USEN「ビジネス・ステーション」(I-26チャンネル)「ビジネス・セミナー」公開収録の内容を再録したものです)。

菓子に釣られて始め、悔しさを原動力に囲碁そのものに夢中に

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松林:本日のゲストは、プロ囲碁棋士の梅沢由香里さんです。早速、お聞きしていきたいのですが、囲碁というのは、とても不思議な勝負事ですよね。

梅沢:ただ、すごく分かりやすいですよ。囲碁は陣地をたくさん囲った方が勝ちですから、ごまかしようのない結果が出るのです。

松林:梅沢さんはおいくつで始められたのですか。

梅沢:6歳、小学校1年生のときです。6歳の6月に始めた習い事は長続きするという言い伝えがあるらしいのです。それを父が知ってか知らずか、一緒に始めようということでした。6月なんですが、「こどもの日のプレゼント」と、すごく大きな碁盤をプレゼントされて、よく分からないままに始めました。碁に行くと帰りにお菓子を買ってもらえるのです。最初の頃はそれがうれしくて続けていました。

松林:それが囲碁そのものに入っていく。ご自分の中で何か変化があったのでしょうか。

梅沢:一番記憶に残っているのは囲碁を始めたばかり、6歳のときの出来事です。囲碁教室で問題を出題されて、私一人だけできなかったのです。それがものすごく悔しくて…。あんなに悔しい思いをしたことは他ではなかったので、いまだにその問題を覚えています。その悔しさが最初の原動力になりました。負けず嫌いであることを認識しだしたのもその頃です。

その次がまた悔しい思い出です。7歳のとき、子ども教室の大会で、少し下のレベルの人とハンディなしで戦って負けました。それがまた、とても悔しかった。私は一体何をやっているの――と子どもなりに強烈に刺激されました。この悔しさの2連発で、強くなりたいという思いが湧いたのです。

そして、いろいろなところに顔を出すうち、今度は周りの大人が褒めてくれるようになりました。「由香里ちゃん、こんなちっちゃいのにすごいね」とか言われて、今度はだんだん天狗になってきて…。

私の場合、囲碁の競技自体が面白いと思い始めたのは、本当に時間が経ってからでしたね。

松林:対戦の最中、自分の精神状態の中で、はまっていく感覚ってあるのですか。

梅沢:かなり後になってからですが、強くなるにつれ、対戦中にいろいろな戦略が見えてくるようになります。そこでうまくつぼにはまることがあると、それがたまらなくて。ぎりぎりの攻防の中で、思い通りに打てたり、予想外の展開で新たなゴールが見えたりすると、ときめきますね。

松林:いろいろな場所で、いろいろな方と対局されて、特に印象に残っている対局はありますか。

梅沢:囲碁は世界中に広まっていて、日本と同レベル、あるいは日本より上のレベルと言えるほど、中国と韓国が強豪となっています。私が日本の代表として、中国、韓国の方と対局したのは、中学生のときでしたが、微妙に碁の「性格」が違うのです。予想外のところに来たりして、それが初めて受けた衝撃だったかもしれません。

その国なりの碁というのがあるのですね。一括りにしてはいけないかもしれませんが、日本人は感覚でとらえて、感性で打つところが多いのです。ヨーロッパ系の方は、ものすごく理屈っぽくて、深い読みが入っています。ヨーロッパに碁の普及に行ったことがありますが、対局の後に、「ここはこっちの方が良かったですね」などと言うと、しつこく「なぜだ」と問われました。日本の方だと、「ここをそう打つと、こちらが広がりますよ」というようにと説明すると、厳密に理屈を説明しなくとも感覚で分かってもらえますが、ヨーロッパでは、理路整然とした形を具体的に示すことを求められました。

年齢を重ね、経験を重ねることで、囲碁のスタイルも変わる

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松林:そのように「読んで指す手」と、どちらかと言えば「感覚的に打つ手」。ご自分の中ではどのように使い分けていらっしゃるのですか。

梅沢:対局の後半になると「読み」の部分が出てきますが、最初の段階は、大局観といって、全体のバランスを考えて着手する必要があります。そのときは、読もうとしても可能性がありすぎて、理屈では答えが出せません。そういうときに感性がすごく大切になってくるのです。

松林:その日の気分によって変わってくることもあるわけですか。

梅沢:もちろんそうです。年齢によっても変わってきます。自分が年齢を経るごとに、同じ局面で違う考え方をしたりします。それはレベルが上がっているからかもしれませんが、多少、保守的に打つようになってきたりするのです。若いときは、勢いで一か八かで行けたところも、ある程度の年齢になると、負けない打ち方をし始めます。賭けに出るよりも、1回や2回、失敗しても、大勢に影響が出ないというような打ち方になってきますね。

松林:やりたいことがあるけれども、これをやっちゃまずいな――と、大企業の部長や課長のようになってくるのですね。

梅沢:人にもよりますが、勝ちやすい碁を打つようになってきます。すごく思い切りが良くて、行け行けどんどんだった若手が、ある程度の年齢になると負けにくい碁を打つようになるというのでしょうか。人間だから、打っている最中に間違えることは当たり前ですが、その時のリスクを最小限にする打ち方をし始めますね。

松林:若い人と対局していて、奔放な手を打ってくると、とんでもないと思うと同時に羨ましくも感じるのではないですか。

梅沢:勢いを感じますね。若いなあ、と思うでしょうね。でも、売られた喧嘩は嫌いじゃないです。よし、これで一局いくか、という気分になります。基本的には、勝負師なのかもしれないですね。

松林:勝負勘を鍛えることが大事なのは分かりますが、難しいですよね。同じ囲碁の中でも、すごく一生懸命、考える局面もあれば、逆もある。その辺のメリハリ、見極め方というのは経験を積んでいくと分かってくるものなのでしょう。

梅沢:そうですね。こればかりは、経験がモノを言うところなのでしょうね。今が勝負時だというのが、カーンと来るのです。ゴングが鳴る感じです。動物的勘というか、来たなという感覚が働く。「勘」としか言いようがないですね。

冴えているときは、この勘がよく働くのですが、勉強しないでいるとその感覚が薄れてきます。なんとなく気付いても、あれ、いつがポイントだったんだろうと、勘が拾えなくなるというのでしょうか。

やはり普段から碁に触れていることが大事ですね。いろいろな対局を打つだけではなく、人の碁を見ることから掴めるものもあります。そうでないと脳が錆びついた機械のようになってしまって、牛が歩んでいるようなスピードでしか動かなくなるのです。

松林:いろいろな対局をされていると、プレッシャーがかかるときもありますよね。お見かけしたところ、そのようには見えないのですが、梅沢さんでも、緊張したり、プレッシャーを感じることはあるのでしょうか。

梅沢:子どもの頃から、ものすごくありましたね。父からものすごく期待をかけられていました。うちの娘は天才で、大会に出れば必ず優勝する――くらいに思っていたのです。実力以上に期待されているという感覚が、私にはプレッシャーでした。大会では、期待されればされるほど負けましたね。

松林:それを克服してこられたのですね。

梅沢:大会に初参加すると、1回目はいつも駄目で、2回目は少しましになって、3回目はもう少しましになって、やっと4回目ぐらいで何とかなるという。これまで、同じ環境を何回も経験することでクリアしてきました。私は本当にプレッシャーに弱いタイプで、いつも場にのまれていました。

松林:だんだんそれを克服されたのですね。囲碁は、サッカーとかボクシングとかと比べて静かでしょう。ガッツポーズもできないし、ちょっとまずいなあと、うなだれることもできないですよね。

梅沢:顔をよく見ていると、それなりに変化ありますよ。ガッツポーズとかしないのは、相手への思いやりというのもあります。対局中は、形勢がよくなって盛り上がっているときこそ、気持ちを抑えようとしますね。浮かれて集中を途切れさせ、終わったらどこに飲みに行こうなどと考え始めると、本当に駄目なのです。見事に間違いますね。

囲碁は言葉の垣を持たない。思考を鍛え、人生を豊かにもしてくれた

松林:ちょっと一杯飲んで、ということはないわけですね。ラテン系の方はテキーラを飲んで一局、などというのもありそうな気がするのですが。

梅沢:碁の楽しみ方も国によって違っています。中国、台湾、韓国は日本と似たような感じですが、例えば「ヨーロッパ碁コングレス」(ヨーロッパ各国持ち回りで年1回開催されるヨーロッパ最大の囲碁大会)などへ行きますと、真剣勝負ではないところでは、踊りながら碁を楽しむコーナーもあります。

囲碁は70カ国ほどに広がっていますから、その国なりの囲碁文化が育っている感がありますね。必ずしも日本的な囲碁の文化が世界に伝わる必要はないと思います。フランスへ行ったときはカフェで碁を打っていました。その国流のいろいろな楽しみ方があります。囲碁は言葉が要らないので、いろいろな国で面白い広がりを見せると思います。

松林:梅沢さんご自身は、囲碁以外に好きなことをやってもいいと言われたら、何をされますか。

梅沢:囲碁以外でしたら、今とりあえず出産したいです。一人の女性として、生き物として、普通の人として種を受け継いで育てていきたいです。

松林:子どもさんにも囲碁をやらせますか。

梅沢:そうですね。趣味としては本当にいいと思うので、苦しいものとしてではなく、もっと楽しめるように教えたいですね。

松林:グロービス代表の堀義人は、自身の子ども5人全員に囲碁をやらせています。頭がよくなるからだそうです。頭がよくなるというのは、どういうところでよくなるのですか。

梅沢:詳しいところは分かりませんが、思考力はつくと思います。ただ、やみくもに打つのでは成長しません。「勝つ」という目標のもとで次の一手を決めていく。局面ごとに一番いい手を探す。自分の側の次の手だけでなく、相手側の次の手も考えて、自分なりにシュミレーションする。対局に負けたら、次はどうしたらいいか考える。目の前の課題を少しずつ克服し、解決していくために自分なりのベストを考える。そうした、徹底的に考えていく作業が、思考力を深めるのに奏功するのではないかと思います。

松林:30歳、40歳を過ぎて、これから碁を始めたいと思っている人たちに具体的なアドバイスはありますか。

梅沢:私自身が、囲碁をやっていて本当によかったと思うのは、そのおかげで出会えた方がものすごく多いことです。この場もそうですし、囲碁を通じて本来なら出会えないような社会の方、国の方たちと出会うことができました。それは幸せなことで、私にとって財産だと思います。私はプロという立場ですが、ファンの方たちにも、囲碁を通じての広がりが見えて、すごく素敵なことだと思えます。

松林:対局していると、相手の考えていることや、性格とか、人生観とかが盤面に滲み出てくるのではないですか。

梅沢:ある程度ですけれども、確かに、よく性格が出るなどと言われます。この人は、焼きもちやきなのかなとか、同じ人でも、今日は調子がいいなとか、今日は何だかバランス感覚が落ちているなとか感じたりします。一局、打つということは、ただ相対したというだけではなく、一局の碁を一緒に創り上げていくとでもいうのでしょうか。どこか通じ合えたような不思議な感覚が湧くのです。

着眼大局、着手小局。苦しいときほど目の前の一手に最善を尽くす

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松林:囲碁は、中国で2000年以上も前に、暦というか占いに使われていたのですね。

梅沢:そういう説があります。碁盤は打つ場所が19×19で361カ所あるのですが、それが暦の数に近いということと、碁石の黒と白を昼夜に分けて、碁盤の場所を春夏秋冬に分けて占いをしていたという説があります。それでどう占っていたかまでは知らないのですが、そういう説があるとは聞いています。今でも真ん中の点のことを「天元」、印のことを「星」というふうに呼びますから、言われてみればその片鱗もあるかなという気がしますね。

松林:自分が好調かどうか、形を見て自分で読み取れるとしたら、調子のよくない時に、不調を最低限に抑えるにはどうすればいいのでしょう。

梅沢:調子が、いま一つだなとかいうのは、自分で打っていて感じますね。もちろん頭が回る、回らないもあります。調子のよくないときは、とりあえず欲に走らず、目の前のことにベストを尽くすことですね。よくないときほど早く勝ちたいと思うものです。そこを、早く結果を出そうとするのではなく、その局面で一番いい手を打とうと心がけるようにしています。勝ちはいずれ来るかもしれないから、目の前の一手に最善を尽くすということですね。

松林:経営にしてもそうですね。すぐに結果を出そう、1日で大きくしよう、などと考えると、大体、失敗しますから。

梅沢:そうですよね。経営のことは分からないのですが、経営者の方が好んで使われる言葉で、「着眼大局、着手小局」というものがあります。大局を見ながら目の前の手を打つという意味です。何かつながることがあるのかもしれないですね。

質疑応答 ―答えのない世界では「自分らしさ」が決断の軸に

会場:子どものときから囲碁をやらせると頭がよくなる、という話を、詳しく聞かせてください。

梅沢:脳の研究が進んでいる最中で、まだ確証が出てはいないのですが、前頭前野を活性化するとは言われていますね。前頭前野は、コミュニケーション力や忍耐力、創造性を司る部分で、小学生のうちに1年でも囲碁をやっているとそこが活性化される――というデータが出つつあるというのです。それもコンピューター相手では駄目で、人とやっていると、すごく活性化されるのだそうです。

中国とか韓国とかはデータがあるわけではないのですが、頭がよくなるというのが当たり前のように認識されています。韓国の人は学習塾に行かせる代わりに囲碁塾に行かせるらしいですよ。そして、ある程度の年齢になってから、今度は学習塾に行かせるそうです。場所によっては学習塾と囲碁塾が一緒になっているところもあるようです。

会場:人に夢や希望を与えるようなことで、何かしてみたいことはありますか。

梅沢:個人的には、先ほど申し上げたように、子どもをつくりたいということです。大きいことは、流れの中で見つけていこうと思うのですが、夫がサッカー選手なので、サッカーと囲碁、身体と脳の両方を地元密着で指導していけるような環境をつくれたらいいなあと思っています。

会場:これが決めの一手というとき、周りはどういう状況なのでしょうか。リスクはあるが、それを分かったうえで、えいっ!と打つ感じなのでしょうか。

梅沢:いろいろな場合があります。ぱっと見て浮かぶときもあれば、延々と考えても分からないときもあり、今、何をしたらいいかが全く分からないときは、すごく考えてしまいます。そういうときに、えいやっ!、と打っちゃうこともありますね。ただ、そういうときは、碁でいうと間違いなく大きいところ、絶対に無駄のないところを選んでいることが多いですね。

また、選択肢が三つほどあり、その中でどうしても決めきれないというようなときもあり、そんな場合にはいろいろとシミュレーションをします。そのシミュレーションの方法論をどうするかがまず問題なのですが、そこは自分なりにいろいろ読み筋を作って、頭の中で最終形を作りながら、比較します。こちらでいった場合はこうなって、こちらでいった場合は……、どれが自分にとって打ちやすいかとか、得かとかいう軸での判断です。

結局、碁は答えのない世界です。答えのない世界でどうしていくかというと、自分らしくやっていくしかないのです。どれが自分らしい碁になるか、どれが一番打ちやすい碁になるか。それしかないですね。答えがあるものなら見つけようとしますが、こんな広い世界で、何を見ても全然、頼りにならないのです。だから、負けても勝っても後悔しないのは、自分らしく打てたときですね。碁は自分らしさが出るので、これは自分の碁だなと思えると、負けても仕方がないやと思えるのです。普段の人生も、いつも迷っていますけれども、同じように、最後はどれが自分らしいかということで決断しています。

会場:囲碁をやめようと思ったことはないのですか。

梅沢:大学生のときに一時期やめていたことがあります。なかなかプロになれなくて、碁は向いていないかもしれないと思ったのです。打っている最中に答えが分からないのに、答えを出さないといけない。結果が出るのが怖い。その恐怖に立ち向かえなくなってやめてしまい、その1年ほどは、気が向いたらたまに碁盤に向かうくらいでした。

就職にあたり自分探しを始めて、これまで何をしていたとき楽しかったか。うれしかったか。悔しかったか。そうやって自分を掘り起こしていったときに、一番うれしかったのも、一番悔しかったのも碁の思い出であることに気づかされました。一番大きな喜怒哀楽の全てが囲碁の経験の中に入っていたのです。そして、自分の理想像を描いてみると、もしプロ試験に受かったらものすごくうれしいなということが想像できました。試験を受けるのは本当に怖かったのですが、受かるか落ちるかは考えようによっては五分五分だと。うまくいく方の50%に賭けて、精一杯やってみようというのが最後の決断でした。

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