アプリで症状を伝えて自宅やオフィスで待つだけで、薬剤師が最短30分で薬を届けてくれるという画期的なサービスを展開する、株式会社ミナカラの喜納信也氏。しかし決して順風満帆ではありませんでした。資本金はたったの25万円でスタート、創業直後に社員が次々に辞めて1人だけになってしまう危機も経験。様々な困難をどのように乗り越え、またなぜこのビジネスで起業しようと思ったのか等々、熱く語っていただきました。(全2回)
起業は目標じゃない、しかし転職活動では玉砕
鳥潟: 会社の設立の立ち上げ経緯を教えていただけますか?
喜納: 起業家には、自分で事業をゼロから作りたいので起業するタイプと、社会の課題を解決したくて、結果として起業を選択するという2タイプがいると思うんです。私は、完全に後者で、これまで起業することをあまり意識してはいなかったんです。ただ、社会的に課題が残っているにも関わらず、課題が放置されていたり、目立ったプレーヤーがあまりいなかったり、決定的なサービスがないという領域の新規事業に挑戦したいとは思っていました。なので、コンシューマー向けの医療サービスのように提供するプレイヤーが少なかったり、インターネットの恩恵を受けてない領域に注目していました。
医療に関して言えば、コンシューマー向け市場は大きいものの、ベンチャーが生まれにくい背景があるとも感じていました。私たちのような医療の専門性とエンジニアリングの両面を理解している者が挑戦することで、新しいサービスを確立しつつ、医療体験をもっとよくできるという思いを持っていました。
余談ですが、実は起業する半年くらい前に転職活動をしました。さきほど言ったようなコンシューマー向け医療サービスを立ち上げたかったので、新規事業部門の採用面接に行って、「こういうのをやりたい」と提案していました。今から見れば稚拙なアイデアだったのですが。そうしたら「何を言ってるのだ?」という感じで追い払われたので、じゃあ、お前ら見てろよ、とスイッチが入り起業することにしました。
鳥潟: やりたいことがあって、でも既存の世の中のフレームに受け入れてもらえなくて、そこで何くそと行くのが起業家の一つの特徴だと思います。
喜納: そうですね。先輩起業家や投資家からも、「何かコンプレックスや失敗体験を持っていて、それをバネにしている人が起業家には多い」とよく聞きます。実際私は、転職活動で失敗した程度でへこんでる場合じゃねえぞというくらいの気持ちでいましたね。
鳥潟: 話は戻りますが、先ほどおっしゃっていた「医療体験をもっと良くしたい」っていうのは、どういうことなんですか。
喜納: 既存の医療になかなかアクセスできない、ある種の「医療難民問題」を解決したいという思いです。例えば、体調が悪くても仕事を休めなくて病院や薬局に行けずに我慢して過ごすことって、都市部の方であれば誰もが経験しているんじゃないかと思います。忙しいから早く帰るのも難しいし、病院や薬局で長時間待つ余裕もない。結局終電間際に仕事を終えてようやく家に帰ったものの、体調が悪くて家でのたうち回るようなことって実際に起きていると思うんです。
保健医療は、本当に困ってる人を救うためにみんなで支える仕組みですが、都市部の人たちのライフスタイルによって発生している医療を受けられない問題も、解決すべきテーマだと思うんです。よく「仕事ができるなら元気いいじゃないか」とか、「我慢できるなら大丈夫でしょう」といった感じで取り扱われてしまうことがあるんですが、私はそうではないと思っています。本当の意味で、「誰もが必要な時に医療を受けられる社会」を考え、追求し、課題を解決したいです。
鳥潟: 今の社会の特徴だと思いますが、夫婦共働きで子供もいて、本当に時間がない中で衣食住全部やっていかなきゃいけないと。そうすると、自分の健康(医療)って後になってしますよね。
喜納: 医療体験をもっと良くしたいというもう一つの思いは「感動」ですね。ちょっと子供じみているかもしれませんが、医療体験にはまだまだインターネットの喜びや感動が足りていないと感じています。衣食住に限らず、私たちが日常的に触れているコンシューマー向けのネットサービスの歴史は、喜びと感動の歴史だったと思うんです。
例えば、私はグーグルマップを初めて触ったときにめちゃくちゃ感動したわけです。当時は地図と航空写真が見えるだけのサービスでしたが、250kmほど離れた実家の写真が見えて「おお!実家の写真が見える!過去の甘酸っぱい風景がフラッシュバックする!」みたいな。SNSで十数年ぶりに小中学校の友人と繋がれた時の感動もしかり。すぐにお金が生まれるものばかりじゃないけど、インターネットは昨日まで想像すらしなかったものを明日の当たり前にしてきた。私たちの世代ってネットに感動してきた世代だと思うんです。こういった感動って、医療ではまだまだ足りないなと思ってます。例えば、いつでもどこでも離れた場所にいる医者や看護師や薬剤師に相談できて、治療まで受けられたら感動するだろうとか、まだまだ多くのアプローチが残されていると思うんです。
副業したからこそ見えた、現場の課題
鳥潟: 話は変わりますが、喜納さんはワークスアプリケーションズ(以下、ワークス)で働きながらも医療への思いを忘れていなくて、週末に薬剤師をされていたんですよね?
喜納: はい。ただ、実は就業規則に「副業NG」って書いてあり、気づいた時点ですぐに薬剤師の仕事を辞めたのでその点は謝っておきます。その上で、確かに土日夜間は調剤薬局で薬剤師として働き、医療の現場でも活動していました。
鳥潟: ITベンチャーで働きながら、調剤薬局で働いていた!? 珍しいですね(笑)。そこには、どんな思いがあったんですか。
喜納: 薬学部出て薬剤師にならずに一般企業に入ったということに対して、コンプレックスと違和感みたいなものがあったと思います。医療の現場を見ていないのに、医療について語るっておかしいじゃないですか。実際見てみたら課題のない世界かもしれないし。やっぱり現場を見て、解決すべき課題を特定したいなと思いました。
また、コンシューマー向けに革新的な医療サービスを提供したいという想いは当時からあったものの、具体的に解決したいテーマや狙いがまだなく、模索している状態でした。私は具体的な狙いが定まっていないときは、とりあえず目の前の活動に集中したり、思い付いたことを片っ端からやってみるという癖があります。当時はワークスでも目の前の仕事で成果を上げることを意識しつつ、自分が将来すべきことがもっとないか探している時期でした。
実際に調剤薬局で働いたことで、見えてきたものがたくさんありました。例えば、医療の現場の人たちは非常に優秀で、非常に真面目で、医療行為という自分の仕事に対して真摯な方々が多い。私が今でも「現場が一番尊い」と思っているのは、現場を見ているからです。一方でオペレーションや情報連携で非効率な部分や解決できる課題があることにも気づきました。情報を医療機関間で連携するだけで、オペレーションや収益面をもっと良くできるのにとか、多くの解決したい課題が挙がりました。それが見えてくると、じゃあ自分自身は何をやろうかとかいう視界が開けてくるので、実際に現場に出てみたり、思いついたことをまずはやってみるというのは良かったなと思っています。
同級生は口説けず、200人会って採用した社員も次々に辞めていき…
鳥潟: 立ち上げ期で大変だったことを教えていただけますか?
喜納: 起業に関して何も理解できていないところからスタートして、もっとも四苦八苦したのが人と組織でした。
最初は、薬局をつくるというプランを考えていました。そして、箱物ビジネスなので、その領域に強い人と医療に強い人を集めてやりたいと思っていました。ちょうど、グロービスの同級生に商業ビルの開発をしていた方がいたのでその人と、大手製薬メーカーのマーケティングリーダーと、コンサルティングファームのメンバーと私とでプロジェクトを立ち上げて、プランを検討し始めました。実は、極力最初から超優秀な人を集めてやりたいと考えていました。これは前職の影響も大きいと思います。ワークスは、非常に優秀なエンジニアがいたので、自分も「それだ」と。
このメンバーでグロービス卒業後に創業に向けた準備プロジェクトを考えて、プランを具体化していきました。そしてさらに、この人たちにフルタイムでジョインしてもらおうとも思ったんです。優秀なこのメンバーとやりたいと本気で思っていたのですが、創業チームに仕上げていくことが難しかった。みんな大手企業の管理職クラス以上のポジションで、もちろん給料も良くて、子供もいるという状況で。そのような中でも、嫁さんに「起業してもいいか」って実際に言ってくれたりしたメンバーもいて嬉しかったのですが、現実は厳しかった。
でも、本気で一緒にやりたいと思っていたので、半年間くらい週2回程ずっと説得していました。そのとき、「あきらめて創業時に必要なフルタイムメンバーの採用活動をすべき」という意見もあったのですが、あきらめきれず「あと1カ月、2カ月待ってくれ」ってずっと言い続けて口説いていました。
ただ、フルコミットして活動してくれるメンバーがいないことには、事業は立ち上がらない。事業を立ち上げる時には優秀さだけでなく腹をくくれるかどうかと、それに見合った環境が必要だということに気付きました。そこからもう一度ゼロベースで採用活動を開始しました。エンジニア2人とデザイナー1人を採用したいと思い、採用メディアを試したりイベントに参加して人に会いまくって、結局200人くらい面接をしたんです。
鳥潟: すごい数、会いましたね。
喜納: そうですね。採用はまずタッチポイント・機会をどれだけ作れるかが大切だと思っています。その上で、本当に入ってほしいという人たちに絞って本気で説得して。5人に声をかけて、4人は入ってくれました。その結果、テンションがすごく高くて夜中まで働けますといった、野武士みたいなチームができ上がりました。
鳥潟: 年齢は何歳くらいですか。
喜納: メンバーは27~28歳くらいです。起業したとき30歳だったので、私が一番年上でした。ただ、再出発して新たな創業チームを作ってからも人の問題が発生します。事業はなんとか立ち上がったんですが、全然腹を割って話せなかったり、腹を割って話してるつもりなんだけど、仕事以外の話をしにくい状態になっていました。
鳥潟:深い関係でやる気もあって、同じビジョンに共感したわけじゃないですか。なぜ、腹を割って話せない関係になってしまうんですか?
喜納: 話題は目の前の業務や作業のことばかりだったのです。ビジネスのことだけを共有し続けていた。でも、今思うと、それ以外に共有すべき重要なことって結構あると思うんです。
鳥潟: なるほど。プライベートのこととか。
喜納: プライベートもそうですし、創業当時はそもそも「組織を作る」という意識を私自身が持てていなかったんですよね。まずは「プロダクトを出そう」ということしか考えられず、組織作りはビジョンとパッションを言うだけでカバーした気になってしまった。友人に手弁当で手伝ってもらっていたので、コミット感にもばらつきがありました。昼夜問わず時間を使って目の前の作業に集中している状況の中で、創業メンバーの組織作りに対する思考が停止していたんです。文化や大切にしたいものを共有したり、信頼関係を作ったり、チームの凝縮性を高めたりといったことができていませんでした。
グロービスもウェイがあると思うんですが、前職のワークスにもウェイがありました。ウェイがあることで、あうんの呼吸で働ける環境になっていたんだなと感じました。創業者間であうんの呼吸が共有できていていなかったので、当時は無意味な衝突やストレスが解消されないまま仕事をしていましたね。そんな状況もあり、ゼロベースで採用した創業メンバーはどんどん離れていきました。
鳥潟: 結局、何人くらいになったのですか。
喜納: 5人採用した創業時のメンバーは最終的に1人になり、私と2人だけになりました。ユーザー数など事業の数字は伸びていたので、何とか立ち続けてはいましたが、「裏側は何でこんなにぼろぼろなんだ!」という状態でした。「こんなに数字が伸びているぞ!」と口では言いながら、実際には私も彼も精神的にはかなり追い詰められていました。