稼ぐ力を高めるための必読書 ―『これがガバナンス経営だ』 

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皆さんは「コーポレートガバナンス」という言葉に、どのようなイメージを持っているだろうか。内部統制やコンプライアンスなど、面倒だけど「ステイクホルダー対策(主に株主)として、やらなければならないもの」だと捉えている人が多い。さらに言えば「よその会社では問題が起こったが、うちは恐らく大丈夫」と思いがちである。実際はそんなことは無いのだが、そういう気持ちがますます面倒な気持ちを助長する。しかし、本書を読むと、そうした考えはすぐに吹き飛ぶだろう。

本書の特徴は、内部統制やコンプライアンスなどの「守りのコーポレートガバナンス」だけでなく、稼ぐ力を高めるための「攻めのコーポレートガバナンス」を強調している点にある。そのメッセージは、長期にわたって低収益・低成長にあえぐ「日本企業」に向けられている。

著者がガバナンス改革のお手本としているのは、ドイツである。1999年には日本とドイツのGDPの差は2倍だったが、今では2割程度に縮まっている。それはシュレーダー政権の改革による成果であり、その柱の一つがコーポレートガバナンス改革であった。

では、なぜコーポレートガバナンスが、企業の稼ぐ力につながるのだろうか。それはガバナンスによって、経営陣の「不作為」の暴走を止めることが可能だからだという。著者によると、日本企業が長期にわたり低成長・低収益にあえいでいる原因は、経営者や経営陣がアップサイドのチャンスに対して必要なリスクを取らないという「不作為」にあるという。一方、日本企業の現場力(主に、製造や開発の現場)は衰えておらず、今でも強い。それはシュレーダー改革前のドイツも同じであった。ということは、日本企業も「ガバナンス改革」によって経営陣の不作為さえ止められれば、日本もドイツのように復活できるだろう。これが本書を貫く論理である。

これは大変筋が通った話のように思える。では、一体どうやってガバナンス改革を行うのだろうか。ドイツと同じように、法整備(ドイツでは持ち合い株売却の譲渡益を非課税にするインセンティブを導入)や、コーポレートガバナンスコードの導入などで変革できるのだろうか。

著者はカネボウなどの再生の経験から、日本企業がガバナンス不全に陥る原因は、制度面の不備だけでなく、「サラリーマン共同体」至上主義の文化にあると指摘している。こうした企業は、内向きで村的な空気が組織に蔓延している。そのため、内なる論理を優先して不正や不作為が起こりやすい。共著者の冨山和彦氏は、昨今の東芝や過去のカネボウの不正会計について、エンロンやオリンパスのような「トップ主導型(限られた数人が主導)」の犯罪ではなく「日本企業ならではの共同体性が大きく影響したと」と述べている。

これは根深い問題のようだが、本書は日本企業の共同体性は変えられるという前提に立っている。その理由として挙げているのは、日本企業が現在のような「サラリーマン共同体」になったのは戦後に限ったことであり、戦前の日本は株主主権の資本主義で労働者の流動性も高かったという事実である。果たして、話はそんなに単純なのだろうか。

ちなみに、日本企業が「共同体」的であるということは、1970年代頃から社会学者の小室直樹や作家の山本七平らによって指摘されてきた(共同体という言葉はドイツ語の「ゲマインシャフト(Gemeinschaft)」の訳語)。小室らの主張は次のようなものである。資本主義における企業とは、ある共通の目的を遂行するための「機能的組織(ゲゼルシャフトGesellschaft)」なのだが、日本では会社が村落共同体や血縁共同体のような、生活共同体かつ運命共同体になってしまう。つまり、会社=サラリーマン共同体である。日本と同じくドイツ企業も「共同体的」だと言われていたが、それは「サラリーマン共同体」至上主義だったのだろうか。

ここで、一本の補助線を書き込みたいと思う。コーポレートガバナンス論は法律と経済学の領域で閉じている感があるので、社会学的な知見を取り込むと何か見えるかもしれない。以下、社会人類学者の中根千枝による理論を拝借する。中根によると、社会集団を構成する要因と、その集団内の成員の行動様式・考え方は大きく関係しているという。中根は社会集団を構成する要因として「資格(属性、職業など)」と「場(会社など)」を設定した。どの社会にも資格と場はあるが、国や文化圏によって、どちらを重視するかが異なる。インドや英国では資格が重要なのに対し、日本ではどんな職業かという「資格」よりも、○○会社の構成員という「場」が重視されるという。だから日本では「企業別、学校別というような縦断的層化であり、闘争関係は上下や対立関係ではなくヨコ=並列関係とのあいだに展開される」という。そして、本書でお手本にしているドイツは、英国やインドと同じタイプの「資格」重視の社会に分類される。だから、ドイツは人材の流動性が日本より高く(特にホワイトカラー)、取締役会に異なる資格の代表者(ブルーカラーの代表者である労働組合のトップ)が入るのだ。だからドイツと日本では会社「共同体」の中身が違う。日本の「サラリーマン共同体」は、日本の「イエ」に近いという指摘もある。

ちなみに、戦前の日本は世界で最も株式市場が発達していた国の一つであり、株主資本主義であった。しかし、現代と戦前の社会構造を比較するのは困難ではなかろうか。そもそも、当時の労働者の多くはサラリーマンではなかった。昭和15年の職業別人口は農業行が42%で最も多く、次に工業従事者25%となっている。工業従事者の多くはサラリーマンではなく、ブルーカラーの職人や日雇い労働者である。商業従事者の多くはサラリーマンというよりも商店の丁稚などであり、いわゆる株式会社に勤めるホワイトカラーとしてのサラリーマンという層はごくわずかであった。昭和5年の調査ではサラリーマン層はたった7%というデータがある。ちょうど今の日系・外資系有名企業に勤める正社員の割合と同じくらいかもしれない。著者はコンサルティング会社の幹部だから、まさにこの層に近い。しかし、そうした人は戦前に限らず戦後も流動性が高いのだ。確かにサラリーマン共同体のトップはこうしたエリートが多い。しかし、サラリーマンの多くは高度な資格や特殊な専門性を持ったエリートばかりではなく、一度会社に入ったらサラリーマン共同体から離れて暮らすことは困難だと感じることが多い。

このように、本書がドイツと日本の文化的背景の違いを考慮していない点は気になる。しかし、その点を差し引いても、日本企業の稼ぐ力を高めるためにガバナンス不全を克服すべきという主張には価値がある。そして、その答えは米国型の株主主導によるコーポレートガバナンスにはないという点も重要な指摘だ。米国型ガバナンスの考えは「経営者は株主のエージェント(代理人)であり、ゆえに株主の利益を最大化するために動くべし」である。しかし、これには「致命的な欠点がある」と指摘している。これは、ドイツ・フランスなどの「ライン型資本主義」寄りの見解であり、私もこの立場である。それは、会社はそれ自体が存続意義を持つ「社会制度」であるという考えである。確かに、日本人サラリーマンの多くにとって会社は株主の所有物というよりも、社員や株主を含めた「みんなのもの」という感覚だろう。本書が提示する「ステイクホルダー主義に基づくエクイティガバナンス」という中庸的な発想は、これと合致する。

いかがだろうか。自社の現場は強いが、経営陣などの上部構造が弱いと感じているビジネスパーソンにこそ、本書をぜひ読んでいただきたい。ガバナンス改革は社員一人一人の意識改革から始まり、それこそが最も重要な鍵だからである。


『決定版 これがガバナンス経営だ』
冨山 和彦/澤 陽男 (著)
1,944円

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