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仕事とは「望むべきことを彫刻していく営み」

投稿日:2016/01/14更新日:2019/04/09

「私たちは仕事によって、望むものを手に入れるのではなく、仕事をしていくなかで、何を望むべきかを学んでいく」。

───ジョシュア・ハルバースタム 『仕事と幸福そして人生について』

私が研修の中でよくやるディスカッションテーマの1つが、「お金を得ることは、働くこと(仕事)の目的か?」です。

ありふれたテーマのようですが、実際私たちはこのことについてしっかりと討論する機会は日常の職場でほとんどないように思います。ですから、研修でじっくり時間をとってグループでやってみると、実に熱くなります。そしてさまざまな考え方が出るので面白いです。

各グループに結論を発表してもらうのですが、おおかた、グループで統一の見解は形成されず、「こんな意見も出ましたが、一方でこんな意見もあり、なかなかまとまらず……」のような発表になります。いや、でも、それでいいのです。このテーマについて、もし容易に一つの意見にまとまってしまうようなら、働くことはそれだけ薄っぺらなものだという証拠になってしまいます。金に対する意識や欲の度合い、働くことの目的観が人により千差万別だからこそ、人間の活動は複雑で奥が深いと言えます。

ですからこの問いに唯一無二の正解はありません。講師である私ができることは、古今東西、人は労働とお金(金銭的報酬)、あるいは働くことの目的についてどう考えてきたかを、偉人や賢人たちの言葉を紹介することです。そしてそれをヒントにしてもらって、個々の受講者に一段深く考える刺激を与えることです。各自が「きょうからもっと働こう」「もっと稼ごう」「いや、稼ぐ以上に大事なものがある」などと自分の内側からエネルギーが湧く解釈を引き出せたなら、このディスカッションは成功です。
 

働くことの先にある目的は何か?

私が引用する偉人・賢人たちの言葉はさまざまありますが、そのひとつが冒頭に掲げたハルバースタムのものです。米・コロンビア大学で哲学の教鞭を執る人物だけあって、実に味わい深い表現だと思います。このハルバースタムの言葉にインスピレーションを受けて描いた図がこれです。

2つの仕事観を並べて描きました。1つめの仕事観Xは、「望むものを手に入れる」ことを目的にする考え方です。洋服、バッグ、腕時計、料理、家、クルマ、レジャー、ステータス、成功者の雰囲気、私たちはいろいろなものが欲しい。より多く、より高級なものを望むには、より多くのお金がいる。そのため仕事観Xは必然的にお金を多く得たいという欲望と直接結びついています。そして「働くこと」は手段として置かれる。

2つめの仕事観Yは、「何を望むかを学んでいく」ことが目的です。このとき、学んでいくプロセスはまさに「働くこと」そのものに内在しているので、「働くこと」は手段ともなり目的ともなります。そのプロセスに自己を投入することがおもしろいし、やりがいもある。で、気がつくと、お金がもらえていた。それが仕事観Yの特徴です。

仕事観Xと仕事観Yとを立て分けて、どちらがよいわるいとか、浅い深いとかいう問題ではありません。人はどちらの考え方も持っています。ただ個人によってその比率が違うだけです。また、同じ個人の中でも人生の局面によって比率が変わってくるものです。

私自身、最初メーカーに就職し、次に出版社に転職をしました。メーカーにいるころは、ヒット商品を出すことに熱中し仕事に励みました。出版社に移ってからは、よい記事を書き、よい雑誌をつくることに専念しました。多忙でストレスもあり、きつい仕事でもありましたが、おもしろがれる仕事をして給料がもらえるなら幸せなことだといつも思っていました。その意味では、私は仕事観Yが優勢の人間でした。

ただ、20代から30代半ばまでは、自分が望むべきこと、つまり夢や志、働く大きな意味のようなものはなかなか見つけられませんでした。いろいろ見えてきはじめたのは30代の終わりころ。いくつかの出来事が重なり、「自分が望むべき道は教育の分野である」との内側からの声がしっかり聞こえてきました(それはいま振り返ると、必然の出来事だったように思います)。

キャリアという作品を彫り出す

ハルバースタムは、仕事をしていくなかで何を望むべきかを“学んでいく”と表現しましたが、私はもっと突っ込んで、「働くこと(仕事)とは、何を望むべきかを“彫刻していく”営みである」と表現したい。人間は望むべきものを学ぶだけでは満足せず、それを形にせずにはおられない動物だからです。したがって、日々の大小の仕事は、いわば自分の望むべきものを一刀一刀彫っていく作業ともいえます。最初は自分でも何を彫っているのかはわかりません。でも5年10年と経っていくうちに、じょじょに自分の彫るべきものが見えてきます。

ミケランジェロは、石の塊を前に、最初から彫るべきものの姿を完全に頭に描いたわけではありません。一刀一刀を石に入れながら、イメージを探していったわけです。彫ろうとするものを知るには、彫り続けなくてはならない。そして彫りあがってみて、結果的に「あぁ、自分が彫りたかったものはこれだったのか」と確かめることができる。キャリア形成も多分そういうことではないでしょうか。

その観点で言えば、仕事観Xでいく人は永久に自分の彫刻物をこしらえることはないでしょう。お金を得て、それで交換できるものをたくさん所有した・消費した。それで幸福だったとは言えても、何かを創造して遺したとは言えない人生の使い方だからです(ただし、生きていくという営みは、そうした物質的な所有・消費によって支えられる側面は否定できませんし、そこに喜びがあるのも事実です)。

研修でのディスカッションを聞いていて気づくことは、いまの仕事がつまらない、やらされ感がある、労役的であると思っている人は、1番目の仕事観Xに傾きがちなことです。仕事は我慢であり、ストレスであり、その憂さ晴らしにせめて何かいい物を買いたい、何か楽しい余暇を過ごしたい。そのためにはお金がいる。と、そんな心理回路に陥るからでしょう。人生の喜びの見出し先は働くことにはなく、お金と交換して得られる物や余暇に向いていく。

逆に、仕事自体が面白い、仕事を通して何か社会に貢献していきたいというような想いを持っている人は、2番目の仕事観Yに近さを感じます。私が研修で接する20代、30代前半の若い社員たちは年収がそう高いわけではなく、経済的に十分に満ち足りているとはいえないのですが、そんな中でも仕事観Yを抱いている人は少なからずいます。

平成ニッポンの世に働く私たちは、XとY、どちらの仕事観を主導にすることもできます。さて、あなたはどちらの仕事観を主導にして働いていくでしょうか?

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