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創造の4象限――私が心の奥のミスマッチを解消したとき

投稿日:2015/12/24更新日:2019/04/09

前回『仕事のやる気を失わせるその「ミスマッチ」は何の違和?』の記事では、いわゆるミスマッチが、自分の能力適性と仕事内容の違和だけではないことについて述べました。それはむしろ「小さなミスマッチ」であり、もっと「大きなミスマッチ」が30代後半以降に顕在化することがあります。それは能力レベルよりも深いレベルで起こる違和です。今回は、大きなミスマッチが具体的にどんなものであるかを、私自身の経験を材料にして考えてみたいと思います。

「できること」の多い有能な人ほどミスマッチ問題は深くなる

30代以降、大きなミスマッチに陥りやすいのは、有能で真面目で、働く目的にセンシティブな人です。その人たちは「できること」がたくさんあるので、会社の要求に応じて、ついつい「できること」を第一にして仕事をこなしていきます。しかし、歳とともに、自分の内にある地金(じがね)ともいうべき性分、根っこにある価値観が出てきます。その地金が組織の命じる仕事内容や価値観と親和性があればハッピーですが、そうでなかったときには深い苦悩が生じることになります。

私自身も30代後半からこの大きなミスマッチに悶々としはじめました。そして結局、41歳で会社員生活にピリオドを打ち、独立することに。私の場合、私が根底に持っている創造心と、企業・業界が求める創造との間の不整合が歳とともに顕在化したのです。

私は生来、創造好きで、「働くこと=創造すること」だと思ってきました。そして運よく、消費財の商品開発や情報誌の編集など創造する職種に就くこともできました。会社勤めをやっていたころの創造は、マスの消費者に受けようとする企てや仕掛け、あるいは、何かゲームに勝つことの戦略や目論見のような類のものでした。そこでうまく消費者をつかまえることができると、「してやったり!」といった痛快さがあり、それが仕事の面白さでした。自分の仕事の成功・不成功は、販売量や利益額といった数値できっちり出てくるので、それなりにストレスやプレッシャーがありましたが、若い心身はそれ以上の高揚感でハードワークをこなしていきました。

心の声が聞こえたとき

ところが30半ば過ぎになると、次第に「これは何のための創造なのか?」「自分が全身全霊をかけてやっている創造は、自分や社会に何をもたらす創造なのか?」……「すべては競争に勝つため。その競争は利益を得るため。その利益は会社を存続させるため。その存続は自分の雇用を維持させるため。そして数々の創造はただ消費されるだけ……ではなかったか」という疑問が強く湧いてきました。しかし、依然会社は変わらぬトーンで「創造せよ、イノベーションせよ。競争に勝つために。右肩上がりの業績を維持するために」と発破をかける。そうした会社の方針が間違っているわけでもありませんでした。また、上司らとの関係も悪くありませんでした。しかし、自分の創造心は別のことを叫んでいるようでした。

ロバート・アンソニーという人は次の言葉を残しています。―――「年をとるにつれて誰でも自分らしくなるのだ。年とともによくなるとか、悪くなるとか、ではない」(『世界を動かした名言』講談社文庫より)。

私の創造心は30代からいやまして旺盛になる一方でしたが、日々のビジネスゲーム競争によって表面は摩耗し、奥に眠っている地金が次第に出てきました。そして、「消費されない仕事」って何だ?と日々考えるようになりました。消費されない仕事にこそ、自分の創造心を没入させたい。そんなとき、中国の古い言葉が目に入ってきたのです。

「一年の繁栄を願わば穀物を育てよ。
十年の繁栄を願わば樹を育てよ。
百年の繁栄を願わば人を育てよ」。

「消費されない仕事」とは、「人を育てる仕事」である! 私が創造心の本当の向け先に開眼した瞬間でした。私は独立するにあたって、自分の目指す仕事をこう定義しました。―――「働くとは何か?の翻訳人になる」。

翻訳の形は、教育プログラムという形もあるだろうし、著書を出版する形もあるだろう。著書といっても文章主体の単行本という表現もあれば、絵本という表現もあるだろう、小説やコミックだっていい。翻訳する相手は、職業人が当然あるだろうし、小学生や中学生だっていいかもしれない。私の創造心は何か重苦しい重力場から解放されて、無限の空間を走り回るようになりました。

独立後、仕事で創造する商品は、何か丸ごとの自分から滲み出した(絞り出したといったほうがいいかもしれません)作品のような類のものになりました。また、顧客の要望に合わせてつくるというより、自分が生み出した作品と想いを同じくしていただける顧客に買っていただくという形になりました。さらには、他社との競争に勝つという相対的なスタンスではなく、その道を究めるという絶対的なスタンスになりました。うまく創造ができると「そうか、自分はこんなものをつくりたかったんだ」という驚きがあります。ともかく、企業勤めのころの創造と、独立後の創造はまったく“別のもの”になった気がしています。

創造することの広がり図

私の大きなミスマッチが何であったかを説明するために、ここで「創造」について触れておきます。私は創造することについて、次の4つの軸を考えます。
 
・「真」を求める創造
・「美」を求める創造
・「利」を求める創造
・「理」を求める創造

これら4軸で図を描くと下のようになります。

1)    真/美を求める「芸術」的創造
創造といえば、大本命はここです。言葉を紡ぐ、物語を編む、句を詠む、曲を書く、音を奏でる、歌を歌う、絵を描く、形を彫る、器を焼く、書を認める、舞いを舞う、茶を立てる……。これら美を追求する創造は、それ自体が目的となり、よいものが出来たことこそが最大の報いとなります。

もちろんここでいう芸術的創造は芸術家の作品だけにかぎりません。暮れ泥(なず)む光の中で普段の道を歩き、ふと季節の変わり目の風を感じたとき、その驚きを何か手帳に書き留めておきたい、そうした詩心による作文も立派な創造です。また子供が白い画用紙に無心で描きなぐる絵も、浜辺で夢中でこしらえる砂のお城も芸術的創造です。

芸術的創造は、表現を極めていけばいくほど、それは求道となり、その先に見えてきそうな真なるものを見出したいという想いへと昇華していきます。その昇華の過程では、創造は感性的な表現という優雅なニュアンスではなくなり、情念の噴出を形として留める闘いに変容します。

2)    美/利を求める「生活」的創造
生活の中では実にいろいろな知恵が起こります。これは日常を美しく生きたい、便利に暮らしたいという気持ちから起こる創造です。例えば家電製品や生活雑貨の商品開発においては、ユーザーの使い勝手がいいように機能や形状を考えに考えます。これはこの生活的創造の次元に立った作業です。

また、私は農作を少しやっていますが、農作にかかわる知恵や工夫というのは実に理にかなっています。自然とともに生きる農的暮らしの中には、古人から受け継いだ質素な美と利が見事にあります。

3)    利/理を求める「戦略」的創造
武力戦争にせよ、ビジネス戦争にせよ、戦いの場では勝利・生き残りをかけて、創造が活発に起こります。それは覇権を握るための仕組みづくりであったり、競争優位に立つための改良・改善であったり、相手を陥れるための謀(はかりごと)や実利を得るための駆け引きであったりします。ここでは、データを分析し、ロジックに考え、勝てる確率を客観的に上げていくという創造が行われます。

4)    理/真を求める「研究」的創造
20世紀、アインシュタインが残した世界最大級の創造は、E=mc2という数式。自然科学の世界の創造とは、物事を理で突き詰めていき、「多を一で説明ができる」法則を発見することです。科学者の研究にせよ、学童の自然観察にせよ、その創造の源泉は、万人の心の中にある好奇心です。「なぜだろう?」「なんだろう、これ?」―――この単純な問いかけこそこの宇宙を貫く“大いなる何か”への入り口なのです。

「泰然自若のキャリア」目指して

このように創造と言ってもさまざまに広がりがあり、私たちはその広がりの中のさまざまな地点で創造を行っています。

先ほど、私自身の仕事上の創造を振り返り、以前の創造といまの創造はどこか別ものになったと書きました。その“別ものになった”をよくよく考えていくと、実はこの図でいう創造の地点が変わったということに気づきました。

つまり、以前の仕事では自分の創造が主に、「利×理」を求める〈戦略〉象限でなされていたのに対し、現在の仕事では、「真×美」を求める〈芸術〉象限、より正確に言うと、〈芸術〉象限の中でも、「真×理」を求める〈研究〉象限との境に近いところ、でなされるようになったのです。もちろん教育事業ですから、ビジネスの要素は多分にあるものの、いまの創造は競争戦略のための創造というより、詩作や絵を描くことに近い創造になりました。そのために、いまは詩人の言葉や芸術家の生き方から大きなインスピレーションを受けるようになりました。そうして知らずのうちに、私が企業に提案する企画書の中からはいかつい戦略用語やカタカナのマーケティング用語はめっきり少なくなりました。

私が30代後半以降感じていた大きなミスマッチ感は、実は、そうしたビジネスが求める競争戦略性の創造と、自分が本来持っている芸術・職人志向の創造との大きな齟齬からくるものだったのです。

いまでは「人をつくる」仕事をやるという心の声が第一にあり、その大きな意味のもとに自由に創造性を発揮しようという健やかな意欲が2番目にあります。そしてようやく3番目に「じゃ、できることは何だ→研修開発だ。著述仕事だ」という具体策がきます。もはや、組織の指令のもとに何か違和感を抱きながら「できること」だけをこなしていく状況ではなくなりました。晴れて大きなミスマッチは完全に解消されたのです。ただ念のため一つだけ加えておくと、独立自営という選択はそうしたミスマッチ問題を解消させても、その代わりに安定や保護を少なからず失うリスクを生じさせます。世の中、一方的に都合のよい選択はないものです。

いずれにせよ、人は歳とともに「我」というものが出てきます。「我」とは、「自分の中の自然」と言っていいかもしれません。私たちが何十年とかけて営んでいく職業人生において最終的に獲得したいキャリアとは何でしょう?―――成功のキャリアでしょうか、勝ち組のキャリアでしょうか。私自身は引退時に「泰然自若のキャリア」に至っていれば幸せだなと思っています。

「自分の中にある自然=我」から湧き出す想いや志、仕事観、満たしたい意味、目指す価値、生き方と、仕事の内容が調和し、それを実現させるための能力開発をいつまでも自発的にやっていける。そして自ら生み出した作品を共感して買っていただけるお客様がいる。それで結果的に生活するお金が回ってくる。これらがぴしっと揃ったとき、泰然自若のキャリアが築かれたときだと思います。そしてそれが天職というものなんでしょう。最後に言葉を一つ添えておきます。

「目的とは、単なる概念ではない。生き方である。
人生は“すること”でいっぱいで、
“やりたいこと”が何であるかに耳を傾ける余裕もなかった」。
―――ディック・J・ライダー『ときどき思い出したい大事なこと』より

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