岩佐大輝×伊藤羊一(2) ギャンブル漬けから一転、インターネットで変わった世界 

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リーダーシップの出現メカニズムを解き明かす本連載。前回は岩佐氏が、震災直後にどのようにスマートアグリで爆速起業したのか伺いました。今回は岩佐氏の生い立ちに迫ります。(文: 荻島央江)

お金を稼ぐことを覚えた小学生時代

伊藤: 岩佐さんと知り合った頃に、彼が話していた夢物語のようなことがほとんど現実化しています。そこまでの状況に持っていった岩佐さんのスピード感やエネルギーの強さはものすごい。今日は、その根源にあるものは何なのかをじっくり聞きたいと思っています。特に、僕は震災を経験した後の岩佐さんしか知りません。今は求道的な人という印象ですが、震災前にどんな人生を送っていたのかに興味があります。小さい頃はどんな少年でしたか。

岩佐: 父母ともに公務員でした。小遣いを全くもらえない家庭だったので、小学5年生のときから新聞配達をして、自分で稼いだお金で欲しいものを買っていました。このときに初めて、自分で稼ぐということを覚えたわけです。

当時、友達が「100円貸してくれ」と言うから、「返すのが1日遅れたら利子100円ね」と貸した。4日遅れたから、「400円だぜ」と言ったら、その友達のお母さんにひどく怒られました。そりゃそうですよね(笑)。

あと、昔、ビックリマンシールとか流行った時期があったじゃないですか。僕が30円か50円で、あるシールを当てた。そしたらある友達が「おれのファミコンとシールを交換してくれ」と言ってきたから交換してあげた。このときも友達のお母さんに「人をだますな」と怒られました。

たぶん商売っ気があったのだと思います。

伊藤: ご両親が商売をされいるならまだしも、そういう環境でもないのに、そんな感覚を早くから身に付けるのはすごいですよね。

岩佐: どんなものでも、人間は与えられないと、いかに手に入れるか必死になりますよ。ほかのことに関してはそうでもないのですが、両親はことお金に関しては厳しかった。

伊藤: そういう意味では、今の岩佐大輝をつくる契機になっていますよね。

岩佐: それは間違いありません。パソコンも自分でお金を貯めて買いました。初めて買ったのは小学生のとき、中古だったけど4万円くらいしたと思います。中学生になって、当時30万円くらいしたNECのPC-98をバイト代で買いました。それが、その後の自分のプログラム開発者としてのスキルにつながっていくわけです。

伊藤: 自分のお金でPC-98を買う中学生ってなかなかいないと思いますけど、そもそもなぜパソコンに興味を持ったのですか。

岩佐: パソコンの万能感というか、自分の能力をはるかに超えたことができることへの興奮がありましたね。その頃、パソコンの専門誌で基本的なプログラミング言語である BASICを勉強し、人工知能ソフトなどを自作していました。辞書機能を使って言葉を覚えさせると、簡単な会話ができるようになるのが面白かったんです。

伊藤: 小学生でプログラミングをするのは結構難しいですよね。英語が分からないし。

岩佐: 大した単語じゃないし、それほど難しくないですよ。何をやらせるかという命令ワードというのは決まっていますから。

伊藤: 実は、僕も小学生のときにBASICでプログラムを書いていました。実機がなかったので、紙にだけど。ただ書いただけだったので、確認のしようがない。中学生になったときに、実際に動くかどうか秋葉原の店まで確認しに行ったけど動かなくて、そこで終わっちゃった。実際に機械を買ってやるか、やらないか、この差は大きい。

岩佐: 僕の場合は自分で稼いで、買えるお金があったから。それが小学生の頃で、中学校時代は部活で剣道をやって、あとは相変わらずパソコンでプログラミングをしたり、本を読んだりしていました。普通の中学生ですね。

高校では山岳部に入って、月に2回くらい山に登っていました。人生の転機は高校3年生のときにパチンコを覚えたことと、女姓と付き合い始めたことです。それで全く高校に行かなくなってしまった。だから出席日数が足りなくて、補習授業を受けてやっと卒業したというのが高校時代です。
 

身から出た錆でどん底へ、そして復活

伊藤: そのときの岩佐さんは勉強にはやる気がなかった?

岩佐: 遊びや女性に対してのやる気はあった。エネルギーの矛先がそこに向かっていたのでしょう。ただ進学校で、「同級生はみんな大学に行くのに、おれはこれでいいのかな」という感じはずっとありましたけどね。

高校卒業後は、大学受験を目指して予備校に通い始めました。そのとき女性関係でトラブルに遭って……。逃げるように上京してきて、西日暮里に住み始めたのが20歳のときです。それから3年間は女性と口がきけなかったし、今から思うとパニック障害で最悪の状態でした。当時、昼は歌舞伎町のパチンコ屋、週末は松戸の競輪場に通っていました。酒は飲まなかったけど、たばこを1日3箱とか吸いながらパチンコをやるという毎日でした。

ただそんな生活を続けて2年くらいたったとき、高校時代まで一緒に遊んでいた仲間が司法試験に受かったりするわけですよ。一方の僕は松戸の競輪場でやじを飛ばしている。社会の一員になれていない疎外感みたいなものを急に感じて、そこから受験勉強を始めて21歳で大学に入りました。

伊藤: よく大学に行こうと思いましたね。
岩佐: 大学くらいは行っておかないといけない、それが普通だと思っていましたから。ただ大学生にはなっても生活はあまり変わりませんでしたね。


インターネットの登場で生活が一変

僕が変わったのは、インターネットというものが登場したから。オン・ザ・エッヂなどのベンチャー企業が続々出てきて、僕ものめり込むわけです。当時は個人事業主でしたけど、23歳でズノウという会社を立ち上げ、無料ポータルサイトやメールマガジンを始めました。それで広告収入を得るようになったのが、2000年ぐらいです。

そのうちネットワークに関するスキルを身に付け、システム開発案件もこなすようになっていました。個人事業主から有限会社化したのが2002年11月くらい。ただ会社組織にしたとはいえ、経営も何も知らない。設立わずか数カ月で資金がショートしそうになりましたが、たまたま総予算1000万円というネットワーク構築の大型案件を受注して、潰れずにすみました。

そこから会社が急激に伸びていきました。企業内システムの開発と運用が主な事業で、社員は数十人。とにかく結構なお金が入ってくる。20代半ばぐらいで月収何百万円とか、そういう世界だった。遊びましたね。毎日飲み歩くような生活で、持っていた車3台のうち、2台がポルシェでした。

伊藤: その前後で、何か心掛けていたことはありますか。

岩佐: とにかく20代前半は、人と会いまくっていました。

伊藤: なぜ人に会いまくったのですか。

岩佐: 世の中を知るためというか、社会経験がなかったから、人と会わなければいけないと思っていたのでしょうね。実際、いろいろなところに顔を出すと不思議と縁がつながりました。

事業自体は順調だったのですが、そうこうするうちに何が起きたかというと、2006年のライブドア事件です。株価が下がり、当時、株の投資会社もつくっていたので、かなりの損失を被った。嫌な予感がするなと思ったら、2008年にリーマンショックがあって、メーンクライアントだった不動産会社が次々に潰れた。一気に事業が落ち込み、これはやばいぞと思い、自己流でやってきた経営を体系的に勉強し直すことにしました。それで2010年にグロービス大学院に入り、MBA取得を目指すことにしたのです。

伊藤: グロービスでの学生生活はいかがでしたか。

岩佐: 僕は会社勤めの経験がなく、同世代の中で自分はどれくらいの能力があるのか分からなかったけど、グロービスで初めて自分の相対的なパワーを把握できた。結構パワーがあって、クラスでもリーダーシップ執って、クラスを引っ張っていけた。そこの相対感を知ることができたのはすごくよかったと思います。同世代の人たちの中で、自分はリーダーとしてやっていけるという自信になりました。ファイナンスも分かるし、数字にも強い。CSRのクラスで自分の会社が事例に取り上げられたこともあります。もちろんテクニカルな学びはとても勉強になりましたが、ここに来て自信が深まりました。

当時、中東からファンドを集めて、古びた温泉を再生するビジネスをやろうとしていました。そのうちに震災が起き、紆余曲折の末、今につながっています。
 

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