技術で稼ぐ 大河内正敏(1878~1952年) 

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いまでこそ、技術経営やベンチャー支援の重要性が認識されるようになってきたが、実はいまから80年以上も前に、日本ですでにこれを認識し、実践した男がいた。理化学研究所の第3代所長、大河内正敏である。

理化学研究所は、1917年に渋沢栄一などの後ろ盾により設立された財団法人で、ビタミンから理論物理学まで広範囲の科学技術分野をカバーする、ユニークな研究所である。

東京帝国大学の造兵学教授であった大河内正敏は、1921年、理化学研究所の第3代目所長に就任した。43歳だった。彼がこの理化学研究所の全盛期をつくり、一連のベンチャー企業群を生み出すことになる。貴族院議員でもあった大河内は国力の源としての工業と、それを支える理化学の重要性を説き、日本を「科学技術立国」にするというビジョンの下、25年にわたって、その実践の場として理化学研究所と理研ベンチャーのマネジメントに取り組んだのである。

知の創造

大河内時代の理化学研究所の雰囲気について、後にノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎は、「科学者の自由な楽園」と称した。

大河内が、所長就任と同時にまず導入したのが、当時としては画期的な「研究室制度」である。これは、主任研究員を研究室の実質的な経営者として、研究テーマ、予算運用、人事など、研究室運営全般を任せるものである。予算は研究室単位に割り当てられ、主任研究員がこの予算内で客員の人件費、研究物件費を自由裁量でまかなう。また、優れた研究者であれば、東京でも地方でも、またフルタイム、パートタイム(大学教授との兼任)の区別なく、研究費を与えた。その結果、理研の主任研究員には、物理、化学などの分野を越えて人材が集まり、国内主要大学の逸材による他流試合の様相を呈していた。

このようなテーマ選択の自由さ、さらに分野を超えた、大学、産業界の優秀な人材の交差点となったことが、研究者の学際領域における「知」の創造を内発的に刺激したと言える。

さらに、発明者個人にも、成功報酬として手厚いインセンティブを与えている。個人への報酬は、特許権許諾料、特許実施料といった研究所の収入の25%に及んだ。

たとえば、ビタミンAの抽出に成功した理研ビタミンの事業家の道を開いた高橋克巳への報償金は年間10万円(現在の価格で約2億円弱)である。このインセンティブ制度が、研究者の研究開発活動への外発的な刺激となり、数多くの理研ベンチャー群の創生につながったことは想像に難くない。

知の事業化

大河内は同時に、実用化の可能性のある研究成果が表れたときには、自らその工業化、事業化に取り組み、そのロイヤルティを研究費に還元した。

彼は研究や発明のスキルと、実際にそれを工業化するスキルとは別物であることを、早くから主張していた。そこで、自らのリーダーシップの下、理化学研究所の研究成果を工業化するベンチャー企業群を積極的に設立すると、その経営を市村清(リコール三愛グループの創業者)など、いわば経営のプロに任せた。

1927年に設立した理化学工業株式会社を皮切りに、これらベンチャー企業は最盛期には60社を超え、のちに理研コンツェルンと呼ばれる企業群となった。事業化された商品群には、理研ビタミンとして有名なビタミンA、合成清酒、アルマイト、ピストンリングなど、世に広く知られているのもが多い。

1939年の理研の総収入約370万円のうち、特許料や配当などの形で理研コンツェルンが収めた額は303万円と全体の82%にものぼる。この年の理研の研究費は231万円で理研ベンチャーが稼ぎ出す潤沢な資金がこの自由な楽園を支えていたのである。

このような戦前の理化学研究所も、太平洋戦争による戦災で理研コンツェルンから財源の大半を失い、戦後はGHQの占領政策の下、理研と理研コンツェルンは実質的な解体の憂き目を見ることになる。大河内自身も戦犯として巣鴨拘置所に収容され、公職追放解除となった翌1952年に十分報いられることなく死去した。大河内の技術経営への取り組みが、戦後の経営史の中で十分に評価されていないのは残念である。
ところで、資料を見る限るでは、大河内が特別な目的を持って理研を構想した様子は見られない。むしろ、文化の担い手である科学者のパトロンであることを楽しんでいたふしもある。この気負いのなさが逆に楽園を創ることになったのであろう。

【注】
消費者物価指数ベースでの試算
【参考文献】
宮田新平著『「科学者の楽園」を作った男:大河内 正敏と理化学研究所』日本経済新聞社 2001年
大河内記念会編『大河内正敏、人とその事業』日刊工業新聞社  1954年
齋藤憲著『新興コンツエルン理研の研究:大河内正敏と試験産業団』時潮社 1987年

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