伊藤羊一氏(以下、敬称略):本セッションは気合・闘魂注入のセッションだ(会場笑)。「イノベーションをどう起こすのかという話を聞きたい」という方々にも、絶対楽しんでいただけると思う。「この1時間はなんだった?」と思ってもらって(会場笑)、でも最後になんとなく熱が残るようなセッションにしたい。まずは壇上の3人が今までどんなことを実現して、そして今後何を実現しつつあるかということを軽くおさらいしよう。「やればいいのは分かっているけれど、なぜこの人たちはこうなのか」ということを皆さんと一緒に探りたい。まずは岡崎さんから。(02:17)
岡崎 富夢氏
岡崎富夢氏(以下、敬称略):皆さんのことは、同じグロービスの仲間として愛している。僕は今37歳だけれど、グロービスには25歳で入り、27歳で卒業した。当時はほぼ最年少だったと思うけれど、もう卒業して10年が経つ。あすか会議やG1サミットにはすごい方々ばかり登壇するし、今回のように卒業生だけで登壇する日が来るものなのかと思っていたけれど、こうして登壇できることを嬉しく思う。僕らは先に学んだだけ。偉そうなことを言うつもりはまったくない。皆、悩みがあるからグロービスに来ているのだと思う。時間やお金を犠牲にしてここへ来て、葛藤を抱え、「誰それが起業した」なんていうニュースを聞いて焦り、そしてそのなかで「こうするべきだ」といった各種フレームワークでがんじがらめになっているのだと思う。僕らにもそんな思いがよく分かる。だからその意味でも、今日は何か1つでも持って帰ってもらいたいと思う。(03:43)
僕は今、innovationという会社で代表取締役を務めている。これは社内起業で興した会社だ。親会社の東邦レオは創業およそ50年のオーソドックスな伝統的建材メーカー。僕はそこに新卒で入り、今は常務取締役事業本部長を務めている。innovationを立ちあげたのは2012年だ。そこで現在、「プラスワンリビング」という、木造の一戸建の屋上庭園を手掛けている。このなかに、屋上庭園つきの家に住んでいる人、もしくは実家がそうだった人はいるだろうか(会場挙手なし)。やはりゼロだ。それを展開している。で、当初はそれだけだったけれど、住宅にも課題があると感じたので2年前からは住宅自体も手掛けている。(05:15)
皆さんも実家は戸建という方が多いと思うけれど、従来、そうした戸建の平均的価格は屋根を含めると1000万〜2000万円だった。で、屋上を庭園にするとそれに加えて500万円かかる。2000万の家なら屋上庭園付きで2500万ということだ。ただ、その500万を払っても買えない。ローンというのは年収の約6倍。そこから土地価格を引いて、残ったお金で家を建てる。でも、奥さんはキッチンや水廻りにお金を使いたいと考えることが多いし、いろいろとこだわっていくとお金が次々になくなって、屋上庭園にお金がまったく廻ってこない。ただ、東邦レオは元々屋上庭園の会社だったから、ときどき著名な経営者やお医者さんの家でそれをやっていて、それでめちゃくちゃ喜んでもらっていた。だからニーズがあるのは分かっていた。ただ、恥ずかしながら屋上庭園つきの家に住んでいる社員は1人もいない。500万もかかったら無理だ。(06:18)
それで、「よし、屋根がおよそ2000万のうちの100万だから、屋根と同じ価格なら売れるだろう」と考えた。それで製品イノベーションを興して100万のものをつくったというのが3年前。すると、めちゃくちゃ売れた。累計では4000棟売れていて、今は年平均で2000棟売れている。たった3年で年間2000棟売れる商品ができた。それで、お金持ちにしか持てなかった空間を誰でも手に入れることができるようにした。で、今はさらに、「単に屋上庭園というだけじゃダメだね」と。ジャグジーやバーカウンターがあるような、ラクジュアリーな空間をつくろうということで展開している。(07:20)
次に、僕の経歴についてお話ししたい。大学を出て東邦レオに入った僕は、営業がうまかったから1年目に最優秀新人賞などを獲った。ただ、1年もすれば慣れてしまって、「もう辞めよう。営業はルーティンだし面白くない」と感じた。でも、当時の上司が良かった。「お前は辞めて何がしたいんだ?」と。「それが明確で、ほかの会社へ行ってできるのなら拍手で送り出すけれど、ただ現状が嫌なだけだろ。それならどこへ行っても同じだ」と言う。じゃあ、どうするか。起業しようと言ったって23歳でできるわけがない。そんなこともあって、僕は改めて何がしたいのかを考えた。(08:10)
そこで、僕はプロの経営者なりたいと思った。僕は中学と高校で2回、弱いテニス部を主将として強豪にした。僕らはジャンプ世代。アホだから「友情と努力で勝利するぞ」という世代だ(会場笑)。「ドラゴンボール」も「聖闘士星矢」も「キャプテン翼」も「ワンピース」も、すべて仲間と努力して勝利する。僕らもその基本原則に則って、実際に勝利した。それが自分の人生で1番楽しかったと思ったのだけれど、「じゃあ、今度は仕事で仲間と努力して、勝利する経営者になろう」と。しかも、その頃はちょうど日産にカルロス・ゴーンさんが入った時期だ。それを見て、僕はプロの経営者になりたいと考えた。そして、オーナー系でMBAを持っている人もいなかった東邦レオでならプロの経営者になれると思い、25歳でグロービスに入り、27歳で卒業した次第になる。(08:50)
ただ、27から33までは修羅場だった。MBAを取ったからって社内ではぜんぜん上手くいかない。そんなやつに人は付いてこない。皆さんも気をつけて欲しい。MBAを取って既存企業で何かしようとしたら、それを持っていない人は全員敵に回る。僕のほうもMBAを知らない上司も部下もアホに見えていたし、本当に苦労した。ただ、それでもなんとか2つの事業を再建したのだけれど、その後リーマンショックが来た。過去20年間の統計を見てもマンション自体はほとんど減っていなかったのだけれど、リーマンショックが来た2009年にはいきなり半分になった。20年間起こらなかったマーケットの縮小が1年で起きた。そのときは「死ぬな」と思った。当時の僕は事業本部長だったけれど、正社員150人の東邦レオで、なんとかお願いして社員の年収を50万下げて、2009年は黒字で乗り切った。でも2010年は、そのままいくと20〜30人は早期退職してもらわないと無理という状況になった。(09:47)
そうした状況の2010年5月、ちょうど僕らが木造のほうに進出していたころに転機が訪れた。あるお客さんが、「東邦レオさんって屋上庭園もやってるよね。戸建でもできないかな」とおっしゃる。そこで、「400万〜500万でできますよ」とお話ししたら、「そんなの無理だ。ローンも通らない。100万なら」と。「よっしゃ、やろう」と。そこから3カ月で製品を作った。で、その年の11月に発売して翌年の売上は6億。そして、2012年に17億、2013年に25億だ。関連会社含め3年で50億を売り上げた。そして2012年に同事業を分社化し、僕がその社長に就任したという経歴になる(会場拍手)。(11:03)
伊藤:なぜその価格で商品が提供できるかという話も、のちほど一応伺いたい(会場笑)。そういう部分も大変しっかり考えている方だ。では、続いて岩佐さん。(11:59)
岩佐 大輝氏
岩佐大輝氏(以下、敬称略):僕はグロービス経営大学院2010期生で、2年ほど前に卒業した。生まれは1977年だから富夢さんと同い年だ。2002年、24歳のときにITの会社を設立したので経営者歴は割と長い。で、その後ソフトの会社をつくったりしていたのだけれど、2011年の震災が大きな人生の転機になった。そこからキャリアを大きく変えて農業生産法人をつくり、さらにNPO法人もつくって地域の再生を行っている。あと、最近ではイチゴの化粧品をタイと香港、そして台湾に売る会社もつくった。それでインドには現地法人をつくっている。(12:33)
なぜ、現在の事業を始めたのか。今日は農業の話をしたい。震災で私の故郷である宮城県山元町は人口が4%ほど一気に減ってしまい、主産業だったイチゴハウスはおよそ95%が消失してしまった。もっと問題なのは震災を経て、今は人口が20%ほど減少した点だ。「これはなんとかしなければ」と。また、当初はグロービスのメンバーと宮城へ行って、津波が運んできた泥をかくボランティアに従事していたのだけれど、あるとき、住民の方に「君たちは経営を学んでいるのなら、泥かきもいいけれども雇用を創ってくれ」と言われたことがある。雇用や経済を創って欲しいと。それでGRAという会社を設立したのが2011年になる。(13:29)
そうして自分たちでいきなり、井戸を5〜6本掘ってイチゴづくりを始めた。イチゴハウスも皆でつくり、そして2012年に大収穫を迎える。ただ、そのなかで気付いたことがある。農業を35年以上やっている協同創業者の橋元忠嗣さんという方が、たとえばハウスの天窓を開けるタイミングがある。そこで、「なぜ今窓を開けたんですか?」と聞くと、「35年やってきたからやってんだ」と言う。これ、「技」が産業化していないということだ。再現性がまったくない。それで、「これはまずいな」と思って先端工場というか、いわゆる植物工場をつくったのが2012年の話になる。(14:42)
ここでは、IT管理によって、CO2、温度、湿度、あるいは風の向きなどをすべてコントロールしている。皆さんがお持ちのコンピュータからハウスの窓を開閉できるような仕組みだ。そこで最近できたのが、「ミガキイチゴ」という産品。(写真を見せて)輝いているでしょ?これを1箱1万円で売らせていただいたりしている。このほか、最近はイチゴのスパークリングワインをつくったり、ASEANや中国では白いちごエキスを配合した化粧品も売っている。こちらは『VOGUE』という雑誌のタイ版で「ベストホワイトニングスキンケア」に選ばれ、アジアで大ヒットしている。(15:59)
そして2013年にはインドへ進出した。この辺からだんだんおかしくなってくる(会場笑)。最近では中東にも行っている。で、当地でお金持ちの方々に「イチゴを一緒につくりませんか?」と話したら、「よし、俺たちは王族だから土地はいくらでも持っている。君たちの技術を持ってきてくれ」と言われて連れて行かれたのがここだ(砂漠の写真:会場笑)。オマーンとの国境。もう、拉致されてそのままアラブに一生を捧げることになるんじゃないかと(会場笑)。まあ、こんなことをしている。ビジョンは「10年で100社1000人の雇用機会を創る」ということ。ビジネスでうまくいくのは当たり前だ。それよりも、ソーシャルに何らかのインパクトを与えたい(会場拍手)。(17:10)
伊藤 羊一氏
伊藤:では、最後に私も。今日の私は妙な立場だ。当初は3人で喋るからファシリテータはいらないと言っていたのだけれど、事務局さんから「1人はファシリテータを付けて欲しい」と言われ、「じゃあ、僕がやります」と。だから、「ファシリテータのくせにちょっと喋りすぎだよ」と思われるかもしれないが(会場笑)、ご容赦ください。私はお2人の10歳年上だ。プラス株式会社のジョインテックスカンパニーというところで執行役員ヴァイスプレジデントと務めている。プラス自体は連結でおよそ5000名、国内には1500名ほどの社員がいる。私自身はバブルの頃に元々銀行員をやっていて、そのとき担当していた企業の1つがプラスだった。担当していた銀行員時代からいろいろと苦労があり、それをサポートしてきたのちに担当先へ転職した形だ。あと、今はグロービス経営大学院の客員教授としてリーダーシップ系の講義もしている。(19:04)
プラス株式会社は文房具やオフィス家具をつくっているメーカーだけれども、それ以外には流通にも注力している。アスクルはプラスのアスクル事業から立ち上がった会社だし、ほかにも2つの流通会社がある。私がいるのは三男となるジョインテックスという流通カンパニーだ。メーカーが流通をやるのは当たり前だという話だけれども、当カンパニーには大変珍しい特徴がある。同じ会社でありながら、プラス株式会社…、600億円ぐらいの売上だけれども、プラス比率は2割ぐらいで、残り8割は別のことをやっている商社だ。卸の事業では全国津々浦々に営業チャネルを持ち、販売店さんと一緒に官公庁や中小企業や学校に営業している。(20:25)
さて、グロービスの方であれば全員お分かりだと思うけれど、ここで改めて1956年から2056年までの日本における人口構造とその推移を見てみたい。すると今後は日本全体で人口が減るというトレンドもだいたい分かるけれど、それ以上に怖い変化がある。B2Bで商売をしている方は皆同じ問題を抱えているけれども、生産年齢人口が40年後には半分にまで減ってしまう。こういう状況下であっても従来と同じことをやっていたら、ビジネスまで半分になってしまう。だから、何かしなきゃいけない。(21:35)
それともう1つ。僕らの商売に関して言えば、2010年4月にiPadが出てきたというのもある。これは僕らのビジネスに大変なインパクトを与えた。当然、タブレットの登場以降はノートPCの出荷台数が一気に減ってきた。この変化が僕らのビジネスにどんな影響を及ぼすかというと、ペーパーレスだ。この言葉自体は昔からあったけれど、最近になってようやく進みつつある。2008年までほぼ増え続けてきた紙の消費量は、今、減り始めようとしている。僕らが取り扱っている文房具やオフィス用品は、書いたり、貼ったり、消したり、あるいは綴じたりするものが多い。紙が減ればそうした商品への需要も減って、筆記具やファイルが売れなくなってしまう。そこで、「どうする?」と考えた結果、とにかく僕らには営業力があるので、「営業力とコンテンツを活かそう」と、新たにサービスをビジネスにしようと考えた。(22:22)
それで今はいろいろとチャレンジしている。「MorningPitch」というピッチイベントにも出入りして、ベンチャーの方々と出会いまくったり、社内でも同様のピッチを行なっている。また、各種イベントでスポンサーにもなっている。G1ベンチャーやあすか会議にも協賛させていただいた。そのなかで、「プラスって何か新しいことをやっているね」ということを知ってもらいたい。あと、自分たちでもベンチャーのイベントを開催して、彼らのサービスを我々のビジネスに採り入れるといったこともしている。(23:29)
具体的にはどんなサービスを提供しているかというと、笑われることが多いけれども大真面目にやっているのが翻訳ビジネスだ。文房具屋さんなのに翻訳ビジネス。細かく説明するといろいろあるけれど、とにかく安くて、しかもイケてるサービスということで提供している。あと、トルネックスさんという掃除機などを提供している会社さんと組んで、オフィスクリーニングということで椅子の洗浄サービスなども手掛けているところだ。あと、「贈り日和」というギフトサービスも手掛けている。名入れカステラやロゴ入りのフラワーギフト、あるいはその方のお名前を使ったポエムを贈るといったサービスを提供している。普通のギフトじゃ面白くないから、新しいギフトのチャネルを創ろうということでカスタマイズギフトをアソートし、サービスとして提供している状態だ。(24:07)
こうしたサービスを通して、我々としては「田舎B2Bのサービス・プラットフォーム」になりたい。モノをお届けするチャネルはあるので、今度はサービスを届けたい。「そこにニーズがある筈だ」と。当社の営業力を使ってそれをお届けする。全国津々浦々で中小企業にも営業を行っていく。一義的に言うとすごく無駄だ。中小企業にいちいち営業に行くのが大変だから通販があるわけだし。ただ、我々はその逆張りをやってプラットフォームをつくり、サービスを売ろうとしている。たとえばブイキューブさんのサービスなども僕らで売りまくっている。で、去年6月から今年3月までのサービス売上を見てみると、少しずつ成長が始まっている。最新の状況を見ると今年3〜4月は少し落ちたけれど、5〜6月にはまた成長している。とにかく、モノをお届けするチャネルから、サービスをお届けするチャネルへ、今は変化しつつある。(25:04)
さて、では続いて、お二方には最初のお話に関して、「それってどのぐらいすごいんだろう」といった部分を改めて伺いたい。まず、岩佐さん。現在の事業は恐らく当初からゴールが決まっていたわけじゃなく、進めていくうちにいろいろと思いついたのだと思う。普通に考えると、塩水にやられた土地でイチゴを育てる、あるいは産業基盤がほぼ壊滅した土地であれほど大きなハウスを作るといったことは無理だと思うところだ。でも、最終的には形になってきた。どうやって作り上げたのだろう。(26:24)
岩佐:「なぜそれをやれたか」「なぜやったか」という話をすると、まず、宮城県山元町では震災によってイチゴハウスや園芸施設がほぼゼロになってしまっていた。でも、地元の方に「自分たちの街で1番誇らしい産業は何ですか?」と聞くと、10人中9人ほどが「イチゴ」と答える。そういう産業が消滅するのは、地元に暮らす方々のアイデンティティというか魂がなくなるのに等しい。だから、「またつくらなきゃ」という思いが先行してスタートした形だ。(27:12)
で、「なぜできたか」という話になると、MBA的に言えばまさにファイナンスが鍵だった。我々はまだ創業2年程度だけれど、施設には5億〜10億の設備投資を行っている。まず金をかき集めまくった。お金はスピードを加速させるツールであり、大変重要だ。なぜスピードが大事かと言えば、伊藤さんもおっしゃっていた通り、経済全体は長い目で見るとシュリンクしていく状況があるから。スピードとは常に相対的なもので、落ちていくものに対してどれほどのスピード感で事業を起こせるかが大事だった。(28:14)
たとえばGRAは2年でハウスをつくってインドや中東に行った。ただ、それは日本の農業や食産業の、世界市場における競争力低下に比べて速いかと言えば、普通。当たり前にできていないといけない。スピードは常に相対的なもの。落ちていくのなら倍の速さで進めなきゃいけない。それがここ2年ほどでいろいろなことができた原動力だ。で、テクニカルに言うとファイナンス。お金集めに徹底してフォーカスした。(29:19)
伊藤:「やるべきことを最初に決めて、そこへ向かって一直線」という感じでなく、やりながら決めていった部分が多いのだろうか。(30:02)
岩佐:とにかく、やってみること。MBAでいろいろなことを学んだけれど、唯一、ずっと使えるフレームワークはPDCAしかないと僕は思っている。やっぱりやってみないと分からないから、大切なのはどれだけ弾を撃ち込むか。とにかく弾を撃ちまくる。3発撃ったら1発当たればいいという勢いで打ち続けることが大事だと思う。(30:18)
伊藤:海外進出もIT管理の農業も、最初の2〜3カ月で思い浮かんでいたというわけでなく、弾を撃ちまくっているあいだに姿が見えてきたイメージだろうか。(30:54)
岩佐:そう。最初は農業をやるつもりもまったくなかった。ただ、まずは「ハウスを作ってみよう」ということで作ってみたら数多くの問題を発見したので、「ここにチャンスがあるんだから大きくやってみよう」となった感じだ。で、そのうち、海外で日本産品が高い競争力を持っていることも分かったから、「じゃあ、海外でもやってみよう」と。すべて創発的戦略というか、創発経営でやっている。(31:17)
伊藤:すごく興味深い。最初にやるべきことを決めて突き進む岡崎さんの例もあれば、やりながら見えてきた領域を攻めていく岩佐さんの例もあると。ただ、そうした違いはあれども、結果として出てくるエネルギーのようなものは似ていると感じた。そうしたエネルギーの源泉はどこにあるのだろう。(31:43)
岩佐:やっぱり震災がきっかけだ。僕としては…、偉そうな言い方になるけれど、人生の本質とは何かと考えると、やはり1回しかないということになる。このセッションも1回だ。だから全力で話そうと思うし、皆さんも全力で聞いて欲しい。それなら、1回しかない人生をどう生きるかと言えば、挑戦しない選択肢はほとんどない。そんなことを、震災によって多くの人が亡くなったときに感じた。(32:27)
伊藤:それは言葉で聞くと「そうだよね」と思う。ただ、なぜその域に達することができたのかとも思う。元々はそういう方じゃなかったと思うけれど。(33:08)
岩佐:僕に自慢できるものはないし、実際、IT起業家だった頃は金の亡者みたいな人間だった。なぜそれが変わったかと言えば、お金を稼いでたくさん失敗したから。それこそ欲しいものはすべて買える…、とまでは言わないけど、それに近い状態にまでなってみて、初めてそれが無意味だと分かった。だからグロービスに入って勉強していたところに震災が起きたという。結局、経験に基づいて変わったのだと思う。(33:20)
伊藤:失敗を積み重ねていったところで震災があり、それで目覚めた。(34:03)
岩佐:そう。ただ、失敗するためにも弾は撃ち続けなければいけないから、皆さんもどんどん弾を撃ち続け、成功するために失敗しなければいけないと思う。(34:12)
伊藤:富夢さんはどうか。現在のような熱を持つに至った経緯を伺いたい。(34:22)
岡崎:山口県下関市生まれの僕は、小学生のときにこういう原体験をしている。僕の親父は中卒だ。それでよく異動させられていた。嫌な上司も大勢いたようで、小学校低学年頃は家に帰った親父がいつも会社の愚痴を言っていて、お袋がそれをなだめている風景を見ていた。それで、「お父さんは、私たちのために働いてくれているのよ。けどね、社会は冷たいの」とお袋に言われたことがある。そのとき、僕は「(頼れるのは)自分の力しかない」と思った。自分の力で這い上がらないと社会は助けてくれないという、そんな強烈な劣等感が僕の根っこにはある。(34:44)
だから会社に入ってからはただただ最優秀新人賞を獲りたかったし、そのあとはただただプロの経営者になりたかった。もちろんお金も欲しかったし、やりたいこともやりたかった。僕自身は本当にたいしたことのない男だ。学生の頃は成績も悪かったし、大学時代もテニスと女のケツばかり追いかけていた(笑)。本当に何もなかった。ただただ目の前の山を登ってきたという状態だ。田久保(善彦:グロービス経営大学院研究科長)さんは「志のサイクル」と言っているけれど、僕もそう思う。「少年よ、大志を抱け」といった話はよく聞くけれど、僕は違うと思う。僕も最初は「最優秀新人賞を獲るぞ」で、それができたら次は「この事業部を立て直すぞ」だった。まず目の前にある山を登ってきたわけだ。ただ、頂上付近に雲がかかっていて、それを通り抜けて頂上に登ると、そこからさらに高い別の山が見える。で、それにまた登ろうとするとやはり雲がかかっていて、それを通り過ぎると隣にまた高い山が見えていた。(35:27)
皆さんには今、いろいろなインプットがあって、「自分は何をしたらいいんだ」というふうに悩んでいると思うけれど、まずは目の前の山を登ったらいい。そうすれば次が見える。僕はそれを猛烈な回転で繰り返してきた。いつも目の前の山に集中していただけだ。それで成功し、成長すれば山のターゲットが変わる。結果的には志と情熱で一直線に見えるけれど、振り返るといつだって目の前の山に集中していただけ。本当にたいしたことはしていない。(36:25)
伊藤:常に目の前のことをやり続ける原動力はなんだったのだろう。(36:54)
岡崎:間違いなく、好きなことをやること。人間は生まれてから数多くの価値観、あるいは「起業すべき」「今の日本社会を変えるべき」といった“べき論”を、頭にインプットする。でも、それが本当にやりたいことなのかな?周囲の人々が起業したって出世したって関係ない。それより大事なのは、本当にやりたいと思った分野で目標達成に向けて集中できるかどうかだ。僕の場合はそれが仲間を率いて勝利することだったから、その山に登ることができた。グロービスについても「周りがMBA取っているから」じゃない。プロの経営者になりたいと思ったから入った。何かを探すためのインプットもあるけれど、インプットの期間は早く終えて、「よし、いろいろなことを学んだけれども、とにかく俺はこの山だ」と。そうすれば、皆さんも自ずと好きなことに情熱を捧げることができると思う。僕はそれが見つかっただけだ。(37:00)
伊藤:その熱い心を持続させるために心掛けている習慣はあるだろうか。(38:00)
岩佐:維持するためには目標を高く設定しないといけない。私が常に意識しているのは世界一の産業をつくること。自分がやっている領域で、その地域を世界No.1にしたい。それだけをずっと考えている。そんなふうに、視座をどれだけ高く持てるかということが、僕の場合はモチベーションを持続させる原動力だ。普段は目の前のことを一生懸命にやるということの繰り返しで、「今日のこの瞬間を大事にしよう」と考えている。ただ、人間にはどうしてもがくんと落ちる瞬間がある。どれほどすごい人でも凹むときはあると思う。そのとき、何を目指しているかが心の支えになる。凹んでいるときに自分を今1度振り返り、「自分は何をやりたいんだろう」「どんなふうにしたいんだろう」というところに返ってくると、また血湧き肉躍るという感じになる。(38:21)
岡崎:絶対にそうだと思う。僕は基本的に怠惰で、楽をしたい。人間誰でも怠惰だと思う。だからこそ怠惰になれないような、情熱を持てるような構造に自分を置く。それは立場でもあったりする。たとえば、僕は最初の1年間、「会議のデザイン」をする。具体的には、自分が集中して挑む会議を10個だけ決める。年間スケジュールのなかで僕の事業にとって大事な会議を決め、そのうえで部下のスケジュールも1年分押さえる。すると、たとえば今回のようなプレゼンの場があるから、もうモチベーションを高く持たざるを得なくなる。それで、あとはインプットもリフレッシュもしていく。ナチュラルに過ごしながらモチベーションの保てる構造をつくろうとしている。(39:48)
伊藤:僕も習慣を決めている。週に1度、誰にも会わない時間を3時間ほどつくり、そこで「今後何をやるか」といったことを考えている。あと、毎晩の散歩。パーカーのフードを被って、「俺はできる、俺はできる、俺はやるんだ」なんて喋りながら散歩していて(会場笑)、そうすると気合が入ってくる。そういう自分なりのセルフコントロールやモチベーション高める「型」を持つといいと思う。さて、では質疑応答に移ろう。(40:49)