荒木博行氏(以下、敬称略):今回はコミュニケーションというものに関して、それぞれプロフェッショナルとして最前線でご活躍していらっしゃる御三方をお招きした。非常に大きなテーマだが、幅広い視野から深堀していきたい。議論がどんな落としどころに向かうのか今のところ分からないが、恐らくいろいろな角度からお話が聞けるのではないかと私も期待している。まずは簡単な自己紹介を兼ね、コミュニケーションというものをどのような角度でご覧になっているかというお話を順にお願いしたい。(01:16)
田中 慎一氏
田中慎一氏(以下、敬称略):まずは自己紹介を兼ね、私流のコミュニケーションというか、私がコミュニケーションというものについてどう考えているかをお話をしたい。私には2つの原体験がある。1つ目は6歳のときだ。私は子ども頃、親父の仕事の関係で、現在ジンバブエと言われる国で6年ほど暮らしていた。当時はローデシアと言われ、白人と、黒人および黄色人種その他のカラードが分けられていた白豪主義国家だ。トイレも住まいもレストランも皆違う。ただ、幸か不幸か日本人だけは名誉白人とのことで、白人のほうに入れられていた。だからどこへ行っても周りは全員白人。「このカラードは、なぜここにいるんだ?」なんていう目で見られていた。(03:27)
私はそこで、自分のアイデンティティについてつくづく考えさせられた。当時は「お前どこから来たんだ?」と聞かて「JAPANから来た」と言っても、1964年の東京五輪前だし日本のことなんて誰も知らない。「なんだそこは?」と言われ、ずいぶん辛い思いをした。ところが、そこに天の助けが降りてきた。当時、本田技研工業(以下、ホンダ)が世界の二輪GPレースに挑戦して次々とタイトルを獲得したのだけれど、ホンダにレッドマンという世界チャンピオンがいた。彼がローデシア人で、国の英雄だった。それ以降の僕は、「日本から」と言わず、「レッドマンが乗っているモーターサイクルをつくっている国から来た」と言うようにした。(04:35)
すると、その瞬間に周囲の態度ががらりと変わった。言い方を変えると、僕の風景が変わった。それまで僕の背後にあった風景は、「どこか知らないところから来たカラード」だ。でも、彼らが尊敬するスーパースターのレッドマンと握手ができて、しかもそのマシンをつくっている国から来た人間ということで、僕の風景は一気に変わった。風景が変わると周りの動きが変わる。だから6年の滞在中、5年半ほどは本当に素晴らしい経験ができた。そのとき分かったのは、人はどんな環境にいても必ず立ち位置をつくらなければといけないということだった。立ち位置がない人間は相手にされない。だから、どのように自分の風景をつくったうえでコミュニケートするかということがすごく重要だということで、僕にとって1つの大きな学びになった。(05:28)
2つ目の原体験は1980年代、日米通商摩擦で反日感情が吹き荒れていた時期だ。当時ホンダの社員だった僕は20代でアメリカへ行かされ、ワシントンD.C.やデトロイトに滞在していた。当時の反日感情は半端じゃない。カローラやシビックが道路の真ん中で火を放たれ、叩き壊されていた。たしか1984年には日本人に間違えられた中国系アメリカ人がバーで殴り殺されるなんていう事件もあった。そんなものすごい反日感情のなかでどうやってホンダの事業を守り、戦略を実現していくのか。そこでコミュニケーションが大変重要だった。どのような風景をつくればホンダがアメリカで生き延びることができるのか。そういうことを学んだ原体験になる。(06:40)
従って、私はコミュニケーションとは何かと聞かれたら、1言で答える。コミュニケーションとは、生き残り、生き抜くためのパワーだ。それは、個人にとっても組織にとっても国にとっても同じだ。立ち位置をしっかりとつくって、そのなかで周りがこちらを支えてくれるようにするためのパワーがコミュニケーションだと、私は考えている。(07:37)
島田 久仁彦氏
島田久仁彦氏(以下、敬称略):コミュニケーションについてとのことだが、田中さんがおっしゃった生き抜くための方法というのは、本当にその通りだと思う。で、私はそこに1つ付け加えたい。コミュニケーションにはバーバル(言語的)とノンバーバル(非言語的)の2つがある。今、皆さんには私が喋っている言葉と、私の体全体で示している何らかのメッセージが伝わっている。その両方を組み合わせることでコミュニケーションになるのだと私は考えている。そこにインターネットという要素が入ってくるとまた若干話が変わるけれど、フェイス・トゥ・フェイスならバーバルおよびノンバーバルになると考えている。(09:37)
一見すると分からないかもしれないが…、一見して分かって欲しいなと思うが、恐らく私は田中さんより若い。あと、プロフィールに環境省参与とあるし、もしかしてエコな人だと思われているかもしれないが、その誤解は直していただきたい。私はぜんぜんエコじゃない。ものすごく自己中心的だ。実際の仕事は何かというと、紛争調停官を長らく務めている。それでシリアやイラクにも若干関わっているけれど、その前は東ティモールにいた。で、名誉白人という立場は私もあちこちで味わっているけれど、私がそれを最も強く感じたのは、実は同じアジアである筈の東ティモールだった。(10:24)
東ティモールに行ったときは、「なんで白人のお前が来るんだ?」とよく言われた。思い切り日本人だけれど、当時はスーツを着た、ニューヨークからやって来たお兄ちゃんという感じだった。他の方より肌が少し白いのかどうか知らないけれど、とにかく白人と言われてずいぶんいじめられた。ただ、私はそこでノンバーバルのコミュニケーション、特に無意識でやっているようなジェスチャーやしぐさがどれほど重要かということを、東ティモールだけでなくコソボやイラクでも学んだ。(11:24)
スーツで戦地へ行くと、「ふざけてるのか、お前」となる。それでも実際に行くときは国連バッジを付けてスーツで行くのだけれど、私はそこでまず、冗談半分真面目半分だけれども、「これはコスプレ趣味なんだ」と。本当にそういう趣味かどうかは別の話。ただ、そこでさらに、「あ、皆さんが着ているその制服、いいよね」と言う。それで軍の迷彩服や将校たちが着るような制服を貸与されるのだけれど、私はそこで本当に着替えちゃう。軍隊の格好をして、それで彼らと一緒に地べたへ座って「で、どうよ?」みたいな話をする。そうすると、いろいろと効いてくる。(12:04)
そんな風に、まずは見た目を変えることで、「あ、こいつはもしかして俺の仲間じゃないか?」となる。共通項があるということは相手に近づくうえで1つの大きなチャンスになるわけだ。とにかく1番のキーワードは、生き抜くための手段ということに加え、バーバルと無意識のノンバーバル、見えるものと見えないもの、あるいは聞こえるものと聞こえないものという風に両方のルールが揃って、そこで初めてコミュニケーションと呼べるのではないかということになると思う。(12:52)
神原 弥生子氏
神原弥生子氏(以下、敬称略):御二方からはグローバルな視点のお話があったので、私はドメスティックなところから入りたい。私は1993年に大学院を卒業したあと、そのまま会社をつくった。従って履歴書というものを書いたことがない。自分で仕事を立ちあげ、すべてのスタッフを自分で採用して、そして選んでいただけるかどうかはさておき、自分がお仕事をしたいと思うお客さまとお仕事ができている。そういう環境を20年維持できている。すごくありがたいことだけれど、そんな私が本セッションにお招きいただいた理由は何かなと考えてみた。私にとってのコミュニケーションは、発信側と受け手側の両方があると思うけれど、まず情報発信からスタートしている。(14:16)
私が最初に会社をつくった1993年は、日本でインターネットの商用利用がはじまったタイミングだ。そこで編集や広告の企画をするつもりで会社を設立したのだけれど、気が付くとホームページの制作会社になっていた。では、ホームページとは何かというと、既存の情報をどのようにネットに出していくか。そこで、情報発信のプラットフォームとして20年間、インターネットとともに仕事をしてきた。で、情報発信にはいろいろなやり方があるけれど、当時のベースは、極端に言えば企業の会社案内をそのままインターネットに載せるだけといった状況だった。1社ごとにカスタマイズしてウェブサイトをつくるには予算も運営費もかかる。そこで、私は今で言うクラウド、当時で言うASPという形をとり、より低コストで企業の情報発信をお手伝いできないかと考えた。それで2001年に設立したのがニューズ・ツー・ユーだ。(15:21)
そんな風に、生意気だけれども企業による情報発信のお手伝いをテーマにこれまで仕事をしてきた。従って、私にとっての情報発信は、発信したいことがあるからできるものという話になる。今はソーシャルメディアをはじめ各種ツールがあるものの、発信したいことがない状況ではコミュニケーションも行えないと考えている。一方、情報の受け取り方にもいろいろある。ただ、インターネットが登場する以前はマスメディアや口コミといった媒介を通じ、人から人へ伝言ゲームのような形でしか情報発信ができなかった。しかし、今は自分のステークホルダーに直接発信できる。この当たり前が、すごく有り難いし、大事だなと思って今もその仕事をしている次第だ。ソーシャルメディアが出てきても、あるいはツールが今後変わっていっても、「情報を発信したい」「伝えたいコンテンツがある」ということがまずは大事になるのかなと思っている。(16:43)
荒木:コミュニケーションの中身だけでなく、その裏側にある何かをつくりマネージすることが、コミュニケーションの前提として重要ではないかという示唆だったと思う。そうした風景の作り方に関して、御三方のお考えをもう少しお聞きしたい。(18:05)
田中:風景のつくり方は時間軸で考えなければいけない。その場で会って対話をして、それで風景をつくるなんていうことはできない。対話の場に臨んだ段階で、すでに勝負は決まっているというぐらいに思ったほうがいい。つまり、その前段階で自分の風景をつくっておく必要がある。そこで何が必要か。やっぱり日頃のコミュニケーションだ。まさにバーバルとノンバーバルの両方を駆使して考えなければいけない。(18:57)
そこで私が努めているのは、まずコミュニケーションを意識することだ。では、「意識する」って何か。コミュニケーションが生き抜くためのパワーであるなら、必ず目的がある。その目的をクリアにすればするほど、誰が動いてくれると目的が実現できるかも見えてくる。で、その相手が見えてくると、どんなメッセージが伝われば相手が動いてくれるかも見えてくる。そのメッセージをどのタイミングで打つのか、どんな方法で伝えるのかも大切だ。バーバルまたはノンバーバルで伝えるのか、対面または非対面で伝えるのか、直接または相手に影響力を持つ誰かを通じて伝えるのか。それらを日々意識して計算しながら進める内、相手との関係性が少しずつ貯まっていく。(19:35)
この5ポイントはどちらかというとフローのコミュニケーションだが、そのフローを日常的に回すと少しずつ関係性というストックが生まれる。ただ、関係性にはつながりとしがらみの2つがある。前者は相手が動いてくれる関係性で、後者は相手に動かされる関係性。そこで、どれだけつながりを最大化し、しがらみを最小化するか。そこできちんと1つずつ、言葉も言葉以外も意識しないといけない。それで徐々に関係性が貯まる。これは自分の風景が変わるということだ。どこかのカラードの子どもという風景だったのに、レッドマンの話をするうち、僕の後ろに1つの風景ができた。それは一発でできるものじゃないし時間がかかるけれど、日頃のコミュニケーションを意識して関係性をつくっていくと少しずつ自分の背後に、相手にとって風景が出てくる。(20:43)
また、当然ながら相手の風景をしっかり見極めることも大切だ。相手を過大視してしまうと対話で負けちゃう。だから相手の姿や風景がなんなのかを見極めたうえで、自分の風景を見せながら対話に出て勝負する。そういう発想が不可欠になる。(22:04)
島田:私もそう思う。その場で関係性をつくろうとしても遅い。特に調停の現場では相手との信頼感や距離感がすべてだ。「こいつは信用できるか否か」。ただ、それはほとんど言葉で伝わらない。無意識の仕草などで伝わっていく。で、そのとき一番大事なのは、実際の対話に臨む前、相手と、そして自分のことをきちんと知り尽くしているかどうか。そのポイントは、目を瞑ってその場をビジュアライズできるか否かだと思う。で、それができたら、今度はそれを前提にして、実際の対話では‘serendipity’、つまり偶然性を楽しんだらいい。急に、「わ、こんなこと想定していなかった」と。それで関係性を修正しつつ、対話の環境をつくっていくことが大事だと思う。(22:35)
たとえば、今日はジャズピアニストの松永貴志さんもいらしているけれど、音楽は面白いと思う。完全にノンバーバルだ。なぜ松永さんの演奏を聴いて皆さんは感動するのか。そこに彼はどんなメッセージを乗せて、何を伝えようとしているのか。そこで、たとえばCDのライナーに書かれている内容と皆さんが聴いて受け取る内容は、違って当然だと思う。その辺りをどのように受け取るのかというのもあると思う。(23:40)
それと関係性について言うと、やはり時間はかかるけれど、「こちら側が出てきたときにどういうイメージがつくか」といことも大切になると思う。私は調停を行う戦地で「最後の調停官」呼ばれている。若い頃、十数年前に初めて行ったときは、「なんだ、この若造は」と言われていた。「アジアから来たのか分からないけど、こんなやつ信用できるか」と。ただ、その6〜7年後は、「こいつが来れば戦争が終わるんじゃないか」と言われるようになった。「こいつが来てもダメなら戦争になるな」と。それで、「最後の調停官」というあだ名がついた。これは、私の名前を聞いただけで、私の姿を見ただけで、何かしらの…、ブランドイメージとまでは言わないけれど、何らしかのコミュニケートを自分の存在がしているということだ。その時点で、もう場の設定はある程度できている。「あ、こいつが出てきたか。これはたぶん自分たちに与えられた最後のメッセージであり、チャンスだな」と。そういうことを伝えられるか否かだと思う。(24:17)
それともう1つ。実はバーバルで伝えられることというのは、正直、皆さんも最初から知っているようなどうでもいいことばかりだ。ただ、コミュニケーションを続けていくと裏を読むようになる。で、本当のメッセージを読んでいこうというとき、ノンバーバルでもう1つのポイントになるのが、「この人は何を、敢えて私に言わないでおこうとしているのか」。それをどう探り当てるか。それをノンバーバルのコミュニケーションから読み取れるようになれば、皆さんはコミュニケーションの達人だと思う。(25:26)
ただ、最後に1つ怖いお話をしたい。今、私の位置から足が見えている皆さん。私は貴方たちをコントロールできる。ノンバーバルのコミュニケーションで今何を考えていらっしゃるか、手に取るように分かる。私の話が面白いのかつまらないのかも含めて。だから、皆さんは足先、特に爪先を普段気にしていらっしゃらないと思うが、よーく気をつけて話を聴いて欲しい。皆さんの心はそれですべて読めます(会場笑)。(26:10)
神原:背筋が伸びる。島田さんの横はやりにくくて打ち合わせのときから緊張している(会場笑)。で、空気のつくり方についてだけれど、私は改めて、もう少しパーソナルな方向に話を振りたい。本会議のパンフレットには私のプロフィールが載っている。これは私と皆さんとの最初の接点かもしれない。昨晩、私のナイトキャップに来てくださった方はどれほどいらっしゃるだろう(会場複数挙手)。その方々とは2つ目の接点があったということだ。で、今が3つの接点。そうして点と点をつなげて線にすることが大事だと思う。で、さらに本セッションに参加したことで興味を持っていただき、たとえば「神原弥生子」で検索していただくと、検索結果が面で出てくることになる。(26:58)
それをいかに積み重ねていくかがパーソナルな空気の作り方ではないか。私はブログを2003年からほぼ毎日書いている。検索結果に表示されるコンテンツが何かということも意識しながら、情報を発信し続けてきた。企業も同じだ。検索結果に何が出てくるかといったことが、ビジネスではフェイス・トゥ・フェイスの場をつくる前に起きるのかなと思う。そんなことも意識して情報発信している。私は10年少々ブログを書いているわけだけれど、10年先の私のために今ブログを書いているという面があるかもしれない。本パネルも動画でglobisl.tvに上がる。だから10年後の私のために今喋っているつもりだ。空気の作り方というご質問に関して、そういったことを感じた。(28:31)
荒木:今のお話を踏まえたうえで、企業は日頃どのようなコミュニケーションを積み重ねていくべきだろう。最近はいろいろなツールもあって、たとえば末端の社員が行うものもコミュニケーションのストックになると思う。(29:55)
神原:インターネットが登場して大きく変わったことがある。たとえば、外資系企業では今、部長以上は「貴方は当社のスポークスパーソンです」とのことでメディアトレーニングを受けるケースが多い。ただ、今は内定者も社員の奥さんも、すべての人がスポークスパーソンの時代だ。だから自分が伝えたいことだけでなく、その企業に興味を持ったすべての人に正しい情報を提供する必要がある。たとえば社長と話をしたことがない社員が、「社長ならどう考えるだろう」となったとき、社内報や人づてに聞いた社長の判断を基にすると思う。ブログを書いていて1番良い点は、それを伝言ゲームにせず、自分の言葉で社員や社員の家族やお客さまにメッセージを伝えることができる点だ。もちろん、そのときは関心を持ってくれないかもしれないけれど、ひょっとしたら3年後に「神原さんが何かその件について喋っているかな」と、検索してもらえるかもしれない。従って情報発信では、点同士がつながって線になってくほど、皆が知りたいと思ったときにその情報がきちんと取り出せる状況にすることも大事だと思う。(30:37)
荒木 博行
荒木:その意味では、意識せずとも日々コミュニケーションがなされてしまっているということが、企業にもあると。(32:56)
神原:「公式アカウントを運営しているわけではないし、匿名アカウントだから自社の悪口を言ってもばれないだろう」といった感覚を持ってしまう人はいるかもしれない。でも、たとえば転職後も前勤務先の同僚と何かでつながっていれば、何かを経由して会社が分かってしまい、過去の悪口まで分かってしまうこともある。そんなことも十分に配慮しておく必要があるし、公式アカウントではなくても自分がその会社を正しく知っているのかどうか、確認しながら情報発信しないといけない。会社側も同じだ。社員1人ひとりが何に興味を持っているか分からないなら、できる限り正しい情報をオフィシャルに提供していく必要がある。それを基に、たとえば社員がソーシャルメディアでコミュニケーションを行ったりすることがあるためだ。(32:42)
田中:コミュニケーションの有り難いところは、個人のコミュニケーション力学における原理原則がすべて、組織のコミュニケーションにも当てはまる点だ。ミクロ経済で正しいことがマクロ経済では正しくないといった合成の誤謬が、コミュニケーションの世界では発生しない。先ほど神原さんもおっしゃっていた通り、今はどこにいても情報が出てくる。昔は社内と社外は別という発想があったけれど、今はつながっている。そこで、組織のリーダーが心掛けなければいけないことは3つほど出てくると思う。(33:52)
まず、社員その他のステークホルダーに最も明確に示さなければいけないのはビジョンであり、それを実現するための事業計画だ。それがどういったビジョンやミッションによって実現されるかを明確にして、それを実現するためにトップが実際に動く姿を見せる。それについて語るのは最後でいい。まずは明確なビジョンとそれを裏付ける事業計画を示し、それを実現するためにトップが動き続け、そしてそれを語り続ける。それが社内だけでなく外部ステークホルダーにも伝わっていく。(34:53)
で、2つ目はある程度自分をさらけ出すこと。たとえば、いつもは怖いけれどもたまにニコニコしてみる。あるいは、いつもニコニコしているけれどもたまに怖いところを見せるとか。たまに隙を見せて自分をさらけ出すことも大切だ。いつも怖いだけ、あるいはニコニコしているだけではダメ。トップは自分をさらけ出し、社員を含めすべてのステークホルダーに、ある意味で非言語的なメッセージを発信する必要がある。(35:43)
そして、最後はコミュニケーションを経営戦略として見る必要があるという点だ。事業を成功させるためのパワーとして見る。そのためには組織が必要だ。その組織とは何か。コミュニケーションには基本的に、「受信」「意味付け」「発信」というフェーズがある。神原さんがおっしゃっていた通り、何を発信するかが重要で、そのためにはまずいろいろなものの受信力が必要になる。その「受信」「意味付け」「発信」という3つの機能を一元化し、トップがそれを直轄でマネージする発想が大変重要になる。(36:22)
それが先ほど申しあげた、フローのコミュニケーションを組織論で回すという考え方になる。それをやっていくと関係性が貯まる。そこで社員やお客さまや投資家、あるいは管轄官庁といった、あらゆるステークホルダーとの関係性が少しずつできてくる。その関係性を、しがらみではないつながりにしていく。もっと言うなら、それを戦略実現に資する関係性として、絶えずマネージする発想が不可欠になる。(37:06)
島田:組織のコミュニケーション戦略で私が大事だと思うのは、自身が企業の代表取締役社長や一国の大統領であるとイメージして、そこで自分ならどんな発言をするかを考えてみることだ。また、リーダーとしてコミュニケーションを発展させるためには、まず聞くこと。まさに受信力だ。アイディアを次々インプットできないと発信もできないし、判断基準もなくなってしまう。従って、とりあえずは我慢して聞くことに徹する。そうして情報を集め、組織が直面する問題の全体像の把握する必要がある。で、そのうえで決断をしてリードするわけだけれど、その際はメッセージがクリアで端的に伝わらなければいけない。そうしたメッセージには2種類あって、1つは聴いただけで「おお!」となって、恐らく100%、誰が聞いても理解できるメッセージ。で、もう1つはすごくキャッチーなメッセージだ。そこで、「なるほどな」と思わせてから「…ん?」と、1回考えさせるようなポイントをフォロアーに持たせることができるかどうか。これも人を引っ張っていくうえで重要なコミュニケーション能力の1つだと思う。(38:04)
あと、神原さんがおっしゃっていたインターネット上のコミュニケーションは、個人についても組織についても「スーパーノンバーバルコミュニケーション」だと思う。「島田は何を言っているの?ブログもホームページもぜんぶ言葉じゃないか」と。たしかにバーバルだ。実際、フェイスブックやツイッターに何か書くときはノンバーバルが働かない。先ほどは皆さんの足元を見ていれば何を考えているか分かるとお話ししたけれど、ちょっとした肩の動き、目の動き、あるいは口元の状態でもある程度の感情が読める。でも、ブログにはそれがない。だから言葉だけを読むと真意が伝わりにくい。(39:45)
あと、この話をすると「やっぱり島田というのは怪しくて怖いやつじゃないか」と思われるかもしれないが、SNSに書かれたことはどんなテクニックを使っても絶対に消せない。だから大きな責任を伴うし、下手をしたら命まで取られかねない。それは社会的に殺されるという話かもしれないし、実際にストーカーか何かにザクっといかれるような話かもしれない。とにかく、自分が属する会社の組織や誰かのことをぼそっとつぶやいてしまったら、それは消せない。後々いくらでも探し出してくることができる。(40:46)
1番怖いのは、今の日本ではインターネットに関する皆さんのセキュリティ感覚が大変低い点だ。たとえばフェイスブックでご自身のページをよく見て欲しい。ご家族の写真やご自身の電話番号まで載っている方がいらっしゃると思う。本名以外にも、たとえば出身校であるとか、アイデンティティにつながるものはいくらでも調べられる。で、奥さんや子供や犬の写真を載せて、「先日は某所へ行って楽しかったです」と言うわけだ。ただ、普段は「いやあ、お金無くて」と言っている人が高級車に乗っていたりしたら、「本当に金ないのかよ」という話になる。バーバルでおっしゃっていることとノンバーバルで表現していることのあいだに矛盾があると、自分は楽しいと思ってやっていることでも一瞬で信用を無くす。これもコミュニケーションの怖いところだ。インターネットが普及して個人が当たり前のように日々情報を発信できるような環境では、セキュリティ感覚の低さという怖さもあるのだと思う。(41:29)
先ほどの、「リーダーになったつもりで発言しましょう」というのはそのためだ。誰もが責任を伴っている。1人ひとりが発信できるということは、仮に自分がどこかの組織に属しているとしたら、新入社員でも専務でも、皆さん1人ひとりが会社の顔ということになる。そこを意識しないといけないのが、インターネットにおけるコミュニケーションの良さと悪さ、そして怖さだと思う。(42:59)
神原:私のブログには今、3000本におよぶアーカイブがある。だから、それらすべての点が線になって、住まいや家族の情報につながる可能性があるという覚悟を持つことが大事なのだと思う。やはり皆さん、最初は「楽しそうだから」といった気持ちで始めていると思う。しかし、今はたとえば近所にある公園の写真からでも自身の情報が分かってしまうわけで、それを前提にコミュニケーションできるか否かが問われていると思う。私は広島県の小さな田舎町で育った。「あそこの奥さん、晩御飯のおかずに何々を買ったわね」なんていう話が会話から知られてしまうような、本当に小さい町だ。360度から見られていて、近所のおばちゃん達に「弥生子ちゃん、子どもの頃はこうだったね」なんて10〜20年後に言われてしまうような、そんな感覚があった。それと同様の感覚で情報発信することが大事なのかなと、今お話を伺っていて感じた。(43:33)
荒木:日本人もしくは日本企業に焦点を置いたうえで、何かコミュニケーションに関する課題があれば、その解決に向けたヒントと併せてお伺いしてみたい。(44:51)
田中:今は個人や企業、そして日本全体でも、日本的コミュニケーションが何かということを把握する必要があるのだと思う。たとえば1980年代の日米通商摩擦で、米ビッグ3や自動車労働組合、そして米政府および議会が日本の自動車産業に突きつけていたのは、すごく二元論的なコミュニケーションだった。「是非」の議論。「こっちは正しくてお前が間違っている」と、徹底的に攻めてきた。我々はそこにどう太刀打ちすべきかと考えた末、「同じ土俵に乗るのは止めよう」となった。相手から攻めてきても攻め返さない。ただただ、ホンダの風景をしっかりつくってアメリカに貢献していることを示そうという話になった。それで、アメリカの工場と部品で自動車が生産され、それがアメリカから日本に輸出されていることを、とにかくこつこつ示していった。結果としてはそれが効を奏した。1980年代後半、本田宗一郎さんは日本人初の米国自動車業界殿堂入りを果たした。それはある意味、アメリカから認められたということだ。(45:23)
もっと象徴的な出来事は、本田さんがデトロイトを訪れたときのことだ。反日的な傾向が大変強い街だったが、本田さんはコボホールというでかい施設で1000人ほどの聴衆を前にスピーチを行った。そこで英語を話せない本田さんがまず口にした言葉は、「アメリカの皆さん、ありがとう」だった。「今日、ホンダが自動車メーカーとして成り立っているのはアメリカのおかげです」と。これは事実だ。日本ではトヨタや日産が強くてなかなか育たなかったホンダは、アメリカで花開いた。だから感謝のコミュニケーションを行ったわけだ。そしてスピーチの終わりには、彼がほぼ唯一知っていた英単語である‘Thankyou.’を連発し、1000人のスタンディングオベーションになった。当時のデトロイトでそういう本田さんの話を聴いたことは僕にとって大きな経験だった。(47:20)
そのとき、やはり我々のやり方は欧米の「是非」、いわゆる二元論で対立をつくるコミュニケーションじゃなく、共感をつくるコミュニケーションだと感じた。恐らく日本人はそれが得意なのだろう。それを1つの強みとして、日本国や日本の企業、そして日本人1人ひとりが世界に貢献できるのではないか。打ち合わせで島田さんがなさっていたパレスチナ紛争におけるコーヒーのお話がすごかったので、ぜひ後ほど改めてお聞きしたいけれど、当地では3人のイスラエル人が射殺され、その後パレスチナ人の16歳の子が殺された。しかもその葬儀を双方がイベント化し、怒りを煽って対立をさらに激化させ、相手を攻めるというこのコミュニケーション。このやり方に、どう見ても僕は日本人として違和感を抱く。日本人はそうじゃない。だから、なおさら日本人として共感のコミュニケーションを強く打ち出す必要があると思っている。(48:31)
やはり日本には八百万の神様がいらっしゃる。すべてが神様に近い。しかし、イスラエルやパレスチナの人々は一神教だ。両方とも「是非」。「是非」のコミュニケーション同士がぶつかると、ああいう悲惨なことになる。我々日本人としては八百万の神の国に生まれたのだから、それ故に持つことのできる流動的な視点を大切にすべきだ。二元論でなくいろいろな人の立場で考えることができるわけで、それをベースとしたコミュニケーションとともに世界へ打って出るべきだと思う。(50:01)
島田:で、そのコーヒーの話だけれど(会場笑)、私はイスラエルとパレスチナでも調停の仕事をしていた。で、民間レベルではそれが最近までうまくいっていた。具体的には、ガザ地域の辺りでイスラエル人の方々とパレスチナ人の方々に、同じ農場でオリーブオイルを作ってもらっていた。すごく美味しくて日本でも買えるのだけれど、ともかく、それで民間レベルから平和をつくろうとしていた矢先、今回のことが起きた。だから私も大きなショックを受けているが、コーヒーの話というのはアラブのコミュニティのお話だ。彼らはお葬式などの悲しいとき、大変濃いコーヒーにお塩を入れて飲む。私も何回も飲んだけれど、正直、飲めたもんじゃない。飲んでいて悲しくなって泣けてくる。ただ、パレスチナだけはコンデンスミルクの入った甘く濃いコーヒーを出す。アラブでは本来、結婚式とかお誕生日といった、めでたいときに振る舞われるものだ。(50:41)
なぜそれが葬儀で振る舞われるのか。彼らにとって自爆テロは、憎きイスラエル人を倒すため、娘や息子が自らの命を投げうつという正義だから。それは大変めでたいことで、アラブの神から祝福されると。当然、心ではそんなことを思っていない。ただ、なんとも皮肉に満ちたイスラエルへのメッセージだ。「お前らを殺したのは素晴らしく、めでたいことである」と。その母親の心はまったく考えていない。今回はそんなことが起きていて、甘いコーヒーが振舞われている。怖いコミュニケーションだと思う。(52:05)
それともう1つ。日本的なコミュニケーションには特有の美徳があると私は思う。たとえば、世界のあちこちでアメリカ人やイギリス人の議論を聞いていると、たいしたことは言っていないと、いつか気が付く。それに対して日本人には、スポンジとは言わないまでも相手を受け入れることのできる受容力がある。話を聞いて、相手に寄り添える外交やコミュニケーションができるのだろう。相手の立場で、「こうだよね。私がついているよ」という風にするのが日本人特有のコミュニケーションだと思う。私はイラクで自衛隊の方々とお仕事をしたこともあるけれど、やっぱり日本人は常に現場へ寄り添う。だから欧米の二元論的なコミュニケーションを真似する必要はまったくない。聞いて聞いて、そして最後にまとめて「要はこういうことだよね」と言えると、実はそれが1番重いメッセージコミュニケーションになると考えている。(52:57)
神原:IT業界で20年働いてきた私は、「日本企業だから云々」ということを特に感じない新しいインダストリーでやってきた。ただ、実は今年から家業の会社で役員をやることになった。担当はマーケティングコミュニケーションだけれども、その家業とは造船だ。広島には造船場が数多くある。ご存知の通り、日本はかつて世界一の建造トン数を誇る造船大国だった。ただ、今は残念ながら中国と韓国に次ぐ3位だ。そういう世界に入ってまだ半年しか経っていないけれど、今はもう、私がコミュニケーション担当で入らなければどんなことが起きていたのかと思うほどの状況だ。(54:14)
我々は今、大きな過渡期にある。今はまだJAPANクオリティのブランド力を享受できているものだから、「いいものを作れば売れるだろう」なんていう発想がまだ通用すると思っている。実際、当初は私もそうなんだろうと思っていた。でも、実際に業界を見渡してみると、「いいものとは何か」ということが分かっていないまま、「いいものを」と言っているところもある。それともう1つ。我々の造船所は日本とフィリピンと中国に工場を持っていて、「どこでもJAPANクオリティでつくっています」と懸命に言っているのに、「日本工場でつくって欲しい」というオーダーが未だにある。それがJAPANクオリティに対して古くからのお客さんが持つイメージなのだろう。(55:15)
でも、そんな造船業界で中国が1位になり、もうずいぶん時間が経った。今、実はクオリティにそれほど差はない。もちろんフィリピンでも中国でも同じクオリティでつくれている。それでも「日本で」とおっしゃる。しかし、たとえば今年6月に海外で行われた船の展覧会に行ってみると、JAPANブースという形にして複数企業で出展していた日本企業と異なり、中国企業は1社ごとにしっかりブランディングしていた。製品の品質向上にも大変な力を入れている。これはあるとき、オセロの駒が一気に裏返しになるように、「ぱっと変わるのでは?」という危機感を持った。だからこそ田中さんがおっしゃった「コミュニケーションを経営戦略に」ということがあるのだと思う。特に我々の上の世代の方々はJAPANクオリティに成功体験を持っているが、それがある日、突然変わってしまうかもしれない。特に製造業はコミュニケーションにもっと力を入れる必要がある。そこに、我々の恐らく10倍以上のエネルギーを中国企業と韓国企業は注いでいる。今はそれを目の当たりにして、なんとかしたいと思っているところだ。(56:18)