「世の中を“教育”で変えるにはどうしたらいいか?」 後編 

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まずは、「いのち編」のひとつ。「もし友だちが自殺しようとしたら」。命の意味を考える授業だ。最初にケースを読みあげるので、そのあと2人ごとに組んでもらいたい。そこで一方に自殺志願者、もう一方にそれを止めようとする説得者を演じてもらう。それで2分間ほど会話がもつかどうかというロールプレイだ。ケースはこちら。「ある日の夕方、中学3年のAは道を歩いていると、なにやらビルの屋上のほうを見上げてざわめいている人だかりを見つけた。なんだろう。Aは人々の視線の先を見上げた。危ない。ビルのフェンスをよじのぼろうとする人影をAは捉えた。よく目を凝らして見るとその人影には見覚えがあった。3年間、部活でともに励まし合っていた仲間のBだった。次の瞬間、Aはビルを駆け上がっていた。屋上に辿りつき、フェンスの向こう側で下を見つめるBに声をかけた」。

ほかの事情はすべて想像でやってもらいたい。私が「スタート」と言ったら、まずどちらが自殺志願者に向いているかを決める(会場笑)。これは演技だから俳優になったつもりでやって欲しい。そして次に、1つの理由で死んだりしないから、3つほど理由を挙げてもらう。これは自殺志願者役が設定してください。説得者役が知恵を貸してあげてもいい。で、そんな理由が2つ重なると、3つ目は「お腹が痛くて仕方がない」とか「熱が出て吐き気がする」といった体の症状になるから、まずは2つ設定する。中学生のケースに合わせてもいいし、自身が今抱える悩みを直接相談してもいい(会場笑)。ただ、時間は2分だけ。人が見上げているということは消防にも警察にも電話が入っている。そこで時間を稼ぐことができたら、そのあいだにレスキューが見えないところから出てきて止めることができるかもしれない。下にマットみたいなものを敷く手もある。とにかく皆さんが2分の時間を稼げるかが大事だ。では、スタート。

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(3分後)
はい、そこまで。アンケートを取ってみよう。自殺志願者だった方は今のような場合、止まると思っただろうか、逝っちゃうと思っただろうか(会場笑)。止まるんじゃないかと思った人は(会場複数挙手)、じゃあ「逝っちゃうだろうな」という人は(会場複数挙手)。…後者のほうが多い。説得者はどうだっただろう。こんなこと、やったことないでしょ?実際にやってみて、「難しいな。何を言っても返されちゃう」と感じた人は?(会場多数挙手)…ですよね。実は今回、ちょっと意地悪をした。説得者と言う表現は、本当は間違っている。プロに言わせると、実はこういうケースで説得は不可能だと言われている。自殺志願者は半年なり2年なり、もしかしたら10年なり、考えに考え抜いているから。そのあいだにあらゆる設定で自問しているから、ほとんどの説得は跳ね返される。「お母さんが心配するじゃないか」、「心配しないから来てるんだよ」と(会場笑)。「友だちが悲しむじゃないか」、「何言ってんだ、昨日まで苛めていたクセして」と。あるいは、「死んだら何もならないじゃないか」、「そんなものは死んでみなきゃ分からない」となる。屁理屈含め、つまり理性の側ではすべて返されちゃう。

だから感情をぶつける以外にないという。私もそこはプロじゃないけれど、「私はあなたを失うのは絶対に嫌だ」ということを言い続けるしかないそうだ。相手がそれを否定してこようと、その感情をぶつける。だからこういうケースにおいて警察は一刻も早くお母さんを呼ぶ。お母さんはそういう場合、無条件に感情のいきものとなるから。それはそうだ。自分で産んだんだから。お父さんを呼ぶと理屈になっちゃってややこしくなるかもしれない(会場笑)。いずれにせよ、こういう設定をして中学生や、実は小学校6年生にもこの授業を実践したことがある。とにかく自殺のようなものをタブーにしないこと。こういうことを1度やると、「そういうモードになることがあるんだ」ということが分かる。そして、いかにその説得が難しいかも分かる。

僕はその授業の最後に、「そんな風に視野狭窄で見えなくなっちゃったときには、ほぼ、欝という状態なんだ」と言っている。で、欝というのは病気だと。病気なら病院に行くでしょ?自分でなんとかしようとしない。そんな話をしているけれど、今はそういう授業が望まれている。成熟社会に入った1998年から跳ね上がったのが自殺数だ。その直前、1997年までは2万数千で推移していたのに、いきなり3万3000となり、そこから下がっていない。最近少し下がった感じだけれど、あれは統計の取り方が違うという見方もある。だからこの問題は、本当は親子で議論して欲しい。子どもたちに、いきなり予定不調和の状況を与えてそれに対応させる。1度でいいからこういうことやらせる。笑ってしまってもいいから。議論で口に出すことが大事だと僕は思う。口に出せないと学校がタブーにしてしまうから。そうすると、いざ自分がそういう状態に自分がなったとき、何も言えなくなっちゃう。特に自分の大好きな先生や親には言えない。ぜひ、その辺を少し気にしていただければと思う。

もう1つの授業が、「人生のエネルギーカーブを描いてみよう」だ。用意された紙の左下にある誕生から曲線をスタートさせ、今日までの歩みを描いて欲しい。山も谷もあったと思う。僕は今58歳だけれど、たとえば小学校のときはすごく盛り上がっていた。でも、サッカー少年なのに入学した中学にサッカー部がなかったからそのあとすごく盛り下がった。それで生きがいが見つけられず、間違って剣道部なんかに入っちゃって、それが合わなかった。そのあとは「悪ぶったほうが格好良い」みたいな間違った想念に支配されて、悪ぶって格好つけた。でも腕っぷしでは勝てないから、ちょっと事件を起こして捕まるはめになってしまった。それで、最高裁判所に勤めていた父に手を引かれて家庭裁判所に行ったという(会場笑)。もう、最低だ。それをこんな風に受容して話せるようになったのは、ごく最近のことになる。

リクルートに入ってからは順風満帆だったかというと、30歳でメニエールという病気にかかった。目の前の映像がぐるっと回転しちゃう病気だ。それで僕はキャリアをチェンジした。それまではどんどん偉くなって年収も上がり、ある部門の営業本部長みたいな役職を任されていた。でも、「このまま取締役や常務や社長を目指していたら俺は死ぬんじゃないか?」と。それで30から年収を固定して専門職になった。そしてメディアデザインセンターというものをつくったり、今は角川グループとなったメディアファクトリーという会社を創業したりしていた。少ない人数で楽しいことをやろうと。37で海外へ出たりもした。その意味では大きな山谷だけでも3つ4つある。皆さんも左下の誕生から右上に進む感じで、横軸にライフスパン、縦軸にエネルギーレベルをとってエネルギーカーブを描いて欲しい。エネルギーとは知力・体力・精神力の合算と考えてもいいし、モチベーションのレベルと考えてもいい。小さいことにこだわっていたら書けないから感覚的にさっと引いてみよう。で、曲線ができたら谷の部分で何が起きたかも、可能ならメモして欲しい。ただ、書きたくないことを書く必要はない。

和田中では新1年生にもこれを描かせていた。そのオリエンテーションでは僕も自分のカーブを描いて見せる。それで校長にも何回か谷があったことを見せると、すごく喜んで、べちゃくちゃ喋りながら描く。皆さんもお子さんにやらせたら面白いと思う。小学生にとっての谷と言えば、まあ、病気やケガに、そして転校だ。本人は「大丈夫」なんて言っても、やっぱりショックだ。それからいじめ。とにかくそんな風に、1年生のほぼ全員に描かせたうえで、コメントも記したものを回収していた。だから、場合によっては担任の先生以上にその子の背後を知っていたりもしたわけだ。それが、先生を握るときの大きな力になった。さて、では、コメントも含めて今描いたものを隣の人と見せ合って傷を舐め合って欲しい(会場笑)。特に、谷のところで互いにツッコミを入れてみよう。書いたということは受容して乗り越えているということだ。遠慮なく笑っていい。たとえば同じ病気や失敗や挫折を味わったことがあるということで、さらに深い絆ができるかもしれない。

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(1分後)
はい、そこまで。すごく話が盛りあがったと思う。あとはそれをポケットにでも入れておいて、あらゆる機会でそれを見せたらいい。とりわけ人間というのは谷のところの話がすごく面白い。それをどう面白く語るかで、その人のキャラのほぼすべてが表れる。山のことばかり語る奴は自慢話おやじだ。そういう人たちは後半の人生で友だちを失っていく。逆に、45ぐらいまでの人生前半でどれほど深い谷を蓄積し、そしてそれをどれほど面白く語ることができるかが、後半の人生で資産になる。これは非常に大事だ。そのことを『もう、その話し方では通じません。』(KADOKAWA/中経出版)という本で書いたけれど、あまりにもショッキングなタイトルだったから売れなかった(会場笑)。あと、前半にお話した2つの表に関するお話は、『負ける力』(ポプラ社)という本の第5章で書いている。

さて、もう1度ブレストする時間がないから、先ほどのお話しした課題の解消について僕のほうから結論を話してしまおう。まず、基礎学力でフタコブラクダ型になってしまう問題をなんとかしたい。これは情報処理力の問題だ。ここで今チャレンジをしているのが武雄市になる。この10年間、教育改革・教育改革のメッカは和田中だったけれども、今、私と私の後を継いだ代田君がこぞってやっているのは武雄市での取り組みだ。ここ5年間は少なくとも武雄市がメッカになるだろう。世界中から見学が来るようなところになると思う。武雄市長の樋渡(啓祐氏)はG1サミットの仲間でもあるけれど、非常に面白いやつで、この春に3000台、小学生全員にタブレットを配った。これは中国でオリジナル開発したものだ。来年春には中学生にも1000台配るという。で、それを家に持ち帰らせる。

ここがミソだ。それでどうするかというと、1番つまずきやすい算数や理科に関する動画の予習教材を最初からいれておいて、家でやってもらう。するとタブレットが珍しいからお母さんやお父さんやお兄ちゃんも寄ってきたりして、家族同士で授業の話になったりする。そして何より、教科書やプリントでは「予習して来い」と言っても絶対にやらなかった子どもたちさえ、かなりやるようになった。彼らは映像世代だから。理科で地層の勉強をするにしても、先生が黒板に書くよりは「ニュートンプレス」が持っているような、地層ができあがっていく動画のほうがいい。

そのあとはどうなるか。翌日の学校で、分かった子が分からない子に教える。フタコブのうち学力が高いほうの山にいる子が、低いほうの山にいる子へ教えるというわけだ。そうすると低い山の子たちも高い山に寄ってくる。本当に優秀なやつはもしかしたらそっぽを向いているかもしれないし、分かった子が教えると言ってもアマチュアだから、そこで漏れたぶんは先生がフォローすべきだ。ただ、少なくとも山同士で教え合って、低いほうから寄って来るというのが非常にいい。自分の知識を定着させたいのなら教えるのが1番だから、上の子にも損はない。これは反転授業という言い方をするけれども、私はその言い方が好きじゃないので「ビデオ予習授業」と読んでいる。これは教科書やプリント予習授業に比べ、今お話ししたような効果がある。

そうしてまず小学校3年からやっているのだけれど、これをどんどん進め、可能であればすべての知識教育で同様のことを実現したい。教育には「知育」「徳育」「体育」の3つがある。で、そのうち徳育・体育はそうならないけれど、知育はできるだけビデオに寄せる。そのほうがいいに決まっている。なぜなら一斉授業は生で1度しかやらないから、聞き逃したらアウト。しかしビデオであれば、分からなかった止めることができるし、何度でも観ることができる。自分のテューターがその動画になかいるわけだから、自分の時間の都合で見ることができるというわけだ。

この取り組みでさらに良いのは、ビデオは文部科学省的に言うところの副教材になる点だ。副教材ならビデオに登場する先生が教職免許を持っている必要もない。これは文科省も気付かなかったところだ。つまり塾の先生でも予備校の先生でもいい。本当に教えるのが好きなら皆さんでもいいし、『ごん狐』の朗読日本1というおばあちゃんがいたら、その人が先生でも良いわけだ。そういうソフトとシステムをつくり、特に20代の若手教員に武器を持たせる。彼らが生身で戦っても、今50代には敵わない。だから、小学校であれば自分の得意な教科は自分で教える。一方で、理数が不得意な先生はこれからどんどん出てくる。だからそちらついてはビデオで最高の授業をする先生の予習教材を、うまく使って授業を進めていく。

今、武雄市に張り付いてこうした取り組みを徹底的に行っているのが代田君だ。武雄市教育長の横について、教育委員会教育監兼武雄市小学校校長を務めている。そして僕は何をやっているかというと、ある会社と組んで、すべての教科・単元ごとに日本で1番教えるのがうまい人々のビデオを予習教材で使えるよう、撮り貯めている。たとえば「3/5+1/2」を教えるのが日本で1番うまい人など、とにかく50代には本当にうまい人がいる。そういう人に習わないから、たとえば離島や過疎地の子は割を食ってしまったりする。当たり外れが出てしまう。それをなくすため、教科・単元ごとに教えるのが日本で1番うまい人をつかまえ、今のうちにビデオに撮ってしまう。それを貯めてウェブにプラットフォームをつくりたい。「それを利用可能にしていけばいいんじゃないの?」と。もちろん障害はある。たとえばベテランの先生にはやっぱりプライドがあるし、「そんなの使えません」と言う人だっているかもしれない。ただ、20代の教員は遠慮なく使うと思う。そのほうが負担も減らせるからだ。

それでは最後の話をしたい。私は今、予習動画を一緒につくっている会社と、「よのなか科」の授業もビデオで撮っている。もう51本撮り終わっていて、秋からはその会社の受験関連サイトに載るのだけれど、そのあとのことを少しお話ししたい。英数国理社の5教科に関しては、小学校と中学校で教え、そして高校で象徴的に受験があって、そのあと大学と生涯学習という風に、いわば縦に続いていく。で、その勉強に関しては教科・単元ごと、最高の先生による動画を撮り貯めていけばいい。ただ、これは20世紀型の5教科であり、縦は情報処理力側だ。だから情報編集力側をどうするかという課題がある。それで今は横糸のビデオを撮り貯めようとしている。

では横糸って何か。「国語や英語の学力が高いよりは、コミュニケーション能力が高いほうがいいんじゃないの?」。「数学の点数が高いより、ロジック能力が高いほうがいいんじゃないの?」と。これは世界に通用する力だ。生きる力ってそういうことでしょ?で、「理科の点数が高いより、頭のなかで事象をシミュレーションする力のほうがいいんじゃないの?」。そして、「社会科の点数が高いより、社会的役割を自分で考慮しながら、“この人ならどう考えるかな”と考えるロールプレイ力のほうがいいんじゃないの?」となる。さらに、たとえば「音楽や美術の点数が高いよりは、すべてプレゼンテーションじゃないの?」と。美術というよりはデザインであって、図工というよりは建築だ。つまり、すべてプレゼンテーション。体育は体のプレゼンテーションで、美術は画像のプレゼンテーション。音楽だってプレゼンテーションの力だ。となると、コミュニケーション、ロジック、シミュレーション、ロールプレイ、そしてプレゼンテーションというのが、もしかしたら横軸の21世紀の、5教科じゃなく5リテラシーになるんじゃないかと考えている。今はそうしたビデオも撮り貯めようとしている。そんな風に縦軸と横軸両方でビデオを撮り貯め、巨大なプラットフォームをつくりたい。そして、それを日本だけでなく世界へ発信しようということを今はしている。今はそれを仮称で「最高の授業ネット」と言っているところだ。

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