麻生巌氏×間下直晃氏×守安功氏 「10年後の経済・ビジネス—今、僕らがやるべきこと」前編 

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「インフラを持つ時代から借りる時代に。CEO自ら移住し、現在はアジア展開を推進中」(間下)

今野穣氏(以下、敬称略):今日はまず御三方にこれまでの10年で起きたビジネス環境の変化に対し、どんな手を打って来たのかをお伺いしたい。そのうえで今後10年の展望について。現在行っていることや今後に向けた課題をお聞きしていこう。そして最後は「批判よりも行動を」ということで、ぜひ何らかのコミットメントをいただきたいと思う。早速、それぞれ自己紹介を兼ねて順にお話しいただこう。(01:23)

麻生巌氏(以下、敬称略):僕は1997年、今はなくなった日本長期信用銀行に入行し、そのあとイギリス留学を経て2000年に家業へ就いた。今日は「なるべく地方をテーマにして欲しい」と言われたので地方を絡めて考えたいが、僕の出身地である飯塚市は人口8万人ほどの町だ。地方ご出身の方であれば想像はつくと思うが、商店街はシャッター街。僕は5歳まで住んでいたが、その頃まではすごく活気があった。昔は人口15万人ほどだったという。しかし炭鉱町のご多分に漏れず人口は減り続け、現在は8万人ほどになっている。(02:13)

ではマーケットの縮小に対して企業としてどんな手を打ってきたか。僕たちのグループはこの10年間、外に出て行くことを選択した。会社自体は140年前に僕の高祖父がはじめたもので、これまでも福岡や海外には出ている。麻生太郎さんも海外事業でブラジルへ行ったりしていた。ただ、現在の飯塚はその頃と比較にならないほど厳しい状態だ。そこで東京以西および海外の事業を増やそうと。逆に言えば、外に出て行かなければいけない前提のなか、「ではどの事業で競争力を発揮出来るのか」ということで、この10年間、最も力を入れてきた事業のひとつが医療になる。また、リーマンショック後は投資を中心として不動産や起業の買い受けも行ってきた。(03:21)

間下直晃氏(以下、敬称略):起業は1998年。二十歳のときだ。当時はウェブシステムや携帯アプリケーションの開発ということでスタートしている。そこに転機が訪れたのはアメリカでオフィスを開いた2003年になる。日本で色々な携帯に搭載していたアプリを、携帯アプリが遅れているアメリカに持っていきたいと考えた。それでなんだか分からないけれどもとにかく会社をアメリカにつくってしまった。(05:11)

ただ、開設したのは良いが「どうマネージするの?」と。で、電話やメールでは埒が明かないので、他のコミュニケーション手段としてテレビ会議システム等の導入を検討した。しかし我々もまだ小規模だったし、当時はそうしたシステムが500万〜1000万もしたために買えなかった。そこで、「仕方がないから自分たちでつくろう」という話になったのが、現在の事業をはじめたきっかけになる。(05:57)

そうなると使うのが僕たちだから次々に我儘を言うし、つくるのは社内の人だからその我儘を聞くしかなくなる。それでどんどん進化させていくうち、「これは世の中にニーズがあるよね?」と考え、それで2004年に一般のお客様へ提供をはじめた。今はそこに特化している。ただ、500万〜1000万のシステムとなると買い手も限られる。そのため当時で言うところのASP…、最近はSaaSやクラウド等、呼び名も変わってきたが、つまり我々のところにあるものを月々幾らで安く簡単に使って貰う形にした。(06:22)

この10年で人々の考え方は大きく変わってきた。当時の企業は「危険で使えない」と考えていた訳だ。そもそもブイキューブが信用されていなかったし、インターネット上のどこに置いてあるかも分からないようなものは使えないと。だから自分たちで買うというのが10年前だ。それがリーマンショックを契機にして、持つ時代から借りる時代に変わっていった。さらに今はインターネットがこれだけ普及して回線の質も良くなった一方、誰もがスマホを持ち、タブレットもそこら中にある。それらを使って世界のどこにでもアクセス出来るようになり、それで今はメガバンクさんですら我々のサービスを使うようになってきた。そんな風にして考え方が劇的に変わってきたなかで我々はインフラづくりを目指している。皆さんが日々の生活や仕事で当たり前に使えるような環境をつくろうということで今は取り組んでいる。(07:01)

それともうひとつ。私のなかで大きく変わってきたのがグローバリゼーションの考え方だ。10年前によく分からずアメリカで会社をつくったのは失敗だった。この10年間で海外事業がきちんと出来ていたかというと、正直、出来ていない。ただ、2009年前後から日本企業の考え方も我々の事業モデルも変わり、今後はアジアが伸びると考えてアジア展開をはじめた。マレーシアからスタートし、そこを中心に今後伸びるはずである東南アジアと中国にもインフラを広げていきたいと。また、日本企業も国外へ打って出るはずだから、そのサポートも重要になるだろうと考えた。(08:05)

ただ、それでもなかなか上手くいかない。それで痺れを切らせ、今年1月からは私自身がシンガポールに移って自ら押している。面白いのはそれで現地にいる人たちの反応が変わる点だ。創業CEOが来て進める訳だから現地の人に本気だと思って貰える。また、東南アジアではファミリービジネスが大勢を占めており若い創業者がまだまだ珍しがられることも多い。今はそんな環境を上手く使いながらアジアでなんとかインフラを広げていきたいと考えている。(08:49)

「マクロ的には経済が困難な局面はあったが、事業にマイナス影響はなかった。動き方次第だ」(守安)

守安功氏(以下、敬称略):参加者リストに起業家と書かれていたが、実は僕が起業した訳ではない。DeNAには1999年、当社初のサービスがはじまる少し前に9人目の社員として参加した。で、DeNAは当初、ビッダーズというPCのネットオークションとショッピングモール事業を展開していた。それで最初の3〜4年は大赤字だったが、その後2004年から今で言うガラケーのサービスに事業を振った。モバイルオークション、広告ネットワーク、ゲーム&コミュニティ「モバゲー」というとことで、2004年以降は急速に成長していった。2009年にはソーシャルゲームということで「怪盗ロワイヤル」も出し、さらに成長している。そんな風に事業領域を変えながら成長してきた。(09:49)

特に経済との関連を含めて過去10年を振り返ると、経済トピックで言えば2006年にライブドアショック、2008年にリーマンショックがあった。ただ、そのタイミングで自社の状況を振り返ると、実はライブドアショックが起きた2006年1月の翌2月にモバゲーを立ちあげている。株式市場を含め金融界には色々と混乱していたと思うが、実態として我々の事業にはそれほど影響がなかったと感じる。(11:36)

リーマンショックの時期も同様だ。2009年からもさらに成長した。それで「積極的に投資しよう」と、特にテレビCMを打っていった。このときは、実は他社さん、特にナショナルクライアントさんが軒並み広告を抑えたためにその単価が一気に下がった時期になる。従って通常よりも少ない投資で効果を引き出すことが出来た。(12:24)

そんな訳で経済全体を見ると危機もあったが、それが我々の事業にマイナスの影響を及ぼしたことはほとんどなかった。危機のなかでも動き方次第でプラスに転換出来たと思う。従って、景気次第で「投資を止めよう」「投資をしよう」という風に、マクロ経済の動向と企業活動を直接的に結びつけるのはあまり良くないかなと思う。(12:52)

今野:今後10年に向けてはどのような展望や課題認識をお持ちだろうか(13:33)

麻生:経済の10年は政治の10年に比べて若干想像しやすいと思う。特に日本ではマーケットが縮小し、一方で社会保障費等は確実に上がっていく。そして法人税減税も行われると思うが、基本的には国民や企業の税負担が…、厳しい言い方をすると「生産しない世代」に対して使われることになるのだと思う。(13:54)

その意味で僕の地元は先進地域だ。生活保護の受給者が多く、高齢者の比率が大変高く、状況は断トツで悪い。そうした状況下にあって僕らが企業として意識する点は二つ。まずは会社として収益性等、いわゆる普通の会社が気にするようなことを我々も気にしている。そしてもうひとつは企業になる前から事業を行っていた地元に対し、きちんと雇用をつくり出していくという点だ。(14:35)

で、その地元というのは筑豊というエリアになるが、雇用に関して言えば筑豊の人間が筑豊で働く場所を見つけるのは難しい一方、企業として必ずしも筑豊に働く場所でつくる必要はないと思う。それは大阪や東京かもしれないし、ロンドンやシンガポールかもしれないが、とにかく「厳しいチャレンジを求められる環境に生まれちゃったのだから仕方がないんだ」と。転勤もあるだろう。実際、僕が社員の人たちに転勤をお願いしたことが原因で子供が登校拒否になってしまったケースもある。ただ、やはりそれでもやっていくしかないし、避けて通ることは出来なかった訳だ。(16:08)

とにかく責任者として僕がやることは、ガッツで乗り越えたらきちんと収益を得ることが出来るような企業や病院あるいは事業に駒を置いていくこと。適正な値段で自分たちのグループに入って貰う。あとは筑豊や福岡や九州あるいは西日本の人間がそこに着任し、慣れないところでもきちんと金を稼いで家族を食わせていく。僕は現在の日本が置かれている環境というのは、基本的には狭い地域の拡大だと思っている。その意味でも日本人は外へ出て行くガッツを持つべきだと思う。(16:58)

一方、企業の取り組みとしては一昨年ぐらいから英語に力を入れている。従業員は今年4月時点で8910人ほどだが、そのうち7割ぐらいは希望すれば無料で英語教室に行くことが出来るようにした。現在は地域3カ所ぐらいで週に何コマか、就業前と就業前に実施している。(17:44)

考え方としてはこうだ。昨今はブラック企業という言葉もあるが、僕としては個人が国際的競争力を身に付けるべきだと思う。そしてそれを、家族を養うお金に変える力としていく。そういう部分で貪欲に稼ぐ国となって欲しい。日本語しか出来なければ日本全体が地盤沈下したときにどうなるか。たとえば医者として最高の医療サービスを提供出来るよう20〜30年努力し、その結果として素晴らしい技術を得たとしても日本語しか出来なければ日本語を喋る人間しか診ることが出来ない。そうなるとその人が培った医療サービスは、仮に診療報酬を下げられたら国に値切られることとなる。(18:13)

そんな風にしてブラック企業ならぬブラックカントリーに日本がなってしまったら、搾取される。僕も慈善家ではない。診療報酬が下がれば、言葉は悪いが働いてくれる人たちを搾取することが義務となるポジションに僕はいる。当然、それがフェアだとも思わない。だからこそ、せめて隠れたチャンスとして、いざというときに英語を喋ることが出来るのなら「じゃあ、俺はシンガポール人を診る」と言えるようになって欲しい。(19:14)

「世知辛いアービトラージがグローバリゼーション。そうした中、食い詰めて世界に出た先人に範を見ている」(麻生)

今野:地方スタートの企業ではあるが、地域や場所を選ばず外に出ると。(19:55)

麻生:一昨年の売上高は1450億前後で今年3月期は1610億前後だった。来期は1900億前後になると思うが、売上高が伸びは基本的には医療部門によるものだ。医療自体は放っておいてもマーケットが広がってくれるから。ただ、僕自身は団塊世代がピークアウトする奇禍は見えている。僕たちは入っているのは施設を持つタイプの市場だが、病院というのは20年間でペイするようなビジネスではない。従って医療は今後投資していく事業分野として…、しばらくは慣性の法則でマーケットも広がると思うが、必ずしもバラ色のままという訳でもないと思う。そうした状況ということもあり、今は海外への投資を比較的増やしている。(20:07)

今野:地方代表というお立場で見て地域ビジネスの課題は何だとお考えか。(21:13)

麻生:本当に世知辛い。幼稚園の同級生だった友達の親御さん達は皆かつて商売していたが、そうした家業はだいたい閉じられている。飲食店、本屋、電気屋、スーパー等々やっていたのだが、コンビニやジャスコがやって来てからなくなってしまった。次から次へと飯塚という田舎町を大資本が襲ってくる訳だ。ゴールドマン・サックス証券が地銀や第二地銀にえぐい商品を売りに来るようなもので(会場笑)。「こんなところまで来るなよ」と(笑)。そんな世知辛いアービトラージがグローバリゼーションなのだと思う。競争弱者がいるところに山を越えてやって来る。そのなかでいかにして生き残っていくかが地域に求められていると思う。(21:37)

僕は100年ほど前に広島や熊本からアルゼンチン等へ出て行った世代が大好きだ。食い詰めて外に出るガッツがあるような人を尊敬している。同様に筑豊の人たちもシンガポールや東京に出てばりばり活躍するような環境をつくるべきだし、日本国自体がそうなるべきだと思う。(22:53)

今野:間下さんは現在シンガポールにお住まいだ。行ってみて感じたグローバリゼーションのあり方や外から見た日本といった視点も含めて展望を伺いたい。(23:28)

間下:よく聞かれるのでお話ししておきたいが、シンガポールに移った理由は税金ではない。長期的メリットは出るかもしれないが個人的には所得税が若干下がっても家賃が上がるからあまり変わらない。シンガポールへ移った理由はグローバル化するうえで最大の障害は本社だと考えたためだ。日本本社がグローバル化しない。(23:45)

幸い日本のマーケットは伸びているので僕らは縮小するマーケットから逃げるのでなく、それをさらに広げていこうという考え方をしている。ただ、そうであっても日本の本社は結局国内を見る。担当者が海外へ行って現地で展開すれば日本では想像出来ないことや日本とは違うことが起きる訳で、それを本社に持っていって「ああして欲しい、こうして欲しい」と言う。しかしそこで、「案件の規模はこんなに小さいの? じゃあ後回し」となってしまう。国内シェアNo.1でも現地に行けば非常に小さい会社で、新規立ち上げと一緒だ。従って儲かるかどうかに関係なくやらなければいけないことは多い。現地にプライオリティを置かない限り絶対に成功しないと思う。(24:17)

これまで数多くのIT企業が海外へ出て行った。法人系でサービスを展開している企業もたくさんある。ただ、皆なかなか上手くいかない。本社の力が入らないからだ。我々のほうも未だに本社から来る情報は限られているし、当然日本語が中心になっていて上手くいかない。(25:12)

そんな状態をどうしたら打破出来るかと考えた結果、自分で行くしかないと考えた。僕の仕事は向こうから我侭を言うこと。強権発動だ。創業者だしマジョリティを持っているから押す力はある。だから現地に住んで現地の感覚で状況を判断し、無理矢理やって貰う。目先では儲からないかもしれないが将来は大きな可能性があるから。そうしないと変わらないと思い、それで移ったというのが実態だ。(25:38)

そうすると、面白いことに本社側も少しずつ変わってくる。まだまだではあるけれど、たとえば英語に関しては“闇練”をする人が増えはじめた。本セッションは我々の仕組みを使ってライブ配信しているのでうちの社員も見ていると思うが、まだ“闇練”していない人は多分ヤバいと思う。カメラに向かって言っておくが(会場笑)。(26:21)

日本のハンディはそこにある。ただ、逆に言えば今は英語が多少出来るだけでまだアドバンテージがある。海外に出ている社長やCEOで英語をきちんと喋ることの出来る人はあまりいないようだ。向こうへ行ったとき、「お前は日本人なのに英語を喋るのか?」という話になり、それだけで扱いが変わる。そもそも東南アジアでは日本の評価が高く、日本と何かしたいと考える人は多い。中国や韓国とは最近色々と難しいこともあるので日本色は隠しているが、東南アジアに関してはそういう接点を上手くつくってあげたら向こうから乗ってきてくれる。連携の素地は出来てきていると思う。(26:45)

これからの10年という話だが、先日、ある本を買った。シンガポール.Incの創業者兼オーナー経営者とも言うべきリー・ククアンユーさんの著書だ。その本に日本のことを書いた一節がある。彼は大変親日的で日本を評価し、期待もしてきた人だ。しかしこの本では最終的に諦めると書いている。‘If I were a young Japanese and I could speak English, I would probably choose to emigrate.’ 「出ていったほうが良い」と。これは二つの捉え方があると思う。諦めて出て行くと受け取ることも出来るし、「一度出て世の中のダイバーシティを学んで来い」と受け取ることも可能だと思う。(27:32)

我々はシンガポールとマレーシア、そしてインドネシアに行って体当たりで色々やっているが、人種はぐちゃぐちゃ、常識もばらばら。イスラム圏も重なるからその文化も入ったりしてなかなか面白い。先般、シンガポールオフィスでイスラム系の人を一人雇ったときは最初に「電子レンジをもう一台買ってくれ」と言われた。ほぼ新品のレンジが1台あるのだが、「誰かが豚をチンしたかもしれない」と。豚をチンしたレンジはもう使用NG。それを用意するだけで彼らは満足する。配慮してくれているからだ。(28:50)

そうした無数の違いを理解したうえでどう進めていくのか。リー・クアンユーは著書でまた、「人口が減少する日本は移民政策をとらない限り無理だ」と言い切っている。本当にそちらの方向へ行くかどうかは分からないが、少なくとも僕らは日本の経済圏だけでなくアジアのグローバル経済圏でものを考えないと先は厳しいと感じる。(29:51)

そうなると均質で皆が同じ常識を持ち、同じ制度で出来ていた今までの日本と違う発想を持つ必要がある。それを学ぶためにも、やはり若いうちに外へ出る価値はあると思う。私も今はいつ日本に戻るかまったく考えていないし、大変良い経験になっていると思う。今はどこでも仕事が出来る環境が準備されてきた。他社のものを使っている方はブイキューブに切り替えていただいたほうが良いと思うが(会場笑)、たとえば私はシンガポールの部屋と日本の部屋を常時接続している。その状態で日本の部屋に入ると、僕がシンガポールにいるときは画面越しに僕が座っていることになり、その場で喋ることも出来る。こんな些細なことだけでもだいぶ変えていくことが出来る。そういったものを使ってどんどん外へ出て行く環境になればいいなと思う。(30:24)

今野:我々は普段Gmailやフェイスブックといった横文字系のソフトウェアばかり使っている。今後、その辺で勝つために必要なことは何かも伺っておきたい。(31:27)

間下:僕らもまだ出来ている訳ではないし、つらいことに日本市場での競合はシスコさん等ビッグネームばかりだ。ただ、それでも彼らより大きなシェアを持っているのは日本文化やコミュニケーション文化に合わせきったからだと思う。これは東南アジアでも中国でも同じ。これはアメリカの良くも悪くも、そして強くも弱くもある面だが、彼らは世界にアメリカ式で一気に広げようと考える。日本はそこで細かく合わせる器用さを持っていると思う。その辺で国ごとにしっかりと理解し、アジャストしていくことが出来たら勝つチャンスは十分あると思う。(31:52)

まったく同じ土俵であればアメリカ資本には勝てない。僕らがアメリカへ行くのを止めたのは、売上で僕らの1/10しかない競合が100億を調達出来てしまうからだ。そうした競合のいる市場でガチンコ勝負をしても勝てないから、彼らが戦いにくい市場に行く。今、僕らは英語圏以外の市場でやろうとしている。日本と中国そしてタイが“3大英語を喋れない国”だったりするが、アメリカの競合にとってやりにくいそうした国々で、かつその国の文化に合わせてやっていくことが鍵になると思う。(32:45)

※後編は11月13日に掲載の予定。

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