「高度成長期は“正解”があることを前提とする情報処理力偏重教育でも良かった」
藤原和博氏(以下、敬称略):皆さん、僕の顔を見みると…、分かりますよね? 「教育界のさだまさし」ということで有名だ。実は、さだまさしさんとは27歳でリクルートの広報課長をやっていたときに初めてお会いしている。帝国ホテルで宣伝課長とお茶を飲んでいると、すぐ近くで彼がお茶を飲んでいた。そこで、「リクルートのさだまさし」として不動の地位を得ていた当時の僕は(会場笑)、面白いと思って声を掛けてみた。(2:22)
すると彼のほうが驚いた。彼には弟もいるが、あまり似ていらっしゃらない。で、弟よりも似ている他人が目の前に現れたものだから、「貴方誰ですか?」と。逆に15分ぐらいインタビューをされたあと、「藤原さん、これは何かある。今から親父のところへ行ってたしかめたいから付き合ってくれ」と言われた(会場笑)。それで、仕事中だったにも関わらずさだ企画というところに連れ込まれた。そこに社長であるお父さんもいらして、そして全員から指をさされて笑われたという(会場笑)、そんな事件があった。(3:16)
で、彼とはそれから兄弟同然の付き合いをするようになったが、5年ほど経ったあるとき、「明日NHKホールでコンサートがあるから来ない?」と言う電話があった。それで「母も連れていっていいかな?」と訊くと、「どうぞどうぞ」と言う。そうしたら当日は彼のお母さんも来ていて、そこで真相が分かった。単に母親同士が似ていたからだったという(会場笑)、無難な路線に落ち着いた。(3:45)
僕はその後32で結婚したが、私の結婚式では…、まあ友人に歌手がいたら2〜3曲歌って貰うのが普通だと思けれど、彼がギターを弾いて私が歌ったという(会場笑)。ちなみに今こんな馬鹿な話をしているが、これは皆さんを“つかむ”ためだ。のちほど皆さんにもその練習をして貰うので、そのときにこれが何だったか分かると思う。(4:21)
さて、僕の本を読んだことのある人は図をイメージ出来ると思うが、まずは情報編集力のお話をしたい。世の中は今、左(情報処理力)から右(情報編集力)へ振れている。情報処理力だけでは勝負出来ない時代になった。イノベーションを起こすため、あるいは人生の大事な局面でクリエイティブな判断をするためにはどうすべきか。会場には子育て中の方も多いと思うが、自身の子育てもクリエイティブにしたいという人はたくさんいると思う。しかし、情報処理力つまり正解主義で子育てをしてしまうと子どもが行き詰ってしまう。そうでなく、頭を情報編集力の側に振らなければいけない。(5:36)
たとえば会社員であれば、仕事そのものは情報処理的な側面が強いと思う。5〜6割、下手をすると9割が情報処理的な仕事という人もいるだろう。従って重心がそちらにかかってしまうと思うが、頭だけは情報編集力サイドに振ること。そうした構図を頭に入れれば、イノベーションを起こすための、アイディアを豊かにするための、あるいは自分の部下やお子さんをもっと活性化するための知恵が見えてくる。今日はそのための方法をいくつか示したい。(6:33)
ただ、日本をもっと活性化するためには正解主義のままである現在の義務教育をなんとかしないといけない。それをしないまま企業等で今日のような研修をいくら行っても、職場に戻れば結局は頭が情報処理のほうに戻ってしまう。今、幼児から大学生ぐらいまでの子どもがいる方は手を挙げてください。(会場多数挙手)…多いですね。その人たちにとってはお子さんの教育問題にも直接関わる。従って、今日はまず義務教育をどうしたら良いかという話をして、その次に皆さんがどういった練習をすれば良いかという話をしよう。で、そのあと、日本人の人生観をどうやって変えていくかというお話をしたい。そこが変わらないと、「日本全体をもっとイノベーティブに、もっとアイディアフルに」という改革を成し遂げることは出来ない。(10:08)
さて、20世紀の高度成長期は1997年に終わった。日本の高度成長がピークアウトした1997年には山一證券が、その翌年には北海道拓殖銀行が倒産した。日本の企業がもはや一個人の人生をすべて支えることは出来ないということがばれた訳だ。そのあと15年かけて、今後は国が皆さん一人ひとりの人生を支えきれないということもばれた。自分の人生は自分で防衛しなければいけないと、皆が知った訳だ。つまり成長社会から成熟社会へ。日本では1998年から15年間、成熟社会が続いている。今後15年ほどでその成熟はさらに深まるだろう。国家が後ろに引いて個人が前へ出てくるという、ヨーロッパのような世の中になると僕は確信している。(11:06)
成長社会では皆一緒という感覚が強く、幸せの定義もだいたい同じだった。「これぐらいの大学に入って、これぐらいの会社に入って、課長になると年収はこれぐらいで、退職金はこれぐらい」と。それで郊外に家を買い、そこに孫が訪ねてくる訳だ。そして朝の散歩が少ししんどくなってくると、そのあとは10年ほど盆栽をしていれば死ぬことが出来る。そんな、いわゆる一般解としての幸せが成長社会にはあった。(11:45)
この時代には同じ正解が多かった。1+2は3で、2×3は6。たとえば5人の前でひとつの事象が起きたとき、だいたいにおいて5人とも「これはこういうことですね」と、同じものを見ていた。そうした時代には正解があるのだから、それを当てれば良かった訳だ。だから戦後日本の教育は一貫して正解主義だった。正解を徹底的に覚えさせる詰め込み教育。正解の出し方を反復させるという、情報処理力偏重の教育が行われていた。情報処理力とは正解がある前提で、早く正確にその正解を当てる力だ。(12:31)
「これからの時代は納得解をどれほど導けるかが勝負になる」
それが成熟社会に入るとどうなるか。皆さんが今味わっている通り、正解がひとつなんていうことはない。ビジネスの局面でも「1+2は3で決まり」なんていうことはほとんどない。そうした時代には状況に合わせながら、自分の知識、技術、経験のすべてを組み合わせて最適解を見出さなければならない。組み合わせるから編集という言葉を使う。自分自身の力だけでなく人の知識、技術、経験も手繰り寄せることの出来る人、すなわち繋げて考えることの出来る人が勝つ。(13:00)
そうした時代における最適解は何か。自分が納得し、かつ関わる他者を納得させることの出来る解だ。自分が納得しているだけでは自己中になるので、関わる他者も納得させる必要がある。それは正解でなく納得解。これがキーワードだ。これからの時代は納得解をどれほど導けるかが勝負になる。(13:28)
こうした納得解を導く力が情報編集力だ。まずは言ってみたりやってみたりしてからどんどん修正していけばいい。そのうえで人々を巻き込みながら、参加させながら、最後に納得させていけば良い。その意味で修正主義という言葉も僕は使っている。「一発で当てよう」という正解主義でなく、まずはやってみて修正する。(14:00)
では修正主義における脳の使い方を少し練習してみよう。私がいつもやっているのは、「タイヤメーカーの社長になる」というものだ。今、皆さんはタイヤメーカーの社長です。どんなものでも良いから、今まで世の中に存在しなかったタイヤを発想して欲しい。(14:30)
気をつけて欲しいことはふたつ。まず今から3人ほどでブレストして貰うが、人が出したルールを絶対に潰さない。「いいね、いいね」という感じでやって貰う。ブレインストーミング=「脳の嵐」。脳の底に沈殿した知識、技術、経験のかけらを徹底的に浮き上がらせる必要がある。で、そのためにはアクセルを一気に踏み込まないと発想が出てこない。ただ、皆さんの頭は普段どうしても正解主義のほうに寄っている訳だ。従って、まずはそれを壊すためにも最初の1〜2周は絶対にまともなことを言わないこと。(15:35)
皆さんが会社でブレストをするときは、特に堅い会社ではこのルールが守られていない。だいたいにおいて課長か最初に何かまともな案を出してしまう。しかし、そうするとそこにいる全員の頭が正解主義に寄ってしまう。それでは意味がない。まずは2回ほど“遠投”して欲しい。馬鹿な案を出す。「食べられるタイヤ」とか、そういう馬鹿な案を出し合って、笑い合って、そこから回していこう。まともな案が出たらサドンデス。その時点で相手を変えたほうが良い。3人1組ほどで1分半練習してみよう。(16:13)
(一分後)はい。ではブレストで出た案のうちひとつだけ頭に残して欲しい。自分の案でも良いし、人の案で「良いな」と感じたものでも良い。で、僕が「どうぞ」と言ったらそれを大きな声で口に出す。とにかく全員、周囲の人を絶対に気にせず発表する。何故ならここで僕が「分かる人は?」という風に募ると、日本人はまた頭を正解主義のほうに戻してしまうからだ。すると、正解が浮かばない限りと答えないという結果になる。正解とはどういうものか。それを言った途端に皆が拍手をするようなアイディアだ。(18:02)
こうなるのは日本だけ。僕はロンドン大学ビジネススクールで教えていたこともあるが、あちらでは、「食べられるタイヤ」、「四角いタイヤ」等々、本当にたくさんアイディアが出てくる。IBMで働く現役ばりばりのマネージャーがまずそういうことを言って、それで皆がうけて、それで自分もラクになる訳だ。そのうえで人の意見も聞きながら修正をかけていく。日本人の態度で一番まずいのは一発で当てようとすること。それを解除するために全員で一気に言って貰いたい。(18:51)
では、今まで世の中になかったタイヤを聞かせてください。どうぞ(会場が一斉に回答)。…ということだ(会場笑)。これで情報編集力の使い方は分かったと思う。正解主義から修正主義へ振るときは、かなり思い切った馬鹿な発想をしないといけないことが分かって貰えたと思う。今のようなブレストは、脳化学的に言えば自分の脳を拡張するということになる。自分の脳だけでは処理出来ないからこれを拡張し、他者の知識、技術、経験を手繰り寄せたうえで繋げて考える。だから情報編集力を「つなげる力」とも呼んでいる。(19:41)
本来であれば次に皆さんが会社でどんな練習をしたら良いかという話をしたいが、とにかくその前に正解主義モードを壊していかないと日本そのものに“次”がなくなってしまう。もう15年前から正解がひとつではないモードに入っているのに、ほとんどの日本人が正解主義モードで止まっている。「もっとたしかなものが出てくる筈だ」と。もうそんな世の中ではない。成熟社会とはもっと多様で複雑で変化の激しい社会だ。皆一緒という状態がばらばらになっていく社会において、「これが正解だ」といった強烈なモデルは出てこない。それを求め過ぎると、言ってしまえば極端な右翼というような、ファシズムのようなものが出てきてしまう。(20:51)
それが嫌なら、一人ひとりが「つなげる力」を持って強くならないといけない。で、そのために不可欠となるのが、教育界に存在する「正解主義」「前例主義」「事なかれ主義」を壊す作業だ。全面的に壊す必要はない。小学校で1割、中学で2〜3割、高校で5割ぐらい崩すことが出来たら良いと思う。本来であれば大学は100%情報編集力の授業をやって欲しいが、とにかく一部、ゲリラ戦で壊していけばいい。(21:25)
そこで僕が今何をやっているか。目の前に100マス×100マスのオセロ版があると考えて欲しい。というのも、日本には中学校区というものがおよそ1万区ある。で、だいたいそこに小学校が2区ずつぶら下がるから、小学校区が2万。合わせて3万区ある訳だ。ただ、それが100マス×100マスの盤面にたとえるとほとんど黒だった。(21:58)
その状況で僕は盤面の真ん中をひっくり返した。杉並区立和田中学校(以下、和田中)で、開かれた学校というものをやってみせた訳だ。僕はまず校長室を開き、生徒はいつでも入ってくることが出来るようにした。ただ、その程度では入ってこないから、漫画を300冊ほど置いてみたりした。また、パソコンが壊れたらそれを徹底的に分解させるということもやった。子どもはつくることよりも壊すことのほうが好きだからだ。(22:21)
この辺については著書「つなげる力—和田中の1000日」」(文藝春秋)を読んでいただければ分かるので詳しく話さないが、そうやって和田中を開いてみせた。で、そこに放送局も入れて報道させ、「校長が変わればこういう学校をつくることが出来るんだ」というキャンペーンも貼った訳だ。(22:43)
ただ、周りがそれを真似して変わったかというと、変わらなかった。民間企業であれば…、もし僕が日産営業所に勤務する社員で、そして隣にあるトヨタ営業所が何か良い方向に突っ走っていたらどうするか。なんとしてでも真似をして、キャッチアップしたうえでオリジナルのものをやろうとする。ところが他校の校長先生たちはそれをしなかった。日本の校長は人事権も予算権も持っていない代わりに教育課程の編成権を持っていて、この権限が非常に強い。目の前の子どもにどんなカリキュラムで教えるかを最終的に決定する権限を校長が持っており、それを教育委員会が承認する仕組みだ。(23:20)
「僕がやったことなんて企業であれば2年ほどでキャッチアップされて優位性も崩れていたと思うが、和田中は10年経っても突出したまま」
これは、「やろう」と決めたらなんでも出来るが、「やらない」と決める自由も持っているということだ。和田中がどれほど突っ走って、たとえば夜スペをやったとしても、隣の学校では「俺の退任まで絶対にやらないでくれ」という話が通用してしまう。僕がやったことなんて企業であれば2年ほどでキャッチアップされて優位性も崩れていたと思うが、和田中は10年経っても突出したまま。現在、和田中は杉並で最も学力が高く、かつ最も大きな学校になった。一昨年あたりからは入学も抽選になるほど突出している。(23:59)
これをキャッチアップさせるためには、オセロの盤面であれば四隅を取りにいく必要がある。そのひとつが学校支援地域本部というマネジメント方法だ。保護者だけでなく地域にいるすべての人を教育的人材と考え、団塊世代、大学生、あるいはおじいちゃんおばあちゃんに参加して貰う。で、学校地域支援本部に図書館運営や芝生の管理も任せてしまう。言わば半官半民に近い。公立学校だけれども地域社会の人々と共同経営する学校という形にした訳だ。これに関しては自民党政権下、伊吹(文明)文部科学大臣のときに50億円の予算が取られた。で、今はこの方式が全国3300箇所ほどに広がっていて、「今後、5000〜6000箇所に増えるのでは?」と言われている。(25:02)
で、盤面四隅の次のひとつが「よのなか科」。今、僕は月に1度、乃木坂46というアイドルグループを相手に「よのなか科」の授業を行っている。乃木坂46っていうのは、AKB48と対抗していて、知的アイドルを目指しているグループです。彼女たちを相手に、今朝の朝日新聞でも半面記事になったが、たとえば「ハンバーガー店の店長になってみよう」という回では「お店をどこに出店すべきか」といった授業をする訳だ。「よのなか科」というのは、そんな風にして世の中と学校を橋渡しする教科。これも広めていきたい。今、「よのなか科」のマスターティーチャーは日本に200人ほどいるが、今後さらに増やしていきたい。(26:59)
次の隅は大阪だ。和田中でやった改革を今は大阪で面展開している。なかでも一番強烈なのが民間校長というものだ。僕としては全国で3万校のうち、およそ1割の3000校で民間校長を採用したら良いと思う。ここにいらっしゃる方々を含めて民間校長というものを3〜5年経験し、そのあとビジネスや大学に戻って新しい事業等をやったりしたら良いと思う。ある時期民間校長になるということが、優秀なビジネスマンにとって当たり前のキャリア選択になって欲しい。(27:38)
特に小中高生と向き合うことが出来るほどエネルギーレベルの最も高い時期に3〜5年、自分研修としてやって欲しいと思う。校長は人事権と予算権を持っておらず、しかも教員のほぼ9割は「偉くなりたくない」という人たち。そういう人たちを従えてどのようにマネジメントするか。これは究極のリーダーシップ研修だ。そのあとどのようなキャリアを選ぶにしても、公立学校の校長を3〜5年しっかり務めた人であれば、「相当しっかりした人だな」という感じになると思う。(28:29)
そして四隅の最後が公設民営校。今年から2〜3年かけてやるつもりだ。今は各地で検討されていて、たとえば2年後には武雄市で大変インパクトのある公設民営校を開設する予定だ。あるいは、大阪の公立学校を私塾の塾頭が経営するといった話でも良い。そういうことが今後はどんどん起きると思う。これも、「正解主義」、「前例主義」、「ことなかれ主義」を崩し、学校を開いていく手段になるのではないか。(29:15)
ほかにもある。たとえば起業して大成功し、IPOでお金をたくさん儲けたという人は会場にいるだろうか。それで数十〜数百億円を得たという人には、ぜひ公立学校に自分の名前がついた施設を残して欲しい。7億あれば体育館が出来る。自分が生まれ育った地域の小中学校でもいい。東大にだって安田講堂や福武ホールがある訳で、小中学校にも絶対出来る。30億円あればすべての校舎を建てることも出来る。3000万であれば図書館とコンピュータ室を一体化させたメディアセンターをつくるのも良い。(30:32)
私的財産の投与でも所得税は免除されないが、財務省に確認したところ、相続税はあとから免除して貰えるようだ。ぜひ、皆さんの私財を投入して全国で…、300万円ほどでトイレの改修というのも良いと思う。3万円でトイレのドアというのもいい。よく蹴破られるから。それを補修したうえで名前の入った金のプレートを入れていく。そんな風にして、私財がもっと公立学校に入る形にしたい。また、ビデオのオンデマンド教育も導入していきたい。ビデオで授業をする先生には教職免許が必要ない。ビデオは教材であって教科書ではないから、横に教員がついていれば塾の先生でもビジネスマンでもビデオで授業が出来る。その仕組みを利用して徹底的に崩してやろうと思う。(31:50)
こういったオセロゲームを、もう10年間やっている。あと5年ほどで四隅を崩し、一気に押し切りたい。そうすると盤面全体が白くなり、もっと開放された感じになる。それで「正解主義」「前例主義」「ことなかれ主義」を壊すことが出来たら、日本の子どもたちが持つマインドももう少し編集力側に寄るだろう。そのうえで社会に出てから先ほどのような練習をすれば、さらに強く情報編集力側へ寄ると思う。(32:26)
では次に進んで、ワークショップをします。ここでは情報編集力を高めるための「自分プレゼン術」というものを練習しよう。まずは隣にいる方と二人組みをつくってください。隣にいる人が「この2〜3日一緒にいる顔馴染み」という場合は、それ以外の人と組んで欲しい。本当は初対面の人が良い。初対面の相手に対しては普通であれば名刺を渡すと思うが、それはぐっと堪える。これは自分のキャラクターをプレゼンして、相手の意識を握る練習だ。まずは「キャッチフレーズ型」で相手を“つかむ”。初対面で相手の意識をつかめるか否かは大変重要だ。つかんだうえで二人の脳をリンク出来たら、そのあといきなり会社の説明をしても、あるいは自分の売り込みをしてもそれほど問題ない。しかし脳がリンクしていない状態でそれをやってしまうと、はっきり言って嫌われてしまう。(34:11)
なぜ最初に名刺を渡しちゃダメなのか。名刺を渡すと相手は情報を処理する。「あ、この会社のこの役職の人ね」と。そのようにして処理をされると、実は相手の記憶に残らない。従って、まずは頭のなかで情報を編集させる必要がある。「(頭のなかの)こことここにしまっておこう」、「あ、ここに(情報の)フックがかかった」というイメージだ。そのために名刺は渡さず、相手と自分をふっと近づけるための、あるいは脳と脳でブリッジがかけるためのプレゼンを行う。(34:56)
ひとつのアイディアとして、私のように大変便利な顔を持っている人はそれを“いじる”という方法がある。誰がどう見ても有名でかつ比較的イメージが良い人に似ている場合、それを少しいじれば冒頭のようにうける。これは有利だ。100人にひとりぐらいの確率でそういう人がいる。この会場だと2〜3人ぐらいか。また、自分の名前を使うという手もある。東京にひとりしかいないような苗字であれば、それを上手く、ちょっと面白おかしく説明出来ると相手はふっと和む。要は相手が自分を敵だと思わなければ良い。敵ではなく味方と思わせることが大事。それで相手が少し笑えば成功だ。(36:15)
で、他の人、要するに9割の人は顔も名前も使えないので不自由だ(会場笑)。不自由な人だからこそ頭を情報編集力のほうに切り替えないといけない。早速練習してみよう。なるべく知らない人同士で、名刺を出すのは堪えつつ、「はじめまして」ということで心を握る。相手が笑わせることに挑戦し、15秒ほどで勝負をつけて欲しい。失敗したと思ったら別の人を相手に再度挑戦していい。ただ、3回目はやめておこう。3回やってうけないと落ち込んでしまうから(会場笑)。30秒2回。では、スタート。(37:05)
(1分後)はい。さて、「相手のプレゼンがすごく印象的だった。今日はちょっと眠れそうもない」という人は(会場笑)いるだろうか(会場若干挙手)…、少しいますね。これは練習すれば上手くなる。ただ、ビジネスの局面でいきなり名刺を出さないというのも緊張してしまうと思う。従ってまずはビジネス以外の、たとえばお子さんがいる方は地元のコミュニティ等でやってみて欲しい。地元のコミュニティで名刺を出したら逆にアウトだ。名刺の社名が有名であればあるほど、貴方が偉ければ偉いほど嫌味になる。だからキャラで勝負して欲しい。それ以外の、たとえばあすか会議のような場でも、いきなり名刺を渡すのはぐっと堪えて、まず掴みをやってみて欲しい。(39:25)
それで話が弾んだら、別れ際に「じゃあちょっと連絡先を」と言って名刺を渡すのが一番格好良い。私の場合、講演が終わって会場を出るとたくさんの方が名刺を持って待っているという光景にいつも出くわす。これだけ言っているのに(会場笑)。いかに日本が名刺文化、つまり正解主義の情報処理文化に毒されているかということだ。それではクリエイティブな発想など生まれない。(40:01)
もうひとつ練習しよう。次は「キャッチフレーズ型」だ。今の組み合わせで良いから、脳を激しくつなげる訓練をして欲しい。まず、ふたりで役割分担をする。片方が質問する役、もう片方がそれに答える役だ。そこで何を質問するかだが、猛烈なまでに個人的なこと。酒を飲んでも聞けないようなことをどんどん聞いて貰いたい。「離婚経験ありますか?」だってOKだ(会場笑)。聞かれたほうは答えない権利も持っている。嫌なことには「パス」とでも言って答えなくてもいい。パスばかりしていても駄目だが。(40:48)
ここで大事なのは、相手との共通点をどれほど聞き出せるか。つまり共通点発見ゲームだ。ただ、「眼鏡をかけているな」程度では駄目。志が低過ぎる。野球好きという程度でもいけない。そこからさらに2レイヤーほど下がったところにある共通点が欲しい。引き出されたときに少し嬉しくなるような話というのがあると思う。同じ野球好きであっても同じ選手を応援していることが分かれば嬉しい訳で、その話題で15〜30分もつと思う。もしかしたら、本当に深く聞いていったら「小学校が一緒だった」なんていう話になるかもしれない。そうなったら感動だ。(41:33)
感動までいかなかったとしても、とにかくそれが引き出された瞬間に二人とも嬉しくなり、15分ぐらい話せるような話題を見つけて欲しい。そんな話題を今から2分でふたつ以上探ってみよう。短い時間なので質問される側もぼうっとせず、「こういう分野はどう?」という風に助けないといけない。でははじめよう。この2分は無礼講だ。(42:11)
(2分後)はい。ではまた聞いてみよう。「ちょっと嬉しくなってしまうような共通点がひとつ以上あった」という人はどれほどいただろうか(会場挙手)。「ふたつ以上あった」という人は?(会場挙手)。三つ以上はどうだろう(会場挙手)。…いい感じだ。これはあまり疲れないから、職場で試すときは20分ほど続けてみても良いと思う。(42:40)
「絆という感覚は相手と自分とのあいだに共通点が発見されたとき、はじめて芽生えるものだ」
これを続けていくと、共通点が三つから四つ、四つから五つという風に増える。で、五つ目か六つ目になると「もう結婚しても良い」という感じになる(会場笑)。共通点というのはそういうものだ。職場では普段、こういう会話がほとんど交わされない。個人的なことが聞きにくいからだ。セルフエスティームというか自尊感情が低い今の若い子は傷つくのを嫌がる。で、人を傷つけたくないから、万が一にもリスクがあるような突っ込んだ個人的質問をしない。だからこそテレビ番組がどうとか、どうでもいい会話に終始してしまう。しかし、それでは結びつく訳がない。絆という感覚は相手と自分とのあいだに共通点が発見されたとき、はじめて芽生えるものだ。そして仕事を一緒に行って、苦労を共にすればそれがさらに絆が固くなる。(43:55)
ただ、皆さんは今、知らず知らずのうち、「好き」「興味がある」といったポジティブな方向でばかり質問していたと思う。しかし本当はマイナスモードで聞くのも重要だ。たとえば「どんな病気にかかったことがあるか」「どういった挫折を経験したのか」といった方向で共通点が見つかると、絆はさらに深くなる。(44:17)
職場でもこれを繰り返すだけで、いわゆるリンクが深まっていく。人間同士のリンクだ。やればやるほどチームビルディングにつながることもイメージ出来るだろう。そうして脳が繋がりやすくなった職場というのは、「アイディアが出やすい職場」「イノベーションが起こりやすい職場」と同じだ。リクルートが何故あれほどイノベーティブかというと、脳と脳を繋がりやすくしている、あるいはそういう人間を集めているという面がある。という訳で、ぜひ今ご紹介したふたつの知恵を使って脳がつながりやすい職場づくりをイメージして欲しい。そうすれば情報編集力が職場全体で高まる。(45:15)
もうひとつ。皆さんは会社員であってもなんとなく…、「組織内自営業者」と僕は呼んでいるが、会社組織内で自営しているという感覚の強い人が多いと思う。また、「そんな人間になりたい」、あるいは職場を舞台にして「徹底的に自分の人生を生きよう」と考える人が、恐らくグロービスで勉強する人には多いだろう。その場合、自分のポジショニングとベクトルをきちんと分かっているか否かが、特に35歳を超えると大事だ。(45:56)
何故なら会社は皆さんが35歳から45歳のうち、皆さんの“棚卸”を終えるからだ。皆さんに何が出来て何が出来ないかを見極め、そのうえで最終的にどこまで任せるかをほぼ決めている。従って棚卸をされる前に自身のポジションを見極め、ベクトルをはっきりさせる必要がある。「あれも欲しい。これも欲しい」では駄目。20代のうちは「お金も権力も欲しいし、研修も留学もさせて欲しい」でいい。ただ、35歳から45歳のあいだに自分で絞っていかないといけない。「これとこれは必要ないけれど、これだけは絶対に譲れない」と。そこで何を切ることが出来るか、皆さんは問われている。(46:55)
ここで皆さんに書いて貰いたいのが「報酬マトリクス」だ。8月頃に東洋経済新報社から大変インパクトのあるビジネス書を出す予定だが、その本もこの話がベースになっている。これはグロービスやマッキンゼーでもよく使われる2×2マトリックスだが、ここでは右に経済的価値、左に経済以外の価値を置いた。右に寄れば寄るほど、給料やボーナスあるいはストックオプションが欲しいという態度だ。お金の価値が非常に大きい。で、左側は、「お金よりも名誉が欲しい」、「仲間と楽しく出来たらいい」、「お金云々よりも京都に留まりたい」、あるいは「家族の時間以上に大事なものはない」といった態度になる。そういう経済以外の価値は左に書いて欲しい。(48:03)
次に上下の軸を見てみよう。上は権力志向で、下は「プロ志向」。上にいけばいくほど、要するに「偉くなりたい」と。昇進したいということだ。で、下がプロ志向。個人的なパワーが欲しいという態度だ。この軸は分かりやすい。これはもちろん良い悪いの話ではないが、ちなみに今現在、「組織的パワーが欲しい」というほうに寄っている人は手を挙げてみて欲しい(会場挙手)。「個人的パワーが欲しい」という人はどうだろう(会場挙手)…、後者のほうが少し多いようだ。(48:44)
左右の軸は少し分かりづらいと思ので、まずは左側に、自分がお金以外で大事にしている価値を10個ほど、思いつく限り書き出してみて欲しい。これは“ひとりブレスト”。旅行、ファッション、恋人等々、色々あると思う。で、そのうえで質問をひとつ投げかけたい。書き出した価値のうち、右側の経済的報酬が減っても譲ることが出来ないというものには二重丸をつけて欲しい。「経済的価値のほうが大事だから、そういうものはない」という人だっているかもしれない。まずは給料や年収が減っても追いかけたい価値があるか否か、あるとすればそれが何かを書いてください。(50:55)
たとえば僕は右側からはじまっていた。普通、会社員であれば右上に向かっていくと思う。早く偉くなりたいし、早く年収も上げたい。当然だと思う。僕も20代の頃はそれで突っ走っていた。ところが僕は当時の仕事が体に合わなかった。朝から晩まで一生懸命に部隊を率いていたが、統括部長になる少し前、メニエルという病気になってしまった。これは眩暈等を起こす病気だが、目の前が暗くなって「うー」となってしまう程度ではない。目の前の景色がぐるりと回る。最初に気付いたのは日曜日に寝ていたときだが、寝返りを打ったら天井が回った。そういう病気になった。これは後遺症があって、そのあと5年ほど、ヨーロッパに行くまで治らなかった。それで「俺はこのままこういう方向に行くと死ぬな」と思った。(52:05)
それでスペシャリストの道に切り替えた。僕は30代のあいだ、実は年収を固定して右上への道を進んでいた。しかし結局はヨーロッパへ行って成熟社会というものを学び、そこから校長になったりして少し迷走するが、今は人生とビジネスそして教育という3分野が交わる領域で仕事をしている訳だ。今はそれを出来る人が日本にあまりいないので、その意味でまた経済的価値に追いかけられてしまっているが。(52:39)
皆さんはどうだろう。入社してからどんなカーブを描いているか。まだ右側を目指している人がいても良いし、技術者の人であればはじめから左側という人もいると思う。迷走した人だっているかもしれない。「好き」を仕事にする研究者と公務員、あるいはNPOやNGOで働く人ではこの図におけるポジショニングが異なる。、左上はどちらかというとプロないし自営業で社長タイプだと思う。(53:34)
こうしたマトリクスのなかで皆さんがどのように動いてきて、そして今はどのポジションにいて、そしてどちらにベクトルを向けているか。「坂の上の坂」(ポプラ社)という著書では僕自身の例を紹介しながら、どんな風にこのマトリクスを使えば良いかを書いた。ここでは時間がないから1分程度でさっと書いてみるだけで良いが、ぜひ帰ってからでも一度ゆっくりたしかめてみて欲しい。(54:18)
「何を捨てることが出来るかは、新しい時代におけるサラリーマンの美学を決める。捨てられない人ははっきり言って使えないし、人事にも捨てられる」
何を言いたいかというと、35歳を超えて45歳ぐらいまでのあいだに自分自身を一度仕切る必要があるということだ。何を得たいと思っていて、何を捨てることが出来るのか。何を捨てることが出来るかは、新しい時代におけるサラリーマンの美学を決める。捨てられない人ははっきり言って使えないし、人事にも捨てられる。夫婦であればこの話をパートナーともしたほうが良いと思う。(55:00)
それでは最後の話に移ろう。僕は、日本人の人生観を変えていかないと日本全体がイノベーティブにならないし、アイディアも豊かにならないし、情報編集力の渦も生まれないと考えている。この人生観を変えるというのはどういうことか。会場の皆さんはグロービスに来ているほどだから違うと思うが、一般的には、30代、40代、そして50代でひと仕事をして、あとは静かに降りていくというか、引退していくという人生観を描いている人が多い。僕はこれを「富士山型一山主義」と呼んでいる。(55:33)
そうした人生観が通用したのは、「坂の上の雲」(司馬遼太郎:文藝春秋)で描かれていた明治の話だ。当時を生きた人々の前には雲があり、ロシア打倒や日本独立といった夢やビジョンがあった。そこに向かって歩いたり走ったりするなか、だいたい40代を超えたところで人生を終えていた訳だ。当時の平均寿命は40代。あの物語で主人公だった連合艦隊参謀の秋山真之は49歳で亡くなっているし、夏目漱石も49歳で、一番格好の良かった満州軍総参謀長の児玉源太郎は54歳で亡くなっている。(56:34)
そのぐらいの歳で人生が終わるのなら「富士山型一山主義」という人生観はアリだろう。それは兵士の人生観だ。ただ、今は平均寿命が倍に伸びている。今40代であればあと50年ある。この50年をどう捉えるか。「長いなあ」とネガティブに感じるか、「よっしゃあ」とポジティブに受け取るか。それで人生観も変わる。これほど人生が長くなったのに一山主義のままでいたら寂しくなるばかりだ。(57:01)
だから「坂の上の坂」という話になる。とにかく自分で山をどんどんつくっていく。連山をつくり、可能であれば最期も…、登っている最中「ぷつん」と切れるように迎えたい。これ、ピンピンコロリという死に方だ。お年寄りにそう言えば皆喜ぶ。「そうなのよ、本当に“ピンコロ”したい」と言うだろう。(57:27)
今大手企業に務めていたら、たとえば最後は子会社への出向という形で転籍や天下りといった道もあると思う。ただ、豊かな人生を生きるためには今登っている組織の山に注意して欲しい。山々はすべてコミュニティだ。その高さはコミュニケーションの量だし、その美しさや自然の豊かさはコミュニケーションの質になる。従って、どんなコミュニティに属すのか、どんなコミュニティを育てるのか、どんなコミュニティを自分でつくっていくか。また、連山は横から見ると繋がっているように感じるが、それらの峰と峰は繋がっていない。上から連山を見るとどの山も繋がっていない。ここは大事な点だから誤解しないように。山をつくるには裾野からつくらなければいけないということだ。(58:50)
従って、仮に今40代であれば裾野はすでに4つほどつくっていなければいけない。恐らくそのひとつとして皆さんはグロービスを選び、ここでコミュニティをつくろうとしているのだと思う。ただ、あと2〜3つ、山をつくっていい。たとえば真ん中にある今の山とは別に、地域社会、被災地支援コミュニティ、グロービス、そしてもうひとつほど。50代であれば五つぐらいの人生を転がして良いと思う。
(59:20)
そんな風に裾野から育てたうえで山とするには1万時間ほどかかると思う。どんな人でも物事をマスターするには1万時間ほどかかるものだ。ただ、それは長く感じるかもしれないが、1日3時間やれば365日で1000時間。それが10年だ。1日6時間出来るのなら5年。皆さんはそんな風にして今の仕事も覚えてきた訳で、それと同じだ。昨日までまったくやっていなかったことでも1万時間かけたら必ず山になる。そうしたことをぜひ今の仕事と平行してスタートさせ、人生を複線化させて欲しい。それをすべての日本人が自身の人生観としたとき、未来は必ず変わる。四つ五つの人生を同時に転がしていくような複線型の豊かな人生を、子どもや孫も見習うようになるだろう。そのなかで日本人全体が情報編集力を高めていく。(1:00:30)
「坂の上の坂」というのは、「坂があるから嫌だ」という話でなく、「自分で裾野から山をつくり、それを乗り換えていこう」という話だ。「この人生観、いいな」という人は拍手をいただきたい(会場拍手)…はい、ではここまで。本来であれば3時間ほどかけるところをこの時間でやってしまったが、僕からのお話は一旦終わりたい(会場拍手)。(1:01:00)
藤原:「35歳の教科書—今から始める戦略的人生計画」(幻冬舎メディアコンサルティング)というぴったりの本がある(会場笑)。「どれを捨てるか?」というより、「年収が半分に減っても絶対に譲れないものは何か」と考えて欲しい。僕の場合、年収が1/3になっても取りにいこうと思ったのが校長の仕事。それがやらなければならない仕事であり、やりたい仕事だった。「そこで絶対に自分研修をするんだ」と。リクルートでは出来なかったマネジメントに挑戦したかったし、逆にリクルートでのマネジメントがどれほど通用するかもたしかめたかった。本来なら自分で投資をしてやらなければならない仕事であって、たとえば年収が700〜800万でも飛び込むという意思があった訳だ。
(1:02:10)
「そんな風に自分を安売りしてでもやりたいと考える仕事が、貴方にとっては何かという話だ」
ときには自分を安売りすることも大事だ。大阪で橋下徹元府知事に特別顧問を頼まれたときも同じだ。沖縄を除けば大阪の子どもたちが学力において常に全国最下位であり、「これを何とか上げたい。教育緊急事態宣言だ」と。そこで、「僕が掲げる17ぐらいの施策をやって貰いますが、それで良いですね?」と聞いたら「やる」と言うから、それならやろうと決めた訳だ。で、そのときに「藤原さん、この仕事でいくら払って良いか分からない。予算がそれほどないんだ」と言うから、僕は「ただでやりますよ」と言った。「半年間で絶対に動かしてみせる。その間、ただで働きます」と。その仕事をしたほうが僕の付加価値は高まると思ったからだ。そんな風に自分を安売りしてでもやりたいと考える仕事が、貴方にとっては何かという話だ(会場拍手)。(1:03:24)
藤原:今日、皆さんにはタイヤに関するアイディアを同時に言って貰った訳だが、当然、僕がそれらを聞き分けることは出来ない。ところがそれを可能にするITというツールが出てきた。こういった場であれば携帯を使う手もある。たとえば特定のURLに30字以内で新しいアイディア等を入力して貰い、そこで送信ボタンを皆が押した途端、スクリーンに皆の意見が表示されるといった「C-learning」というソフトもすでにある。そうして意見を一気に集約し、そのうえでさらに議論を深めることが出来る訳だ。そんな風にして納得解というのを素早く導いていくITのシステムや技術が今は出来ている。明治大学や青山学院大学などで、すでに使われているので、企業でも利用できるだろう。(1:05:56)
藤原:情報処理力は勉強すれば身に付くが、情報編集力には魔物のようなところがある。情報編集力が高い人は、恐らく幼児から小学生のあいだに遊びまくった人。はっきり言うと、遊んでいないと情報編集力は身に付かない。遊びには不確定な要素がたくさんあり、予定調和がないからだ。たとえば一生懸命積んでいた積み木を弟がいきなり崩してしまうとか、遊びのなかで「怪獣」が現れる。そこで最初からすべて積み上げ直すのか、それとも弟叱るのか、色々あると思うが考える訳だ。また、遊びにおいては「足りない」ということも必ず発生する。昔は野球をやると言ってもベースなんてなかったから、三角ベースということで「あの木とあの木を一塁と三塁にしよう」と見立てていた。見立てるというのは情報編集力を活性化する大切な要素だが、今の子どもを見てみると、技術はともかく皆がプロ級の道具を持っている。こうなるとかえって情報編集力が発揮されず知恵も出ない。処理する人だけになってしまうという怖さがある。(1:07:47)
だから、とにかく遊んで欲しい。遊びが足りている人はつなげる力を持っているし、「自分は今まで遊びが足りなかった」と思う人は今からでも狂ったように遊ぶべきだ。グロービスにいたら駄目(会場笑)。遊び足りている人がグロービスに来る、というのがちょうど良い。遊び足りない人はグロービスを今すぐ止めて2年間ぐらい放浪したほうが良い(会場笑)。僕は何千人というビジネスマンを知っているが、ビジネスマンになってから情報編集力や集中力を鍛えたという人と会ったことがあまりない。(1:08:32)
藤原:僕は人と会うとき、その人の表面を見ない。知りたいのはその人のベクトルであって、それが分からないと仕事に入れない。従って先ほどお話しした通り、ばんばん個人的な質問をする。これから仕事をしようという人に初めて会ったときは、「30分かけて良いから貴方の来し方を語ってちょうだい」と。どこで生まれ、何を考え、親がどういう考えの人で、子どもがいるのならその子について何か悩んでいるのか等々、「俺がカレーを食っているあいだにすべて喋ってね」と(会場笑)。そのベクトルが自分のベクトルと一致していなくても良い。僕は「ベクトルの和」と呼んでいるが、たとえばふたつのベクトルがあった場合、その和は両ベクトルを二辺とする平行四辺形の対角線になる。で、それは両ベクトルよりも長い。つまりベクトルの和という方向へ繋げることで、両者にとって良いエネルギーが生まれるという訳だ。(1:10:15)
最後にひとつ。時間の関係で質問が出来なかった方を含め、皆さんには「よのなかnet」という僕のホームページを見て欲しい。そこの「よのなかフォーラム」という掲示板にはIDとパスワードなしで書き込みが出来る。「自分はこう考えているがどうなのか」、「藤原が言ったことを試してみたが全然効かなかった」等々、どういった内容でも良い。実名でもハンドルネームでも良いからぜひ書き込んで欲しい。ツイッターでは1日1回程度しか呟かないが、@kazu_fujihara。また、著書としては「リクルートという奇跡」(文藝春秋)、「つなげる力—和田中の1000日」、「坂の上の坂」の3冊ぐらいを読んでいただけると今日お話ししたようなことはマスター出来ると思う。ではまたお会いしましょう。どうもありがとう(会場拍手)。(1:11:14)