コマツ会長 坂根正弘氏 —21世紀は“その他”の国の時代(前編) 

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231位から1位へ

私が社長に就任した2001年度、コマツは会社創立以来初めて、巨額の赤字を計上しました。いわば、危機の真っ只中で、バトンを受け取りました。

日本経済新聞は毎年1回、「PRISM」という様々な角度から企業を評価したランキングを発表しています。コマツのランキングは、2001年には231位でした。それが社長を辞める07年に1位になり、翌年08年も連続して1位になりました。経営構造改革を断行、継続し続けてきた成果が評価されたと思いますが、常にトップクラスに入れる会社を目指したいと思います。

私の好きな言葉は「知行合一」。知識と行動は合わさって一つになるという意味の、陽明学の言葉です。いくら机上で知識だけ仕込んでも、身につかない。何か行動する時に初めて身につくんだ、というのが私の考えです。

コマツの構造改革も、まずは行動から入りました。ある時点まで到達したときに、自分が何をやってきたのかをきっちり整理してみる。「ああ、こういうことだ。じゃあもっとステップアップするために、こういう考え方をしてみようか」というふうに、行動を後から理論付け、体系化することで、さらにステップアップすることができます。会社経営や仕事というのは、そういうことだと思います。

本題に入る前に、コマツでのキャリアを簡単にご紹介します。

私がコマツに入社した1963年は、日本が外資から「門戸を開け」と迫られた年です。それまでは外資に対してガードが固かったんですが、「外資を受け入れろ」という大合唱のなかで、日本政府は自動車産業と電機産業は、何としても守ろうとした。しかし建設機械の分野では、キャタピラー社という、当時のコマツの十何倍もの規模の米国の会社があり、受け入れることが決まった。キャタピラーと組みたい会社は手を挙げろということで、実はコマツも手を挙げたんです。ところがキャタピラーが選んだのは、三菱重工業で、キャタピラー三菱(現キャタピラージャパン)という会社が同年11月に設立されました。

その真っ只中に私がコマツに入社したわけですが、ブルドーザーの設計からスタートして、8年ほど設計部門を経験した後、品質管理課に異動してクレーム担当になりました。次に、全社を挙げて品質改善を目指す活動を本社の社長室で4年ほどやりました。その後、商品企画課長、米国と日本のサービス部長、新事業推進室、米国内初の工場をつくったときの工場建設室長などを歴任しました。社内でも私ほど広範囲な仕事を経験した人は、ほかにいないと思います。そして2001年に社長に就任しました。

今日は、まずはコマツの概要をお話しした後、建設機械ビジネスから見た世界経済の動きについてお話しします。それから、構造改革の経験、企業価値とブランドマネジメントに対する考え方をご紹介し、最後にコマツと日本が抱える共通の課題に触れたいと思います。

世界第2位の建設機械メーカー

コマツは創立以来、88年が経ちました。創業者は竹内明太郎という明治維新の土佐藩士・竹内綱の長男で、吉田茂元首相の実兄にあたります。この人が石川県の銅鉱山事業を買い、その銅鉱山用機械をヨーロッパから買い、それらの機械を修理する工場を始めたのが、コマツの前身です。

今では世界第2位の建設機械メーカーとなり、2009年3月期の連結決算は売上高2兆217億円。営業利益は1,519億円。全世界に4万人の社員がいて、その半分が外国人です。売上に占める建設機械の割合が9割弱。建設機械の地域別売上構成は、日本が17.8%で、アジア・オセアニア17.7%、北米14.2%など、世界中でバランス良くビジネスを展開しているという会社といえるでしょう。

建設機械のモデル数は170位になるが、ここでは世界最大級のもののみ紹介します。超大型の鉱山用機械では、油圧ショベルをドイツ、ダンプトラックを米国、ブルドーザーとホイルローダーを日本でつくっています。ダンプトラックは300tで、タイヤの直径は人間の身長の倍以上あります。日本では170tが最大ですが、世界の主流はこの300tのダンプトラックです。ちなみに私が入社して最初に設計担当したのは、ブルドーザーです。

建設機械以外のビジネスとしては、プレス、フォークリフト、自動車メーカ向け工作機械、半導体製造装置などで、自動車のボディをつくるプレス機械は、世界でトップを争うレベルで、ステッパ用光源のエキシマレーザは世界で2社、そして日本で唯一のメーカーです。

コマツはCSR活動にも力を入れており、社会貢献活動は主に会長が担当して行っています。桜の苗木の植樹については、私が会社に入ったときにもう行っていました。これまで全世界に230万本以上の苗木を配りました。女子柔道部には、アテネ、北京オリンピックで金メダルを獲得した、谷本歩実選手が所属しています。それから対人地雷除去活動に積極的に取り組んでいます。カンボジアでは、地雷除去、道路整備、農場開設、学校設立等の活動を推進しています。

21世紀は「その他の国々」の時代

建設・鉱山機械が地域別でどのように売られてきたかという側面から、世界経済の動きを概説します。

建設・鉱山機械の地域別の需要構成比

世界を、日本、北米、欧州、その他で区分し、需要推移をみてみると、その他に区分される国は約160カ国ありますが、1980年代後半から2000年にかけては、それらの国を合わせても20%程度しかなかった。1982年には40%近くあったが、これは1973、74年のオイルショック以降、原油の高い時期があり、その他に属する国々の多くが資源国ですから、資源が高く売れると、自国のインフラづくりができるという因果関係があり、現在も、ここが最も大事なビジネス領域となっている。

逆にその他世界の需要が低迷していた80、90年代がどういう時代であったかみてみると、日・米・欧という世界の15%しか人口を占めない国々が、残りの85%の国の人々の資源を安く供給を受けることによって、経済を拡大してきた時代だったといえます。しかしながら結局、日・米・欧はお互いを経済圏として発展し続けるための投資をする機会が少なくなり、無理やりバブルをつくってしまった。それが、日本のバブル、米国のITバブル、住宅バブルを引き起こし、今回は金融バブルとなりそれが膨らんでしまった。

ここで、米国の住宅バブルの話にも触れておきます。米国のGDP成長率と住宅着工件数の相関グラフを見ると、その双方が同じような動きをしています。近年では、2005年をピークに住宅着工は急落しました。建設機械もこれと同じように下がっています。「米国経済は去年あたりからおかしくなった」とよく言われますが、米国の建設機械需要はもう06年から悪くなっています。

今回のような急落は過去になかったのかというと、1960年以来3回あります。しかも私はそのうちの2回、81年と91年に米国にいましたから、この急落の酷いときを経験しています。だから、急落そのものには驚いていません。問題は、GDP成長率と住宅着工件数が、2000年から2005年の間で極端に両者間の差が大きくなったことです。これがバブルだと思う。ざっと試算してみると300万戸になるので、住宅だけのバブルは約100兆円程度のはずですが、世界の株式市場は約半年で3000兆円が弾けとんだ試算になるので、今回のバブルの真の原因は住宅バブルではなく、明らかに金融のバブルです。

世界が抱える人口増加と都市化の問題

何事も将来の予測は難しいが、予測しやすいものとして、人口の増加があります。日本は人口が減ると言っているが、世界の人口は増えている。1900年には、世界の人口は16億人しかいなかったんですね。これが今や66億人。2050年には、92億人になると予測されていて、しかも人口が増える地域は、インドとアフリカで、特にアフリカについては世界にとって将来の大きな課題です。

もう一つが都市化の進展。都市化とは、世界標準で「5万人以上の都市」に住む人口の比率をいいます(日本では、1平方キロメートル当たりに住んでいる人が4,000人以上のところを都市と呼ぶ、となっている)。シンガポールは100%です。イギリスは90%で、米国は81%、ドイツは76%、日本は何と66%、中国は40%で、これを70%にもっていきたいと言っている。今後、世界の人口が増えて都市化率を上げるということは、電気・水道・ガスという必要最小限のインフラが整備され、できるだけ効率よく届けられるようにし、道路も効率良くなるというのが世界の常識です。電気が必要になると、石炭や電線のための銅、建物をつくるための粗鋼生産が増え、鉱物資源は長いレンジで見ると需給関係はタイトになることは間違いない。したがって、国も企業も、資源・エネルギー、食料・水、地球環境、医療の課題を前向きに捉えて対処することが大事でしょう。

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