正論かもしれないが -べき論への執着 

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問題です

以下のA氏の問題は何か。

時は2000年。全国にチェーン店を展開するZ社の中で、銀行ビジネスへの新規参入が検討されていた。

A: 「私は銀行ビジネスへの参入は反対だな」
B: 「なぜだい」
A: 「確かにうちは多店舗展開しているから、ATMなどを設置して顧客に利便性を提供することはできるかもしれない。プロモーションのやり方次第で預金を集めることも可能だろう。しかし、肝心の運用ノウハウがないんだから、銀行ビジネスで成功するとも思えない」
B: 「確かにうちに運用のノウハウ、つまり顧客開拓や与信などのノウハウはない。しかしそれは既存の銀行事業のやり方にとらわれ過ぎている。利ザヤで稼ぐのではなく、ATM利用の手数料を収益の柱にするという方法論だってあるはずだ。運用は委託するなり、別のやり方だってあるさ」
A: 「その考え方に一理あることは認める。しかし、そもそも経済における銀行の果たすべき役割は何かを考えれば、それは資金提供——特に法人顧客に対する資金提供による産業振興であり、信用創造だ。手数料で稼ぐというビジネスは、確かにあり得るが、銀行本来のあるべき姿からはかけ離れていると言わざるを得ない。わが社はビジネスの正道を歩んで成長してきたのだから、新規事業についても正道を歩むべきだ」
B: 「・・・」

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解答です

今回の落とし穴は、「べき論への執着」です。正式な名称はないようなので、ここではこう呼ぶことにします。これは、「○○たるものかくあるべき」という考え方にとらわれ過ぎて、新しい発想が出来ない状況です。

「べき論」や規範は、人々が何か意思決定や行動を起こすときの拠り所になるものです。法律や司法の制度など、オーソライズされて成文化されたものもあれば、常識や禁忌のように、成文化されていない、「文化」(国の文化、民族の文化、組織文化など)に属するものもあります。

冒頭ケースのA氏は、「銀行の果たすべき役割は資金提供——特に法人顧客に対する資金提供による産業振興、そして信用創造である」という考え方を強く持っています。これは先の分類にしたがえば、成文化された法律(極めて強い強制力がある)ではなく、常識に属するものと言えるでしょう。

確かに、経済学の教科書を開けば銀行の一般的役割として、A氏の主張するようなことは書かれています。しかし、はたしてこれは金科玉条のように守らなければいけないものなのでしょうか。ポイントは、「べき論」や規範は、(法律も含めて)時代やマクロ環境とともに変容するものであり、それとともに、そのパワーを高めたり、失ったりするという事実です。

経済が複雑化し、人々が「お金」というものに対してさまざまなニーズを持つようになった現代において、A氏のような考え方にこだわり過ぎることは、ビジネスチャンスを逃したり、実行すべき変革を実行出来なかったりという結果につながりかねません。

現実の世界を見ると、IYグループのセブン銀行(2001年の発足当初はアイワイバンク銀行)は、グループ企業の立地を活かしたATMからの手数料収入をメインの収益源としており、運用は低リスクの国債をメインとするなど、必ずしも重要な収益源となってはいません(なお、2010年からは、アコムの信用保証によるカードローン事業も開始しています)。それでも売上高経常利益率は30%超と高いレベルを維持しており、多くの顧客に利用され、利便性を提供しています。

つまり、「資金提供や信用創造こそ銀行の使命」といった「べき論」にこだわらなければ、セブン銀行ほどの成功を収められるかどうかは別にして、Z社も十分に、銀行ビジネスを展開することで社会貢献しながら収益を上げることは可能なのです。A氏は、銀行の役割を「お金の流通に関与しつつ、人々の生活をより便利で豊かなものにする」と考え直す必要があるのかもしれません。

「べき論」や規範、特にビジネスにおけるそれは、「光の速さは不変である」といった真理とは異なり、しょせん、ある条件下でのみ成り立つものです。時代や場所、あるいは人々の行動様式が変われば、その「べき論」や規範も、変更したり強弱を変える必要があります。自分が持っている価値観が本当に適切なものなのか、勇気を持って問い直すこともビジネスパーソンには必要なのです。

*本連載は、2012年2月16日が最終回となります。

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