どうせたいしたものじゃない? -すっぱい葡萄 

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問題です

以下のA君の問題は何か。

A君は中堅メーカーに勤める若手の営業マン。このたび、会社が国内経営大学院への社費派遣制度を導入したのを知った。1年もしくは2年の間、給与こそ出ないものの、入学金から受講料まで、すべてを会社が負担してくれ、経営学修士(MBA)を取得できるというものである。1年につき1人という狭き門であったが、社内の若手の間では大きな反響を生みだしていた。
もともと経営学に興味のあったA君も、ぜひ採用されたいと考えた。1次選抜は課題レポートと上司の推薦、2次選抜は人事部長らが直に面接をするというプロセスである。A君は、会社から課された課題レポートに取り組み、上司に推薦状を書いてもらって会社に申請書を提出した。
しかし、結果は芳しいものではなかった。あっさりと1次選抜で落とされてしまったのである。最低でも1次選抜は通るはずと思っていたA君は、ショックを受けながらこう考えた。

「まあ、MBAを取ったからといって、転職するつもりもないからな。ただでさえ、日本企業はMBAの使い方が下手だと言われているわけだし、無理してMBAにこだわらなくてもいいか。経営の勉強なら他にもやりようがあるし。自分は自分らしく勉強していこう」

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解答です

今回の落とし穴は、「すっぱい葡萄」です。これは、自分が手に入れることができなかったものについて、「どうせたいした価値はない」と考えることで、自分の感じる悔しさや敗北感などの負の感情を紛らわせる心理メカニズムです。狐が、高い場所にあって届かない葡萄を「どうせすっぱい葡萄にちがいない」と考えたというイソップ童話からこの名前がついています。

今回のケースでは、A君は、自分が手にすることができなかったMBA派遣の権利について、「どうせMBAを取ったところでそれほど役には立たないだろう」などと考えることで、自分のネガティブな感情をごまかしています。典型的な「すっぱい葡萄」と言えるでしょう。

すっぱい葡萄は、合理化、さらには防衛機制の一種です。合理化とは、自分の失敗や不快な感情について、何かしら都合のいい理由をつけることで正当化しようとするものです。たとえば、失敗したプロジェクトについて、「あれだけ急に経営環境が変わったのだから仕方がない」「他の人間がやってもどうせ失敗していたさ」などと考えるのも、合理化の一種です。あるいは、「忙しい特に他の仕事まで押し付けた部長が悪い」といった責任転嫁も合理化の一種と言えます。

防衛機制は、合理化を含むより広い概念で、学術的には「欲求不満などによって適応が出来ない状態に陥った時に、不安が動機となって行われる自我の再適応のメカニズム」(Wikipediaより)などと表現されます。平たく言い換えれば、「ストレスから自分の心を守る働き」と言えるでしょう。

合理化以外の防衛機制としては、「昇華」や「逃避」「同一視」などがあります。本稿ではそれぞれを細かく説明することはしませんが、ご興味のある方はいろいろ調べてみてください。

こうした心のメカニズムは、人間がストレスを緩和し、心の平穏を得るために発達させてきたものです。言い換えれば、こうしたメカニズムが働くからこそ、人間は過度の心理的消耗を避けられるということです。

とは言え、安易にこうしたメカニズムが発動してしまい、さらなるチャレンジを避けるようでは、成長は難しいものとなってしまいます。A君が本当にしっかり自分で勉強していけばいいのですが、これまでとそれほど態度や行動が変わらないとしたら、A君は自ら成長の機会を放棄してしまっているのと同じです。

メンタルヘルスの問題とも絡んでくるため(合理化をあまりに多く繰り返す人は、背景に、強い自己嫌悪や、自己効力感の低さなどがあるという見解もあります)、安易に「強くあるべし」などとは言えない難しい問題ではありますが、一度自分自身がどのくらいすっぱい葡萄をはじめとする合理化を行っているか、セルフチェックしてみるとよいかもしれません。

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