やって失敗するよりは・・・ -不作為バイアス 

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問題です

以下のAさんの問題は何か。

「あっ、人が溺れている。助けなきゃ。でも、俺、泳ぎは苦手だしどうしよう。助けに飛び込んだところで、俺の力では確実に助けられるかどうか分からないし・・・。俺って見た目だけは運動神経よさそうに見えるから、へたに助けにでて救助に失敗したら、周りから非難されそうだしなあ。自分自身が二次災害にあわないとも限らない・・・。残念だけど、自分としては、ここは静観するのが得策というものだろう」

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解答です

今回の落とし穴は、「不作為バイアス」です。これは、何かをして失敗してしまう(マイナスの結果をもたらす)よりは、何もしない方がましと考え、不作為(何もしない)という選択肢を選んでしまうという人間の思考の傾向です。現在の状態を維持しようとする「現状維持バイアス」や、すでに保有しているものに過大な価値を見出す(言い換えれば、すでに保有しているものを失うことに過大な痛みを感じる)「授かり効果」とも大きな関連があります。

不作為バイアスの背景には、「何かをしてマイナスの結果がもたらされるよりも、何もしないでもたらされるマイナスの結果の方がマシ」と考える人間の性向があります。

たとえば、現在、年間1000人の命を奪っている感染症があるとします。そこに、この感染症を完全に防ぐことのできるワクチンが開発されたとします。ただし、このワクチンはしばしば重篤な副作用をもたらし、年間700人ほどの命を奪うことが予想されています。さて、このワクチンは人々に受け入れられるでしょうか?

合理的に考えれば、差引き300人の命が助かるのですから答えはイエスとなるはずですが、実際の答えは往々にしてノーとなります。経験則から見て、たかだか死者3割減の効果では、人は新しいことを試したがらない傾向にあります。おそらく、副作用による死亡者数の見込みがいまの数分の一程度にならないと、このワクチンは受け入れられないでしょう(そんなことはない、と思われる方は、実際にその場面を想像して、自分がそのワクチンの接種を受けようとするか、あるいは、自分の子供にそのワクチン接種を受けさせたいと思うかを考えてみてください)。

不作為バイアスの原因としては、不確実性の回避や、それをやることの機会費用の過大な見積もりなどが挙げられていますが、その他にも、様々な心理的要因が複雑に影響していると考えられています。

冒頭のケースも、不作為バイアスに陥った事例ですが、その不作為を合理化するために、「自分自身が二次災害にあわないとも限らない」などとさらなる理由付けまでしています。実際のビジネスパーソンでも、「やらない理由」をたくさん挙げることで、その行為を合理化しようとする人は多いはずです。

言うまでもなく、不作為バイアスは、現状維持バイアス、授かり効果などと同様、企業や社会の変化を阻む大きな敵となります。企業や社会を変革したいと考えるのであれば、人々のそうした性向を正しく理解しておく必要があります。

不作為ということについてもう一点付言すると、不作為を罰するのは相対的に難しいことが多い、というテクニカルな側面もあります。たとえば、喉に詰まりやすい食べ物を作った会社を罰するのは容易ですが、それを規制しなかった当局を罰するのは極めて困難なことです。あるいは、例えば日本で果敢にGoogleそっくりの情報検索企業を作った人間がいたとして、彼/彼女を著作権侵害で罰することは容易ですが、そうしたベンチャー企業を起こさなかった人々を、「なぜ、皆勇気を持ってベンチャー企業を起こさないのだ、けしからん」といって罰することはできません。

そうした難しさはありますが、企業の経営者やマネジャーとしては、自分の会社や職場の中に、「不作為の罪は大きい」という文化を根付かせたいものです。

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