企業価値は、どのようにすれば高められるのか――。前回、ファイナンス理論を基にクレイフィッシュの企業価値の変動を解説したが、今回は理論に基づく公式をベースに、企業価値の最大化のために必要な経営戦略を述べていく。
ファイナンス理論では、企業価値は、「フリーキャッシュフローを加重平均資本コスト(WACC)」で現在価値に割り戻して算出する。加重平均資本コスト(WACC)とは企業が調達した借入金と株主資本の加重平均コストであり、フリーキャッシュフローのリスクの大きさを表した割引率である。これを数式で示すと、以下の通りになる。
企業価値(PV)=Σ(フリーキャッシュフローn/(1+加重平均資本コスト)^n )
この式を基にすると、企業価値を増加させるには、
1:分子であるフリーキャッシュフローを増やす
2:分母の加重平均資本コストを引き下げる
3:上記の1と2の両方を同時に達成する
――という3通りの方法が考えられる。
フリーキャッシュフローの増加は事業戦略の成果
分子のフリーキャッシュフローの定義は下のようになる。
フリーキャッシュフロー=EBIT×(1-税率)+減価償却費 - 投資 – 運転資本の増分
なお、EBITとは金利前税引前利益のことであり、特別損益がなければ営業利益で代替することも可能である。
「EBIT×(1-税率)+減価償却費」の部分は企業が生み出したキャッシュフローである。ここから、企業の発展に必要な設備投資といった「投資」、日々のオペレーションのために必要な「運転資本の増分」の二者を差し引いたものが、フリーキャッシュフローとなる。フリーキャシュフローとは企業にとって余剰のキャッシュであり、企業に資本を提供してくれた株主や有利子負債の提供者に返還する資金の原資である。
さて、上の式を見ると、フリーキャッシュフローを増加させるためには、以下の4通りの方法が考えられる。
(1) 「金利前税引前利益」を増加させる: 事業が生み出すキャッシュフローを増やすことである。この数値を継続的に増加させていくには、企業は事業ポートフォリオを随時組み替え、自社の競争優位性を強化していくことが重要となる。これが、いわゆるコア・コンピタンス経営である。
(2) 「税率」を引き下げる: 実効税率(実際に払う税率である)を下げるには、研究開発費にかかわる税額控除や情報システム投資に係わる特別償却制度といった租税優遇措置を活用するとともに、税率の低い国で事業を行うなどの節税努力が必要となる。この観点から、タックス・プランニングの重要性が分かる。
(3) 「投資」を減少させる: 投資の内容を効率的にすることであり、金額そのものを節減することではない。投資は将来のEBIT(金利前税引前利益)を生み出す源泉であるため、投資金額当たり最大のEBITを生み出せるような効率的な投資を行うことが鍵となる。
(4) 「運転資本の増分」を減少させる: 運転資本は、流動資産から流動負債(短期有利子負債を除く)を引いたものである。よって、流動資産を減らすことが重要であり、特に売掛金や在庫を圧縮することが、運転資本の削減につながり、フリーキャッシュフローの増大に貢献する。「持たない経営」、「スリム化経営」と言われるものだ。
これらの方法を実行し、フリーキャッシュフローを最大化するのは、営業やマーケティング、事業戦略の責任者の任務である。
適切な金額の借り入れが企業価値を高める
次に、冒頭の企業価値の式で分母に当たる加重平均資本コスト(WACC)を減少させる方法を考える。繰り返しになるが、WACCとは、調達した資本の加重平均コストであるが、同時に、調達した資本で購入した資産のリスクの大きさを表した割引率でもある。WACCの計算式は、以下のようになる。
WACC=rD×(1-税率)×D/(D+E) + rE×E/(D+E) ――式1
なお、式中の記号は、
D:有利子負債の時価総額
rD:有利子負債提供者の期待利回り
E:株主資本の時価総額
rE:株主の期待利回り である。
そこで、WACCを引き下げる方法を考えることにする。
上記の式1には有利子負債つまり借入金が出てくる。よく、「無借金経営は美徳だ」、もしくは「借入金はできるだけ少なくしたほうが良い」という声がいまでも頻繁に聞こえるが、果たしてそうであろうか?
資本に占める借り入れの比率(上の式ではD/(D+E)に当たる)をaとした場合、WACCの式は、
WACC =rD×(1-税率)×a + rE ×(1-a)
=a ×(rD×(1-税率)– rE ) + rE
と変形できる。
ファイナンス理論では、rEはrDよりも高い。なぜならば、株主の方が有利子負債提供者よりも、大きなリスクを背負っているからだ(理由は文末に述べる)。そのため、ハイリスク・ハイリターンの原則で、株主の期待利回り(rE)は有利子負債提供者の期待利回り(rD)よりも高くなる。
よって、上の式の左半分に当たる「a ×(rD×(1-税率)– rE )」はマイナスの数値になる。そのことから、左半分にかかる係数a、すなわち有利子負債の比率を高くすると、WACCの値は低くなる。
無借金経営の場合a=0なので、WACCの式では、WACC=rE となり、WACCはかえって高くなる。
逆に言えば、借金をすることは、資本コストの低減を通じて、企業価値を高める効果があることになる。
とはいえ、企業は無制限に借入金を増やすことはできない。借りすぎると、借入金の利息や元本の返済ができなくなり、倒産してしまうからである。倒産は、有形資産(在庫や設備等)や無形資産(ブランド力等)の価値を大きく毀損し、企業価値の大幅な低下を引き起こす。それを防ぐため、企業は借入金額を倒産のリスクが発生しないよう一定の範囲内に抑えることが必要となる。
なお倒産のリスクを回避しながら自社で借りることのできる借入金の最大値のことを、最適負債比率もしくは最適資本構成と言う。WACCが一番低くなる状態になるような有利子負債と株主資本の比率である。
それでは、現実の資本構成が最適資本構成からかい離している場合、どうすればよいか――。適切な方法は、借入金の額を増減させることだ。その一例であり、もっとも効率的な資本構成の変更手段は、借り入れを基にした自社株買いである。
以上のことから、WACCの最小化は、まさに財務責任者の使命となる。
式1の分子であるフリーキャッシュフローを増加させながら、同時にWACCの引き下げが実現できれば、企業価値は飛躍的に増加し、株価も大きく上昇する。
株主はハイリスクな立場なので利回りが高く設定される
ところで、株主資本の期待利回りが有利子負債の利回りよりも高い理由はなぜだろうか?
答えは、株主と有利子負債提供者へのリターンが異なるためだ。
例えば、有利子負債を10億円調達し、株主から10億円預かって、合計20億円で事業を始めたとしよう。この20億円を現物資産に投資した結果、運営がうまくいき、資産価値が時価25億円まで上昇したとする。このとき、増加した5億円は誰のものかというと、当然株主のものである(儲かったからといって10億円の借入金元本にプラスアルファして返済する必要はないからである)。一方、事業に失敗し、資産の時価が12億円に減少したらどうか?当然、この失敗は株主が負担することになり、株主の持分は2億円に減少してしまう。
企業が創造した価値は、まず有利子負債の提供者に優先的に配分され、余ったら株主に分配される。つまり株主は「残り物」にしか権利がなく、この結果分配額が大きく変動することから、有利子負債の提供者に比べてより大きなリスクを背負うことになる。
従って、より大きなリスクを背負った株主は、少ないリスクしか背負っていない有利子負債の提供者に比べ、より高い投資利回りを要求するはずである。そのため、株主の期待利回り(rE)は、有利子負債提供者の期待利回り(rD)よりも大きくなる。
これらのことから、経営者が経営の舵取りを行う際、常に複数の経営オプションを吟味していることが伺い知れる。おのおののオプションが企業価値のそれぞれの要素にどのようなインパクトを与え、結果として企業価値がどうなるのか――これを定量的に把握しておくことで、経営判断は容易に、そして極めて合理的にできるのだ。