「前提を疑え」とか「ゼロベースで考えろ」ということは、よく耳にする言葉です。しかし、「言うは易し」で、これほど実践が難しいことはありません。私たちも、気づかぬ間に「当たり前」という考えに囚われて、そこから逃れられなくなっていることがあるのではないでしょうか。
これについては、面白い寓話があります。『コア・コンピタンス経営』という有名な経営書の中で紹介されている4匹のサルの話です。
部屋の中に、4匹のサルが入っていました。部屋の中央に高い支柱があって、たくさんのバナナがぶら下がっています。サルは当然、バナナをとろうと支柱に登ります。この支柱には仕掛けがあって、バナナにサルが手を触れた瞬間に、天井から冷たいシャワーがザーッと降ってきます。シャワーをかけられたサルは悲鳴をあげて、バナナをとることなく支柱から降りてきます。次のサルも挑戦してはみるものの、同じような目にあります。そうなるとサルは、バナナをとるのを諦めてしまいます。あのバナナをとろうとしてはいけないと学習するのです。
その後、4匹のサルのうち1匹を外に出して、代わりに新しいサルを1匹入れます。新入りのサルは当然、バナナをとろうと支柱に登ろうとします。すると他の3匹のサルは、慌ててそのサルを止めに入ります。どういうことになるか学習しているため、またびしょ濡れになるのはたまったものではないと考えるのでしょう。その後また、サルを1匹ずつ入れ替えていきます。1匹目の時には、残りの3匹が止めに入りました。2匹目の時にも同様に、残りの3匹が止めに入ります。4匹目の時にも、残りの3匹が止めに入ります。この段階では全員が冷たいシャワーを経験していないにも関わらず、理由もわからずに新入りのサルが支柱に登るのを止めようとします。今まで自分たちが支柱に登るのを止められたために、登ると何かがあるに違いないと考えるのです。そして、最後にシャワーの仕掛けを止めてしまいます。もはやバナナに触っても、シャワーがかかることはありません。つまり、いまやバナナを簡単に取ることができる状況になったわけですが、どのサルも登ろうとはしないのです。
「当たり前」を疑ってみることからイノベーションは生まれる
私たちの日常においても、こういった話は多々あるのではないでしょうか?
つまり、何かをしてはいけないと言い伝えられているものの、その理由がわからない、といったことです。逸脱すると激しく怒られるのだけど、誰かに理由をたずねてみても「昔ダメだと言われたから」程度しか返ってこない・・・。こういう言い伝えが代々引き継がれていくと、誰もわけもわからないままそのルールを破るのが怖くて従い続ける。でも、そこで第三者の人間がひょいっと試しにルールを破ってみると、問題なくバナナをとることができたりするのです。
社会的なイノベーションは、このように誰も疑わない大前提にアクションを起こすところから生じるとも言えるでしょう。当たり前すぎて誰も疑わない、疑うことができないところに意識を向けることで、新しい機会が生まれます。さきほどのバナナについて言えば、部屋に入った瞬間はバナナがあることはわかっているものの、しばらくすると誰の目にもバナナがほとんど映っていない状況に陥ってしまっていたわけです。
こうした「当たり前を疑う」ためのヒントは、「素朴な質問」にあります。新人や異動間もない人などは、得てして「なんでこんなことをやっているのですか?」という素朴な質問を投げかけます。そうした素朴な質問を無視することなく、どれだけ真面目に向き合っているのか、ということが問われます。
そして、自分でも理由がわからなかったら小さな行動をしてみる。場合によっては冷たいシャワーを浴びるかもしれませんが、そうした小さな行動こそが、バナナを手に取るために大切なのです。
※本記事は、FM FUKUOKAのラジオ番組「BBIQモーニングビジネススクール」で放送された内容をGLOBIS知見録用に再構成したものです。音声ファイルはこちら >>
イラスト:荒木博行