薩長同盟、歴史の裏にはやはりおカネの事情あり? 

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今回は、日本人に多大な人気を誇る幕末の史実――薩長同盟――を取り上げます。薩長同盟というと、それまで反目し合っていた薩摩と長州の両藩が、外敵の脅威に対抗すべく、討幕を目指し、坂本竜馬の仲介のもとに同盟を結んだと思われている方が多いと思います。大枠はその通りなのですが、話はそう単純ではありません。

なぜ薩摩と長州という、江戸から見たら遠隔地にあった両藩が幕末の主役に躍り出ることができたのか、通常の歴史物とは違う視点で考えてみたいと思います。

さて、薩長がなぜ維新の中心になり得たのかと問われたら、皆さんは何と答えられるでしょうか。西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允、高杉晋作、さらには伊藤博文といった先見性のある若きリーダーが輩出される素地があった、というのが多くの方の答えではないでしょうか。ただし、それだけでは、最盛期に比べて弱体化していたとはいえ幕府を倒すことはできません。そこには幕府という軍事組織を倒すだけのリソース、端的に言えば先端的な武器、兵士、それらを賄うためのおカネが必要になります。

では、そうしたおカネを薩摩や長州はどこから得ていたのでしょうか。ここで両藩が江戸から遠く離れていたという地理的な位置関係が生きてきます。答えを言えば、江戸幕府の下では本来禁止されていた密貿易です。それによって両藩はおカネを蓄えたり、借金の担保にしたりしていたのです。

特に薩摩は早くから琉球をフロンティアとして有利な立場にあったのですが、19世紀に入ると長州も大陸との密貿易を拡大します。幕府の目が届きにくく、かつ大陸や南蛮と密貿易を行う上で、薩摩と長州は絶好のポジションにあったのです(実は近隣の藩からチクられてはいたのですが、幕府の取り締まりが行き届きませんでした)。長崎のグラバー邸でも有名な武器商人、トーマス・グラバーと商売がしやすいという地の利もありました。近年、地政学が国の発展を考える上で非常に重要な意味合いを持つことが再確認されつつありますが、当時、幕府と戦う上で、薩長両藩は地政学的に恵まれた立場にあったのです。

なお、この他にも、参勤交代などで各藩の財政が疲弊する中、地道に借財整理(と言えば聞こえはいいですが、要は借金の踏み倒し交渉)に努めたという点で両藩は共通しています。また、元々温暖な地で農業を始めとする産業育成に努めたという共通項もあります。

薩長同盟が結ばれたのは1866年ですが、当時の両藩の隔たりや共通項をCAGE(Cultural、Administrative、Geographical、Economicの略)のフレームワークを援用して分析すると図のようになるでしょう。CAGEは、ハーバード大学のパンカジュ・ゲマワット教授が提案した、地域の差異がどのような事業機会や事業課題をもたらすかを示すフレームワークです。

CAGE分析:薩摩と長州

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この分析からの示唆としては、お互いに反幕府で組めば強大な勢力となるにもかかわらず、政策が合わないことや過去の出来事から反目し合っており、それが足を引っ張っているということが言えそうです。一方の長州は、幕府による長州征伐への対抗で疲弊しており、かつ一藩のみで幕府に対抗できないことも分かっていたでしょう。薩摩にしても同様です。両藩が組まなければ、幕府に対抗する勢力とは成り得ないことは明らかでしたが、長年の反目が妨げになっていました。事実、西郷隆盛と高杉晋作、あるいは木戸孝允(桂小五郎)が会談したりしてはいたのですが、決定的な行動には移せませんでした。

ここで、強力な仲介役が登場します。言わずと知れた坂本竜馬です。竜馬の炯眼は、日本を1つの国と考え、海外の列強に対抗する必要があると考えたことです。今でこそ我々は日本を当たり前のように1つの国と考えていますが、当時はまだ「藩こそが国」の意識が強く、他藩の人間は外国人のような存在だったようです。そんな考えでは、アヘン戦争で蹂躙された清国のようになってしまう、という危機感が竜馬にはありました(ちなみに、そのアヘン戦争で儲けたのがグラバー商会で、竜馬はグラバー商会と親しい関係にありました)。

薩長両藩も竜馬の説得に動かされ、ついに同盟が結ばれるのです。その背景には、幕府を倒した暁には両藩が主導権を取れる、貿易でさらに発展できるなど、両藩にとって好ましいビジョンが描かれたことがありました。この同盟により、対幕府勢力はリソースが増すとともに、ノウハウやナレッジが共有されることになるのです。まさにWin-Winの交渉結果だったと言えるでしょう。

その後、明治維新が成り、実際に薩長が明治政府のかじ取りをしたことは皆さんご存じのとおりです。ここでも彼らの政策の中心は経済的発展であり、経済力こそが欧米に追い付く鍵であるとの認識がありました。仮りに両藩が商売を嫌い、武力で海外に対抗しようとする発想の持ち主であったら、現在の日本の発展はなかった可能性が高いでしょう。

よく、「変革は辺境から起こる」と言われます。しかし、ただ辺境であれば良いというものではありません。現代風に言えば、以下のような条件が担保されていると、変革は成功の可能性が上がるということが、薩長同盟のケースからは言えそうです。

・リソースを賄う経済力と、そのためのビジネスセンスを持つ
・成功のカギ(KSF: Key Success Factor)を良く理解している
・中央(本社)の弱点や外部環境(競合、市場)が客観的に見えている
・適切な危機意識と好ましいビジョンがある
・若い人材が抜擢されやすく、斬新な発想を生む素地がある
・適切な仲間と組むことで、社内影響力を高める。それがさらに仲間を増やす

これは現代の企業にも有用なヒントを含みます。特に変革を目指している大企業では、このような辺境の力をあえて活かしていく視点も必要になってくるのではないでしょうか。

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