日本的経営と古典の交点 

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はじめまして、グロービス経営大学院研究員の奈良美代子と申します。今回から連載を始める本コラムでは、日本の経営やビジネスの姿を、日本の歴史、文化、古典文学といった切り口から考えていきたいと思います。

ところで、なぜ、そのような切り口から経営やビジネスを見る必要があるのか、と疑問に思われる方も多いのではないでしょうか。

「歴史」「文化」「古典文学」はビジネスパーソンに必要な教養か?

ビジネス雑誌の「歴史上の人物に学ぶリーダーシップ」あるいは「経営者たちの読書術」といったようなタイトルの特集を見かけることが多いと思います。たとえば、前者は大河ドラマなどでもお馴染の戦国の武将や幕末の志士たちから、命をかけた志と生き様を通じて、それを成し遂げたリーダーシップのエッセンスに触れます。後者は、有名な経営者たちの愛読書、特に古今東西の古典を通じて先人の知恵に学びながら、リーダーに必要な大局的なものの見方や考え方を身につけるといった内容です。

ビジネスパーソン、そしてとりわけリーダーが何かを成し遂げるためには、その分野の「知識」や「技術」(DO)だけでなく、多くの人を魅了し束ねて行動しいくための「思い」や「志」「人となり」(BE)といったものが必要であり、それを「歴史」や「古典」から学ぼうとすることは、おそらく今に始まったことではないでしょう。

とくにグロービス経営大学院ではこの点を重視した「志領域」という科目群があります。この科目群では、『陽明学』『武士道』『代表的日本人』といった古典を読むとともに、ネルソン・マンデラ氏などの世界を代表するリーダーや歴史上の人物、日本の近代ビジネスの礎を築いた経営者、あるいは現代の等身大のビジネスリーダーらの生き方に触れながら、経営の目先の利益を重視するのではなく、社会に価値を提供し貢献しようとする自らの「志」を見つめ、その「志」の実現を通じて人や組織の成長を自らの喜びとすることができるリーダーとしての素養を身につけ、それに基づいた社会的な責任や倫理を自らに問いかけます。

私は現在、この志領域の研究や科目開発を手がけているのですが、もともと日本の古典文学を専攻し、人材育成の教育プログラムや教材開発の仕事をしてきましたので、いずれ古典文学を読むことをとおして、人生や人の成長についての考察を何かを発信していきたいという思いがありました。

グロービスに参加した当初は、「経営」「ビジネス」といえば、社会に対してモノやサービスの提供を通じて「売上」や「利益」を効率的に追求するもの、一方、「歴史」「文化」「古典」とは、悠久という時間軸の中で個人の趣味趣向に合わせて楽しむもの(はっきり言ってしまえば、ダイレクトには社会活動に役に立たないもの)で、一般的にイメージされる企業活動の対極にあるといった思い込みがあり、長い間、「経営」「ビジネス」と「歴史」「文化」「古典」の接点を見いだせずにいました。

しかし、このようなグロービスのリーダー教育を通じて、「経営」を学ぶとはビジネスを通じて人そのものについて考え、その可能性を伸ばしていくことであり、グロービスが掲げる「志の涵養」とは「自分の人生をどう生きるか?」を問い続けながら生きていくことだ、と思い至りました。そして「経営」とはビジネスを通じて人や社会の成長に関わることならば、どんな分野、領域をも取り込む領域なのだと感じるようになっていました。

そのような目で「経営」「ビジネス」と「歴史」「文化」「古典」を見直すと、その接点が、リーダーシップやリーダーの教養、素養を身につけるといった分野にとどまらず、日本の企業、組織、サービスの背後にある心象や思考の原風景を「歴史」「文化」「古典」から何か読みとることができるのではないか?それによって、日本のビジネスに対する理解が深められるのではないか?と考えるようになりました。

あらためて考えてみるまでもなく、現在の日本の経営やビジネスは、長い日本の歴史の中で育まれながら、一方で日本の文化を担い育ててきました。そしてそれを営む人もまた、日本の歴史や文化から切り離された存在であるはずはなく、その中で培われた価値観や倫理観の中で生きています。言い換えれば、日本の経営、ビジネスそのものが、日本の歴史や文化を体現してきているといえるのです。

グローバル化時代にこそ必要になる、日本の古典への素養

また近年、グローバルなビジネスの現場でも、日本のビジネスパーソンやリーダーたちが、日本のビジネスはこういうものだということを自分の言葉で語らなければならないのはもちろんのこと、その歴史的、文化的な背景を理解し踏まえて語らなければ説得力を持たないといわれます。

長い海外赴任から戻られた方が、赴任先の国やビジネスにおいては、日本の文化や歴史などについて聞かれることや意見を求められることが多く、もっと勉強していけばよかった、というのを私も実際に何度も耳にします。

そのような意味においても、「歴史」「文化」「古典」という文脈から日本の経営やビジネスについて語ることができる、あるいは、日本の経営やビジネスの現象や事象から、日本とはこのような歴史的、文化的な背景を持った国だ、と自身の言葉で言えることがますます重要になってくるのではないでしょうか。

少し長くなりましたが、このような思いから本コラムは企画されました。本コラムを通じて、日本人の心象や思考の原風景に触れていただくことで、日本の「経営」や「ビジネス」についての理解をより深めていただけましたら幸いです。

さて、本コラムでは、まずは日本の国の成り立ちを物語る『古事記』を取り上げたいと思います。「『古事記』から読み解く日本的経営の原初メンタリティ」と題したこれからのシリーズでは、日本の組織やビジネスにおける事象(主に「ヒト」や「モノ」に関すること、そしてガバナンスの分野)の背景にあるメンタリティを、『古事記』という日本人の精神の古層から読み解いていきます。

『古事記』の内容、そして重要性とは?

しかし、『古事記』を読むとはいっても、これまでに『古事記』を通読したことがある方もそう多くはないと思いますので、シリーズが始まる前に、『古事記』について簡単に解説しておきたいと思います。

まずその成り立ちですが、『古事記』編纂(へんさん)は天武天皇(在位673~686年)によって発案されますが、天皇はその完成をみないまま崩御してしまい、その後、元明天皇の時代になって、稗田阿礼(ひえだのあれ)が口述し、太安万侶(おおのやすまろ)が記述したことにより、712年、完成したといわれています。

一般的に『古事記』の編纂は、天武天皇によって整備され始めた律令制度による国家の確立をきっかけに、国書、国史を編纂し、国の成り立ちや天皇家の統治の正当性を国内外に示すという国家プロジェクトの一つだったと考えられています。おそらく皆様も、中学や高校時代の国語や歴史の授業で習った記憶があるのではないでしょうか。

内容は上中下三巻から成り、上巻は「天地(あめつち)初めて発(あらは)れし時に、高天原に成りし神の名は、……」で始まる神々の物語で、日本という国の成り立ちと天皇家の高祖神アマテラスとその子孫による統治のプロセスが語られます。そのプロセスには、国土造りを始めたイザナギとイザナミという男女の神や、「八俣(やまた)おろち」のスサノヲ、出雲の地で国造りに尽力し「因幡(いなば)の白うさぎ」でも有名なオオクニヌシなど、『古事記』を代表する神々が登場します。

中巻では、オオクニヌシから国を譲り受けたアマテラスの子孫(初代天皇の神武天皇から第15代応神天皇)による、国土拡大と平定が語られます。神々は彼らに助けを出すこともあれば、抗えない力となって彼らの前に立ちはだかるものとして語られます。サッカー日本代表のモチーフの一つにもある八咫烏(やたがらす)が登場する神武天皇の東征や、父親から疎まれて戦場を転々とするヤマトタケルとその先々で巡り合う女性たちの悲哀に満ちた物語が有名です。

下巻は、第16代仁徳天皇から第33第推古天皇までの物語です。この巻ではもはや神々は登場せず、皇位継承をめぐる内乱や臣下による反逆のエピソードが繰り返し語られます。しかし、仁徳天皇や雄略天皇など、そのような物騒な御世でありながらも平らかに世を治め、皇統を繋ぎ、多くの女性たちとの交渉を通して、優れた統治者であったことを伝えようとしています。

いかがでしたでしょうか。これが『古事記』の概要です。

なぜ数ある古典の中でも『古事記』から始めるのか、と思う方もいらっしゃると思います。それは『古事記』には現代の日本人が無意識に行っている、いわゆる“日本人的”と呼ばれる行動や思考の原初、原型、原点があり、それはとりもなおさず、“日本的経営”と呼ばれる日本の組織やビジネスの事象につながっていると考えるからです。

このあたりを理解していただくためのベースとなるのが、次回から2回わたっておおくりする「強力なリーダー不在でも成り立つ組織」についての考え方です。臨床心理士で文化庁長官でもあった故河合隼雄氏が読んだ『古事記』の解釈を踏まえながら考えたいと思います。

(Cover photo: serena_v - Fotolia.com)

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