空間軸の罠—末端化の落とし穴を超える 

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前回のコラムでは、クリエイティビティを抑圧する3つの罠のうち、「能力軸の罠:未開発開発能力の存在」を乗り越える方法についてお伝えしました。引き続き今回は、2つ目の罠である「空間軸:末端化の落とし穴」にどう向き合うべきなのか、考察を深めていきたいと思います。

第4回に概説しましたが、ここで言う「末端化の落とし穴」とは、組織やその構成員が事業部ごと、機能ごとの“末端”の中に入り込んで出られなくなり、世の中のニーズの変化へのアンテナを失った結果、新しいことを発想する力を失ってしまうような現象を指します。

たとえば読者の皆さんは「群盲象を評す」という寓話を聞いたことがあるでしょうか。

これはインドで生まれた末端化の典型的な例を示す寓話です。暗闇の中に象がいて男たちはそれぞれ象の足や鼻、牙等の別々の一部分を触わりながら自分が触わったものの感想を言い合います。足を触わった一人は「これは柱だ」と言い、鼻を触わった男は「これは木の枝だ」と言い、牙を触った人物は「これはパイプだ」と言い、誰も「象である」という全体像をつかめないまま意見が対立をしてしまうという話です。

ミクロな一部分しか見ないことが物事の全体像や本質をつかみづらくすることを端的に伝える寓話ですが、私はこれは今の日本企業の多くで生じている現象ではないかと考えています。部門の壁を乗り越えることができず、これまで取り組んできたことをマイナーチェンジすることで問題を解決できると思いこむ——。根底にあるうねりのような変化に目を向けず、問題を先送りし気がついたときには手遅れに近づいている——。つまり組織の構成員が末端に追い込まれ、そこからなかなか出てくることができない。その結果として、一人ひとりのスキルや個性、アイディアを生かすことができず、組織として豊かな発想を持つことに結び付かない———。

かたや世界は、より複雑性を増し、境界領域を横断した思考・コミュニケーションにこそイノベーションの機会が残されていると言われています。MITメディアラボの元所長フランク・モス氏の言を借りるなら、「世界的な貧困から、気候変動、肥満の流行まで、今日の問題は以前よりも複雑にからみあっており、20世紀のようなサイロ化した学問や研究ではとうてい解決できない。問題が複雑で他次元にわたる現代社会では、解決策もそうでなくてはならない。だからこそ、これまでの孤立した学問分野の壁を打ち破る必要がある」のです。そしてこれは、まさしくビジネスの世界においても言えることと思います。

では、境界領域の壁をいかに打ち破り、「末端化の落とし穴」という罠を乗り越えるのか。今回のコラムではこのあたりを考えていきたいと思います。

多様性の効用を理解し、“越境するマインドセット”をインストールする

前回、私は「我々ビジネスパーソンは環境に少なからず影響を受けて仕事をしています。そして、知らず知らずに既存のやり方や会社の常識、業界の慣習に染まってしまっているのが実態です」と書き、固定化された行動・志向特性から個を解き放つ方法論として「ルールブレイク・シンキング」というものを紹介しました。

しかし本来、組織を構成する一人ひとりは異なる個性を持ち、独自の視点で多様なアンテナを立て世界を見ているはずです。その多彩で多様な視点を生かしながら新しい価値を発想することができたなら、と思わない経営者は今や存在し得ないと思います。にも関わらず、なぜ末端化が生ずるのか。

これは恐らく、我々日本人の気質に負うところも大きいのかもしれません。たとえば、よく言われるところの「協調性の高さ」は、時に同調圧力と化し、異質な考えを持つ者を去勢し、組織の同質性を高める要因となるでしょうし、とことん品質にこだわる「職人的な誠実さ」が個別製品や個別サービスの細部を磨くことに向けられすぎ、複数製品にまたがる、または、ハードウェアとソフトウェアを包含した、新たなコンセプトの製品・サービスを創出する機会を阻害してきた側面もあるでしょう。

ではどうすればよいのでしょうか。この課題を乗り越えるためには、組織は個人の総和によって成り立っていますので、一人ひとりが“越境するマインドセット”を持ち、行動変容を起こすことが求められます。それにより組織としての新たな価値創造につながります。とは言え、末端化した凝集性の高い組織において異なる意見を言うのは(特に役職の低いスタッフにとっては)、一定以上の勇気を伴うものです。

これを仕組みとしてやりやすくしている好例が本田技研工業の「ワイガヤ」でしょう。少し長いですが、人材開発センター長などを歴任された高橋裕二氏の著書『自分のために働け!ホンダ式朗働力経営』からワイガヤについての解説を引用したいと思います。

「ワイガヤ」というのは、「ワイワイガヤガヤと議論する」状態を表す言葉で、自由闊達な討議を通じて、もっともよい独創的な考え方や計画案を見つけ出すのに使われる手法であるが、この討議は、直接ないしなんらかの関係ある人たちにより行われるとともに、討議における観点を拡大するような考え方、見方をしてくれる他の人たちが参加することもある。こうした制約のない討議で各人が留意すべき点は以下のようなものである。
(1)自分の考えに具体性ありと思ったら発言すること
(2)他の人の提案を評価するときは、提案者の役職位を無視すること
(3)問題をできるだけ様々な観点から考えること
(4)辛抱強く、結論を急がないこと (「ホンダ用語集」より抜粋)(中略)
ここでは、人の意見に無批判に賛同する雰囲気はない。キチンと自分の意見を用意しなければならない。お互いがお互いの意見をぶつけながら議論をスパイラルアップさせ、誰が聞いてもそうだな、と納得できるレベルまで高めていく努力が要求される。(中略)若い頃から常に本音で、本質的なところまで掘り下げることを要求される風土にあっては、自由闊達も決して楽なものではない。

まず目を引かれるのが「提案者の役職位を無視すること」という文言ではないでしょうか。上位者のポジションパワーで摩擦を生み出すようなアイディアを殺させないホンダの会社としての姿勢が存分に感じ取れます。

意見のぶつかり合い“クリエイティブ・フリクション”を歓迎する

とは言え、多くの個人にとって、自身の強い“越境するマインドセット”だけで末端化による罠を超えていくのは現実問題として、非常にハードルが高いものであることは確かでしょう。

これを超えるヒントは、組織レベルでは事業部横断プロジェクトや他社との協業、個人レベルでは異分野の人々と触れ合う機会や異分野の知見に触れる機会を、意識的に創出することにあると私は考えています(少し余談になりますが、グロービスでは、企業内研修だけではなく、グロービス経営大学院やグロービス・エグゼクティブ・スクール等の異業種が集う他流試合型のサービスを提供しています。ここ数年、この異業種との他流試合型サービスの伸びが非常に高い傾向が強まっているのですが、それはおそらく多くの方々が、自社や所属する業界という枠を超えた多様なネットワークを広げたいという潜在ニーズが強まっているからではないかと考えています)。

第4回のコラムで取り上げたセブン銀行の例では、金融やシステムのプロと、顧客ニーズには詳しいが銀行業については全くの“素人”であるセブン-イレブン社員が混ざり合ったことで、多様な意見がぶつかり合い、最終的には従来にない顧客満足を創出するサービスを作り上げていく契機となりました。

「平日昼間は無料のATM利用料がなぜ日曜や深夜は有料になるのか?」「なぜどこの銀行も手数料の額が同じなのか?」といった問いかけは、金融の“プロ”にとっては愚問にも思えるものだったはずです。当然、最初は議論が紛糾したと聞きます。

このような紛糾の過程を、コロンビア大学教授で、複雑系に関する研究のメッカであるサンタフェ研究所の外部ファカルティーのデヴィッド・スターク氏は、「クリエイティブ・フリクション(Creative Friction:創造的な摩擦)」という概念で説明しています。

スターク氏は自著『多様性とイノベーション—価値体系のマネジメントと組織のネットワーク・ダイナミズム』の中で、「組織の能力を高めるような起業家精神に富む活動が生産性を向上させるのは、情報の円滑な伝達や固定化されたアイデンティティの確認を通じてではなく、生産的な摩擦を育み、組織的に当然と思われてきたことを混乱させ、新しい知識を生み出し、経営資源の定義を見直し、再配置、組み換えを可能にすることを通じて」であり、クリエイティブ・フリクションを避けるべきではないと言及しています。

先の本田のワイガヤの事例においても「お互いがお互いの意見をぶつけながら議論をスパイラルアップさせ、誰が聞いてもそうだな、と納得できるレベルまで高めていく」「自由闊達も決して楽なものではない」など、討議においてクリエイティブ・フリクションの発生が不可避であることが透けて見えます。

クリエイティブ・フリクションがない意見交換は、集団思考(Group Think)に陥ってしまうこともあります。集団思考とは、選択肢の十分な検討をしないまま決めてしまうことや、情報探索を十分にしないまま安易に流されて決めてしまうような状態を指します。末端化の落とし穴を超え、組織と組織の枠を越境して議論をしていくと摩擦は必ず生まれます。この摩擦を避けるのではなく、クリエイティブ・フリクション(創造的な摩擦)であると捉え直し、歓迎し活かす気概を持つことで、越境するマインドセットを失わず強化することができるはずです。

ちなみに、私は新しいことを始めたにも関わらず、クリエイティブ・フリクションが起きていない場合は危険な兆候であると観ています。摩擦が起きないというのは既存の枠組みの“枠内”で発想してしまっている場合であり、残念ながら新しい価値を生み出すことはできません。クリエイティブ・フリクションが起きていない場合は、もう一度ゼロから考え直すことを意識的に自らに課しています。

今後、ビジネスの進化や革新は組織の垣根を超えたカオス分散型で進行する

“キティーちゃん”で有名なサンリオの取り組みにも組織の垣根を超えた協業の意義が見て取れます。今や全世界で大人気のキティーちゃんこと「ハローキティ」は日本で生まれたキャラクターですが、その成功は日本で企画した商品を海外で売るというシンプルなモデルを、現地法人に権限移譲し各国で独自の商品を作れるよう方針変更した2000年代後半以降から顕著になります。しかも現地ニーズをより広く取り込むためにライセンス販売を強化、他社にもキティーちゃんの使用許諾を与えていきます。

無論、ライセンス契約を用意することでコピー製品を戦略的に防衛するというような意図もあったとは思いますが、2,000社を超えるパートナー企業とのコラボレーションにより、多種多様な製品が産み出され、キャラクターが世界に広まるスピードや、各国に定着する確率は確実に増したことと想像されます。

奇しくも、過日行われた新経済連盟経済サミットにおいてMITメディアラボ所長の伊藤譲一氏は「イノベーションを起こすためにはクリエイティビティが重要です」と前置した上で、「昨今一番大きくイノベーションに影響を与えたのはインターネット。Before Internet(BI)はゆっくり動いていて経済学者の予測は当たりましたがAfter Internet(AI)は基本的に予測不可能になってきています」と述べ、「BIは中央集権型のイノベーション、AIはカオス分散型イノベーションが求められます」と指摘しました。

技術が高度化し、インターネットやSNSが普及した結果、ビジネスの進化や革新は組織の垣根を超えたカオス分散型で進行する——。

このことを端的に描いたのが、カリフォルニア大学バークレー校のヘンリー・チェスブロウ氏です。同氏は自著『オープンイノベーション 組織を越えたネットワークが成長を加速する』の中で、「(イノベーションに)役立つ知識」は「広く分散している」ことを指摘し、「かつて、アイディアは大企業からしか生まれなかったが、現在はアイディアが育つ形態にはさまざまなものがあり得る。個人発明家やシリコンバレーのハイテクスタートアップ企業、大学の研究部門、大企業からのスピンオフ組などだ」と説明しています。

つまり、研究開発や製造、マーケティングなど、巨大なバリューチェーンを抱え込んだ一企業を、機能分化した小さな組織がネットワーク化された集合体が凌駕する可能性に言及しているのです。

そのような時代の中で、専門分野や組織の縦割りの枠の中で汲々と悩んでいても問題は解決しません。多様で多彩な視点を持つ他者と議論・意見交換することを通じて分散した知識や情報を集め、それらをベースにしながら考えを水平的、統合的に拡げて考えることで新たな着想を得る。そうしたやり方が世界のデファクトとなっていくと予見されているのです。

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今回のコラムでは、越境するマインドセットを持ち、クリエイティブ・フリクションを恐れないことの重要性を中心に書きました。そうすることで、末端化の落とし穴を乗り越えることができると考えるからです。次回はいよいよ、3つ目の罠:短期目線の圧力をどう乗り越えるのか、ということを書いていきたいと思います。

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