私はずっと、自然との一体感を大切にしながら豊かな絵、自由な絵を描きたいと思ってやってきた。
芸術作品を生み出す際には必ず核になるものが必要となるが、私の核は自然が与えてくれるものである。これは、自然の風景を写しとることではなく、絵を描く過程で自然から感じ取ったエッセンスをカンバスの上に凝縮させていくことを意味している。
芸術作品を生み出す際には必ず核になるものが必要となるが、私の核は自然が与えてくれるものである。これは、自然の風景を写しとることではなく、絵を描く過程で自然から感じ取ったエッセンスをカンバスの上に凝縮させていくことを意味している。
「絵描きになる」と決めた学生時代 自分のスタイルが確立できずもがく
画家になったきっかけには、幼少期の良い師との運命的な出会いがある。絵画教室の先生であったその人は、子供が自由な発想で描くことに対し、度量を持って受け止めてくれた。私は学校の授業などで「もっと、こういうふうに描きなさい」と指示されることが非常に嫌だったので、絵画教室に行けばのびのびと描くことができ、嬉しかったのだ。
今でも忘れられないのは、初めて油絵の具を手にしたときのこと。小学生の私には、使った印象が強烈だった。水彩絵の具は、互いに溶けて混ざるため、色が濁ってしまう。ところが、油絵の具を使ったら、心にイメージすることが、そのままの色彩で表現できた。以来、油絵の具という存在が、好きで好きで仕方がない。
そんな思い出のある私は、卒業時の作文などにはいつも、「絵描きになりたい」と書いていた。高校3年生で進路を決定する際、やはり「絵を続けたい」と思った。しかし、美大受験をするための専門的な勉強をしてきたわけではなく、結局、2年の浪人生活を経て、武蔵野美術大学に入った。
入学して最初のうちは、やりたいと感じることと学ぶことの間にズレを感じてモヤモヤとした思いのまま過ごした。そんなある日、図書館で見たロシア人画家の絵に心を動かされた。非常に澄み切った世界観があり、私自身の心象風景としっくりくるものだと感じた。そのとき初めて「絵描きになろう」と本気で思った。ただ、「絵描きになろう」と思ったところで、なるための方法論があるわけではない。描いても描いても、そのロシア人画家の絵と同じスタイルになってしまい、自分のスタイルを確立できないでいた。そうこうしていて、あっという間に大学の4年間が過ぎてしまった。
今でも忘れられないのは、初めて油絵の具を手にしたときのこと。小学生の私には、使った印象が強烈だった。水彩絵の具は、互いに溶けて混ざるため、色が濁ってしまう。ところが、油絵の具を使ったら、心にイメージすることが、そのままの色彩で表現できた。以来、油絵の具という存在が、好きで好きで仕方がない。
そんな思い出のある私は、卒業時の作文などにはいつも、「絵描きになりたい」と書いていた。高校3年生で進路を決定する際、やはり「絵を続けたい」と思った。しかし、美大受験をするための専門的な勉強をしてきたわけではなく、結局、2年の浪人生活を経て、武蔵野美術大学に入った。
入学して最初のうちは、やりたいと感じることと学ぶことの間にズレを感じてモヤモヤとした思いのまま過ごした。そんなある日、図書館で見たロシア人画家の絵に心を動かされた。非常に澄み切った世界観があり、私自身の心象風景としっくりくるものだと感じた。そのとき初めて「絵描きになろう」と本気で思った。ただ、「絵描きになろう」と思ったところで、なるための方法論があるわけではない。描いても描いても、そのロシア人画家の絵と同じスタイルになってしまい、自分のスタイルを確立できないでいた。そうこうしていて、あっという間に大学の4年間が過ぎてしまった。




