社会起業家VS起業家(堀義人 起業家の冒言) 

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「社会起業家」に違和感を覚える四つの理由

ツイッターでつぶやいているうちに、オピニオン的に自分の考えをまとめてみたいものが出てくる。140字では、とても考えをまとめきれない。そこで、議論の発端をツイッターで「つぶやき」、その後は、ブログにまとめる、という作業を行うことにした。

そのつぶやきを二つ紹介しよう。

「素朴な疑問だが、日本の企業は、そもそもが社会貢献を目的に作られたものと思っていたのに、なぜ敢えて『社会起業家』として括る必要があるのか? 株式会社という器を使うと、社会貢献を考えていない『金儲け』と看做されるのか?分けることにより、区別や優劣が生まれるような気がしている」。

「グロービスは、NPO法人などが無いときに始めたので、株式会社を器として使った。一昨年学校法人に転換した。だが、全く意識を変えていない。そもそも良い人材を育成したいという思いで始めたからだ。そういう僕は『社会起業家』なのだろうか、それともただの起業家か」。

僕は、「社会起業家」という言葉が出始めたときから、何らかの違和感を抱いていた。その違和感が何なのかをずっと考えていたのだが、その理由に先日気がついたので、ここで紹介することとする。上記「つぶやき」と重複があるかもしれないが、次のとおり、まとめてみることにする。

(1)そもそも日本の企業そのものが、社会貢献をもとに作られていることが多いのに、なぜ敢えて「社会起業家」という言葉を使う必要があるのか?基本的に、「社会起業家」は、欧米から入ってきたコンセプトである。日本は、渋沢栄一さんの時代から、「ビジネスを通しての社会貢献」という考え方が根付いている。欧米型のビジネスと日本でのビジネスへの捉え方が違うのに、欧米のものを輸入すればいいとは思わない。

逆に、社会起業家と起業家を分けることによって、区別・優劣が生まれる。「私は、社会起業家ですから金儲けはしない」的な雰囲気を感じるのである。そこに違和感を抱いていたのである。ご本人も「社会起業家」と呼ばれることに抵抗感を感じているように、バングラデシュでバッグを作ろうが、中国で作ろうが、そもそも同じだと思う。株式会社で教育を提供しようが、学校法人で提供しようが、大差は無いと思う。

(2)そもそも、日本の美徳は、「陰徳」である。良いことをしても、基本的にはその良いことをおおっぴらには、言わないのである。寄付をしても、ボランティアをしても、あまり多くを語らずに、「大したことをしていないので」として控えめにするのが、美徳であったはずだ。

それを、「私は、社会起業家です」と言って、「良いことをしています」のような形で暗に公言しているのにも違和感を持っていた。そうなると、「株式会社は、良いことをしていないのか?」と反感を抱くのである。

(3)更に、社会起業家のビジネスモデルが、ボランティアや安い給料を前提としていて、規模が小さいものが多いことにも気になっていた。つまり、良いことをしているという気分を得ることの代償として、比較的安い給与やボランティアの労働を前提とし、ビジネスモデルが作られていることが多いように感じていた。これでは、長続きしないし、社会に良い意味での大きなインパクトを与えられない。社会に本当に良いことをしたいのであれば、規模を大きくして、永続的なビジネスモデルとすべきなのではないか。

(4)一番、気になるのは、そのような社会起業家の事業が、通常の民間業務とバッティングする場合である。介護であったり、教育であったりすると、NPOで提供するものと株式会社で提供するものとがバッティングすることもある。それであれば、株式会社として規模の追求と永続的モデルにすべきではないかと思う。ただ、一方では、規模と永続性を追及すると「社会起業家」とは、呼ばれなくなってしまうような雰囲気がある。

一昨年だったか、インドのマイクロ・ファイナンスの会社が、世界経済フォーラムで何らかの賞を得た。その受賞者が、「大手銀行から支援を得て、これからIPOをしようと考えている」と言ったときには、ビックリした。マイクロ・ファイナンスと消費者金融の境は何だろうか?社会起業家と起業家の境など、そもそもつくりにくいのではと思えた。

一方では、社会起業家として、本当に良い貢献をしている事例もあるのは確かである。話を聞くだけでも、涙が出てくるほど感動する方もいる。僕は、社会起業家として一番良い事例は、株式会社では実施しえない領域にあると思っている。たとえば、NGO的な奉仕・寄付活動を仕組み化しているモデル(ミャンマーにおける井戸への寄付集め、カンボジアにおける寄付・奉仕活動、さらにはTABLE FOR TWOのようなモデル)や、Teach For Americaのような教育を仕組み化する方法論などである。

僕のような、良い人材を育てたい、という気持ちで大学を作ったとしても、それは「社会起業家」とは呼びたくないのだ。僕は、起業家であることに誇りを持っているので、そのまま起業家で生きていこうと思っている。

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