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自らの使命を見つけ出すために (堀義人新著『創造と変革の志士たちへ』一部転載)

投稿日:2009/03/06更新日:2019/04/09

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グロービス経営大学院学長・堀義人氏が、新時代のリーダーが身につけるべき実践力を、「能力開発」「志」「人的ネットワーク」に分けて説いた書籍『創造と変革の志士たちへ』から、著者が本に込めた想いを綴った「はじめに」と、人生の目標、志を見つけ出すヒントを提示した第2章「志――自らの使命を追求する、強い意思を持つために」の内容の一部を、今回、発行元であるPHP研究所のご厚意により、特別に再掲載します。

はじめに

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『創造と変革の志士たちへ』という、どこか古臭いようなタイトルに驚かれる読者も多いかと思う。僕は、ブレストの中から生まれたこの言葉をこよなく愛し、グロービスの教育理念の根幹をなす言葉として、採用させてもらうことにした。

「創造と変革の志士」とは、明治時代に「勤皇の志士」が活躍したように、現代という不確実性が高く不透明な時代に、世の中を創造し、変革できる力を持った人々を育成したいという思いから、グロービスが命名したものである。創造と変革の志士はグロービスにおいて、教育理念に従い、「能力開発」をし、「人的ネットワーク」を構築し、「志」を醸成することが期待されている。

グロービスの建学後しばらくこの言葉を使い続けてきたが、多くの方々から、「なぜ創造と変革の志士なのですか?」「具体的にどういう人々を指すのでしょうか?」「どうやって育成していくのですか?」という問いかけをしばしば受けることになった。

そこで、『創造と変革の志士たちへ』というタイトルの本を執筆して、僕の考えていることを可能な限りわかりやすく文書化することにした。それにより、グロービスの学生、卒業生、教職員、そしてグロービス経営大学院を志す数多くの人々に、そして国内外のビジネスパーソンなど、それ以外の多くの人にグロービスが目指すものを伝えよう、と考えた次第である。

本書では、序章でグロービスの教育理念の意味を紹介し、第1章から第3章までで、その理念の骨子となっている「能力開発」、「志」、「人的ネットワーク」について、それぞれ説明する。第4章では「創造と変革」の考え方について、第5章では、「志士」として学生に期待することを挙げる。全体を読むことにより、グロービスが輩出したい人材像、さらにはグロービスの教育理念を理解できる構成となっている。

「創造と変革の志士」とグロービスの教育理念について詳しく述べる前に、ここではグロービスの理念の中に「創造と変革の志士」という言葉を採用せしめたような、僕の幼少からの体験を紹介する。

僕は、小学校六年生から茨城県水戸市に住むことになった。それまでは原子力のメッカである茨城県東海村の団地に住んでいたのだが、両親が家を建てるにあたり水戸市を選び、彼の地で高校卒業までを過ごすこととなった。

通った小学校は、三の丸小学校という。読んで字のごとく水戸城の三の丸に位置するので、その名がつけられた。江戸時代後期には、弘道館という水戸藩の藩校が建てられていた場所でもある。かの藤田東湖が徳川斉昭公に命ぜられて創り、最後の将軍となった徳川慶喜公が学んだという藩校である。

藤田東湖は、「大義を明らかにして人心を正す」「学問と事業の一致」「文武不岐(両道)」をその精神として、弘道館を建てたという。弘道館の一部が史跡として三の丸小学校の隣に現存しており、小学校の壁は、弘道館の白い塀をその当時の趣のまま使っている。

中学校は水戸城の二の丸に位置していた。ここは、徳川光圀公が大日本史を編纂した場所でもあった。つまり、幕末の尊王攘夷の思想に繋がる、水戸学の発祥の地でもあった。

そして、通った高校が、水戸城の本丸跡地に位置する水戸第一高等学校である。天狗党の乱では、天狗党がこの水戸城を攻めあぐねたことにより、茨城県の北西に位置する大子(だいご)から京都に向かった。最終的には敦賀の鰊蔵に閉じ込められて、最期を遂げたのである。

こうして僕は、水戸学の発祥の地の空気を吸いながら育ったのである。

水戸は明治維新のきっかけとなり骨格となる思想を作った。しかし、最後の将軍徳川慶喜をこの地から出しているということも手伝い、維新を自らの手では成し遂げられなかった。その後、水戸の思想や意思は、薩摩、長州や土佐の志士に伝播することになる。

吉田松陰は、水戸に遊学してその思想に触れ、日本を大いに憂いて、長州に帰国後、松下村塾を作った。松陰は、その松下村塾を通して、「勤皇の志士」を育成し、明治維新を成し遂げ、日本の近代化に寄与したのである。

吉田松陰は、「志士」のことを次のように説明していた。

「志士とは、志達ありて節操を守る士なり」

すなわち、志士とは、高い理想を持ち、信念や主義主張を守って変えない人物のことである。志がいったん立てば人に求めるものもなく、世の中に望むものもない。自信に満ちて意気が盛んとなり、天地古今を眺めることができるようになるのである。

「グロービス経営大学院」で育成したいのは、このような「志士」である。その思想の一端をこの『創造と変革の志士たちへ』で少しでも紹介できれば幸いである。

(次ページより第2章の内容にはいります)

▼ハーバード留学で得た、リーダーとしての自覚

グロービス経営大学院は「創造と変革の志士」を育成するために存在する。その教育理念の根幹となる要素の二つ目が「志」である。

グロービスでは、あらゆる形で「志を持て」というメッセージを送り続けている。学生は、経営学を学ぶためだけにグロービスに来るのではない。世の中をダイナミックに創造し変革する意思を持ち、そのために必要な能力やネットワークを身につけるために、グロービスに集うのである。そして、その学生達が進むべき方向性を指し示すのが、「志」だ。

その志を醸成する前段階として、必要なものがある。それは、リーダーとしての自覚である。

リーダーの自覚なくして、志は立ち得ない。明治維新の志士たちには、「日本という国をどうにかしなければならない」という気持ちがあり、そして、「僕らがやらねば誰がやる」という自覚があったからこそ、立ち上がったのである。

では、このような自覚は、どのようにして生まれるのであろうか。生まれつき持っているものだろうか。

日本文化の美徳の一つは、謙遜と謙譲の精神であると思う。その影響からか、日本人は「そんなことは僕にはできないから結構です」とか、「僕の代わりにどうぞやってください」とどうしても控え目に考えてしまう。自らにリーダーとしての資質がある、という意識を持たずに育っている人が多いのではないか。

僕自身も、留学するまでは、リーダーとしての資質があるとは思わなかったし、自覚も芽生えていなかった。何となくまわりに人が集まってきて、僕が方向性を示すとついてきてくれる人が増えていたのは感じていたが、自らがリーダーだとは思っていなかった。

では、その僕がいったいどうやって自覚を得ることができたのであろうか。ここでも、HBSへの留学時代に遡って説明する必要がある。

僕自身がHBSで得た最も貴重な成果の一つが、リーダーとしての自覚を得たことだと思う。在学中の二年間、「あなたは経営者である。その経営者としてどう考えますか」と問いかけ続けられる。「リーダーとしてそのような考えや姿勢でいいのか」と詰問されることもあった。そして、「あなた方は、二十一世紀を引っ張るリーダーである。その自覚を持つことが重要だ」と何度も何度も暗示をかけられるのである。

自覚を得るのに年齢は関係ない、というのが、僕が体験してきた実感である。このような暗示を毎日のようにかけられて二年間を経ると、人間はどのようにも変わり得る。僕は、そのことを、HBSで実体験してきた。

▼「凝縮された教育体験」の重要性

僕は、卒業時点では、まだ二九歳であった。しかし、考え方、振る舞いは、すでにリーダー然としていた。無理もない。毎日のように、「あなたはリーダーだ。そのリーダーとしてどう考えるのか」と何度も何度も質問をされるのである。そして、そのリーダーとして、ケースの環境の中に身を置き、リーダーとして疑似体験を積んでいくのである。

疑似体験をしながら、そこに感情移入をすると、本当に行ったのと同じような影響が頭脳に与えられるのだという。そう考えると、ケース・メソッドに取り組むことで、リーダーとして、ケースの回数分、つまり何百回分の意思決定の場面に遭遇したのと同じ経験を持つことになるのである。

その凝縮された疑似リーダーとしての体験を二年間行うと、入学時の二七歳と卒業時の二九歳とでは、まるっきり違った人間となる。そして、このリーダーとしての自覚により自らの視点が上がり、「もし自分が経営者だったらどう振舞うか」を常に考えるようになったのである。それにより、たとえ二〇代であってもリーダーとしての雰囲気が出てきたのである。

無為にテレビやゴルフを楽しみながら何も自覚を持たずに五〇歳になる人よりも、短い時間凝縮して学んできた三〇歳前後の若者の方が、よっぽど自覚を持ち、風格すら兼ね備えてくるから不思議なものである。僕は、この時ほど教育の重要性を痛感したことはない。二〇代にこのような体験を経た人々とそうでない人々とでは、精神的な成長も違ってくるであろうと考えた。

特に、僕のように影響を受けやすい人間は、すぐにその気になってしまう。僕は、「二一世紀を引っ張るリーダーなのだ」と、すぐに「大いなる勘違い」をしてしまう(ちなみに僕は、「大いなる勘違い」をポジティブな意味で使うことが多い。是非多くの人々に「大いなる勘違い」をしてもらい、リーダーとしての自覚を持ってほしいと思っている)。

そのような自覚が芽生えると、「リーダーとして、今何をすべきか」という、生きていく方向性を模索することになる。これが「志」なのだと思う。

HBSでほぼ同時期に学んだ日本人は約四〇人いたが、その中から、わが国を代表する若手リーダーが続々と輩出された。彼らもおそらく、僕と同様に、MBAの過程で、リーダーとしての自覚を喚起され、志を醸成したのであろう。

その体験から、グロービスでは、「あなた方は、創造と変革の志士である」という自覚を促す言葉を投げ続けることにしている。

「志士としてどのように生きていくのか」と。

▼自らの使命の模索

リーダーとしての自覚が醸成されると、次はリーダーとして何をするべきかを考えるようになる。

何をするべきかを考える際には、さらに根源的な質問を投げかける必要がある。それは、「自分は何のために生きているのか。なぜこの世に存在するのか」というような哲学的な問いかけである。

僕は、これらの問いかけの結果生まれるものが、自分の使命、任務であると思っている。

使命感や任務は、志を醸成する上ではとても重要な基盤となるものである。

人間誰しも、自らがこの世に存在する意味を見出したいと考える。「この世で何を成し遂げたいか」も理解したい。一度しかない人生なので、有意義に過ごしたいと思うのは至極当然のことである。

では、どうやって自らの使命を模索するのであろうか。そのような使命というものは、自分で認識可能なのであろうか。ここでは、一番身近な自分の事例をもとに説明してみることとする。

拙著『吾人の任務』でも書いたが、僕が自らの使命を模索するきっかけとなったのは、祖父の遺稿集である。

科学者だった祖父が飛行機事故で他界したあとに、「吾人の任務」と名づけられた追悼集が僕に渡された。祖父の友人が集まって書いたものであった。この「吾人の任務」という追悼集のタイトルは、祖父が二五歳のときに書いたエッセイの表題からつけられたものである。

二五歳のときに、祖父は、この短文の中で、自分のミッションを明確に定義した。ポアンカレの『科学の価値』を引用し、自分の任務を書き記したのだ。

子供の頃この追悼集を読んで以来、僕はこの「吾人の任務」という言葉が頭の片隅から離れなかった。常に、自分の任務とは何かを考えて、祖父の生きてきた年表と比較しながら、「負けてはいけない」と自分をプッシュした。

僕にはもう一人祖父がいたが、その祖父は政治家をしていた。僕は、政治家と科学者どちらになるべきかを考えていたが、結局双方とも自分に向かないとわかったので、大学卒業後は、商社マンになった。だが、そこで「僕はそもそも何をすべきなのだろうか?」という質問に再度直面することになった。

僕が、政治家、科学者、商社マン以外のもう一つの選択肢として、起業家というキャリア上に気がつくのは、米国に留学してからである。これは、数多くの異業種のバックグラウンドを持つ学生と夢を語り合い、ケースで様々な産業と様々な職種の疑似体験をしたことや、さらにはキャンパスに来る経営者のスピーチを聞きながら至った結論だと思っている。

「では、起業家として、僕はそもそも何をすべきなのだろうか?」と自問するうちに、経営大学院を創るという、グロービスのビジョンが降って湧いたように描かれたのである。これが、自らのパーソナルミッション(吾人の任務)とは何かを考え抜いた末の帰着であった。

自らの事例からわかることは、「自分の使命は何か」を考え続けることの重要性である。探し求めなければ、見つからないのだ。「自分は、何がしたいのだろうか」、「何をすべきなのだろうか」ということを問い続けないと見つからないもののような気がしている。

▼自分の任務を見出す方法論―自分がワクワクすることは何か?

「では、どうやったら自らの使命が見つかるのか」というのが次になされるべき質問となるだろう。

これに対する答えは、正直言ってよくわからない。ただし、僕は、クラスの中で、「好きなことと、自分に向いていることに焦点を当てるといいですよ」とヒントを出している。

僕の例では、MBAのカリキュラムの中で、ベンチャーと名がつくコースすべてが好きで、ワクワクしながらケースを読んでいたことがヒントになっていた。一方では、アカウンティングのケースは苦手であった。

逆に、アカウンティングやファイナンスが好きな人がいるし、当然ベンチャーが嫌いな人もいる。グロービスの学生で、財務諸表を読んでいると安心して癒される、という人がいた。そういう方は、財務・会計の道が向いているのだと思う。

「好きこそものの始めなり」である。ただし、好きであっても、自分が比較優位にない分野がある。僕の場合には、囲碁は好きだが、幼少からやってきた囲碁棋士には到底勝てない。好きなことで、かつ自分が得意なものに、自分が生きていく道があるのであろう。

好きでかつ得意なことをやりながら、それが社会にどのように役立っているのかを考えると、自らの使命というものが見えてくるものである。具体的には自らがその仕事に専念する姿を思い浮かべながら、どうすればもっと多くの人に喜びを与えられるだろうかと考え始めのである。

どんな職業であっても、必ず社会に貢献しているものである。その職業の中身がどのように社会に役立っているのか。そして、その恩恵を受けている方々の喜ぶ姿を思い浮かべることができると、至上の喜びを得られることがある。

もしかしたら、その役割こそが、自分の任務なのかもしれない。その任務をもう少し拡張して考えていくと、もっと大きな社会貢献ができるかもしれない。そこに自分の成長を組み込み、自己実現欲求を満たすことができ、しかも人生をかけてその仕事をしてもいいと思えるならば、その役割は、自分の任務である可能性が高いのである。

いずれにせよ、自分の任務を見つけるうえでまず重要なことは、自分が本当に好きなことは一体何なのかを十分に理解することである。好きなことを理解するためには、むやみやたらに頭で考えて、「こういうことをすると他人から評価される」とか、「年棒が高いから」などと、他人や社会の評価を気にしてはいけない。

よく海外のビジネス・スクールに行って、MBA取得中の学生に「卒業後何がしたいですか?」と問うと、「コンサルタントかインベストメントバンカー(投資銀行員)になりたいです」と答えが返ってくる。「どうしてですか」とさらに問い続けると、「皆がそういうキャリアを歩んでいるから」とか、「給与が高いから」という答えが返ってくる。

このように、他人からみてかっこいいことをしようとか、金銭面だけでキャリアを選ぼうとしないことである。この発想からは、自らの使命は何かを問う姿勢は全く感じられない。

楽しいことや好きなことを探すためには、自分がワクワクすることは何かを感じ取ることが大事である。自分が「楽しいと思っているのか」、「やりたいと感じているのか」、「好きだと思っているのか」など、自らに問いかけてみて、自らの感情を理解することが肝要である。

つまり、自分自身の感情を理解することが、最初のステップだと思う。そこにワクワクするものがあるならばまずは入ってみて、自分に合うかどうか、適性があるかどうかを試していく。その延長線上に二〇年後、三〇年後の自分の姿が描けて、その姿を美しく、楽しいと思えるかどうか。そこに至るプロセスも楽しめるかどうかを問いかけながら、自分の使命を模索していく必要があるのだ。

僕の言う「楽しみ」とは一時的な享楽的なものではなく、新たに何かを創造する楽しさであったり、学びのプロセスの楽しさであったり、多くの良い人間と交わりながら自分を向上させる楽しさであったり、精神的にも大きな満足感を得られるものを指す。いわゆるマズローの欲求五段階説でいう、一番上の欲求「自己実現」である。こういう楽しみ方は、人間としての成長にもつながるので、最も高尚なものだとも言えよう。

僕は、よく次のことを学生に伝える。「もしも自分の任務を見つけることができたならば、無限大のパワーが生まれてくるよ」と。自分にとって好きなものが見つかり、他人に対して比較優位がある得意分野の仕事を、楽しみながらしているのだ。その仕事をすることにより、多くの人が喜び、感謝されて自分が社会に貢献できているという実感も得られるのである。さらには、その中で自らを成長させる機会を得ることができ、自らの成長を喜ぶことができるのである。こんな素晴らしいことはないではないか。

だからこそ、「もしも自分の任務を見つけることができたならば、無限大のパワーが生まれてくるのである」と言っているのだ。その任務を見つけることができたら、目が輝き、体中が活性化されているような感覚になるのではないだろうか。そして、周りにいる多くの人々を感化させているのではないかと想像する。その結果、周りの方の目も輝き、使命感に満ちた良い仲間のネットワークができるのだと思う(詳細は、第3章の「人的ネットワーク」で述べる)。

自分の任務探しには、正解が無い。それでも、自らが納得して、取り組めたら、これほど幸せなことはないではないか。

▼自分をわかりにくくする邪魔もの①――頭脳の働き

ただ、意外にも自分の感情を把握するのは、簡単ではない。なぜならば、ついつい頭で考えがちになってしまったり、欲望や世間体というものに惑わされてしまったりするからだ。

往々にして、高学歴の人々は、頭で考えがちになってしまい、感情の動きを察知することができない。それは、ある意味では、しかたがないことなのかもしれない。なぜなら、幼少のときから塾に通い、本当は外で思いっきり遊びたい時に、「勉強をしなさい」、「賢くならないと良い職につけないよ」と言われ続けてきてきたからだ。多感な中学・高校時代に、無味乾燥な受験勉強に追いやられるのである。本当は、多少街中に出たり、恋愛をしたりしたい頃である。

そのように自分の感情を意思の力で抑えることに慣れてしまうと、自らの感情がどのように動いているかを見失ってしまうのではないだろうか。つまり、「遊びたい、楽しみたい」という願望よりも、「○○しなくてはならない。なぜならば××だから」という意思の力が強いので、願望そのものを感じなくなってきているケースが多いのではないかと思える。

事実、僕がそうだったのだ。HBSに留学している頃に、自分が何をしたいのか、本音ではどう思っているのかを見失っている自分を発見したのだ。そして、部屋の片隅の壁に寄りかかりながら、床の上に座って丸くなっていた。その姿をいまだによく思い出す。

「自分の感情は何と言っているのだろう」「自分は、何を欲しているのだろうか」と自らの本心を探るために、自らの意思の力である頭脳の働きを低下させようと努力をしたことを思い出す。

その頃は、まわりの人すべてが、意思の力で動いていて、本心や感情というものを抑え込んでいるかのように感じた。一方では、本音で語り、感情のまま行動している人々を、妙に魅力的に感じていた。

ちなみに、僕にとっての「人間的魅力のある人」の定義は、「自分の感情というものをまっすぐにそのまま気持ちよく表現できる人」である。感情の動きをそのまま感じとり、自らの欲するままに生きていて、必要に応じて頭脳のスイッチをオンにして、そのロジックをわかりやすく説明していくような人である。僕は、そういう人に人間的な魅力を感じ、ともにいて知的快楽を得るのである(人間的魅力について、詳しくは第3章で述べる)。

話を戻すと、この頭の働きが、自らが何を楽しいと感じているのかを見失わせる邪魔者となってしまうのである。したがって、この邪魔者を必要に応じて、スイッチオフする訓練が必要になる。「考えるな」とは言っていない。感情の動きを察知したい時には、頭脳の働きをスイッチオフにする。頭脳を使って考えたい時には、スイッチをオンにするのである。

言うのは簡単だが、これを実践できるまでには、相当な努力を必要とする。急にオフにすることも、自らの感情の微妙な動きを察知するのも、最初は簡単ではないのである。

頭脳の動きを止める方法の一つとして、座禅や瞑想などは役に立つと思う。特に心の落ち着く自然環境の中に身を置くことにより、自らのやるべき方向性というものを発見できるような気がする。

▼自分をわかりにくくする邪魔もの②――欲望

もう一つの邪魔ものは、欲望である。特に社会的欲求に属するような自己顕示欲、権力欲、金銭欲などは、自らの使命を把握するのを大いに邪魔するケースがある。

僕は、起業家と一緒に仕事をすることが多い。彼らの能力は抜群に高いのではあるが、一方ではとても競争心が強いので、自らの力を顕示したいという願望も強くなってしまうようだ。

日本社会の枠組みの中では、まだまだ起業家の社会的地位は低いため、最初はどうしても卑屈な気持ちになってしまい、「どうせ私は、理解されていないから」という思いが出てきてしまう。それが、「いまに見ていろよ」という劣等感をバネにするような態度となり、そして成功すると「ほらすごいだろ」と見せびらかしたくなるのだ。

その際に、見せびらかしたくなる「力」というのが、お金という経済力であり、地位という権力であり、名声という知名度だ。だからこそ、時価総額を気にしたり、自分の社会的名声や評価を気にしたりするのである。

すると、経済力を高めることを目的化し、時価総額が高くなることを目指して自らの会社の経営の舵取りをすることになる。富の最大化を追求することは、資本主義の社会では何ら間違っていないことなのだが、それを目的化すると、本来自らがやりたかったことや使命感というものからは、かけ離れていってしまう。

また、名声を追い求めることを目的化すると、テレビや新聞・雑誌に出るために新規性を追求することが事業の目的となってしまう。地位や権力も同様である。勲章や会合におけるポジションを取ることだけが目的化すると、本来の目的からそれてしまうのである。

僕も起業家なので、その気持ちはよくわかる。社会における起業家の地位は決して高くないと思っている。だからこそ、経済力を高めて、名声を上げて、権力を得ようする気持ちも理解できる。また、そうすることで自らの優位を示したいと思う気持ちにかられることもある。だが、そこに落とし穴があるのだ。

ある程度成功すると、他人の評価も変わってくる。他人の評価が変わってきているのに、「ほらすごいだろう」と自分の評価が低いときと同じような気持ちで自らの力を誇示しようとすると、社会とのズレが発生するのである。「この人は謙虚な姿勢が足りない」と多くの人々から顰蹙を買い、最後は社会的なバッシングを受けてしまうのだ。

実は、こうした欲望が、自らの感情ややりたいことの邪魔になるケースが多いのである。途中までうまくいって、ある程度の成功をおさめると、止まらなくなってしまう。知名度が上がると、それなりの生活をしなければならなくなる。街ゆく人に、「あ、○○さんだ」と囁かれ始める。そうなると有名人気取りである。お金ができると、高価な時計や服装を身にまとい、高級車やプライベート・ジェットを持つようになる。どうしても、他の人よりもより良いものを持ちたがるものだ。

成功したのだから、ある程度は良いことだと思う。だが、それで感覚がマヒするのが怖い。欲望をそぎ落とすことが重要なのだ。すべての欲望を削ぎ落としたときに、初めて心の中の淀みがとれ、自らが進むべき方向性がみえてくるのである。欲望という邪魔者を取り除くことができれば、本来進むべき方向は、自らの中に願望としてあるのだから、それに惑わされずに進んでいけるのである。

さて、ここまで「欲望」というものをひと括りにして論じてきたが、ここで改めて欲望について整理してみよう。僕は、欲望や欲求を、良いものと悪いものとに分けて考えている。

良い欲望は、人間の本来持っている根源的な欲望である本能をも含んだものとして捉えている。例えば、食欲、性欲、睡眠欲などである。さらに発展させると、自己実現に向けて自らを成長させる自己実現欲求もここに含まれる。

一方、悪い欲望は、先ほど来説明している、自己顕示欲、権力欲、金銭欲のような欲望である。この悪い欲望を可能な限り削ぎ落とすことが重要だ。それを削ぎ落したあとに、初めて内面からほのかに光り始めるのが、「根源的に何をしたいかの思い」、すなわち、自らがやりたいと感じている使命感や大切にしたい理念や価値観なのであろう。

逆に言えば、その悪い欲望、所有に対する執着、名声へのこだわり、地位に対する未練などをそぎ落とさない限りは、本当に何がしたいのかは見えてこないものなのかもしれない。その内面の光は、美しいが光の力が弱いので、欲望の光によってかき消されてしまうのだ。ただし、内面の光は、欲望の光とは全く違う色をしている。僕は、他人とは全く違う色で光っていたいと思う。たとえ、光が小さくとも。

後述するが、内村鑑三著の『代表的日本人』の中で二宮尊徳は、村人の信頼を失っている名主についてこう言っていた。「自分可愛さが強すぎるからである。(中略)村人に感化をおよぼそうとするなら、自分自身と自分のもの一切を村人に与えるしかない」と。

尊徳は、すべての執着から脱却することが、改革の発端だと考えていたようだ。反対に「利己的な人間は、けだものの仲間だ」とも言っている。そういうけだものには、誰もついてこない。尊徳の言葉を胸に秘めながら、自らを律し続けようと思う。

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