社会起業家&(アンド)起業家(堀義人 起業家の冒言) 

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包含的にとらえる

「明日NPO法人フローレンスの駒崎さんを訪問予定。講演録、会社概要、ブログなどに一通り目を通した直感的な印象は、『やり方によっては、十分に成功するビジネスモデルである』、だ。株式会社に転換して規模化を図った方が、社会への貢献は大であろうとも思う。いずにせよ、明日色々と教えて頂く所存」、とtwitterで昨晩つぶやき、夜就寝した。

僕のそもそもの疑問は、「社会起業家」は、「起業家」と何が違うのか、であった。ツイッターやブログを通して多くの人々と意見交換し、社会起業家と議論をした後の僕の仮説は、「基本的に同じである」、だった。双方ともビジネスモデルが重要だし、利益を出さなくてはならない。組織構築も必要なので、何ら違うものは無いのだ。ただ単に、社会貢献の意欲と株主リターンへの意識が、多少違う程度だ。その根拠を次のとおり説明しよう。

尺度を0から10の目盛りが振られた横軸をイメージして欲しい。右端に、「社会性が強い目的で起業する人」。左端に「社会性が低く利己的目的で起業をする人」がプロットされる。

右側に近い人(目盛りの8~10)を「社会起業家」と呼ぶ風潮があるが、普通の「起業家」の中でも、社会的問題解決を目的とした人々もいる。ただ、彼らは、自らのことを社会起業家とは呼ばないし、世間もそう認識しない場合も多い。ただ、双方が同じ目盛りの8~10の度合いで社会性が強い目的で起業する場合には、実態としては大差が無いのである。

僕が、ベンチャー・キャピタリストとして多くのベンチャー企業に携わった経験から言うと、「社会性が高い目的で起業した人でないと、長期的には成功し得ない」とほぼ言い切れる。従い、企業が成長するにつれて、左端の企業が淘汰され、結局は、右端の社会性が高い企業しか生き残れなくなる。

つまり、中学校の数学で学んだベン図の概念で説明すると、起業家の円の中に、小さな社会起業家の円が含まれているようなものである。成功している起業家のみを比較すると、同心円に近い形になっていくのではないかという仮説が成り立つ。

一方では、採算の取れる仕組みとして到底成り立ち得ない領域があるのも事実である。その領域で働く人を、「社会起業家」と呼ぶべきかどうかは、疑問である。むしろ、社会奉仕者やボランティア活動家として定義づけした方が良いように思う。

従い、前回のオピニオン「社会起業家VS起業家」で、「vs」を使ったこと自体が、対立概念を生み出しているのである。そこで、「&(アンド)」で括って「基本的に同じである」、と考えると、社会起業家は「偉い」とか、起業家は「金儲け」だとか言う対立軸的な発想は、なくなるのであろう。

区別することにより、対立軸が生じる。その対立軸が、批判を生み、優劣を生み、諍いのもととなる。一方では、対立軸をなくし、全てを包含的に一体と捉えることもできる。そうなると、融和的となり、闘いはなくなり、無用な議論も不要となる。

ここまで書いていたのだが、ハタとパソコンを打つ手が止まり、ツイッター画面を開いて次のとおり呟いた。

「次の社会起業家に関するブログを執筆していたのだが、どうも自分の中で腑に落ちないのだ。観念的過ぎてリアリティが無いからだ。明日駒崎さんにアポ入れして、現場を見せてもらって、もっと理解してから自分なりの結論を出すことにしたい。色々と教えてください。m(__)m」

気鋭の社会起業家駒崎氏との対話

そして、2週間経ち、冒頭の呟きとなったのだ。朝10時に駒崎弘樹代表とのアポがあったが、予定よりも5分早く到着した。オフィスは、若い女性がいて、明るい雰囲気である。着くなり、「現場に行きましょう」と促されて、タクシーに乗車した。

タクシーの中で、駒崎代表に色々と質問させてもらった。その議論を経て、起業家と社会起業家の関係は、前述を追認する形で、僕の頭の中ではスッキリさせることができた。一方、「社会起業家の中で、NPO法人を採用する場合と、株式会社を採用する場合とでは、何が違うのだろうか」、という新たな疑問が湧いてきた。つまり、「器」の議論である。

フローレンスの駒崎代表から聴取したことを総合すると、基本的に、現状のNPO法人であれば、デメリットが多く、なかなかスピード感を持って規模化するのが難しそうである、ということが理解できた。

理由は、NPO法人では、資本の増強が容易でなく、借入も難しく、企業との取引にもハードルがあるからだ。一方では、米国のNPO法人のように寄付が控除されるようなメリットも無い。つまり、NPO法人を採用することは、現時点では象徴的な意味合い以外には、あまりメリットが無いからである。

もう少し説明しよう。僕が、自ら創業した後に、様々な企業の育成に携わってきた経験から言うと、ゼロから創業し、スピード感を持って比較優位なポジションに法人が到達するまでには、業種業態にもよるが、サービス業では2~5億円、テクノロジー会社では、5~20億円の資金が必要となる。

過小資本で借り入れができない場合には、その差額を社員の給与を下げて難局を乗り切るしかない(グロービスでも当初は、思いっきり安い給与で徹夜をしながら乗り切った)。更に、資金ショートを恐れて、必要な投資を抑えることになりやすい。その結果、成長スピードが緩やかになり、結果的に規模化が遅れ、小規模企業が多く輩出されることとなる。

当然駒崎代表のように、有能な一部の社会起業家は、NPO法人であっても成長しえる。ただし、株式会社で事業化した方が、スピードも早いし、規模化が容易な気がする。僕の個人的な見解では、規模が小さいとアドボカシーとしての効用はあっても、実態面での貢献は限定的となってしまう。

そもそもNPO法人であろうが株式会社であろうが、目的が一緒ならば、どちらでもいいものであろう。本気で世の中を良くしようと思うならば、規模化が図りやすいほうを選んだ方が、良い気がする。ま、これも各自でそれぞれの考え方があるので、良い方法を当事者が選べばよい問題ではある。そういう考え方が、もしかしたら「余計なお世話」なのかもしれないし、と思い、それ以上言うことは、差し控えた。

タクシーの運転手は迷いながらも、僕らのことを病児保育の現場がある高層マンションの前に届けることができた。下町に位置する高層マンションの一室である。中に入り、廊下を抜けると、3歳前後の子供と初老の女性が遊んでいる姿が、目に飛び込んできた。色とりどりのブロックがある部屋の中で、38度以上の高熱がありながらも、楽しそうに遊ぶ子供の姿は、とても微笑ましい。「レスキュー隊員」の初老の女性の方の底抜けに明るい笑顔も眩しいぐらいであった。その場に和んでしまい、思わず予定よりも長居してしまった。

会話を経て、この事業は、明らかに社会に新たな価値を提供している、ということが認識できた。名残惜しいのだが、次のアポがあるので、その現場を後にすることにした。

外に出たら、春の陽気だ。日差しも眩しいぐらいだ。帰りの車の中でも、駒崎代表と再度色々と意見交換した。駒崎代表と僕とは、年齢差が17歳もあるのだ。今の彼の年齢は、ちょうど僕が創業した時の年齢と一緒だ。ふと、その頃の僕の姿が重なって見えてきた。「僕も、お金が無い中、一生懸命に駆けずり回ったな。また、全く理解されないことをやっていて、多くの人から白い目で見られてたな~」と懐かしい情景を思い出してきた。

若者は、基本的に何をやっても、あまり社会からは受け入れられないものなのである。ただ、一方では、全く違う新機軸を生み出すものでもある。確かに、最近の若手にも有望な起業家が増えてきている。グリーの田中良和氏やライフネットの岩瀬大輔氏は33歳だ。環境ベンチャーのリサイクルワンの木南陽介氏や食材宅配ベンチャーのオイシックスの高島宏平氏はともに36歳だ。他にも多くの有望な起業家がいる。

これらの若者が、起業家&(アンド)社会起業家として、手付かずだった分野を果敢に市場化していき、社会にインパクトがあるまで規模化し、永続性があるものにしていってくれている。とても頼もしい限りである。多くの若者には、是非果敢に新たな分野に参入していって欲しい。その結果が、日本の改革に繋がっていくのである。

僕は、車中で、思わず熱くなってしまい、日本をどうやって変えるかを力説していた。タクシーは、飯田橋に着いたので、握手をして駒崎代表一人を先に送り出した。交差点を過ぎたときに、チラッと駒崎代表を見ると、横断歩道の前で忙しそうに携帯電話でなにやら話をしていた。僕が手を上げると、電話をかけながら、彼が頭をペコリと下げた。そして、タクシーは、そのまま二番町のオフィスに向かって走り続けた。

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