赤坂氷川神社・恵川義浩氏(中編)-会社での経験を“神社ビジネス”に生かす 

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赤坂氷川神社で神職に就く前、日販で企業人として数々のプロジェクトに携わっていた恵川義浩氏。外から神社の世界を見てきた彼の目には、現状の神社業界は非常に危うく見えるという。全国の神社が直面している、廃墟化・倒産の危機とはどのようなものなのだろうか(この記事は、アイティメディア「Business Media 誠」に2008年4月11日に掲載された内容をGLOBIS.JPの読者向けに再掲載したものです)。

伝統ある粋な大人の街、東京・赤坂で、若い世代の住民を中心とする街おこしが進んでいる。今年3月の「赤坂サカス(AKASAKA SACAS)」オープンにあわせ、約100年ぶりに復活した「江戸型山車」を「サカス」に巡行させるなど、赤坂の街に息づく歴史と伝統を、絶妙な形で現代の文化や催しに結びつけているところがポイントだ。

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100年ぶりに復活した赤坂氷川神社の江戸型山車(上)。2007年の巡行のようす(下)

街起こしの中心になっているのは、赤坂氷川神社の禰宜(ねぎ)・恵川義浩氏(36歳)。この恵川氏、20代のころは一般企業に勤め、数々のプロジェクトを成功させた凄腕のビジネスパーソンだった。30歳になった恵川氏は会社を辞めて神社の世界へ転身、以来革新的な神社経営を進めている。本編では、彼がビジネスの世界で、何を思い、いかにして成功を収めてきたか、その驚きの軌跡を辿ってみたい。

とりわけ、彼の「仕事観」は、「入社3年以内に3分の1が展望もなく退職する」といわれる現代の我々にとって、たいへん示唆に富んだものであり、多くの人々に感銘を与え得るものである。

“神社の跡取り”なのに、早稲田大学第一文学部へ

恵川氏の父親は、赤坂氷川神社の禰宜だった。こういう場合、多くの子弟は国学院大学の神道学科に入学して、卒業後はそのまま後継候補として神社の世界に入ってゆくようだ。ところが、恵川氏は少し違ったコースを歩む。中学受験で早稲田実業に合格し、そのまま内部進学し、早稲田大学の第一文学部に入って中国文学を専攻したのである。

「子供の頃の『三国志』との出会いが私の人生を変えました。英雄たちの群像に接し、地の利、時の利、人の利、そして、そこに現われるリーダーシップ、人間の運命というものに心を揺り動かされたんですよ」と淡々と語る。

中国文学科進学というのは、その延長上にあった訳だが、同時に、「将来は神社の跡取り」という可能性も踏まえ、国学院大学の神道学科に通って、神主の資格だけは取っておいたという。

「大学時代は、本当にたくさんのアルバイトを経験しました。社会に出る前にできるだけ世の中に対する見識を深めておいた方がよいと思ったんです」

塾講師に始まり、スキー用品店の販売員、水道管の清掃員、飲茶の店での接客業、コンビニ店員などなど……業種を問わず、積極的にいろいろな仕事の現場を体験した。

仕事というものは、どんなにしっかり調べていても、実際にやってみると、事前のイメージとは大きく異なることが多い。興味のなかった仕事に思いもかけぬ面白さを発見することもあるし、苦手だと思い込んでいた分野で周囲が驚くような成果を上げる場合もある。もちろん、その逆もまた真である。そういう意味で、このアルバイト経験は、彼の「仕事観」の形成に重要な役割を果たしたようだ。

“勘違い”でテレビ朝日の内定を辞退、日販に入社

やがて訪れた就職シーズン。本好きの恵川氏は、他の第一文学部の学生たちと同様に、出版社を目指した。同時に、テレビ局各局も受験。「でも私は、皆が通うようなマスコミ・セミナーなどの予備校にも通わず、何の準備もしなかったので、面接では負けなしだったんですが、ほとんどの場合、筆記試験で落とされてしまったんです」と笑う。

それでも、超難関のテレビ朝日にコネなしで合格。さらに出版流通の大手、日販にも内定した。しかし、ここで信じがたい“事件”が起きる。

「日販は、言うまでもなく、出版社と書店を取り次ぐ流通の会社なんですが、その当時の私は、日販のことを最後まで出版社だと誤解していましてね。それで、テレビ局より出版社の方が本来の志望だということで、テレ朝の内定を辞退してしまったんです」

気がついた時には、もはや手遅れだった。しかし、特に残念という気持ちにはならなかったというから驚く。

「どんな仕事であっても、必ずそこには、その仕事なりの面白さはあるものだと思うし、それを見つけるのは、自分の責任だと思ったんですよ」――学生時代に、多くのアルバイトの中で培った「仕事観」がここで生きた。

確かに、好きで入った会社であっても、必ずしも自分の行きたいセクションに行けるわけではないし、仮にいやいや入った会社であっても、あらゆるセクションがつまらないとは限らない。そこで自分なりの「楽しさ」「醍醐味」を見いだすのが、プロとしての基本姿勢だと彼は言うのだ。けだし至言であろう。

最近は、好きな会社に入れなかったからとフリーターになったり、希望する部署に配属してもらえないからという理由で展望もなしに退職する人が多い。しかし、恵川氏の考え方は全く違うのだ。

日販・王子物流センターで試練をチャンスに

1994年入社。配属先は東京・王子の物流センターで、彼は角川文庫の棚の担当になった。角川文庫を角川書店から仕入れ、それを自社(日販)の取引先である全国の大手書店に流通させるための「在庫管理」が彼の業務だ。

肉体的にもかなり過酷な仕事だったし、「協力社員」と呼ばれる年配のベテランたちの“鍛え方”も厳しいものがあったようだ。

自分の勘違いで入った会社でこのように厳しい環境に置かれたら――おそらく“ふつうのビジネスパーソン”であれば、即退職してしまうのではないだろうか。

そんな日々の中、恵川氏の脳裏に去来したのは、「三国志」に登場する英雄たちの群像だったのだろうか。困難な状況の中で彼は、いつしか職場の上司・先輩たちの心をつかみ、稀に見る一体感を作り出していった。

在庫切れが発生しそうになると、入社1年目の恵川氏が中心になって角川書店の倉庫まで集団で押しかけて書籍を入手してくるなど、業界の前例を破る、数々の武勇伝を残している。

この型破りな仕事ぶりは、やがて彼に大きなチャンスをもたらした。うわさを聞きつけた有力幹部が、社運を賭けた新規プロジェクトのメンバーとして、入社わずか3年目の彼を抜擢したのである。「この方との出会いは大きかったですね。ビジネスについて多くのことを学ばせていただき、私にとっては恩人です」

1台60億円もするロボット的機能を持った新しい本の仕分け機を開発・導入するプロジェクトで、恵川さんは約10人の社内選抜メンバーの1人だった。

「会社に寝泊りする日々が続き、土日もありませんでしたね。入社5年目にようやくその仕分け機は稼働したんですが、今度はトラブル処理に忙殺され、入社6年目でどうにか安定稼働にまで持っていけました」

社長直々の指名で、本社ネット事業部に

仕分け機導入プロジェクトが何とか軌道に乗った入社6年目の冬、なんと社長から直々の指名を受け、恵川氏は本社ネット事業部に抜擢される。

時は1999年、“IT革命”が叫ばれていた頃だ。あらゆる業界が、環境変化の大波に乗り遅れまいと注力していた。日販としても、恵川氏という若手のエースの登板を必要としたのだろう。

「インターネットを活用して本の取次ぎを事業化しようという試みでした。分かりやすく言えば、Amazon.jpの日本版を作ろうというプロジェクトです」

このプロジェクトでも事業化に貢献し、「結果」を出した恵川氏。プライベートな面でも、このプロジェクトの中で知り合った女性と社内結婚するなど、ビジネスパーソンとして1つの絶頂期を迎えつつあった。29歳だった。

「ちょうどその頃から、父から神社の承継について、そろそろどうかと言われ始めたんです。私自身も『神社を何とかしなければいけない』と思い始めていました。会社生活を通じて、自分なりに自信のようなものが身についてきていましたし、外から客観的に見ることで、神社のマネジメントの方向性も見えるようになってきたということもありました。それに、子供ができたので、まともな時間に家に帰りたいという気持ちもありました」と苦笑する。

こうして転身を決意した恵川氏。勘違いで入社した日販であったが、これほどまでに充実した期間になし得た要因は何であろうか? 「どんな仕事であれ、そこに面白さを見つけるのは各自の責任である」と彼は言う。ここに現われている彼の思想は、自分の身にいかなる環境変化が生じても、しかも、それが望むものであっても、そうでなくても、その新しい環境の中で、自分にとってのベストの「解」を見出してゆくことに人間としての尊厳が存在する、ということではないだろうか? 環境変化へのこうした適応力ゆえに、彼は日販でも「イノベイター」(変革者)として活躍できたのではないかと思われる。

2002年、同社を退職し、彼は、赤坂氷川神社に権禰宜(ごんねぎ、禰宜の下)として入った。
神社の世界……それは我々一般人には伺い知ることの出来ない領域だ。果たして、どのような風景がそこには広がっているのだろうか?

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恵川義浩氏

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知られざる神社経営の世界――忍び寄る廃墟化の兆候

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「現在日本全国に、神社は約8万社あります。しかし戦後の日本では、GHQの占領政策もあり、民主教育の名の下に神社を含む日本の伝統的な文化・宗教・習俗を、戦前戦中の侵略主義・軍国思想に繋がるものとして排除し、次の世代に伝えようとしませんでした。その結果、いま、深刻な問題が発生しています。

まず第1に、日本人が日本について知らなすぎるということ。グローバリゼーションが進み、かつてないほどの数の日本人が世界各国に出て活躍するようになっていますが、日本人ほど日本のことを知らない国民はいないと言われる状況になっています。当然、愛国心など培われてはいません。これは国際的に見てもたいへん恥ずかしいことですし、本当に残念でなりません。

第2に神社の経営です。戦後のそうした風潮の中、神社の経営は非常に厳しいものとなっており、遠からず、倒産する神社が続々出てくることが予想されています。神社は基本的には古い施設なので、維持・修復には多額の費用が必要です。ところがそれをひねり出すことが難しくなっているんです。

神社本来の収入源は、祈祷や挙式の収入などです。しかし、現実には、そうした「本業」以外の、例えば駐車場の利用料金など地代収入に依存しなければ神社社殿を維持運営できないところが、特に都内では増えています。

一方、そうした地代収入を見込めない地方の神社では、後継者不足が進み、一人の神主が20~30もの神社を見るような『兼務社』が増えているほか、神主だけでは生活できないために教師や公務員をしながら神社も見る『兼業者』も増加しています。そうしたところは、今後、早い段階で手を打たないと、倒産・廃墟化の道を歩むことになりかねません。

これは言い換えると、日本の文化・歴史の基盤が崩壊することを意味しています。そうした危機感を、神主自身も持つ必要があると思うのです」

伝統は革新によってこそ守られる

これまでの連載で、経営には、どんなに環境が変化しても決して変えてはいけない部分(=「不変」の対象)と、環境変化に即して大胆に変えてゆかなければいけない部分(=「革新」の対象)があるということを述べてきた。

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そういう文脈で見るならば、歴史と伝統に根ざした神社の世界は、「不変」を貫徹しようとするあまり、「変えるべきこと」の存在を忘れた「時代遅れ・衰退タイプ」になりやすいと言える。

「伝統は革新によってこそ守られる」ことを知る恵川氏は、“不変の貫徹力”と“革新の実現力”を併せ持つ「卓越タイプ」になるべく、赤坂氷川神社に入っていったのである。

彼のミッション(使命)は明確だった。それは、「神社の良さを次世代に伝え、神社というものをきちんとしたカタチで残してゆくこと」。果たして、恵川氏は、辣腕を振るえたのだろうか?(後編に続く)

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