赤坂氷川神社・恵川義浩氏(前編)-街おこしのキーマンは「神社経営の変革者」 

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2008年3月20日に複合商業施設「赤坂サカス」がオープン、28日にはこれを祝し、100年ぶりに復活した赤坂氷川神社の山車が巡行した。氏神様を核として、赤坂の街おこしに尽力する――若き神主、恵川義浩氏の構想とは?(この記事は、アイティメディア「Business Media 誠」に2008年4月4日に掲載された内容をGLOBIS.JPの読者向けに再掲載したものです)。

2002年丸ビル、汐留シオサイト、2003年六本木ヒルズ、2004年COREDO日本橋、2006年表参道ヒルズ、2007年東京ミッドタウン、新丸ビル、有楽町イトシア……今世紀に入って、東京都内には新しい複合型商業施設(またはエリア)が続々と誕生している。

いずれも都内の再開発事業、すなわち「街おこし」であり、テレビ局や大手広告代理店など有名企業が入居し、ブランド・ショップや有名飲食店が建ち並ぶ。さらに美術館や劇場などの芸術系施設、あるいは外資系高級ホテルやマンションなどの宿泊・居住施設が併設されている点に特徴がある。

意外と不振が目立つ、都内複合型商業施設の「なぜ?」

初めの頃は、その華やかさに思わず目を奪われたものだが、似たような印象の複合型商業施設があまりにも次から次へとオープンするため、いささか食傷気味になっている人も多いのではないだろうか? 実際、そうした施設の中には、曜日や時間帯によっては早くも閑古鳥が鳴いているところも多い。あるいは、「ホリエモン事件」以降の六本木ヒルズのように、独特の“色”が付いてしまい、ブランド力の低下が進んでいるところもある。

日本の都市再開発の顕著な特徴として、先進的かつ豪華な施設群を作るところまでは良いのだが、開業以降、自ら引き起こした巨大な環境変化に対応できず自滅してしまう傾向が挙げられる。
作られた施設が魅力的であればあるほど、その施設のその後の事業展開に対して、顧客はより一層高い期待を寄せることになる。経営戦略の文脈で言うと、“環境乱気”のレベルを自ら高めることになるのだ。

いったん、そういう状況に自らを追い込んでしまったが最後、絶えざる自己革新を余儀なくされる。要するに、テナントをちょこちょこ入れ替えるなどのマイナーチェンジや、おざなりのイベント開催でお茶を濁すなどの現状延長+部分改良型の対応では、顧客を失望させ、自らを苦境に追い込むことになる。そこに必要なものは、非連続+現状否定型の、いうなれば革新型経営である。

それに加えて、都内各所に魅力ある複合型商業施設が新たに出来ることによって、環境乱気流レベルはさらに一段と上昇してしまった。

こうして、各再開発施設が生き残るためには、そこならではの「独自」な、他とは「異質」な、そして、それまでなかった「新規」な「Seeds」(事業の「種」)を、顧客の「Wants」(潜在的欲求)に訴求し続けることが必須の要件になってしまったのである。

今世紀に生まれ、早くも衰退がウワサされている再開発による複合型商業施設というのは、結局、こうした革新型経営ができなかったところと言える。

なぜ、革新型経営ができないのか? それに対する明確な回答を持って赤坂の街おこしに取り組んでいる人物こそが、今回の主役・恵川義浩氏、36歳だ。辣腕ビジネスマンとして活躍後、歴史と伝統を誇る赤坂氷川神社の禰宜(ねぎ)に就任。業界初と言われる取り組みを数々成功させ、神社の経営革新を次々に実現してきた異色のイノベーター(変革者)である。

恵川氏の語り口は、物静かで淡々としている。しかしその眼差しには、烈々たる闘志が秘められている。

100年ぶりに復活した江戸型山車が赤坂サカスへ巡行

3月28日、小雨の降る肌寒い中、満開の桜をバックに、「江戸型山車」が赤坂の街を巡行した。2007年、恵川氏の並々ならぬ努力によって約100年ぶりに復活巡行を遂げた山車(だし)の今年最初のお勤めである。今回は赤坂氷川神社を出発し、赤坂サカスを目指した。

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3月28日、赤坂氷川神社を出発して赤坂サカスを目指す江戸型山車の行列。

ゴールの赤坂サカスの入口付近で待ち受ける。山車の一行が近づいて来る。赤坂氷川神社の巫女さんたち、町会の方々、地元の子供たち、赤坂の芸者衆……そして……おっ、山車の引き手の中に恵川氏がいた! 神主さんでありながら、はんてんの似合うことと言ったらもう……(笑) さすがはチャキチャキの江戸っ子だ!

こっちに気がついた恵川氏が満面に笑みを浮かべ会釈する。「いやぁ、今日は、どうも有り難うございました!」。その顔には、大任を果たした充実感があふれていた。

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ゴールの赤坂サカスに到着した赤坂氷川神社の山車(上)。 はんてん姿の恵川氏。自らも先頭に立って山車を引いていた(下)

恵川氏の指向する赤坂の街おこしはこうだ。約100年ぶりに復活させた江戸型山車を求心力にして、赤坂、さらには日本の歴史や伝統に対する意識を呼び覚まし、長い眠りに落ちていた“赤坂っ子”たちの自覚と誇りを取り戻す。それを通じ、地域のコミュニケーションを促進することで、赤坂の街を活性化する。赤坂全体が元気になれば、赤坂サカスも発展する。その結果、赤坂のコミュニティがさらに元気になるというWin-Winの関係が実現するのである。

赤坂の歴史を見守り続けた赤坂氷川神社

赤坂氷川神社は、天暦5年(951年)に創立の起源を有し、江戸時代、近くの紀州藩邸で生まれた8代将軍徳川吉宗によって深く崇敬されたことで社運が上昇し、現在地に社殿が造営された。それ以来、赤坂氷川神社は、赤坂の氏神様として街の盛衰を見守り続けたと言ってよい。

明治以降の赤坂は、皇室・華族・大富豪の豪邸街と、料亭街、そして帝国陸軍の駐屯地として発展する。とりわけ料亭街では、「酒は正宗、芸者は万竜」と謳われた「赤坂芸者」がその名を轟かせた。

国会議事堂にもほど近く、赤坂の料亭街は日本の政治過程に深く関わってきたことでも知られる。

またTBSの開局後は、花柳界に加えて芸能界との深いつながりが出来たことも注目される。何を隠そう赤坂氷川神社は、人気演歌歌手・氷川きよしさんの芸名の由来である。お笑い芸人として一世を風靡していたビートたけしさんがバイク事故で瀕死の重傷を負って入院した際に、きよしさんの母親がこの氷川神社にお参りしたことから、たけしさんが、氷川の名を彼につけたとも言われる。

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Googleマップで見た赤坂。六本木、乃木坂、青山に隣接しており、政治の中枢・永田町にも近い

しかし、そんな赤坂の街は1980年代後半のバブル経済以降、急速に変貌していた。地元で老舗和菓子店を経営する青野啓樹氏(37歳)は言う。「バブル期に、赤坂では多くの商店が商売を辞めてビルオーナーになってしまいました。家賃収入で安定が得られたかもしれませんが、街としてのバイタリティはなくなりましたね。そんなこともあってか、氏神様としての赤坂氷川神社と、氏子としての各町会・商店との関係はいつしか薄れ、赤坂としてのアイデンティティも失われていきました。その結果、各町会(全24町会)が、それぞれバラバラに自分たちの『通り』とか『商店街』とかの発展を考えるようになってしまったんです」

「氏神=氏子」の関係性が解体に伴って、赤坂の“全体最適”を指向する人の数は減り、町会ごとの“部分最適指向”が幅を利かせるようになったということだ。

そうした事態が進行する中、2002年、恵川義浩氏は産業界から赤坂氷川神社の神主に転身。赤坂の街の歴史に関わっていくことになる。後編で詳述するが、恵川氏は、過去に類例を見ない神社の経営革新を実現することで、事実上失われていた氏神と氏子の関係性を、現代の価値観に即して復活させることに成功。それによって、赤坂のアイデンティティを人々の心の中に取り戻しつつある。

上記の青野氏も言う。「氏神様が盛り上がることで、私たちも『ああ応援したいなあ』って思うようになりました」

多くの人々の想いを乗せた江戸型山車は約100年の眠りから覚め、2007年、赤坂の街を巡行した。そして2008年春、赤坂サカスのオープンに合わせ、巡行が行われたのである。

赤坂の歴史的強みを生かした街おこしを

しかし、そこに至るまではいばらの道だった。

2004年ごろから、恵川氏は赤坂氷川神社ならではのSeeds(種)を使い、赤坂の街おこしが出来ないか思案に暮れていたという。

「他の自治体では、派手なイベントを作り出して街おこしを図っているようでしたが、そうした新しいものというのは、得てして一時的な流行に終わり、すぐに飽きられてしまうと思ったんです。やはり、『歴史的なもの』の方がシンボリックな存在になり得ると私は考えました」。

そう思っていろいろ調べてみると、赤坂氷川神社には、江戸型の山車がかなり良好な保存状態で残されていることが分かった。

「これだ!」恵川氏は直観した。

「江戸時代から明治時代にかけてまでは、赤坂では山車を引いていたんですが、その後は神輿(みこし)に代わってしまいました。でも、神輿だと、各町会単位でバラバラに出すので、『赤坂』としてのシンボルになり得ません。それにその担ぎ手も浅草辺りから呼んでおり、必ずしも地元密着型とは言えませんでした。その点、山車を引くということになれば、24町会を統合する形を取れる上に、地元の人々だけで出来る。それに、神輿のように激しいものではないので、老若男女を問わず参加しやすいという利点もあります。また、神輿の時と違って、参加者募集の主体が古くからの町会ではなく神社やNPO(後述)になるので、最近急増しているセキュリティの厳しい新型高級マンションの住民の方々にも応募して頂きやすくなり、参加者層を一挙に拡大できます。それに何より、江戸型山車は都心では他に神田明神くらいしかなく希少価値も高い。そういうことを含めて、『赤坂のシンボル』になり得ると確信したんです」

恵川氏は、各町会のメンバーをひとりひとり粘り強く説得して歩いた。「でも、反対は想像以上でしたね。そんなことできる訳がないとか色々と言われましたよ」と当時を振り返る。「うちの町会には関係ない」とか「お金が集まるわけがない」などと言われた上、町会同士の不協和音も表面化した。

それでも、彼の粘り強い交渉は次第に功を奏し、特に2006年にNPO法人・赤坂氷川山車保存会を設立してからは、話が一気に進んだという。

「1神社ではなくNPOを受け皿にすることで、行政からの支援を受けやすくなりましたし、企業等からの寄付も受けやすくなりました。そうやって基盤を固めることで、話は急速に現実化したんです」

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NPO法人・赤坂氷川山車保存会

こうして2007年、約100年ぶりの快挙が遂に実現した。「1回実現したことで周囲の反応は激変しましたね。それまで懐疑的だった方々までが、これぞ赤坂の誇りだと思ってくれるようになったんですよ」。そう話す恵川氏の顔に、思わず笑みがこぼれる。

今回の赤坂サカスへの巡行が、この成功にあやかったものであることは言うまでもない。回を重ねるとともに、「赤坂のシンボル」はより広く、深く人々の心に刻み込まれてゆくようだ。

今後の「戦略課題」をどう乗り越えるか?

「赤坂の街おこし」はようやく出発点に立った。これからが本当の勝負である。前述の通り、いったん魅力的な施設を作り、インパクトのあるイベントを打ってしまうと、それによって、自分たちを取り巻く環境乱気流レベルが一挙に上がり、その後は非連続・現状否定型の革新を行い続けない限り、サバイバルは難しくなる。

江戸型山車の復活巡行など恵川氏の様々な働きかけによって、赤坂氷川神社を中核とする「氏神=氏子」関係の現代的再構築が進むとともに、何十年間も記憶の奥底に眠っていた赤坂っ子としての自覚や誇りが呼び覚まされ、赤坂として今後どうするべきか、という視点が出来つつあるようだ。

「それまでバラバラだった町会同士の交流が盛んになり、赤坂全体でのコミュニケーションの基盤ができ始めたのは大きな進展だと思っています」

確かにその通りだ。恵川氏によるこうした基盤作りの成果を、恵川氏自身を含め赤坂の街として、どう生かしてゆくかが、赤坂という街の今後の課題となるだろう。

前述の青野啓樹氏は言う。「まだまだ町会ごとの温度差はありますが、それでも『赤坂を良くする』というゴールは同じだと思うんです。であるならば、そこに向けて、まず我々自身が変革への一歩を踏み出すべきです。『ついてゆきたい、参加したい!』と反対者にも思わせるような努力をしなければいけないと思っています」。

根っからの赤坂っ子としての真情あふれる発言である。まさにその通りだろう。その変革への一歩を踏み出すためには、まず東京において、そして日本において、21世紀の赤坂がどんなミッションを果たすべきかを明確にすることが必要だ。それが明確になれば、10年後、15年後の赤坂がどうなっているべきか、というビジョンも自ずから明らかになってくる。そうなれば、それぞれの町会や各商店、個人も皆、それぞれの立場で何をなすべきかが見えてこよう。そして、自己の役割を果たすために必要となる部分で自己革新を推進してゆく。そうした革新のダイナミズムが赤坂全体へと波及してゆくことで、反対していた人々をも巻き込むことが可能となり、そのうねりは、やがては都内全域へ、そして日本全国へと波及し得る。

その過程においては、TBS & 赤坂サカスのコミットメントの在り方も大切なファクターになってくるだろう。赤坂の街とTBS & 赤坂サカスとがシナジー(相乗効果)を発揮して、Win-Winで発展してゆくためには、TBS& 赤坂サカスもまた、上記のミッション、ビジョンを共有化して、その実現のために絶えざる自己革新を断行することが必須となるからである。

本記事のタイトルに掲げた問題意識、すなわち、赤坂サカスは花を咲かすかどうかの成否は、まさにこの1点にかかっていると言って過言ではない。

果たして、21世紀の赤坂の果たすべきミッションや実現すべきビジョンは遠からず明確化されるのだろうか? 「神社の経営革新」を通じて赤坂再活性化の先頭に立ってきた恵川氏の活躍は、ここに来て新たな段階を迎えたようだ。ますます冴え渡るその辣腕に期待したい。(中編に続く)
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