ワイン造りの時代の転換点に立って 

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セパージュ主義とテロワール主義の融合

最近、テロワール思想とセパージュ思想の両方を採り入れたワインが登場し始めました。

右の写真は、ブルゴーニュの有名なジョセフ・ドルーアンという造り手のワインです。ラベルの真ん中に「CHARDONNAY」とブドウ品種が記載されています。ブルゴーニュといえば、畑を細かく分類し、テロワール主義の権化ともいえる地域ですが、そのような地域からもセパージュを意識した造り手が現れたのです。

また、同じブルゴーニュの北にシャブリ地方という有名なワイン生産地域がありますが、こちらの有名な造り手である、ミッシェル・ラロッシュ氏は、ラングドック地方にワイナリーを購入し、1985年からシャルドネやメルローといった品種でのワイン造りを行っています。シャブリの造り手ということは、シャルドネのことを知り尽くしている人ですが、その人がラングドック地方でもシャルドネを造ろうと思ったことに、セパージュ主義的な思想が垣間見えます。

このようにセパージュ主義的考え方は、テロワール主義の中心地であるフランスのようなワイン生産者の中にも影響を与えつつあることがうかがえます。

逆に、セパージュ主義的ワイン造りの発展の恩恵を受けた新興国では、テロワールを明確にして原産地呼称制度をしっかり構築しようとする動きがでてきています。日本でも、このような動きがあり、長野県では原産地呼称制度が2002年から日本酒とワインを対象に始まりました。同時期に山梨県でも同制度が始まっています。

セパージュ主義とテロワール主義は、現在徐々に融合が進んでいるということです。最終的にどのように融合していくかはまだわかりませんが、ワイン業界は、数百年の時間スケールの新たな時代を迎えているのです。

ワイン造りに合わせた資本政策を

「貴社は一介の小企業に過ぎません。一方、あなたはとてつもない大人物です」

IPO(InitialPublicOffering:株式公開)の提案に際し、ゴールドマン・サックス社がロバート・モンダヴィ氏に告げた言葉です。わたしは、この言葉を見たとき、大きな衝撃を受けました。このやり取りの現場の一部始終を見聞きしたわけではありませんが、この自尊心をくすぐる言い方、そして、あなたは大人物だが、企業は小規模だから成長可能性があり、株式公開をするべきだという示唆をにじませる情緒性。そして、先の言葉からはうかがい知れませんが、IPOすることこそが成功であるという潜在意識。

2000年以降、1990年代にIPOを遂げた多くのワイナリーが次々と大企業に買収されたり、株式を非公開化したりしました。第19回でもご紹介しましたが2004年にロバート・モンダヴィが買収され、それ以外にもChaloneWineGroup、CanandaiguaWine、Beringer、などなど。こうして見ると、ワイン造りの事業においてIPOが成功への道であるとは限らないと示唆されます。

事業状況が芳しくなく利益が出ていない場合、株主はポートフォリオマネジメントという名目のもと、赤字事業を売り、投資対象を変えていきます。株式という高度に抽象化された有価証券の流動性によってリスク回避をしているわけですが、このような投資家はそもそも事業を通して社会で何を実現したいかという目的を必ずしももっているわけではありません。一部の環境ファンドのように、投資目的として社会貢献を意識しているものもありますが、もっぱら年金の運用など出資者にいかに高いリターンをもたらすかが主目的であって、高いリターンさえもたらされれば、ある意味どんな事業でもよいという考え方です。

事業の当事者からするとこのような投資家は、バランス・シートに擾乱を起こす要因でしかありません。デイトレーダーによって株価が形成されてしまうようなケースはその典型です。社会的存在意義があり長期的には利益獲得の可能性がある——つまりNPV>0:正味現在価値(NetPresentValue)が正——事業が、瞬間風速で見た短期的な利益の多寡で判断され、つぶされてしまうことがあるということです。また、こうしたことを理屈として分かっていても、実際の判断は困難です。

利益についてピーター・ドラッカーは次のように語っています

「利益はリスクにそなえるために獲得しなければならない」
「利益とは、企業存続のための条件である。利益とは、未来の費用、事業存続のための費用である」

ワイン造りは気の長いビジネスです。以前にも記しましたが、ブドウ栽培からワインとして販売して投資を回収するまで3年から5年というサイクルが一般的で、設備投資も多額にかかる装置産業です。これだけでも、かなりのリスクを抱えていることが分かりますが、これに加えて天候リスク、病害虫リスクなどが伴います。こうした高リスクに備え、万が一の事態に拠出できる費用を確保するために利益が必要であるというピーター・ドラッカーの主張は、まさにワイン産業が取り入れるべき考え方であると思います。しかし、資本市場が求める短期的成果や過度に流動化された取引は、ワイン産業とは根源的に相性は良くありません。資本市場を使えば設備投資資金を簡単に調達できる点はメリットかもしれませんが、株主の短期的期待に継続的に応えていくことは至難です。

ワイン造りがもたらしたこれまでの社会貢献は多大です。そこには豊かな営みがあり、多くの人々がワインを通して幸せになっていることは、ワイン造りが何千年と続いたことで十分説明できます。資本主義の歴史はカール・マルクスが『資本論』を1867年に発刊した時点から考えると150年。ワインの歴史の長さと比較して考えると、どちらかというと資本主義の考え方にワイン造りを合わせるのではなくて、ワイン造りにあった資本政策を考えていくことが大切なのではないでしょうか。

超時代的流れの俯瞰:セパージュ主義は新しくない

本コラムでは、じっくりとワインの歴史をたどりながら、その時代時代にあったワインビジネスと技術の関係を綴ってきました。ギリシャ、ローマ、フランス、そして、アメリカ。ワインビジネスの中心が時代とともに変遷していくときには、常に技術が存在していたように思います。

また、不思議とワインの中心国は、その時代の覇権国と緩やかに重なっているようにも見えます。それぞれの国が時代の覇権を握るのは、ちょっとした幸運とともに政治的・軍事的駆け引きが必要ですが、その背景には高い技術力があったからだと思います。高い技術によって覇権国になったのか、覇権国だから高い技術が集まるのか、この鶏と卵の関係はどちらかわかりませんが、技術が時代に影響を与えていたに違いありません。

ギリシャ時代は、栽培技術・製陶技術・保管技術の三拍子が揃っていたと思われますし、ローマ時代は、ワインをより遠くに送り届けることができる道路インフラなども整備されていました。そして、ローマからフランスにワイン栽培の中心が移行していったきっかけとなったのが、耐寒性のある質の高いブドウ品種の発見でした。ブルゴーニュ地方では、アロブロゲス族が現在の品種改良技術に通じると思われるやり方で、その土地に適したアロブロギカ種を発見しましたし、ボルドー地方でのワイン栽培の広がりは、外地からボルドーに適したビトゥリカ種との出会いがきっかけでした。

テロワール主義の中心地であるワイン王国フランスの出発点は、実は千数百年前にセパージュ主義的な発想で開発、発見された品種にあったのです。このことを再認識しておくのは、今後の時代の流れを感じるにあたり無駄ではありません。セパージュ主義は何も新しい話ではないということです。

このように、セパージュ主義的にフランスにもたらされたワインの栽培技術は、その後17世紀ごろまで1000年以上、人の勘と経験を頼りに進化しました。この1000年という歳月は、日々ワイン造りをしている人たちにとっては永久とも思える長い時間であり、先祖代々、土地に根ざした思考を定着させたに違いありません。この過程の中で、各産地に最適なセパージュが選抜され、産地名を冠したワインは優れたブランドとして地位を高めて行きました。そして、ブランドワインは造り手に恩恵をもたらし、造り手はますます土地への畏敬の念を深め、テロワール主義的思考が浸透したと考えられます。

しかし、17世紀ごろから急速に発達した科学的手法のおかげで、ワイン造りの神秘が次々と科学的に説明されていきました。そして、科学的手法に後押しされ、技術はさらに高度化し、セパージュが再び脚光を浴びることになったのだと考えられます。こうして、世界中で品質の高いワイン造りができる可能性の扉が開かれたのではないでしょうか。

現在、世界で起きているブドウ栽培の広がりは、シャルドネ、カベルネ・ソーヴィニョン、ソーヴィニョン・ブラン、ピノ・ノワールといった高貴種ブドウのクローンが容易に入手できるようになったからで、こうしたブドウ品種を使えば、必ずや質の高いワインを造ることができるというセパージュ主義的な信念で取り組まれているのだと思います。

新規にワイン栽培を始めた場合、5年間キャッシュをうまないとされる事業に対し、安易な思想ではなかなか取組めるものではありません。ある意味、欧州の野心家や生活に困窮していた人たちが、新たな生活を求めて渡米し、アメリカン・ドリームを心に背水の陣で、品種を主眼にしたブドウ栽培をおこなったというのは、ワイン造りの広がりという意味において、とてもありがたい出来事であったのだと思います。

このように考えてみると、千数百年の年月をかけて、ワイン造りはセパージュ主義からテロワール主義へ、そしてテロワール主義からセパージュ主義へと一巡したことになります。そして、現在、両者の融合による新たな胎動がはじまっており、今の時代がまさに稀有な巡り合わせのタイミングであることに感慨無量です。

ワイン造りにおける芸術と科学の出会い:新たなワイン造りの序章

「ワインの醸造は、芸術でもあり、科学でもある」。かのロバート・モンダヴィは、こんな言葉を残しています。

テロワール主義とセパージュ主義の融合を考察する際の論点は、「芸術と科学が融合するのか」という古典的な論点と通底する気がします。

科学的手法が広まる17世紀ごろまでのフランスにおいて、1000年以上にわたりワイン造りは、そのテロワールに根ざした芸術的ワイン造りの追求だったのではないでしょうか。

科学は客観性、再現性、普遍性が重要な要件であり、誰が見ても、誰が行っても同じようになることを追求しますが、確立した科学的手法がなかった時代のワイン造りは、造り手の勘と経験と情熱によってのみ優れたワイン造りが進化します。こうしたワイン造りは、まさに芸術家的な探求だったに違いありません。

そして、芸術家的探求の時代のワイン造りに対して、科学的アプローチで丹念に技術を蓄積し開花させた18世紀以降のワイン造りが台頭してきたということです。いまの時代は芸術と科学が交差しようとしているのです。

第16回のコラムでモンダヴィ家とロートシルト家のジョイント・ベンチャー、オーパス・ワインをご紹介しましたが、このときに、ロバート・モンダヴィとムートン・ロートシルトの醸造家パトリック・レオンは次のコメントを残しています。

「グローバリゼーションでワインづくりが世界に広がり、新世界にも普及したし、最新情報によれば、ボルドーで改革が起きている。醸造設備を新しくし、伝統に固執しているだけでは、ダメだと気づき始めた。伝統はすばらしいものだが、現代のテクノロジーで補っていく必要がある」(ロバート・モンダヴィ)

「本質的に、科学と鼻の一騎打ちだったと言えるでしょう。アメリカ人は、実験や分析には力を発揮しますが、アッサンブラージュ、つまりおいしいワインをつくるためのブレンドは不得手でした。オーパス・ワンのようなワインをつくるためには、リスクを背負わなくてはなりません。確実なレシピなどないのですから。あらかじめあらゆることを立証しておくなど、できないのです」(パトリック・レオン)

以前にも記しましたが、科学はモノごとを因数分解しながら、その本質に迫ろうとするアプローチですが、芸術的な人間の感性に直接訴えるものでなければ、自己満足に終わるものだと思います。

私は現在経営コンサルティングを生業にしていますが、私が日ごろ大切にしていることは、自分自身の中に答えを持っているかということです。さまざまな経営分析をした先に答えがあるのではなく、まず自分のなかに答えがあって、その答えが本当に確からしいのかを検証するために経営分析があるのです。世の中では仮説・検証とも言いますが、この仮説というのは、理屈だけからは出てきません。

科学というのは、繰り返しになりますが、その本質に客観性、再現性、普遍性を追及するものであるため、没個性的な行為です。だれがやっても同じ答えになるということは、だれがビジネスをしても同じ製品を開発し、同じ市場を狙うといった可笑しなことが起きる可能性があるという弱点をもっているのです。

一方で、仮説というのは、そのヒトの全人生の経験と知見から直感的に出てくるものであって、芸術的かつ人間的な行為です。仮説は漠然と過ごしていては出てきません。自らの意識と向かい、豊かな感情をもって心の声に耳を澄まして聴いてみるとき、生まれてきます。したがって、仮説の設定そのものは、10人いれば10の仮説がでてきてよいし、再現性、客観性などないものです。だからこそ、科学的な検証が必要なのですが、この芸術的な行為と科学的な行為がお互いに補完しあって、はじめて世の中のためになる実質的なものが生まれ、行動が生まれるのだと思います。

現在、次のようなことが言われています。「セパージュ主義的なワイン造りが広まったことによって、世界のワインの質の底上げはなされた。ただ、ピラミッドの頂点に君臨するレベルのワインについていうと、まだまだテロワール主義的なワイン造りは負けていない」。

このように、お互いに切磋琢磨しながら、全体の質が上がっていっているのです。芸術と科学が融合するかという論点はもはや意味はありません。両者はライバル関係にあり、健全な批評精神が醸成される脳みその仕組みそのものです。

人間というのは、自らの既成概念というものになかなか気づきにくいものです。しかし、芸術的かつ科学的思考を通して、既成概念や前提にとらわれないより上位の考え方を持ったとき、成長を感じ、未来への希望を感じ、どんな困難にも立ち向かえる気がします。

芸術的なテロワール主義と科学的なセパージュ主義の融合した、その先には、これまで以上に優れたワインが生まれる時代が待っていることでしょう。私は、長いワインの歴史の中で、このような転換点の時代に生きていることを心から嬉しく感じます。ワイン造りがどう変化していくのか、何よりのワイン愛好家として、今後も見守り続けて行きたいと思います。

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