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新日鉄エンジニアリング・浅井信司氏(後編)―社会貢献と収益性のはざまで

投稿日:2008/07/29更新日:2019/04/09

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日本企業の技術力を生かし、海外で橋を架ける――平成不況を横目に成長してきた海外橋りょう部門は今、大きな転換点を迎えている。ここではその課題について整理するとともに、浅井氏の業績を、戦略視点的に読み解いていく――。会社組織の中で夢に向かって邁進するビジネスパーソンを追うインタビュー企画、嶋田淑之の「この人に逢いたい!」は、前回 に引き続き、先進国における架橋に専心する、新日鉄エンジニアリング海洋橋りょう・ケーブル営業室長、浅井信司氏の物語を紹介する(この記事は、アイティメディア「Business Media 誠」に2008年2月23日に掲載された内容をGLOBIS.JPの読者向けに再掲載したものです)。

海外橋りょう事業の戦略課題――社会貢献と収益性の狭間で

「私は、この仕事が大好きです。でも今、これまでのビジネスモデルが曲がり角に来ていることは素直に認めなくてはいけません」神妙な面持ちで彼は話し始めた。

「今なお、途上国には日本の支援による橋の建設を必要としているところがたくさんあります。そういう意味では、これからもどんどんそういう国々に行ってインフラ整備のお手伝いをしたいと切望しています。

しかし、そうした社会貢献的なファクターと並んで、企業である以上、最低限の収益性も考えなくてはいけません。ただ現実として、切りつめられるところをギリギリまで切りつめた結果、もうコストダウンできる部分はほぼ残っていませんし、企業としての利益を出す部分がほとんどなくなってしまった。今までのやり方はもう通用しないということですから、ビジネスモデルの革新を行う必要があると思うんですよ」

ビジネスモデルの革新といっても、果たして、どんな選択肢があり得るのだろうか?

これまですでに他社で行われてきているビジネスモデルで考えるならば、選択肢は3つ考えられるようだ。

「第1に、アメリカの建設大手ベクテルなどのように工事のマネジメントに徹する方法。しかしこれを採用すると、技術の空洞化を招く危険があります。

第2に高度技術に特化する方法。かつて日本産業界の生き残り策として盛んに推奨された方法ですね。

第3は、ケーブルの販売などの物販。しかしこれでは、『途上国のインフラ整備に貢献する』という積極的意義に欠けます」

今後やる以上は、浅井氏独自の新しいビジネスモデルを構築する必要があるということだろう。これまでも、国内橋りょうの成熟化と衰退期へのシフトを睨み、海外橋りょうの社内ベンチャーを立ち上げ、アジア通貨危機という“非連続・現状否定型”の環境変化に際し、特別円借款制度構築への道を開いた浅井氏である。おそらくは、画期的なビジネスモデルの腹案があるのではないか。

ビジネスモデルを大きく変えなくてはいけない一方で、逆に今までと“変えてはならない”部分もある。海外橋りょう事業においては、何を堅持しなければいけないのだろうか?

「それは明確です。社会経済環境がいかに変化しようとも、国内工事と海外工事との間で安全面でのスタンダードは絶対に変えてはいけません。

日本国内ではヘルメットや安全靴の着用が当たり前ですが、高温多湿な国ではヘルメットなしにサンダル履き、という工事現場が普通にあります。『あの気候の中では、とてもじゃないけどヘルメットなんか被って作業できない』という話に当然なるわけです。私自身、幾度となく途上国の工事現場に行っているので、心情的には理解できなくはありませんが、国内と同レベルの安全性の確保という点は、『変えてはいけない』部分だと考えています」

カントー橋崩落という未曾有の悲劇を直視しつつ、途上国のインフラ整備への貢献という使命(ミッション)には、いささかのブレもない。その使命を遂行するために、何を変えるべきで、何を変えるべきでないかを明確に答える。

筋の通った彼の姿勢を見ていると、日本の大マスコミが報じるODA批判や日本企業バッシングのプロパガンダからは窺い知ることの出来ない、日本のビジネスマンの真剣かつ誠実な、プロフェッショナルな姿が浮き彫りになってくる。

戦略経営的視点から、彼の業績を振り返る

アフター5の社内ベンチャーからスタートした新日鉄の海外橋りょう部門は、今や年間100億円の売上を計上するプロジェクトに成長している。

それを立ち上げ、ここまで育ててきた浅井氏の業績を、戦略経営的視点から読み解くとどのようになるだろうか? その視点は3つある。

視点1:不変の貫徹力と革新の実現力

大学時代の1年間に及ぶインド、アメリカ放浪の旅で、浅井氏は自らの使命を途上国のインフラ整備支援と思い定めた。それから30年近く、彼はこれを、「何があっても決して変えてはいけない不変の対象」として堅持してきた。この点は瞠目に値する。

海外橋りょう営業の社内ベンチャーを旗揚げするまでの雌伏の期間も、絶えず語学の鍛錬は欠かさなかったし、東京都大田区の自宅には、常にアジアからの留学生たちが参集し、熱い議論と明るい談笑の声が絶えることはなかった。

海外橋りょう営業の仕事を開始した後は、この「不変」を貫徹するために、非連続・現状否定型の環境変化に即応し、大胆な革新をなし遂げている。

その典型例は、1997年のアジア通貨危機における浅井氏の対応である。アジア各国の産業界は壊滅に瀕し、日本からのODA案件を引き受けられるような状況ではなくなっていた。これは見方を変えれば、浅井氏率いる新日鉄・海外橋りょう営業チームにとっても大きな危機であった。

不測の事態に直面し、彼は絶妙な手綱さばきを見せる。それまでの円借款ODA案件は、現地企業など外国企業が受注するシステムだったがこれを改め、技術力と与信力のある日本企業が受注することで、ODA事業を継続的・安定的に推進できるようにしたのである。 この新しい円借款制度の提言は、1998年「特別円借款制度」として結実し、制度化された。

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「不変」と「革新」のマトリクス (C)H.Shimada,2008

不変・革新マトリクスで言うと、彼のチームは、卓越タイプとして位置づけられよう。

視点2:脱・成熟化のためのイノベーション

浅井氏が立ち上げ育んだ海外橋りょう部門は、それまでの国内橋りょう部門との対比で言えば、脱・成熟化のためのイノベーション(innovation)として位置づけられる。

社内ベンチャー旗揚げは1989年。日本中がバブルの宴に酔い痴れていた時代だ。この繁栄は永遠に続くかのように言われていたが、極めて少数の経営者は慧眼にも、それが虚妄の繁栄であることを見抜き、やがて来る崩壊を見越して、経営革新を断行していた。そして、そうした企業だけが、その後の平成大不況を磐石の態勢で乗り切っていったのである。

そういう視点から見たとき、浅井氏の社内ベンチャー旗揚げは、すでに表面化しつつあった国内橋りょう事業の成熟化(=製品ライフサイクル曲線上の頂上付近)と、やがて訪れるバブル崩壊による、公共工事激減を伴う国内橋りょうの衰退を見越したイノベーションだったと評価できよう。

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1989年当時の製品ライフサイクル曲線

日本の製造業の海外シフトは、そもそも1985年のプラザ合意を起点とした円高ドル安基調の劇的進行によって引き起こされたものであり、そういう意味で、1989年というタイミングは、日本の産業界から見れば、アジアを含む海外市場が製品ライフサイクル曲線で言う発展期にようやく差し掛かった頃であり、その将来性が大いに期待される時期であった。

この点からも、浅井氏の社内ベンチャーが、新たな製品ライフサイクル曲線への乗り換えによる、脱・成熟化に向けたイノベーションだったことが分かるのである。

視点3:鳥瞰図的視点と虫瞰図的視点の使い分け

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鳥瞰図的視点とは、鳥が空から地上の景色を俯瞰的に眺めるように、自社を取り巻く環境やその中における自社の立ち位置・力量を、やや突き放したところから相対的・客観的に把握する視点である。

一方、虫瞰図的視点とは、小さな虫が森の中や地面を動く時に目に映るであろうディテールに満ちた景色である。経営的には、現場の錯綜した状況の中から有益な情報。自ら体感的ないしは直感的に把握し即時対応する視点といえる。

浅井氏は、まさに鳥瞰図的視点から、

彼の社内ベンチャーチームならびにバックグラウンドとしての新日鉄の自己分析を徹底的に行った上で、競合企業に関する

鳥瞰図的視点と虫瞰図的視点

他社分析を綿密に行っている。

それを通じて、自社の強み・弱み・機会・脅威を把握し、営業の目標設定と戦略構築を行ってきたといえよう。

虫瞰図的視点から見るとどうだろうか? 浅井氏は、海外現地・国内のいずれにおいても、同業種・異業種を問わず人的ネットワークが豊富であり、常に多数の情報ルートを確保している。それゆえに、いかなる非連続・現状否定型の環境変化に直面しても、現場の一次情報を逸早くキャッチし、即時対応できたものと推察される。

浅井氏のこうした強みは、1997年のアジア通貨危機に際して如何なく発揮された。いわば虫瞰図的視点から、確度の高い現場情報を迅速に把握し、それを今度は、鳥瞰図的視点に立って冷静に評価することを通じて、1998年の特別円借款制度への道を切り開くことに成功したといえる。

ここで大事なことは、鳥瞰図的視点は、虫瞰図的視点の徹底した駆使があってこそ生きるということである。それのない鳥瞰図的視点は、大企業の経営企画室に時として見られるような、現場の実情にそぐわない自己満足的な机上の空論になりかねない。

逆に、鳥瞰図的視点の欠ける虫瞰図的視点は、大局的視点に欠けるがゆえに情報の収集・把握自体がすでに適切さを欠き、結果的にその現場だけの部分最適志向にならざるを得ない。「木を見て森を見ず」タイプと呼んでよい。

そういう意味で、浅井氏と彼の率いるチームは、両者の巧みな使い分けを通じて、全体最適を実現していったものといえるだろう。

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鳥瞰図的視点と虫瞰図的視点のマトリクス(C)H.Shimada,2008

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