サラリーマン記者の“情けなさ”がチラリ? 漆間氏のオフレコ発言で 

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西松建設の政治献金問題に関して、漆間官房副長官のオフレコ発言が問題となっている。捜査中の事件に言及した漆間氏は“脇が甘かった”かもしれないが、そもそもオフレコは破られるためにあるものだろうか? 今回の騒動を通して、メディアと取材される側の関係を考えてみた。(このコラムは、アイティメディア「Business Media 誠」に2009年3月12日に掲載された内容をGLOBIS.JPの読者向けに再掲載したものです)

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西松建設の政治献金問題に関して、漆間巌(うるまいわお)官房副長官が記者達に向かって、「捜査の手が与党の議員には及ばないだろう」と発言したとされる件が問題になっているが、この件はメディアと取材される側の関係を考えるケーススタディとして興味深い。

報道によると、漆間氏の問題の発言は、複数メディアの記者を集めてオフレコを前提に話をする通称「記者懇」の席でのものだった。「政府高官」の発言として、発言者の名前を特定せずに引用してもいいということが両者の暗黙の了解になっていたようだ。だが発言内容が重大だとして、後になってからメディア側が漆間氏にオンレコ(実名報道)ベースへの変更を求めたが、漆間氏がこれを拒否。しかしメディア側は、漆間氏の名前を報道することになったというのが、大まかな事の顛末だ。

オフレコの約束を破る可能性も

物事の善し悪し以前に、日頃「政府高官の発言」などと行った形で引用される官僚や政治家の発言報道の多くが、いわば馴れ合い的な場でなされている。またこうした場での発言を、各社横並びで報じていることを確認しておきたい。

漆間氏の側では「オフレコと言っておきながら、後からオンレコを求めたり、オフレコの発言を実名報道するのは、メディア側のルール違反だ」という気持ちがあるだろうと推測する。

ただしオフレコベースの発言とはいえ、漆間氏に油断があったといえる。「もしこれが報道された場合、発言元が詮索されるかもしれない」と予想される発言をメディアに行った点だ。漆間氏が捜査の情報をどの程度持っていたのか、また捜査に関して政府側から何らかの指示があったのか、事実は確認のしようがないが、彼の立場を考えると発言は軽率だったと言わざるを得ない。

もともと、オフレコとはメディア側の好意による一方的な取り決めに過ぎないもので、先方の都合によってほごにされることがあり得る。取材される側では、常にメディアの裏切りの可能性を意識しておかなければならない。これは、是非とも認識しておくべき原則だ。

メディアがオフレコの約束を守ると期待できるのは、約束を破った場合にその後の情報収集に不便があり、その方が重大だとメディアが考えるときだけだ。自分がまだ話さずに持っている情報の価値やメディア側(記者個人も、会社も)が約束を破ることで被る損失の評価を誤った場合、オフレコの約束が破られることは十分あり得ると覚悟しなければならない。オフレコ取材を受ける側は、約束のいわば「担保」の評価を常に意識する必要がある。

漆間氏のように継続的に情報を持つ立場ならいざ知らず、通常の民間人がメディアの取材を受ける場合は、そもそもオフレコを明確に約束して話すことができない場合が多いし(後から「これはオフレコに」と指示しても、メディアがいうことを聞くとは限らない)、メディアがオフレコの約束を破る可能性があることを常に考えておかなければならない。

逆に取材する側の立場に立つと、今回、オフレコの約束をほごにして漆間氏の名前を出した以上、今後、漆間氏から(取材源となるほかの人々も警戒するだろうが)重要な情報を取りにくくなることを覚悟しなければならない。今回、この件がそれに値するものであったかどうかは、人によって判断が分かれるところだろう。

「他社が書くなら、ウチも書く。取材源側でも、メディア全体と縁を切るわけにはいかないだろう」という判断は、サラリーマン記者(及びデスク)として、赤信号をみんなで渡るような情けなさが漂うが、一方で十分現実的でもある。しかし、オフレコを事後的にほごにして失うものがあるのも事実だ。今回報道された発言だけでは、いわゆる「国策捜査」に関する具体的な手掛かりが得られたわけではない。もう少し深い情報を取ることに賭けてもよかったかもしれない。

見事な官僚答弁をした漆間氏

問題が大きくなって国会に呼ばれた漆間氏の答弁は、ある意味では手強いものだった。彼は、そういう話をしたとは「記憶にない」と言ってのけた。これは、自分の誤り(今回は軽率な発言)を事実としては認めないという意味だ。同時に、メディアが書いた記事はメディアの側の勝手な判断に過ぎないと言っている。オフレコとはそういうものではないのかとメディアに問うている。オフレコで話を聞いた記者達・メディア側に、それでももう一度オフレコをひっくり返すつもりがあるのかとプレッシャーを掛けつつ、「お互いの認識の違い」という“落とし所”を用意して、しかも自分のミスを公式には事実として認めない(事実がないのだから処分の対象にできない)という、ある意味では見事な官僚答弁だった。

筆者の予想だが、おそらくメディア側は発言が事実としてあったのかどうかを自分の側から話を出して争うことはないだろう。当事者の一方としては腰が引けているともいえるが、野党議員の追求などを報じてお茶を濁すことになるのではないか。オフレコを後からひっくり返して事実として確認するということになると、今後の取材がやりにくくなって困るというサラリーマン的な現実認識が働くだろう。

しかし問題のレベルは霞が関的な形式論から、世論が納得するかという感情の問題に移行してしまったので、これで漆間氏が難を逃れたかどうかはまだはっきりしない。

その後に続いた麻生首相の「報道が誤りだった」との談話は、メディアの立場についても、落とし所に対しても、配慮を欠いた発言だった(麻生氏は、後から訂正することになった)。問題の文脈が分かっていない。この調子では、ビジネスマンとしても落第だろう。

「処置なし」と言うしかない麻生氏のことはさておき、取材をする側も、受ける側も、約束の担保評価が大切だということが確認された今回のケースだった。

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