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ギリシャ時代のワインビジネスを支えた技術

投稿日:2008/11/27更新日:2019/04/09

第2回のコラムでブドウの樹は繁殖力が強く北半球全体に拡がっていたと記しました。であるにもかかわらず、ギリシャ・ワインが当時の地中海で広く交易されていたのはなぜでしょうか?ブドウがどこにでも繁殖しているにもかかわらず、ギリシャが特別の地になったのはどうしてでしょうか?地元でワインを造って消費するのではなく、わざわざギリシャからワインを買っていた人たちがいたとすると、その理由は単純で、当時の他の土地のワインに比べてギリシャ・ワインが「美味しかった」からに違いないと思うのです。そして、美味しいワインが造られていたのだとしたら、そこには何かしらの「技術」が介在していたのであろうと想像します。

実際、いろいろと調べてみると、アリストテレスの最も有名な弟子であるテオフラストス(紀元前372頃-紀元前287頃)が『植物誌(HistoriaPlantarum)』や『植物原因論(DeCausioPlantarum)』といった論文の中でブドウ栽培についても執筆しており、そこには、挿し木の技術や刈り込み技術などについて記述されています。

ギリシャ時代の人間であれ現代人であれ、技術に対峙する際の情熱や能力は、さほどの変わりはないはずですし、(前回、ご紹介したように)ギリシャ時代のワインの経済価値を考えると、その価値を更に高めるため、可能な限りの技術が駆使されたであろうことは想像にあまりあります。ギリシャ時代を3000年前と考え、人間の一世代を30年とすると、わずか100人ほど、電車一両に軽く全員が乗れてしまうほどの数の先祖を遡ったような話ですから、ワインを美味しいと思う感性や考察能力が何倍も異なっていたとは考えられません。数多くの哲学者が名を残し、また、パルテノン神殿を建設できるほどの技術を誇った当時のギリシャ人ですから、ブドウの栽培やワインの醸造について技術を研ぎ澄ましていたとしても驚きには値しないと思うわけです。

品質の維持・向上を率いた「栽培技術」「製陶技術」「貯蔵技術」

では、それはどんな技術だったのでしょうか。

いくつかの文献を調べた結果、「栽培技術」「製陶技術」「貯蔵技術」などのあったことが分かってきました。

栽培技術には、先述の通り、テオフラストスの論文などから既に挿し木技術や刈り込み技術があったことは分かっていますが、これらの技術以外に、剪定技術も存在していました。剪定技術には、冬季剪定と夏季剪定があります。冬季剪定とは、冬の休眠期(11月〜3月ごろ)に株を短く切ることであり、こうすることによって樹の健康を高め、最終的に質の高いブドウを造りだすことができます。夏季剪定は、徒長した枝や脇芽の伸長を抑制し、栄養が樹の無駄な部分に行かないようしながら収量や糖度の品質を調整するもので、これも質の高いブドウ作りが目的です。冬季剪定は、早すぎても遅すぎてもいけず、タイミングを間違えるとブドウの収量が減ったり、質が低下したりするため、ブドウ栽培の最も重要と言っていい作業となります。

ではなぜ、ギリシャ時代に剪定技術があったことが分かるかというと、同時代の文献にロバがブドウの若枝を食べてしまったとか、獣によってブドウの実を食べられてしまったといった記述があるためです。そして、食べられてしまったブドウの樹からできたブドウやワインは、それまで以上に美味しかったというのです。ロバをはじめとした動物には感謝しなくてはなりません。

ブドウ栽培の質と量に重要な影響を与える剪定技術が既にギリシャ時代にあったことは、当時のブドウの質を想像するのに重要な事実であると思われます。なお、背が低く短く剪定された株の図案があしらわれた紀元前5世紀ごろのギリシャの貨幣なども残っており、剪定技術が当時、存在していたことのもう一つの証拠であります。

このような剪定技術は、ある程度の規模になってくると組織的かつ効率的に行わなくてはなりません。「マグナ・グラエキア」、すなわち大ギリシャといわれたイタリアのシチリアなどでは、整然と支柱で支えられたブドウの単一栽培が行われ集約的な生産がされており、そこからもギリシャ時代のワイン造りがきちんとした産業となっていたことが伺えます。

ワイン造りの基本は単純です。ブドウの樹は自然のままに育つものですし、ワインもブドウを潰して、放っておけば、勝手に出来上がってしまうものです。ですから、剪定技術の発見はブドウ栽培が人為的なものになった象徴的なできごとであり、剪定の加減と集約的な生産技術がギリシャ・ワインの質を高めていたのだと思われます。

次に製陶技術です。この技術は、このギリシャ時代のワインビジネスにおいて剪定技術以上に重要な意味がありました。要は、アンフォラと呼ばれる壺を造る技術です。厳密にはアンフォラは素焼きで「製陶」と称すべきではないかもしれませんが、ここでは便宜上、「製陶」と称することにします。アンフォラは、ワインを市場に届けるための容器ですから、大変に重要なものです。いくら優れた剪定技術を備えていても、それだけではワインは市場に届きません。アンフォラがあって初めて可能となるのです。大規模なブドウ栽培家は、自ら手作りでアンフォラを造り、自らの名前や銘柄・醸造元・醸造年を刻むことも多かったようです。名前を刻むという作業は、そこに造り手のプライドを込める作業であり、古代のワイン栽培家の情熱を感じざるを得ません。また、宣伝や品質を保証する意味合いもあったように思われます。「このワインは私が造りました」と。ですから、製陶は単に市場にワインを届けるための容器を造る作業ではなく、ビジネス面で重要な作業だったのではないかと思います。

ただ、当時のアンフォラはまだ重くて壊れやすく、陸路で運ぶことは困難でした。したがって、まずはアンフォラを使って海路で海港や河港まで運び、そこから革袋にワインを移し替えて、鞍のついた動物の背中に載せ、起伏の激しい道を運ぶのが一般的だったようです。ただし、これでは大した量を運ぶことはできません。その結果、ワインを内陸部まで運ぶことはできず、ワインの交易市場というのは、地中海沿岸の都市に限られていました。アンフォラの技術がギリシャ時代のワインの流通範囲を規定していたのです。そして、ワインの交易が活発だったフランスの沿岸部の都市の代表的な例が、南仏にあるマルセイユやマルセイユから海岸沿いに200kmから300km西に移動したナルボンヌという町でした。この二つの町は、この後、ローマ帝国時代にワインを現在のフランスであるガリアに広める重要な役割を果たします。

バリューチェーンを網羅した技術たち

最後に、貯蔵技術です。いくら質の高いブドウを栽培しても、貯蔵がしっかりしていなければ、ワインの質は、すぐに低下してしまいます。この時代のワインは長期貯蔵できるようなものはなく、ほとんどが1年以内に飲まれ、長期貯蔵できたとしても3〜4年程度が精一杯だったようです。ワインの経済的価値が極めて高かったことを考えると、貯蔵技術は資産価値の低下を防ぐ意味でも大切な技術でした。

当時のワインの変質の主な原因は、有害微生物による腐敗でした。ギリシャ時代に有害微生物の存在が分かっていたかどうかは知りませんが、彼らは変質を防ぐ方法を経験的に知っていたようです。現在の科学的知見をもってすれば、変質の原因が有害微生物というのであれば、有害微生物が生きていかれないようにすれば良いので、ワインの変質を防止する方法は、すぐに考えられます。

一つめは、空気を遮断すること。有害微生物の多くは好気性であるからです。当時は経験則から、アンフォラの口元ぎりぎりまでワインを入れ、密栓するやり方をとっていたようです。また、密栓できないときには、表面にオリーブ油を浮かべ、空気との接触を遮断しました。

二つめが有害微生物の活動を阻害する物質を添加する方法です。阻害物質としては、薬効のある香辛料やブランデーのような強いアルコールが使われていたようです。なお、こうした阻害目的であったものが、後に嗜好目的のための添加に変わっていくこともありました。

最後に三つめですが、有害微生物の活動を阻害する別の有用な微生物を加える方法です。現在のシェリーはこの流れを汲む製法で、こうしたやり方は古代ギリシャに既に存在していたようです。放置したワインの表面にできる白いカビのような膜の下からワインを取り出して飲んでいたという記録があります。この三つめの技術は、ワインをほったらかしにしていたら産膜性酵母の白いカビを思わせる膜が生えてしまったが、飲んでみたら美味しいので飲み続けたという程度のものかもしれませんが、現在の科学的視点からみると、そこに意味が存在していたことが分かります。

以上、栽培技術、製陶技術、貯蔵技術を見てきましたが、いずれも、科学的知見に基づく現在の方法論と比しても決して幼稚なレベルではなく、むしろ極めて高い技術であったように思います。そして、これら三つの技術は、生産→輸送→貯蔵という生産者から消費者までを結ぶバリューチェーンを網羅しており、当時、最も質の高いワインを造っていた人たちは、これらの技術をフルに活用して市場に届けていたと思われます。このような技術に裏打ちされたワインでなければ、ある意味どこでも誰でも造れてしまうワインの中で、ギリシャ・ワインが他のワインと差別化し、その地位を確立できなかったのではないかと思われます。

このように、ワインのビジネスを成立させていた技術を見てきたわけですが、最終的に市場あってこその技術です。その意味で、ギリシャ全盛の時代においてギリシャを中心とした地中海の人口は多く、そこには充分大きなワイン市場が存在していたことを、今一度思い出す必要があります。極めて高価なワインを購買する市場が存在したことは、そのワインの対価がふたたびワインの生産・輸送・貯蔵の技術向上に使われるという好循環を促したのは想像に難くありません。結局、ワインという交易品は、優れた技術と魅力的な市場が相互に良い影響を与えながら発展し、ギリシャの繁栄に大きく寄与したに違いないと考えます。

今回は、なぜギリシャ時代にギリシャ・ワインが広く交易され、当時のワイン市場を席巻していたかを見てきました。そして、時代は移りゆきます。ローマ時代に入り、ワインの市場はさらにフランスの中部から北方に広がっていきました。次回のコラムでは、ローマ時代のワインを振り返りながら、ローマの領土拡大において果たしたワインの役割と市場拡大を支えた技術について記したいと思います。

*参考文献:

ロジェ・ディオン、『フランスワイン文化史全書ブドウ畑とワインの歴史』、国書刊行会

麻井宇介、『ブドウ畑と食卓のあいだ』、日本経済評論社

チャールズ・シンガー他、『技術の歴史地中海文明と中世』、筑摩書房

フォーブス、『古代の技術史』、朝倉書店

ヒュー・ジョンソン、『ワイン物語(上)』、平凡社

ワイン学編集委員会、『ワイン学』、産調出版

▼「ワイン片手に経営論」とは

現在、ワイン業界で起きている歴史的な大変化の本質的議論を通して、マネジメントへの学びを得ることを目指す連載コラム。三つの“カクシン”が学びのテーマ。一つ目は、現象の「核心」を直感的に捉えること。二つ目は、その現象をさまざまな角度から検証して「確信」すること。そして、三つ目は、その現象がどう「革新」につながっていくのかを理解すること。

【お知らせ】本欄の著者・前田琢磨氏の翻訳書『経営と技術—テクノロジーを活かす経営が企業の明暗を分ける』(クリス・フロイド著、英治出版刊)が発売になりました。さまざまなベストプラクティスを取り上げながら、技術マネジメントの在り方について議論した一冊です。

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