第11回 いまさら断れない~最初はこんなはずじゃなかったのに~ 

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日常のビジネスシーンに潜む数々の“落とし穴”。なかでも、営業先でのプレゼンや得意先へのメールなどコミュニケーションにおける転ばぬ先の杖を中心に、グロービス経営大学院で教鞭を執る嶋田毅が紹介する。第11回は、「一貫性へのこだわり」について見ていこう。(この連載は、ダイヤモンド社「DIAMOND online 」に寄稿の内容をGLOBIS.JPの読者向けに再掲載したものです)。

今回も、前回に引き続き、交渉に関連する落とし穴について紹介していく。テーマは、「一貫性へのこだわり」だ。ケースでは、最初その気はなかったのに、いつの間にか相手の大きな要望を受け入れざるを得なくなった例を紹介する。

【失敗例】本意ではなかった単身赴任「気がついたら引き受けていた」

大阪に本社を置く惣菜メーカーZ社の女性社長、江坂氏の現在の悩みは首都圏、特に東京地区でのシェア低下であった。もともと競争相手が多く、厳しい戦いを強いられてきたのだが、東京に本社を持つ競合のX社とY社が、「関東地区のシェアだけは死守しなくてはならない」と、地元重視の営業戦略を打ち出してきた影響をもろにかぶった格好だ。

江坂氏はテコ入れのために、経験豊富な営業部長を東京営業部に送り込みたいと考えていた。その第一の候補が、現在は本社の営業管理室長を務める中津氏である。いまは管理部門で仕事をしているが、もともとはやり手の営業マンとして鳴らし、Z社の北海道営業部長、九州営業部長なども歴任、着実に実績を残してきた。社内からの信任は非常に厚い。

江坂社長はぜひ中津氏に東京営業部長を引き受けてもらいたいと考え、それとなく意向を聞いてみたのだが、どうも本人は東京赴任に消極的である。

「いまはまだ元気だが、親が年老いており、あまり遠くには離れたくない」

「2人の子どもが続けざまに受験するため、何かとサポートが必要」

「長らく地方を回ってきたので、そろそろ地元である大阪に腰を落ち着けたい。マイホームのローンも残っているので」

もちろん、江坂社長としては、業務命令で東京赴任を命じることも可能である。しかし、本人が乗り気でないところに強引に辞令を出すのでは本人の士気にもかかわるし、得策ではないとの思いがあった。

「何とか彼を説得できないかしら…」

江坂社長は、腹心の取締役、梅田氏を呼び、相談してみた。梅田氏は、中津氏とは長い付き合いで、過去に直接の上司部下の関係になったことはないが、いろいろと仕事の相談をすることが多かったこともあり、何かと頼りにしている存在だ。

「確かに、いきなり本意でないことを命じるのはよくないでしょう。彼の性格を考えれば、徐々に巻き込んでいくのがいいと思います。まあ、私に任せてください」

「梅田さんにそう言ってもらえると助かるわ。よろしくお願いね」

「了解です。少しばかり時間はかかるかもしれませんが、お任せください」

その数日後。梅田氏は中津氏を呼び、こう指示を出した。

「中津君、知っての通り、いま東京地区は大変な状況で、何とかテコ入れをしたい。現場は日々の仕事に忙殺されてなかなか腰を落ち着けて策を練る時間がないから、管理室長である君のほうで、少し対案を練ってくれないかね。社長以下、皆の了承は得てある」

「了解しました。東京を何とかしないとうちの業績がおかしくなりますからね」

そして2週間後、中津氏は、東京テコ入れ策を江坂社長をはじめとする経営陣に報告した。江坂社長は言った。

「なかなかいいわね。さすが中津室長。すぐに実行しましょうよ。ついては、ぜひ東京営業部への指示出しと主要メンバーのコーチングをお願いするわ。必要あればどんどん出張に行って」

中津氏は一瞬「えっ」という顔をしたが、行き掛かり上、断るわけにも行かない。

「わかりました。何とかやってみます」

こうして、週に1回は東京に出張に行くという中津氏の勤務パターンが始まった。最初は日帰りのことも多かったが、東京の現場からは、「できれば一緒に客先にも行ってくださいよ」あるいは「2日来ていただくわけにはいきませんか」という要望が増えてきた。

最初は躊躇していた中津氏ではあったが、人から頼られるのは悪い気分はしないし、性格上も、無下に断るタイプではなかった。いつの間にか、中津氏の東京通いは週に2日以上に増えていった。

そんなある日、中津氏は梅田氏に呼び止められ、こう言われた。

「いまや東京営業部は君の力なくしては成り立たない。それは君も感じているだろう。現場からの要望も強いんだ。元々は君のプランだし、ここまでコミットしたんだから、ぜひ東京営業部長を引き受けてほしい。これは社長の強い要望でもあるし、僕からもお願いしたい」

「……ここまで来たら引き受けざるを得ないでしょう。単身赴任になってしまいますが、可能であれば、週一度は家に戻りたいので、そのへんを考慮いただければ」

「わかった。そこは社長と相談して何とかするよ」

中津氏は内心こう考えていた。

「なんか梅田さんにうまくはめられた気がするな・・・。かといってその前に断るのも難しかったし。もともと東京に行く気なんてなかったのにな…」

【解説】今回の問題点 いまさら断れない状況に・・・

一般に人間は、いったんある立場をとると、一貫してその立場をとっているほうが居心地がいい、また、他人から一貫性のある人間と見られていたい(ころころ意見が変わる人間とは見られたくない)という心理がある。

今回、梅田氏が用いたのは、この心理をうまく活用したもので、交渉の専門用語で「フットインザドアテクニック」と呼ばれるものだ。これは、本命の要求を通すために、まず簡単な要求からスタートし、段階的に要求レベルを上げる方法である。

以下の簡単な事例もそれに該当する。

「アフリカの恵まれない子供のための教育基金に寄付をお願いします。額は小さくてもかまいません。ぜひこの基金の趣旨にご賛同ください」

「じゃあ、5000円だけ」

翌年。

「昨年は寄付をありがとうございました。ところで、アフリカの子供達が置かれた環境はなかなか改善されません。この基金の趣旨をご理解いただいている◯◯さまには、一層のご支援をお願いしたいのですが」

「…じゃあ、今年は10000円を寄付しましょう」

さらにその翌年。

「今年もぜひ寄付をお願いできればと思います。おそらく、◯◯様の周りには、◯◯様同様に、貧困に対する問題意識の強い方が大勢いらっしゃるのではないかと思います。ぜひ、そうしたご友人の方をご紹介いただけないでしょうか。◯◯様であればご理解いただけると思うのですが」

「(いまさら断りにくいし。しかたないな)…」

冒頭のケースは、これを少し大掛かりにしたものと言えよう。中津室長の立場から見れば、「失敗」とまでは言えないかもしれないが、相手のペースにきれいに乗せられ、本来であれば断るつもりの仕事を引き受けざるを得なくなったのだから、やはり広い意味で「落とし穴に落ちた」と言える。

このテクニックは、要望を出す側からすると、うまく相手の琴線に触れるような規範や価値観を発見できれば、それを足場にかなりの要望を認めてもらうことも可能であり、非常に有効だ。具体的には、上記の寄付の例にもあった、「困っている人々は助けなくてはならない」などの社会的に高く評価される価値観がこれに該当しやすい。

一方で、逆の立場から見ると、このテクニックを知らないと、まんまと相手のペースに乗せられてしまうことになりかねない。営業担当者からの小さなお願い(例:「まずは口座だけでも開かせてください」)が、気がついたら大きな商談になっていた、といった経験をお持ちの方も多いだろう。

「いまさら断れない」という 落とし穴を避けるには?

ここでは、要望を受ける立場にたって、この落とし穴の避け方を論じよう。

一貫性へのこだわりは、多かれ少なかれあらゆる人間が陥るものだ。これはさまざまな理由から生じる。

第一の理由としては、(先述したことの再確認であるが)朝令暮改のリーダーよりも一貫した態度を示すリーダーを好む傾向がある、という人間の性向があり、多くの人がそれを認識しているということだ。

第二の理由としては、(その固執が非合理的であった場合)当初の間違った意思決定について責任を追及されるのではないか、メンツがつぶれるのではないか、などの恐れを抱くということがある。例えば、ある従業員の採用を決めたマネジャーは、採用に関与しなかったマネジャーに比べて、彼/彼女を好意的に評価する、あるいは将来を楽観的に推測する傾向があることが知られている。

一貫性への固執は人間の抜きがたい性向ゆえにまったくそこから自由になることは難しい。一貫性にこだわったばかりに、気がついたら「いまさら断れない」という落とし穴に自らはまってしまうことも多いのである。

だからこそ、本連載の過去の回同様、自分自身をメタに見る冷静な視点が求められる。その際、1つの価値観のみに引きずられるのではなく、他の重要な価値観や信念とのバランス感を意識することが必要だ。

冒頭ケースの例で言えば、「家庭を大切にする」といった価値観とのバランス、アフリカ寄付の例で言えば、「必要以上に個人情報を伝えない」などの価値観とのバランスを冷静に考えることが必要だ。

また、深みにはまりそうと感じたら、早い段階で引き返す勇気を持つことも求められる。これは特に組織において当てはまる。多くの企業において、あまりに早い朝令暮改は「根性がない」「事前の調査が緩かった」など批判の対象になりやすい。しかし、本来、ビジネスパーソンに求められるのは、その瞬間瞬間での合理的な意思決定だ。

強い信念やビジョンは保持しつつも、個々の方法論やそれほど重要ではない判断基準に過度にこだわることは望ましいことではない。状況にもよるが、組織としては「合理的かつ勇気ある過去の否定」を賞賛するシステムや企業文化を醸成しておくことも不可欠である。

次回はいよいよ最終回。さまざまな要素が入り混じった「ビジネスの落とし穴」を紹介します。

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