ギリシャ時代のワインの意味合い 

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ワインの歴史は長い。

考古学的な証拠から推察すると、実際には200万年以上前からあったとされていますが、有史上の話であれば紀元前4000年から5000年くらいまで遡ることができます。そのころの様子を描いたものとして『ギルガメッシュ叙事詩』が有名です。

わたしは〔働く者たちの〕ために数々の雄牛を屠った。
日毎,数々の雄羊を殺した。
シラシュ・ビール,クルンヌ・ビール,油,ぶどう酒,
吸物を川の水のように〔彼らは飲んだ。〕
『ギルガメシュ叙事詩』140頁:第11の書板70-76より

古代バビロンの王ギルガメッシュが、大洪水に備えて方舟を船大工たちに造らせた際に、船大工にブドウ酒(つまりワイン)を振舞った様子が描かれています。「川の水のように飲んだ」とは、どのくらい飲んだのでしょうか?船大工は酒豪の集まりだったのですね。

また、こんなものもあります。聖書の創世記9章からの引用です。

「20節さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、」
「21節彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。」

ノアとは、かの「ノアの方舟」のノアです。この話は、有名な大洪水の話のあとで、ノアがワインを作ったと記されています。決して、飲み癖がよかったとは言えないようですが、さぞかし酔いが回ったのでしょう。ちなみに、ギルガメッシュの大洪水とノアの大洪水は同じ大洪水ではなく、異なる二つの大洪水があったとするのが一般的な見方のようです。

さらに、時代が下り、メソポタミア文明の時代の紀元前1700年ごろのハンムラビ法典には「酒癖の悪い者にはワインを売るべからず」という法律があったとか。こんな法律が現在あったとしたら、取締りが大変です。この当時は、メソポタミアではブドウを栽培することができなかったので、ワインはメソポタミアの北方のアルメニアで作られ、ユーフラテス川を下ってワインが運ばれてきていたようです。

そして、ギリシャに広まったのが、紀元前1500年ごろ。ギリシャ文明の時代であり、地中海を中心とした交易が盛んでした。ディオニュソスというワインの神様が登場するのもこの時代の話です。ディオニュソスが山の中で出会った凶暴なケンタウルス(上半身が人間で、下半身が馬の形の怪物)は「蜜のように甘いワインが人間を思うがままにする力をもっていることを知ると、ケンタウルスはすぐに自分たちの食卓から白乳を下げ、銀の壺からワインを飲み、千鳥足になり意識を失った*」そうです。

こうやってみると、昔の話には泥酔した話が多数残っているのですが、過去の人たちがどのようなワインをつくり、どのようにビジネスをやっていたのか思いを馳せると何か雄大なロマンを感じワクワクしてきます。

その当時、フェニキア人、ギリシャ人といった人たちが、皮舟で地中海を縦横無尽に渡り、交易をしていました。そして重要な交易品のひとつがワインでした。ワインが交易の重要な商材である以上、ギリシャ時代にもワインを造っている人たちやワイン市場が存在し、当然、成功・逆転・衰退がありました。また、ワインの造り手やその他ワインに関わる多くの人たちの情熱とともに技術進化もありました。そして、歴史は繰り返します。現在もワインは新たな激動の時代を迎えています。フランスを頂点に、欧州伝統国での消費量が減少する一方で、アメリカ、チリ、オーストラリアといった新世界のワイン消費量が伸びているのです。

こうしたワインビジネスとその技術の歴史をギリシャ時代から時間の経過と共に追いかけていくと、そこにはさまざまな物語があり、ビジネスと技術に関するさまざまな示唆が見えてきます。時代を動かした技術はなんなのか?その技術をその時代にもたらしたものは何か?当時の人たちの思惑はなんだったのか?

こうしたワインを取り巻くビジネスや技術をより明確に描きながら、その意味合いを捉えるために、ワイン黎明期の紀元前より歴史を順に追いながら見ていきたいと思います。

ギリシャ時代のワインの意味合い—人口増加を支えたその交換価値

紀元前1500年の当時、ワインは極めて高価なものでした。また、ギリシャにとって現代でいうところの外貨獲得の意味合いをもつ重要な産品であったと思われます。

その頃のギリシャは、人口の増大とともに土地や食糧が不足してきたため、殖民政策をすすめていました。殖民政策の理由としては、旱魃(かんばつ)や、それを起因とした飢饉なども考えられるようですが、いずれにしても食糧が不足していたということだと思われます。植民地は地中海沿岸のエジプト、シチリア、マルセイユといった都市が有名ですが、近い丘には必ずといってよいほどブドウ畑があったようです。

ギリシャという土地は、現在でも絵や写真を見ると、低層の草木とごろごろした岩山のようなイメージがありますが、昔からどうも乾燥していて決して肥沃な土壌のある場所ではありません。ギリシャに樹木が少ないのは、ギリシャ時代に貨幣を冶金するための木炭を確保するため全部伐採してしまったからという説もあるようですが、いわゆる穀倉地帯といえるような土地柄ではありません。こうした土地では、人口が増えてしまうと食糧調達、とくにパンの原料である小麦などをどうしても外国に頼らなければならなかったのだと思われます。

この決して肥沃ではない場所においても、育つ植物がワイン用のブドウでした。繁殖力が強く、乾燥した土地や岩だらけの土地でも比較的良く育つ植物で、北半球全体に拡がっていました。ブドウの樹は、乾燥した厳しい環境であればあるほど、その根を地中の奥底まで伸ばし、栄養分や水分を吸い上げていく逞しい植物です。したがって、ブドウの樹が育つかどうかの北限地域で収穫されたブドウで造られたワインは、とても美味しく質が高くなる傾向があります。地中のさまざまな地層から多様な栄養素を吸い上げるためで、香りや味わいに深みが出てくるといわれます。こうしたブドウの樹の性質は、環境適応能力が高いということであり、逆に言うと環境によって変種や突然変異がおきやすいということでもあります。このようなごろごろした岩が多く乾燥した地域でも育つブドウは、神話の国ギリシャにとって神の恵みそのものであったことだと思います。

当時のワインがどのくらい高価であったかというと、アンフォラという甕一つと奴隷一人を交換できるくらいのものでした。アンフォラというのは小さいもので約5L、大きいもので30Lくらいの容量があったと思われますが、今の750mlのワインボトルに換算すると大きいアンフォラとの交換でも3ダースくらいの量と、当時、最も交換価値の高かった奴隷ひとりとが匹敵するくらい、ワインの価値は高いものでした。おぞましい話ですが、時にはその奴隷が買い手側の蛮族の実子であることもあったようです。

これほど、ワインは魅力的な産品でした。この魅力を表現した言い伝えはいくつもあります。

「険しい山々で狩をしたヘラクレスは、泊めてもらおうと半人半獣のポロスのもとを訪れた。ポロスは身分の高いこの客人に敬意を表して、ディオニュソスから授けられた貴重なワインの入った大壺のふたを開ける。甘美な香りが漏れ、外へと広がる。その香りは近くにいたケンタウロスたちを引き寄せ、彼らはポロスのワインを奪おうと家を襲うが、外に出てきたヘラクレスに追い払われる。*」

「もっとよこせ、お願いだ、そして今すぐおまえの名を教えよ、ああ客人よ、俺はおまえに、おまえを喜ばせる贈り物をしたいのだ。*」と鍛冶技術をもった単眼の巨人の神であるキュクロプスがギリシャ神話の英雄であるオデュッセウスに語りかけます。

酔っ払うという現象は、当時の人たちにとって衝撃的な経験であったのだと思います。その衝撃は時には誤解を生み、オデュッセウスの義父がワインを知らない羊使いにワインを飲ませたら、その経験したことのない酩酊感に毒を盛られたと勘違いしたという話も残っています。現代的な科学知識がない時代でしたから、「酔う」という感覚は、本当に不思議だったのだと思います。この不思議さは、神秘さでもあり、後のキリスト教の信仰においてもワインが欠かせない飲み物となっていくきっかけとなります。

このようにワインは、その存在を知る誰しもが欲しがるものでした。当時は、まだ物々交換と貨幣経済が混在している時代でしたが、ワインは換金性や対物交換性が高い産品で、まるで貨幣のような価値があり、貴金属よりも交易に使われることが多かったそうです。

これは、財務用語でいうところの流動性の高さを意味しています。「CashisKing」という言葉がありますが、この言葉の本質は「流動性isKing」ということです。現金は常にして便利です。バランスシートの縦軸を想像すれば、現金が最も流動性が高く、すぐに財やサービスの購入や負債の返済に使える有用な資産であることは一目瞭然ですが、この流動性は、経済活動を支える重要な性質であります。こうした意味から、ギリシャにとってワインは現代で言うところの現金にも似た機能を果たしており外貨獲得手段でもあったのではないかと思うのです。まさに、ブドウは金のなる木であったのではないでしょうか。

ギリシャ文明は、われわれの想像を超える極めて優れた哲学や文化を生み出しました。その発展は、人口増加をもたらし、増加した市民に充分な食糧を調達する必要を生じました。そして、ワインという高い流動性をもった商材とそれがもたらす莫大な利益が、国外や植民地から必要な小麦、香辛料、家畜などを輸入することを可能にし、ギリシャの食糧需要を満たしてきたのでしょう。

これだけ、価値の高いワインですから、そのビジネスにも当然競争があり、それを支える技術がありました。そこで、次回は、このギリシャ時代のワインビジネスを支えた技術についてご紹介します。

*参考文献:
ロジェ・ディオン、『フランスワイン文化史全書ブドウ畑とワインの歴史』、国書刊行会
『ソムリエ・ワインアドバイザー・ワインエキスパート教本』、社団法人日本ソムリエ協会
ヒュー・ジョンソン、『ワイン物語(上)』、平凡社

▼「ワイン片手に経営論」とは
現在、ワイン業界で起きている歴史的な大変化の本質的議論を通して、マネジメントへの学びを得ることを目指す連載コラム。三つの“カクシン”が学びのテーマ。一つ目は、現象の「核心」を直感的に捉えること。二つ目は、その現象をさまざまな角度から検証して「確信」すること。そして、三つ目は、その現象がどう「革新」につながっていくのかを理解すること。

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