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レコード大賞の不正疑惑に「悪者」はいないのか

投稿日:2016/12/30更新日:2019/04/09

「日本レコード大賞(以下、レコ大)」は日本の商業音楽界における権威ある賞である。今年の受賞者は既に決まっているが、一部マスコミから不正疑惑が報道されたことで、その権威に疑問符が付いている。

その疑惑とは、「ある芸能プロダクションが所属アーティストに大賞を取らせるために、レコ大を仕切っている別の大手芸能プロダクションに1億円を支払い、大賞を買収した」というものである。賞の決定は新聞記者たちの投票によって決められており、特定の音楽レーベルや芸能事務所の意向が入り込まないようになっている。ところが、その実態は特定の芸能事務所によって賞が「買収」されているというのである。これが事実かどうか、私にはわからない。正直なところ、真実を追求する気は全くない。

私が気になっているのは、賞の選考における「不正を防ぐ仕組みの欠如」である。

賞が選ばれる仕組み

レコ大は、TBSと日本作曲家協会という団体が委託した選考委員(新聞記者やテレビ局関係者など15人)によって決められる。委員を音楽関係者ではなくマスコミ関係者にすることで、選考の公平性は担保されているように見える。

しかし、ここに落とし穴がある。テレビや新聞の芸能担当記者は、芸能プロダクションから情報をもらうことで商売をしている。もし芸能プロダクションに嫌われるなどして取材の情報源が断たれてしまったら、商売にならない。つまり、ミュージシャンを抱える芸能事務所から影響を受けやすい立場にいる。

また、仮に不正があったとしても新聞やテレビで報道されにくい。なぜなら、審査委員がマスコミ関係で構成されているからである。不正を報道すれば、自社や系列企業に火の粉が降りかかる。

仮に賞の選考に不正があったとしたら、それは企業のコンプライアンス違反と同じ構図である。その構図を、「プリンシパル=エージェント理論」という経済学の理論を用いて説明する。

プリンシパル=エージェント理論

プリンシパル=エージェント理論では、財やサービスの交換関係を、「依頼人(プリンシパル)」と「代理人(エージェント)」の関係として捉える。レコード大賞をこの理論に当てはめると、「依頼人=音楽ファン」、「代理人=審査員」になる。

こうした状況で、代理人が自己利益のみを追求し、依頼人にとっては不利になるような行動をすることがある。これを「エージェンシー問題」という。エージェンシー問題が起こってしまうのは、依頼人と代理人の間に次の2つの「違い」があるからである。

利害の不一致
人間は自分の効用を最大化しようとするが、その利害は必ずしも依頼人と代理人で一致するとは限らない。

情報の非対称性
人間の情報収集や情報処理、情報伝達能力には限界があり、依頼人と代理人が同じ情報を持つとは限らない。

具体的な事例を紹介しよう。アメリカで良く用いられる例は、中古車の販売である。中古車ディーラーは車の状態をよく理解しているが、購入者には分からない。例えば、走行距離を操作したとしても、購入者には確認しようがない。ディーラー側はこうした情報格差を利用して、安く仕入れた車を相場以上に高く売ることも可能である。念のため補足しておくと、日本の中古車販売でこうしたことが頻繁に起きていると言いたいわけではない。ただ、こうした不正が起こる可能性があるという話である。

購入者が騙されないようにするためには、信頼できる第三者機関による認定を得ているディーラーや商品を選ぶなどの手段がある。日本の中古車の場合、カーセンサーやGooによる「認定」や、正規ディーラー系列であることなどが信頼のシグナルになっている。そのため、こうした商品やディーラーには若干のプレミアムが乗せられている。

では、レコード大賞の選考において、依頼人と代理人の関係はどうなっているのだろうか。また、不正を防ぐ仕組みはあったのだろうか。

レコ大におけるエージェンシー問題

レコ大における審査委員と音楽ファンの間には、利害の不一致と情報の非対称性が存在する。

そして、こうした状況に端を発する「エージェンシー問題」を防ぐ手段がない。審査委員の名前と所属が公表されているため、買収を働きかけることは可能である。また、芸能スキャンダルを暴くのは芸能担当記者の役割だが、不正を犯した当事者が芸能担当記者であれば、当然報道されない。仮に不正があったとして、それを報道するのは審査委員の所属母体と関係が無い独立系の報道機関だけになる。

だから、不正があったとしても防げない。これはシステムの欠陥である。

自分なら「不正をしない」と言い切れるか

仮に皆さんが、芸能担当記者や、芸能人を抱えるプロダクションの経営者だったとしよう。自分は不正に加わらないと言い切れるだろうか。そもそも、法を犯しているわけではない。それどころか、ビジネス上は買収したり、された方が「合理的」な場合もある。私には「絶対に買収しない、されない」と言い切る自信がない。そもそも、レコード大賞にエントリーされるアーティストは、全員が賞を取ってもおかしくない顔ぶれである。正直、誰が受賞しても違和感はない。ファンに損害が及ぶわけでもない。そして、仮に不正があったとしても、ほとんど報道されない。

だから、仮に不正があったとしても、そこに加担した人を責めることはできないのだ。確かに、倫理上は問題がある。しかし、人間はそこまで強くない。

米国のグラミー賞(商業音楽の権威ある賞)は、不正が起きにくいシステムになっている。審査員は全米レコード芸術科学アカデミーの会員(約1万3000人)から投票で選ばれる。こうして選ばれた審査員は「非公表」なので買収することが難しい。また、レコ大とは異なり1万人以上の音楽関係者の「投票」によって審査員が選ばれるという点で、ある程度の公平性が担保されている。さらに、仮に不正があればマスコミは自由に報道できる。なぜなら、審査委員にマスコミ関係者が占める割合は限られるからだ。

こういう話をすると、不正を防ぐには「性悪説に基づいてシステムを設計した方がいい」と考える人もいるだろう。しかし、そうではない。

これに関連して、京セラ創業者である稲盛和夫の話を引用する。

稲盛和夫の哲学

稲盛和夫は、社員に罪を作らせないのは経営者の思いやりだと述べている。以下、『稲盛和夫の実学』(日本経済新聞出版社)という本から、2箇所抜粋する。

「残念なことに人間はつねに完全ではない。いくら立派なことを言っていても、誘惑にかられ、魔が差してしまうかもしれない。(中略)この意味で私は会計の果たす役割はきわめて大きいと考えている。なぜなら会計において万全を期した管理システムが構築されていれば、人をして不正を起こさせないからである。また、万が一不正が発生しても、それを最小限のレベルにとどめることができるからである。」

「一見当たり前のことであるが、当たり前のことを確実に守らせることこそが実際には難しく、それだけに大切にすべきことなのである。(中略)その根底には、社員に決して罪をつくらせないという思いやりが、経営者の心の中になくてはならないのである。」

この本では管理会計システムについて扱っているが、それだけではなく、人事考課制度や今回のテーマである「賞を選考するシステム」にも適用できる。そこに関係する人に罪をつくらせるようなシステムは、システムとして欠陥があるのだ。

もちろん、「廃棄カツ横流し問題」のように、悪意ある人間が悪意を持って不正を行うこともある。だが、企業のコンプライアンス違反やコーポレートガバナンス不全は、普段は善良な人間が、ちょっとした心の隙に不正を犯してしまった結果であることが多い。例えば、東芝の不正会計について、経営共創基盤の冨山和彦氏は次のように語っている。「東芝の事件のように、社長をはじめ優秀な幹部社員たちが『まじめに』『仲間のためを思い』コツコツと不正を積み重ねるというのは、日本独特の病理である」。つまり、性悪説では企業の不正をなくせない。

「人間は性善なれども弱し」(経営学者の伊丹敬之)である。あえて言えば、性弱説だ。

今回のレコ大に不正があったかどうか、私は知る由もない。仮に不正があっても、法に触れていないこともあり、責める気も起きない(もちろん、擁護もしない)。

ビジネスパーソンの皆さんは、この騒動を他山の石として、ご自身の組織をチェックしてはいかがだろうか。

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