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第9回 「地球税」を支払う時代

投稿日:2008/06/13更新日:2019/04/09

環境や資源、食糧などのキーワードが、メディアを賑わす。日々の生活を直撃する原油や食糧価格の高騰が止まらない。これら“地球規模”の問題は、一体何を意味しているのだろうか。グロービス経営大学院客員教授・田崎正巳が考察する。

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最近、環境や資源、食糧などという文字を新聞やネットで目にしない日がないような気がします。新聞の紙面の左上を見ると、1面から環境、資源、化学物質規制などと3ページも続く、という日もありました。

「いつ頃からこんなことを頻繁に話題にするようになったのか」と思ってみても、よく思い出せません。京都議定書が1997年末なので、ここ10年くらいのことでしょうか。原油はどうか。京都議定書の頃なんて1バレル20ドルくらいだったんですね。その後上昇しましたが、2004年あたりに「史上最高価格更新!」とメディアが騒いでいたころも1バレル50ドルくらいでした。今の130ドルレベルとは全然違います。

食糧高騰はいつからなんでしょう。インスタントラーメンなどが値上げされたのが昨年ぐらいからでしょうか。新興国での需要増大(先進国のこの言い方はちょっと傲慢ですね)が基本的な要因であるようですが、どうも06年のオーストラリアでの大干ばつが一つのきっかけになっているようです。

もちろん、米国がとうもろこしをエタノールに転換する政策を進めているおかげで、大豆や小麦の作付が減ったとか、いろいろあるのでしょう。要は、需要側だけでなく供給側にも要因があるということです。

日本人が大好きな魚も規制が厳しくなってきています。規制するのは意地悪だからではなく、数が少なくなっているという科学的根拠に基づくことだから、これも仕方がない。化学物質規制も、環境問題を追及していくうちに、「元から断たなきゃダメ!」ということで、3万種類にも及ぶ化学物質を厳しく管理、規制しようということのようです。

問題の背後に見えるものとは

一見、それぞれには関連がなさそうな事象ですが、こういうことが毎日のように報道されていることに慣れてくると、「底流では何があるのかな」と思ってしまいます。これらに共通していることは、少なくとも日本人にとっては全て「コストアップ」につながるということです。

短期的に見れば、資源国、農業国が一時的には潤うかもしれません。そのどちらでもない日本は、とんでもないコスト増を負担していることになります。原油だけでどのくらいか、想像もつきません。05年あたりで原油代金を10兆円も払っているのですが、その後は軽く倍以上にはなっているでしょう。どんなに少なく見積もっても、10兆円以上の負担増です。

食糧はどうでしょう。04年で4兆円くらい輸入しているようです。輸入小麦価格はここ1-2年で3割以上も上がっています。EUでの化学物質規制は、企業に対して1兆円ものコスト増を付加するという見込みもあります。

これらを全部足すと、日本人1人当たり一体いくらのコスト負担が必要なのでしょうか?しかも、特別な嗜好品ではない生活基盤を支えるものばかりですから、所得の大きさに関係なく、日本人すべてにかかってくるコスト増です。

地球を使うことがタダではない時代

私はこれは「地球税」ではないかと思います。

ほとんどの日本人は、個人であれ企業であれ税金を納めています。それは、所得と関係ない部分もあり、住民税や事業税などという名目でも納めています。消費税はだれにでも付加されます。なんでこんな税金を取られるのか?と考えると、この国で安全に気持ち良いインフラが整っている中で、生活したり商売できるためのコスト負担と考えられます。それを政府という人工的な組織に払っているのです。

では、この地球上で生活したり商売するのはタダなのか。地球なんて無コストだから、そんなこと考えなくてもいいのか。どうも、もうそういう時代じゃない時代に突入してしまったのでしょう。

地球も今までは“大きな気持ち”で、動物の一種でしかない人間の活動は、他の動物と同じように無税でやってきたけど、どうも最近の人間は「勝手に場所を使う」だけならまだしも、「勝手に地球を破壊する」ことが多くなってきているので、「地球税」を取ろうとしているのではないかと思います。

資源国はメリットしかないのではないか、と思う向きもあるかもしれませんが、それも長続きはしないでしょう。もちろん、ここでいう「長続き」というのは100年単位ですけど。購買力が旺盛になって、日本や欧州からバンバンモノを買い、農業国から好きなだけ食糧を買っていますが、所詮売る側が疲弊すれば長続きはしませんから。

「地球税」はメタボの結果

この現象は、最近流行りの「メタボ」みたいだなと思います。戦後の日本は食糧事情が悪く、とにかくひえでもあわでも何でも食べて頑張ってきました。でも、その後豊かになるとともに、「米が余る」などという、有史以来一度も経験したことない贅沢な状況になりました。

滅多に食べられなかった肉も、アメリカだ、オーストラリアだとたくさん入ってくるようになりました。バターもチーズもなんでもござれ。しかもただ食べればいいってもんではなく、「グルメ」に代表されるような量から質、さらに贅沢になってきました。

伝統的な魚も近海のイワシやサンマに飽き足らず、遠いアフリカ沖からさえもクロマグロだ、ヒラメだと獲ってくるようになりました。その食糧は対価さえ払えば手に入る。そして、コスト負担という意味では対価を払った時点でおしまい、という考えです。

でも、それによって医療費は高騰し、日本人が日本人全体の過食?飽食?によるコスト増を別な形で負担せざるを得なくなってきたということでしょう。メタボ対策は、長期的には医療費削減を狙っていますが、短期的には健保組合などのコスト増は避けられない状況になっています。

「ほどほど」の難しさ

こう考えてくると、タダだと思っていること、当たり前だと思っていること、ちゃんと対価を払っているから別にいいじゃないかと思っていること、そういう色んなことも、度を超すと必ずコストという形でしっぺ返しが来る、ということなのでしょう。実に上手くできているなあと変に感心してしまいます。

じゃあ、どの辺を限度としてわきまえておけばいいのでしょうか?私は「ほどほど」かなと思っています。もちろん、こんな曖昧な定義では何もわかりません。別な言い方をすれば、「動物の一種であるという自覚の下での活動」とも言えるかな、と。

途上国の田舎の生活を見ていると、まさに「普通の動物よりは上等な動物としての生活」って感じです。都会になると、地球を痛める生活がかなり入ってきて、先進国になってしまうと、もう「地球に優しい」なんてことを言っていたら、生活できないレベルになっているような気がします。

こんなことを書いている私も、コンクリートの箱に住み、排ガス撒き散らしてガソリンを消費し、ご飯と目刺しだけの質素な生活とは程遠い食事をし、家電などの便利さを享受していますから、とやかく言える立場でないのはわかっています。私にできることは「潔く地球の税金は払う」ことくらいしかないのは、なんとも無策で情けないです。

メタボな先進国と一緒に「地球税」を払う途上国

この「地球税」の問題は消費税と同じで、逆累進構造であることです。途上国にとっては「これから」という時に、「地球税」が降りかかってくるので、大きなハンデになるのは間違いないと思います。食べ放題・飲み放題の宴会に遅れてきた人が「ごめんなさい、あと3分で終了なんです」と言われているようなものです。周りは満腹の先進国のメタボばかりなのに、自分にはもう残ってない、みたいな……。

昨今のあらゆる分野でのコストアップは、ある種の「地球の悲鳴」と考えれば、なるほどと思えてくるような気がします。

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