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言葉は感性のメッシュ、体裁ではなく豊かな語彙でアウトプットは変わる

投稿日:2016/11/03更新日:2019/04/09

中学生のとき、現代国語の授業で何か作文の宿題が出されていたときだったと思います。冬の夕暮れ、部活を終えての帰り道。私は、田んぼのなかの一本道を歩いていくときの空の色の変化をその作文で描写したいと思いました。

夕暮れの空というのは、陽が落ちる西側のあかね色もすばらしいのですが、それ以上に、すでに闇が覆いかぶさりはじめている中天から東にかけての無限のグラデーションで続く紫から紺、黒の世界も素敵です。

で、その色に染まった空をうまく表したいのですが、自分の知っている言葉は、紫、紺、黒しかありません。でも、目に映っているのは、紫ではあるけれども単なる紫ではない。紺といえば紺ですが、紺では物足りない。黒なんだけれど、単純に黒と書いては気持ちが落ち着かない。

多分、紫、紺、黒と書いて作文しても、人には通じるだろうとは思いました。しかし、何だか自分の気が済みません。「このモヤモヤした表現欲求を鎮めてくれる言葉はないのか」───そんな思いにかられてか、私は翌日、市の図書館に行って「色の事典」を手にしました。

「日本の伝統色」事典だったと思いますが、そこには目くるめく言葉の世界がありました。私が言いたかったのは、

二藍(ふたあい)であり、
瑠璃紺(るりこん)であり、
鉄紺色(てっこんいろ)であり、
褐色(かちいろ)であったのです。

私はこうした言葉を手にしたとき、胸のつかえが下りたというか、ピンボケ景色を見ていたのが、すっとレンズの焦点が合って画像がシャープに見えたというか、そんな気分になりました。

言葉は感性のメッシュ

松居直さんは、児童文学者、絵本編集者、元福音館書店社長として知られる方です。著書『絵本のよろこび』に次のような素敵なくだりがあります。

まったくの個人的な体験ですが、十歳のころ、ちょうど梅雨のさなかで、学校から帰宅しても外へ出られず、縁側に座ってただぼんやりとガラス戸越しに庭を見るともなしに眺めていました。放心状態でした。外には見えるか見えないかほどの霧雨、小糠雨が降っていました。そのとき背後から不意に母のひとり言が聞こえました。

「絹漉しの雨やネ」

母の声にびっくりすると同時に、我にかえった私は「キヌゴシノアメか?」と思いました。私は“絹漉し”という言葉は意識して聴いた覚えがありません。わが家では父親の好みで、豆腐は木綿漉ししか食べません。しかし私には眼の前の雨の降る様と“絹漉し”という言葉がぴたっと結びついて、その言葉が感じとれたのです。

……「絹漉しの雨」。松居さんもこの後に言及されていますが、この表現は一般的なものではなく、辞書にも載っていません。おそらくお母様の独自の言い回しだったのでしょう。けれど、多感な少年は何ともすばらしい言葉を授かったものです。こうした「絹漉しの雨」が降るたびに、それを言葉で噛みしめられる感性を得たのではないでしょうか。

私たちは一人一人同じ景色を見ていても、感じ方はそれぞれに異なります。その差は、ある部分、持っている言葉の差でもあります。

雨を見るとき、「大雨」「小雨」「通り雨」「夕立」「冷たい雨」「どしゃ降り」程度の語彙しか持ち合わせていない人は、景色を受け取る感性のメッシュ(網の目)もその程度に粗くなりがちです。他方、自分のなかに、

「霧雨(きりさめ)」
「小糠雨(こぬかあめ)」
「時雨(しぐれ)」
「涙雨(なみだあめ)」
「五月雨(さみだれ)」
「狐の嫁入り(きつねのよめいり)」
「氷雨(ひさめ)」
「翠雨(すいう)」
「卯の花腐し(うのはなくたし)」
「地雨(じあめ)」
「外待雨(ほまちあめ)」
「篠突く雨(しのつくあめ)」

……などの言葉を持っている人は、感性のメッシュが細かで、その分、豊かに景色を受け取ることができます。ただし、これらの単語を受験勉強のように覚えれば感性が鋭敏になるということでもありません。実際、言葉を持たなかった古代人の感性が鈍いかといえば、まったくその逆でしょう。

結局のところ、見えているものを、もっと感じ入りたい、もっとシャープに像を結んで外に押し出したい、そういった詩的欲求が溢れてくると、人はいやがうえにも言葉という道具を探したくなるのでしょう。そしてひとたび言葉を手にすれば、内で感じたものをたくみに外に表わすことができ、他者に深く強く伝えることができます。

ひるがえって私たちが日々活動する仕事・ビジネス現場。ここにあっても、強く感じ、深く考え、その内容を他者にたくみに伝えるのが重要であることは同じです。かといって強烈な見出しを連発するカラー印刷の書類をつくってみたり、パワーポイントのスライドに派手にアニメーションをつけてみたり、そうした体裁上の技巧に走るのは本筋ではありません。体裁に頼る前に、まず自分のメッシュを細かくすることが大事ではないでしょうか。

自分が内に持っているメッシュの細かさ以上に細かなものを外にアウトプットすることはできません。

ビジネスパーソンにとって専門知識や専門技術を身につけることは確かに大事ですが、それよりももっとベースにある「言葉を豊かに持つ」ということも忘れてはならないことです。自分の感性や表現力を豊かにするためには、豊かなメッシュが必要であり、それはある部分、豊かな語彙によってつくられます。
 

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