なぜ国家には憲法が必要なのか? 

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ここ数年、改憲論が喧しい憲法の必要性について、ビジネス的な視点で改めて考えてみます。

ビジネスの世界では、本質価値と表層価値という区別をすることがあります。

本質価値: 顧客が支払う対価に対して当然受けられると感じる価値
表層価値: 必ずしも対価に含まれるとは考えないが、あれば嬉しいと感じる価値

言いかえれば、本質価値は「あって当然で、満たされないと不満を感じる要素」、表層価値は「ビジネスのコンセプトに応じて強く打ち出すことで差別化が図れる要素」とも言えます。アメリカの臨床心理学者・ハーズバーグのモチベーション理論で言えば、本質価値は衛生要因に相当し、表層価値は動機付け要因になぞらえることもできるでしょう。

たとえば、シティホテルというビジネスでは、少なくとも日本においては「各室にシャワートイレがあること」は本質価値であり、これを提供できないホテルは市場に参入しても勝ち残れないでしょう。一方、つい25年前の日本ではこれは必ずしも本質価値ではなく、表層価値のうちの一つでした。現代でも国によっては、やはり表層価値にすぎないというところが多いでしょう。

話を憲法に戻しましょう。国家にとって憲法とはどちらの位置づけでしょうか?多くの人は、本質価値と答えられるでしょう。それがあるからこそ国民の生活が成り立つと答えられる方も多いと思います。

しかし、日本に初めて憲法ができた時代は、それは世界で先進国と認められるための条件という色合いが濃いものでした。ビジネスに例えれば、国民という「顧客」ではなく、競合や社会(この場合は当時の西洋列強です)に対して「自分たちは先進国であり、同等の付き合い方を要求する」ということを主張する上での本質価値だったのです。

旧憲法である大日本帝国憲法が伊藤博文らの手によって研究、草案執筆がなされ、1889年に公布、1890年に施行されたのは多くの方がご存じでしょう。伊藤らはドイツの憲法を勉強し、それをベースに大日本国憲法の草案を作ったわけですが、当時、ドイツの政治家や学者らが、日本が明治維新からわずか十数年で立憲国家になろうとするのは無謀であり、失敗する可能性の方が強いとのアドバイスを行っていたことは案外知られていません。

当時の欧米人の頭にあったのは、アジア初の近代憲法とも言えるオスマン帝国憲法が、1876年の発布からわずか1、2年で、皇帝からの横槍により停止になったという事実です。当時の列強にしてみれば、「野蛮なアジアの国が、拙速で立憲国になろうとしてもかえって混乱するだけだ」という考え方がありました。

だからこそ、当時の明治政府にとっては、憲法の施行は国家的事業だったのです。当時はまだ不平等条約の時代であり、関税自主権もなく、外国人に対する裁判権もありませんでした。不平等条約の撤廃には、「先進国への入場券」である憲法と、それを軸にした近代的法制度の整備が必要条件、つまり重要な本質価値だったのです。

「憲法すらない国は野蛮」という考え方は先進国の押し付けではないかと感じられた方もいるかもしれません。しかし、仮に自分が憲法もない非法治国家に旅行に行くシーンを考えてみれば、その重要性は分かるでしょう。近代的な法体系がなく、すべて君主や官憲の主観で物事が決まる「人治」の状況下では、いつ不当に拘束され、死刑に処されるかも分かりません。やはり近代国家たるには憲法は必要なのです(イギリスのような例外もありますが、それは異常値と考えておく方がいいでしょう)。

もちろん、憲法があればそれでいいというわけではありません。世界で先進国として認められるには、さらに経済力や国民の教養レベルが必要になります。これらがすべて本質価値として提供できて初めて、先進国の仲間として認められるのです。

それを思えば、こうした本質価値に加え、表層価値としての軍事力で差別化を行い、わずか数十年で世界の列強に伍する地位にたどり着いた明治日本の歴史は、やはり特筆されるべきでしょう。その背景には、列強が次々に世界を植民地化していく現実と、目の前に強国ロシアがいたという逃れられない事実がありました。

なお、軍事力については、対外的には表層価値ではありましたが、国の安泰を図るという意味では国民にとっては本質価値とも言えます。先に、時代や国によって本質価値と評価値が変わる例を挙げましたが、これはステークホルダーが誰かによっても変わってくるのです。

そうした中で、絶妙なバランスの上に実現したのが大日本帝国憲法であり、日本の経済力、軍事力だったのです。

ただし、大日本帝国憲法は、その構造的不備から軍を止めることができませんでした。そしてそれが中国との泥沼の戦争、さらには太平洋戦争を招き、日本を敗戦に追いやることになります。そして日本は現在の日本国憲法を受け入れることになりました。本質価値は、ただ外形だけが整っているだけでは意味がないという点は意識しておきたいものです。

今回の学びは以下のようになるでしょう。

・何が本質価値で何が表層価値となるかを、状況に応じて正しく見極めることが必要。複雑な状況になるほど、その見極めやバランス感が問われる
・外形が整っているだけでは本質価値にならない。実体が大切
・時には突貫工事でさまざまなことを同時並行的に片づける必要がある。強烈な切迫感はそれを後押しすることがある

東京大学理学部卒、同大学院理学系研究科修士課程修了。戦略系コンサルティングファーム、外資系メーカーを経てグロービスに入社。累計150万部を超えるベストセラー「グロービスMBAシリーズ」の著者、プロデューサーも務める。著書に『ビジネス仮説力の磨き方』『グロービスMBAビジネス・ライティング』『グロービスMBAキーワード
図解 基本フレームワーク50』(以上ダイヤモンド社)、『[実況]ロジカルシンキング教室』『[実況』アカウンティング教室』『競争優位としての経営理念』(以上PHP研究所)、『利益志向』(東洋経済新報社)、『ロジカルシンキングの落とし穴』『バイアス』『KSFとは』(以上グロービス電子出版)、共著書に『グロービスMBAマネジメント・ブック』『グロービスMBAマネジメント・ブックⅡ』『MBA定量分析と意思決定』『グロービスMBA事業開発マネジメント』『グロービスMBAビジネスプラン』『ストーリーで学ぶマーケティング戦略の基本』(以上ダイヤモンド社)など。その他にも多数の共著書、共訳書がある。
グロービス経営大学院や企業研修において経営戦略、マーケティング、ビジネスプラン、管理会計、自社課題(アクションラーニング)などの講師を務める。グロービスのナレッジライブラリ「GLOBIS知見録」に定期的にコラムを連載するとともに、さまざまなテーマで講演なども行っている。

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