第6回 チベット問題に思うこと その2 

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聖火リレーの妨害など、チベット問題の余波が続いている。民族抑圧政策を容認する中国人の意識を単純に批判する報道も散見されるが、冷静になって考えてみたい。依然当局に情報統制や教育で考え方をコントールされる状況がある一方で、市民の価値観や倫理観は「豊かさ」とともに変化していく兆しも見える。グロービス経営大学院客員教授・田崎正巳が考察する。

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前回4月8日付けのコラムでは、現在の中国の問題を、先進国の過去の事例も含めた「時間軸」を持って見ないと理解しづらいと、書きました。その後、読者の方や中国人の友人らからのフィードバックをいただきました。最近の新聞では、中国政府の対応や衝突の模様だけでなく、中国の一般の人々の反応を報じる記事を目にします。この辺をもう少し考えてみたいと思います。

最近の報道で目立つのは、中国への助言、プレッシャー、提案。そして、中国国内の人々の反応です。前者は、「世界中が見つめている」という米下院議長の抗議を始め、「北京オリンピック開会式ボイコット」や「聖火ランナーへの妨害」など、まだまだ動きがありそうです。また日本やアメリカの政府首脳は、盛んにダライラマとの対話を呼び掛けています。

こうした世界の世論に、中国政府高官だけでなく、多くの一般市民も反応しているようです。一番端的なのは、カルフールなど企業への不買運動です。小泉(純一郎・元首相)さん靖国参拝問題の時も不買運動がありました。中国の人たちはこれが好きなようで、何か外国と揉め事があれば、すぐにこういう提案が出てきます。さすがの“自由の国”フランスも、中国の経済力は気にしている様子で、カルフールや高級ブランド集団のLVMHなどは、火消しに躍起になっているようです。実際には、カルフールも含めてターゲットとなる顧客(中国ではカルフールも高級店!)とデモに参加する人たちは層が違うので、大した影響はないと思いますが。

価値観や倫理観は社会の有り様によって変わる

前回のコラムを読んで、感想を寄せて下さった方々の中で、「やはりそういう反応があるんだろうな」と思ったのは、「中国に甘い!」「中国人の本質を知らな過ぎる」とか、「中国人には我々日本人のような道徳観がない」などのコメントです。

あるいは、「考えが単純すぎる」「昔の日本のことは知らないが、今の日本とは中国は全然違う」などの意見もいただきました。真意が伝わらなかったのは、言葉足らずだったこともあるかもしれません。ただ、割合として多いのか少ないのかはわかりませんが、確実に嫌中は増えているでしょう。

こうしたコメントの根本には、「人間の良し悪しは先天的に決まっている」という考え方が多少なりともあるのではないかと思います。私は当然ですが、“現象”としては非常にあると思っています。ただそれが、「先天的なのか。時代を超えて国や民族単位で決まっているのか」というと、そうではないと思ってるといます。

ドイツには、世界を震いあがらせたナチスの歴史がありますが、私が会うドイツ人からはそんな雰囲気は全く感じません。戦前の日本の「世界の世論無視度」は今の中国以上だったでしょう。でなければ、国際連盟を脱退してまで戦争はしないでしょう。要するに、国や支配者、時代の趨勢、そしてその国の開発途上度(民度)によって、価値観や倫理観は変わるものだということです。

こうした考え方は、決して「だからチベット問題は仕方ない」と容認するものではありません。「時代背景や歴史を遡れば、どこにでも見られた現象ではないか」と言うと、「じゃあ中国の今のやり方に賛成なのか」と考えてしまう人もいるのだと思います。

新聞など大手メディアでも、こうした一歩引いた視座からの冷静な論調は少なく、また中国という大国への遠慮もあってか、問題の本質を避けたような報道が多いような気がします。「事実だけを報道する」などと言われると、なんとなく正しく聞こえますが、「なぜそうなっているのか」「なぜ世界の人がおかしいと思うことを平然とやっているのか」と、突っ込んだ議論がされているようには見えません。

情報統制と教育で人々の感受性を管理する共産党

中国人の友人2人に、前回のコラムを読んでもらい、感想を聞きました。2人とも30歳前後で日本の大学院で留学した経験を持ついわば“エリート”で、日本語ペラペラ。中国や中国語を武器にした仕事ではなく、現在も日本の企業で働き、普通の日本人と同じ仕事をしています。

そのうちの1人、Cさんは、「痛快淋漓」という表現で「全くその通り!」と言ってました。Cさんに一番響いたのは、「要するにこれは時間軸の問題なのではないかということ」と「豊かさが民族抑圧の見方を変える」という箇所だそうです。

Cさんも、「なぜ今の中国でこんなことが平気で起きているのか」という問題意識は持っています。要するに、中国という国を出て外で暮らせば、中華民族であろうとなかろうと、おかしなことが起きていることはわかる、ということです。ではなぜ共産党の民族抑圧政策はなぜここ50年“上手くいっていた”のか。Cさんなりに考えてもらいました。

一つは、「世界は中国について知りすぎて(歪みや偏りも含め)いるにもかかわらず、中国人はあまりにも世界を知らない」からなのではないかということです。これは随分示唆に富んでいます。

戦前の日本は完全に情報統制をしていました。大本営の発表だけを大新聞が垂れ流し、「神の国日本はアジアでも優越な地位にあり、他国を支配することで世界に出ていくのが当然」のように思われていました。今の北朝鮮は、論ずるまでもありません。やはり「情報格差」というのは、こういう「おかしなこと」を引き起こす源泉になるのだなと改めて思いました。

Cさんは言います。「共産党の教育を受け、共産党の宣伝を目にして、耳にして、外からの情報がない状態では、『何が真で何が偽であるか』でさえ客観的に判断できないのが現状です。そんな状態で、人権、民主、平等と問われても、答えがないのです」。共産党の下で生まれ育ち、異国で別な世界の教育を受けたCさんの言葉には、説得力があります。

Cさんは続けます。「共産党は実に見事に整合性の取れた一連の“優れた”戦略で、中国を統治しているのだと思います。特に人間の価値観や意識など見事にコントロールしていると思います。是と非、真と偽の判断はその人が受けた教育や周りからインプットされた情報に左右されるものですから」。

例えば共産党の教育を受けた一般民衆の間に、こんな考え方があるそうです。

・そもそも真偽是非の判断の基準は何でしょうか
→「人殺しは悪い」など、全人類共通の価値観は別にして、それ以外の基準は、その国や民族が作るのでいいのではないか、ということなのでしょう。こういう考えが根底にあると、確かに欧米の論調には乗れないでしょうね。

・「全世界全人類豊かであるべき」ということは本当に正しいでしょうか
→これも意表を付いた問いです。「当り前じゃないですか!」というだけでは、共産党の教えを受けた人々を納得させることはできません。

・「弱肉強食、適者生存」というのは自然の規律ですよね。だとすると民族問わず頑張って環境に順応する人が生き残るのは正しいことでしょう。逆に働きもせずに、政府から援助をもらいながら、マージャンなどやっているような現象のほうがおかしいではないでしょうか。そんなことが当たり前になったら頑張る人のやる気がなくなるのではないでしょうか。

・環境に適応できない人や民族は淘汰されるのは何がいけないでしょうか
→もちろん、これにはいくらでも反論できるでしょう。ですが、こう思い込んでいる人たちに、単純に「少数民族を大事にしろ」だけでは、通用しないでしょう。それにしても、弱肉強食の証(あかし)が、民族の数だとしたら、漢民族の誇りの強さの源泉がはっきり見えてきます。

・各民族のアイディンティティを守ることの意味は何でしょうか

・そもそもみんな同じ人間ですから、同じ言葉で同じ習慣で行動するのは何が問題でしょうか(漢民族のなかでも標準語を統一して方言をなくしたほうが経済的、効率的な地域間の交流が一層活性化できたのではないか、という意見)
→これも強烈です。民族に一方ならぬ関心を持っている人間にとって、こういう問いは信じられません。ですが、「殺すわけでなければ、統一させて何が悪い?」というメンタリティが根底で醸成されているのは間違いないでしょう。確かに、日本も全て標準語化してきましたから、ある意味そのメリットはわかっているわけです。

再確認しますが、これらはCさんの意見でも主張でもありません。冷静に考え、以前の中国時代を思い出すと、こういう考え方の教育を共産党がやってきた、ということです。当然ですが、Cさんがこれに賛成しているわけではありません。誤解なきように。

最後にCさんは、こう言っています。

「もちろん、これからの中国人が豊かになって、世界を見えるようになって、いろんな是非真偽の判断軸をもつようになったら、ものの見方が変わってくるのかもしれませんね。政府の不正を抑制するのは民意の力は大事ですが、そもそも民衆がゆがんだ価値観などを持っていては、たいした力になりませんね。逆に『万衆一心、一致対外』になってしまう可能性があります」。

欧米も含め、民主主義で解決しよう、民意を反映させようと主張しますが、民衆そのものがゆがんだ価値観を持っている限りは、短期的にはリスクの方が大きいかもしれません。

「豊かさ」とともに変化しつつある中国

もう1人、Sさんにも聞いてみました。

Sさんからは、チベットの問題はチベットだけではなく、過去にもほかのところでもあったし、その問題の普遍性を認識しないまま非難したり支持したりしてはいけないという姿勢が私の文章から伝わると言っていただきました。私の言わんとすることが伝わっているなと感じました。

Sさんの問題意識は、「社会の進歩につれ、『考え方』『価値感』『倫理感』を変えないといけない。問題はどう変えるかということ」です。

例えば価値観は全く絶対的ではないです。「侵略は道徳、倫理上やってはいけないことか」と考えると、人類の長い歴史から見ると、そうでもなかったですね。どの国も自分たちの利益のため、平然と戦争を起こしたり侵略していました。

Sさんから見れば、「倫理感」の重要性すらやっと最近先進国の中で論じられるようになってきた、という感じだそうです。例えば、世界遺産のことでわかるように「ある地域、もの、人が持つ特有な価値感、習慣」をやはり尊重すべきですし、地球全体のために考えるとそのまま維持してほしい、という価値観は特段昔からあるわけではない、或いはそれに向けて大変な努力を皆でしなければならない、というのはやはり最近のことです。

Sさんはこう続けます。

「中国では、『道徳』のような倫理感は論語の時代からずっとありました。しかし、『民主』、『自由』といった現代の倫理感に対しては、あまり強く意識していないようです。情報通信、メディアの発達、教育水準の向上。いろんなインプットによって一部の人の倫理感は結構変わってきていると思います。ただそれはまだまだ少数であり、社会全体としてその重要性の認識レベルはまだ低いです。仰るとおり、多分豊かになっていくにつれ、いずれこういった価値感を持っている人が増えるだろうし、その状態の中国を期待しています」。倫理観といっても、やはりその地域や時代で重んじる分野が異なるのでしょう。豊かさが、一つのカギになっていくのは確かだと思います。

Sさんは、今後についてこう言っています。

「もちろん、このような変化の流れを、現在の政府も予測しているし、その問題を解決しないと、統制の破壊に繋がることも認識しているので、問題はこれからどうすればいいかということですね。共産党は今まで通りのやり方で新しい考え方を抑圧するか、情報封鎖か、それとも自ら現在の統制(制度)を変えていくか、少しずつ身を引くか。多分前者だけでは既に限界に来ていることは現在の政府も体感していると思います。と言ってもいきなり現在の統制を変えていくのも無理でしょう。ある意味で共産党が試される時期に来たと思います」。

私もこの観点には賛成です。確かに必死で情報統制はしていますが、当然幹部の中には限界を感じ、開放路線を主張する人もいるでしょう。共産党の幹部の子弟の多くは、海外留学などで先進国の価値観との違いを、感じているでしょうから。

Sさんが、最後に投げかけてくれた今後考えなくてはならない論点は、
・現在中国国民にとってチベット問題の背景を理解したとしても、なぜ海外のメディアがそこまで中国を攻撃したがるかを理解できない。実は多くの中国人は海外のメディアに対してかなり怒りを感じています。そういうことをどう考えるか。
→私(筆者)は答えは簡単だと思います。それは中国のプレゼンスが大きくなりすぎた、ということです。例としては不適切かもしれませんが、アフリカの小国で似たようなことやっていても、だれも気にとめないでしょうから。

・民主主義が先か、経済発展が先なのか
→普通の国では、両方一緒か民主主義と言えるでしょうが、13億人という人口規模を考えると、どうなるのか想像がつきません。でも、この国で民主主義が導入されるところを見たいです。共産党内だけの民主主義とか、何か変形は出てくるかもしれませんね。

・中国の大衆は共産党をどう思っているか
→これには大いに関心ありです。コントロールされているのか。コントロールされた振りをしているのか、ですね。

・実際チベットの問題や台湾問題はどうすべきか。チベットが独立できたら本当に問題ないか。チベットの経済はそのままでいいか。
→これは結局、チベットを許したらドミノになって、今の中国が崩壊するというシナリオも含んでいます。私は十分ありうると思います。ソ連だって、消えたのですから。

今回のチベット問題は、元々ある中国内の問題、共産党の一党独裁体制、第2次大戦後の国境策定問題など多くの課題を炙り出しているようにも見えます。諸外国も、昔の「小さな国力」の中国だったら、より強く批判するか、気にも留めないかのどちらかでしょう。でも、今は多くの国にとっての大貿易国です。なかなか綺麗ごと言って済ませられる国は少ないようです。

チベット問題には、人間の歴史、発展ステージの違い、国の在り方など、多くの矛盾が含まれていると思っています。ですが、個人的には、かの国の人々が早く静かに仏教の信仰に没頭できる環境になればいいなと、チベットで買った自宅にある「曼荼羅」を見ながら思います。

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