主観的って悪いこと? 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

客観が「優」で、主観は「劣」か

「それって主観的な見方だよね。もっと客観的に見ないと……」。ビジネス現場のやりとりでは、よくこんなフレーズが出てきます。このことは暗に、客観が主観より優れていることをにじませているようです。しかし、果たしてそうでしょうか。ときには客観より主観が大事な場合もありそうです。

往々にして主観的な意見がダメ出しされるときは、もののとらえ方が感情的に偏っていたり、浅い経験からの決めつけであったりします。確かにそういうときは、客観に立つことが求められるでしょう。しかし、ビジネスやキャリアにおいて、客観が最終的に目指すべき態度ではありません。むしろ、客観を超えて意志的に主観を持つことが目指すべき態度です。そうでなければ、本当に深く強い仕事はできませんし、心から納得のいく独自のキャリアは具現できません。

私が行なっている「コンセプチュアル思考」研修では、物事の定義化セッションを設けています。さまざまな題材を与えて「〇〇は□□□である」と自分の言葉で言い切る訓練をするのです。題材にするのは、例えば次のようなもので───

・「仕事」とは何かを自分の言葉で定義せよ
・「事業」とは何かを自分の言葉で定義せよ
・「成長」とは何かを自分の言葉で定義せよ
・「創造」とは何かを自分の言葉で定義せよ
・「リスク」とは何かを自分の言葉で定義せよ
・「自律」とは何かを自分の言葉で定義せよ(その場合、「自立」とどう違うのか)
・「仕事の幸福」とは何かを自分の言葉で定義せよ(その場合、「仕事の成功」とどう違うのか)

題材に使うのはたいていこのようなビッグワード(大きな言葉)です。ビッグワードであるほど個人によってとらえ方が異なり、実に面白い定義の差が出るからです。

例えば、研修ワークの題材として「成長」を取り上げるとします。そこで受講者に定義してもらいたいのは、客観的定義ではありません。客観を超えて、主観的に「成長するとはどんなことか」を見つめなおし、定義してもらいたいのです。そこでは、個人がそれまでに取り込んできた成長や失敗経験の豊かさや、視点の角度を入れる鋭さ、本質を見抜いて言語化する巧みさ、成長に対するまなざしなどが複雑に影響します。定義文には、各々の成長「観」というものがいやがうえにもあぶり出されてきます。

自らの解釈が自分の生きる世界を決める

では、実際の研修(ワークショップ)で出てくる答えにはどのようなものがあるか見ていただきましょう。以下の答案例は、「成長とは何かを自分の言葉で定義し、図化せよ」というワーク指示で行なったものです。


これらの答えはその人なりの深い咀嚼がなされた主観的な図です。いずれも客観を超えたところで意志的につくり出している表現になっています。客観的定義とは世の中の多くの人が定義する最大公約数的な部分のことで、いわば辞書的な定義です。この最大公約数の部分で物事の解釈を行なうことは間違いがないという意味で安全ですが、別の角度から言えば没個性に陥ることでもあります。

 

表層的な決めつけや感情的な偏見ではなく、深い思考から出る傾きであれば、それは独自性としてむしろ研ぎ澄ませていくべきものでしょう。「この世界に事実というものはない。ただ解釈があるのみ」とニーチェが言ったとおり、私たちは結局、自らの解釈で自分の生きる世界を決めているからです。

松下幸之助は「(松下電器産業にとって)事業とは人づくりである」と言いました。また本田宗一郎は本田技術研究所の社長に就任した際、「(ここでの)事業は、どういうものが“人に好かれるか”という研究である」と言いました。いずれも主観的・意志的な定義です。決して、「事業とは一定の目的と計画とに基づいて経営する経済的活動」(『広辞苑第六版』)といった辞書的な言葉ではありません。

客観を土台として、それを超えて主観の答えを抱く。その思考態度から、独自の仕事が生まれ、たくましくキャリアを切り拓いていく力が生まれます。直面する物事に対し、力強い自分なりの解釈を創造する―――それは言い換えるなら、図太い観を醸成するということですが、これは知識やスキルを身につけることより根っこの次元で重要なことです。
 

名言

PAGE
TOP