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英語は話せないけど海外勤務、リーマンショックで仲間が退職…20代の挑戦と挫折

投稿日:2016/03/08更新日:2021/10/22

20代のうちに最速で成長したい方のために、グロービスとリクルートキャリアが共同で開催したセミナー。第3回は、リクルートキャリアの秋山貫太さんと、グロービスの鳥潟幸志が、20代を振り返り、自身の成長につながったターニングポイントについて語ります。(全4回、3回目)

金澤:2人の話を聞いていると、すごい活躍しているなっていう感じがしますよね。実は人生グラフを作ってくださいと事前にお二人にお願いしたんです。うまくいっているところもあるけど、うまくいかなかったこともある。そういう紆余曲折の中で何に悩み、どう乗り越えてきたのかをぜひお話頂けますでしょうか。

英語は話せないけど念願のシンガポール勤務に、その理由は…?

秋山:この人生グラフはあえて単純化して書いているので、こんなシンプルではないんですけど、もう日々山あり谷ありです。基本的に僕がこの登っている時と下っている時にはだいたい同じ要因があるかなと思っています。最初下がる方からいきますと、早稲田大学に入って2~3年の時、大学の生活にだんだん慣れてきて飽きて刺激がなくなってしまった。その時、何も楽しくないとか、得られるものがないと思って下がりました。そこで、ちゃんとチャレンジしたいなと思って、当時4年生の時に人材系のベンチャー企業に飛び込み、インターンシップで1年間がっつり働いていました。当時自分は学生だったので、働くとか稼ぐとか経験がなかったんですが、ビジネスに携わってみると自分って全然できないなと気づき、また、得られることがたくさんあるなということで自分のモチベーションというか満足度が上がっていった。

その後リクルートエージェント(現リクルートキャリア)に入社すると、学ぶことが非常に多くて、営業活動とか人とのコミュニケーションを学び、楽しくなっていったんです。ただ、ちょうど3年目が終わったくらいから、これは同じ要因なんですけど、良い表現をすると仕事に慣れて実績が伸ばせるようになっていって、下からも慕われたりとか会社からも評価されることが増えたんですが、だんだんルーティーンっていうんですか、普通に自分の今までの実力で仕事が回るようになってきて、正直成長感っていうのを失いかけました。

この時は悩んだというよりは、今後どうするかとか今何をすべきかとか悶々と考えいて、当時僕の5歳上くらいの先輩に「今20代の半ばでこれからチャレンジをしたいんですけど何をしたらいいか」と飲みながら相談したんです。その時に言われたのが、「お前が今一番苦手でできないことにチャレンジしろ」と。当時僕は営業を日本でやっていましたが、あえて日本ではなく海外で、かつ英語の環境でやったことないのにチャレンジするのが自分にとって一番しんどいし、できないことだろうと思いました。リクルートでは自分で手を挙げれば社内で異動ができる制度があるんですが、それに応募しようと決めて、「シンガポールのオフィスに行きたいです」と手を挙げました。当時本当に自己紹介もできないレベルで英語の社内面接をやったんですけど、そこでは何とか気持ちで伝えて通りました。すごいラッキーだったんですが、チャンレジすることがすごい大事だったなと思いました。

金澤:ちなみに、先輩と飲んだ翌日に異動申請を申し込んで、英会話スクールまで申し込んだんでしたよね?その行動力はすごい。

秋山:そうですね。実績がないのでとりあえずやってるっていう努力だけ見せようと思って、「英会話スクールに20万円払ってもう始めてます」みたいなことを面接の時に言いました。その努力は認めるみたいなところで、一応評価もされ、社内選考を通りました。やはり行ってみるとすごい自分自身できないことだらけ。そもそも英語が話せないので会話ができず、会話ができないので仕事ができない。なので、仕事が終わってから3時間くらいずっと英語をやりました。また、同僚が基本的に8割方非日本人なので、働き方の考え方、価値観が違います。日本って結構皆頑張って遅くまで残業しますが、シンガポールは結構生産的な国で、18時で皆仕事を終えてしまうんですよね。そういう制約の中でどう組織のパフォーマンスを上げるかってことも考える。とにかくやったことがないことがたくさんあったので、自分にとっては得られることが非常に多かったなと思って、充実していました。

その後1年間でシンガポールの駐在を終えて日本に戻ってきたんですけど、またやることがルーティン化していくと少し充実度が下がってきた。そこで、そろそろ新しい取り組みをしたいなと思ったのが29歳。僕は実は30歳までに会社を辞めて独立起業しようというふうに決めて入社してたんです。当時は漠然と独立とか起業っていうことが非常に重要だと思っていて、30歳までに起業ありきみたいなことを宣言したんですけど、冷静に社会人やってみて考えたのが、起業って一つの手段でしかなくて目的ではないなと思った。重要なのはやりたいことをしっかりやること。やりたいことが何かっていうと0から1を生み出し、それによって世の中を変えていきたいということ。それができる環境を考えた時に起業じゃなくて社内でそれができるチャンスがあったので、そこに思い切ってトライしようと決めた。今回も自ら手を挙げて「異動したいです」と言って社内面接を経て0から1を作るプロデューサーに変身したというのが、この直近の1年間の話ですね。

金澤:秋山さんが特徴的なのは、キャリアの節目に自分で手を挙げていますよね。私は人事の人間なので、あえて質問なんですが、リクルートはたしかにチャレンジを受け入れてくれる文化だと思いますが、たぶん他にもチャレンジしたいと手を上げるた人がいますよね?その中で、なぜ秋山さんは受け入れられてきたのか?

秋山:その時の上司に聞いてみないと分からないですが、おそらく二つあって、一つは日々の積み重ね、努力が伝わっているということと、もう一つは自分自身の意志というか想いをどれだけ伝えるかということが大事だと思ってます。シンガポールも新規事業も、僕は全部未経験だったんですよ。なので評価する側としては、経験とかこれまでの実績とか評価できないんですけど、僕自身例えば海外に行くために英語を始めているとか、新規事業をやるために新規事業の勉強をしていたというその積み重ねというのを伝えたりとか、これをやって僕はこう変えたいんだという思いを熱く伝えていくっていうことが最終的には良かったんじゃないかなと思っています。

金澤:秋山さんの普通じゃないところは、先輩と飲んで翌日にいきなり申請し、そこでもう英会話まで申し込んでること。よくありがちなのは、「やりたいんです」って言うけれど行動してない人って結構いるんですよね。だけど秋山さんは意識だけじゃなくて行動も起こしている。それだけでなく、たぶんその前の仕事で活躍してると思うんです。実は本人は言ってないですけどここは結構大事なポイントかなと人事目線で思います。

23歳で起業して業績絶好調、しかしリーマンショックで売上が激減し…

金澤:鳥潟さんもグラフがかなり上下していますよね。。

鳥潟: 私は秋田出身なので、東京での学生時代楽しかったです。就職活動は普通に悩みましたが、サイバーエージェントに入ることができました。僕はたぶんあまり頭の良い人間じゃないので、シンプルなものをシンプルに売るという強みを発揮して、営業は結構結果が出てたんです。その時一緒に働いていた先輩に、「もうちょっと僕は成長したいんですよ」みたいに言ったら「社外の人たちと勉強会とか出会いをちゃんと求めた方が良いよ」って言われて。勉強会に誘ってもらった。様々な業界業種の方と週に1回学び合い、そこで知り合った人たちと起業しました。起業は色んな経緯はあるんですけど、サイバーエージェントはネット広告代理店No.1だったので、看板があるんですね。だから売れるんですけれども、自分の能力で本当にやっていけるのかを試したかったので、起業しました。

23歳で起業したんですけど、そこでこの人生グラフは下にドーンと来る。これは立ち上げの苦労ですね。3人で立ち上げて資本金1000万円で実績0っていうところから始めました。僕は事業のPR等の経験がなかったので、本当に0ベースで、すごい苦労した。朝の8時くらいから夜の2時くらいまでずっと働いた。お金もないし、寝れないしで本当大変だったんですけど、おかげさまで本気でやってると事業ってうまくいくもので、初年度から黒字になって3年目5年目と倍々成長していきました。

それから、忘れもしないリーマンショックです。お客さんが減り、売上の3割がガツンとなくなって、3カ月赤字が続きました。そこで、まずオフィスを半分にし、役員報酬を半分にし、僕は1ヶ月後に引っ越しました。それは実はまだ良かった。辛かったのは、人が辞めていくんですね。これまで一緒にやるって言った人が、こんなに簡単にも辞めてくんだなと。今思うとそれはそうだよなということなんですけども、当時は裏切られたというか、人間不信になってすごく悩んでいた時期がありました。でもその後になんとか事業はコストを落として盛り返して業績は結構良くなってきましたけれども。

30歳ぐらいの時、自分が今後どういうことで世の中に貢献していくかということを本気で悩んだ。この時めちゃくちゃ働きまくってたので一回体を壊したんですよ。1ヵ月休職。副社長1ヵ月休職とかってありえないですよね。でも相当落ち込んで、これはちょっとまずいなと。簡単に言うとうつ的な感じですね。当時犬を飼っていたので犬の散歩をしながら「俺は何のために生きているんだろう」みたいなことを本気で考えた。話すと長くなるので結論だけ、自分は教育で世の中に貢献していきたいということと、大事なのは家族、このつ2つを大事にしたいということにに31歳くらいで気付けたんですね。その後、起業家としてこのまま事業を成長させるか、教育っていう領域で、1回自分の立場を全て捨ててそっちに行くかを考え、外部の経営者とか色んな人に相談しまくって教育の道に進むことを決めました。立場が立場だったので、1年くらいかけて辞めて33歳で晴れてグロービスに入社しました。

グロービス入社後は一度落ちてるんですけど、これは転職された経験ある方は皆さんそうだと思うんですけど、やっぱり違う環境に行くと結構大変ですよね。僕の場合はやってる事業が全く違い、専門性ゼロ。あと立場が違う。役員でやってたのがいきなり現場の仕事なので、僕は別にどっちが尊いとか思ってないですけど、でも全然やる仕事が違ったので、相当苦労しました。ただこれは一生懸命やれば何とかなるということで乗り越えて、法人向けのコンサルティングを2年やり、先ほどの新規事業を立ち上げる手を挙げて今に至ります。

金澤:二人を見て頂くと、実はそんなに順風満帆じゃないんですよね。それを何で乗り越えられているかっていうところがポイントなのかもしれないですね。

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※第4回はこちら

https://globis.jp/article/4019

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