利子の歴史を紐解く――「当たり前」のことが当たり前であることの幸運を知る 

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最近、日銀がマイナス金利に踏み出したことが大きな話題となりました。近代的資本主義世界に生きる我々は、利子や利息、あるいは金利(これらはすべて意味合いが異なりますが、本稿では便宜的にまとめて「利子」と表記します)というものを当たり前のように考えていますが、実は歴史的に見ると、利子をとるという行為は宗教的タブーと相まって、必ずしも公に認められるものではありませんでした。今回は、この利子の歴史を取り上げます。

その前に、利子がないとどうなるか考えてみましょう。利子は、いわゆる金銭の時間的価値に加え、リスク等が加味されています。もし利子がなかったら、人にお金を貸すという行為はかなり制約されるものになるでしょう。友人に1万円を短期間貸す程度ならそれでも問題はないかもしれません。しかし、企業家が優れたアイデアを持っていたり、「作れば売れる」という状態にあるにもかかわらず、誰も設備投資や運転資本となるお金を貸してくれないとしたら、ビジネスは大きく成長しません。経済を発展させる上で、大きな制約がかかってしまうことになってしまいます(ご興味のある方は、さらに銀行の「信用創造」について復習してみてください)。

では、仮に国家などが無利子で企業にお金を貸してくれたとしたらどうなるでしょうか。おそらく、国家は大きな赤字を抱えることになるでしょう。借り手側も、いつまで借りていても追加の負担は発生しませんから、時間的プレッシャーもなくなりますし、「駆り立てるもの」が生まれにくくなります。これも、結果として経済の健全な発展を阻害してしまいます。

さて、資本主義を産んだ西洋社会に目を向けると、キリスト教の母体ともなったユダヤ教は、基本的に利子をとることを禁じていました。ただし、これはユダヤ教徒を相手に利子をとることを禁じただけだったので、異教徒にお金を貸して利子をとることは禁じられていませんでした。ユダヤ教徒は歴史的に苦難の道を歩むことが多かったわけですが、生き残っていく過程で、異教徒にお金を貸す技術を高めていくことになります。15、6世紀頃のヨーロッパでは、(高利の)金貸し=ユダヤ人というイメージもあったほどです。これはシェークピアの『ベニスの商人』でもおなじみです。

では、ヨーロッパにおいて長年多大な影響力を持っていたキリスト教の国々ではどうだったのでしょうか?キリスト教でも、もともとは利子をとる行為は禁じられていました。しかし、時代が下り、13世紀くらいになると、さまざまな抜け道が生まれ、実質上は利子が認められるようになっていきます。暴利を貪る高利貸しこそ憎しみの対象となったものの、カトリック教会は利子を黙認していたのです。とは言え、利子や、富を蓄えることは積極的には推奨されてはいませんでした。

状況を大きく変えたのが16世紀の宗教改革です。当時、贖宥状の発売を行うなど堕落の目立ったカトリック教会に対して、ルターやツヴィングリ、カルヴァンなどが反旗を翻します。彼らは「教会ではなく、聖書こそが正しい」と主張しました。いわば聖書原理主義です。そしてカルヴァンは聖書研究を進める中で「予定説」という考え方に至ります。これは、人間というものは善行をしたから救われる(「神の国」に行ける)というものではなく、最初から神の意志で救われる人間と救われない人間が決まっているとする考え方です。

この考え方は意外な結果をもたらしました。これについては、マックス・ヴェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が詳しいわけですが、簡単にダイジェストすると以下のようなことです。

予定説は、人々を不安に落としいれ、かえって精神的な緊張を生み出しました。それは人々を行動的禁欲に駆り立てます。行動的禁欲とは、人々に役に立つ(愛につながる)行動をとることです。それは具体的には労働でした。古い宗教観では、労働は卑しいもの、あるいは仕方なくするものという発想があったのですが、宗教改革が進んだ国々では、労働をし、その結果として富が貯まることは善とされたのです。その過程で利子も合理化されました。

堕落したカトリックに対抗し、人々に厳しく聖書の教えを守るように説いた禁欲的なプロテスタンティズムが、かえって資本主義の土壌を作ったわけです。そしてその流れを汲んだイギリスやアメリカが資本主義を発展させていったことは皆さんご存知の通りです。もちろん、カルヴァンは資本主義の土壌を作るために予定説を説いたわけではありませんが、結果論として、彼の教えは資本主義の精神となってしまったのです。

一方で、宗教的、あるいはドグマから利子を禁じたのがイスラームと20世紀の共産主義国家でした。イスラーム世界はかつて、キリスト教の国々をはるかに凌ぐ文明を誇っていました。15、16世紀に全盛期を迎えたオスマン帝国なども、当時の先進国間では非常に強い影響力を持っていました。しかし、イスラームでは、コーランの教えにより、利子は禁じられています。商業がまだ前近代的な時代はそれでもよかったのですが、近代になってくると、冒頭に示した理由から、利子の禁止は経済発展の大きな障壁となりました。これが、18世紀以降のイスラーム諸国の相対的地位の低下にもつながりました。さすがに近年は、コーランの教えを守りつつも、利子をとることに近い形の技法(スクークなど)が苦肉の策として生み出されましたが、失われた数百年のつけは大きかったと言わざるを得ません。

共産主義国家であったソ連も利子が存在しない国でした。利子がありませんから、人々はスピードや納期といったものを全く意識しません。駆り立てられるようなモチベーションも存在しませんから、経済は停滞し、資本主義諸国に大きく水を開けられてしまったのです(ソ連をはじめとする共産主義諸国が経済面で遅れ、ついには崩壊したのは、利子だけの問題ではありませんが)。

さて、最後に日本を見てみましょう。日本は古来より、利子を禁じるような宗教もドグマもありませんでした。高利貸しについてはしばしば規制されることもありましたし、時々徳政令が出て貸し手にダメージを与えることもありましたが、利子はかなり古い時代から、人々にとって身近な存在だったのです。このことが、明治になって西洋の近代資本主義を受け入れる素地になったことは、イスラーム諸国や共産主義諸国と対比すると、非常に幸運だったと言えるでしょう。日本の神様や仏様が、「利子をとってはいけない」と言わなかったことは、日本という国の進路を大きく変えたのです。

今回の学びは以下のようにまとめられるでしょう。

・宗教や文化による特定の制度の許容度合いが、物事を大きく左右することがある
・ある制度がどのような効果をもたらすのかを高い視座から理解することが、システムの設計者にとっては重要
・当たり前だと思っている環境がもたらす影響を認識しておくことは、何かを変革する際に非常に重要になる

 

東京大学理学部卒、同大学院理学系研究科修士課程修了。戦略系コンサルティングファーム、外資系メーカーを経てグロービスに入社。累計150万部を超えるベストセラー「グロービスMBAシリーズ」の著者、プロデューサーも務める。著書に『ビジネス仮説力の磨き方』『グロービスMBAビジネス・ライティング』『グロービスMBAキーワード
図解 基本フレームワーク50』(以上ダイヤモンド社)、『[実況]ロジカルシンキング教室』『[実況』アカウンティング教室』『競争優位としての経営理念』(以上PHP研究所)、『利益志向』(東洋経済新報社)、『ロジカルシンキングの落とし穴』『バイアス』『KSFとは』(以上グロービス電子出版)、共著書に『グロービスMBAマネジメント・ブック』『グロービスMBAマネジメント・ブックⅡ』『MBA定量分析と意思決定』『グロービスMBA事業開発マネジメント』『グロービスMBAビジネスプラン』『ストーリーで学ぶマーケティング戦略の基本』(以上ダイヤモンド社)など。その他にも多数の共著書、共訳書がある。
グロービス経営大学院や企業研修において経営戦略、マーケティング、ビジネスプラン、管理会計、自社課題(アクションラーニング)などの講師を務める。グロービスのナレッジライブラリ「GLOBIS知見録」に定期的にコラムを連載するとともに、さまざまなテーマで講演なども行っている。

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