リーダーになぜ「他力本願」が必要なのか? 

日本を変革するリーダーとしての使命と自覚 ~G1中国・四国を契機に~[2]
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堀:では、続いて林さん、よろしくお願いします。

林:田坂先生のお話を聞きながら「心に染み渡るなあ」と。先ほどからメモも取らせていただいていたのだけれども、そのなかで心に浮かんだのが「他力本願」という言葉だった。他力本願というと、一般的には人を頼って自分は頑張らないとか、「誰かがやってくれるんだ」と考えるような、ネガティブな意味で捉われがちだ。でも、以前この言葉について「なるほどなあ」と思ったことがある。想像してみていただくと分かるけれども、目をつむって立った状態からうしろに倒れてみるとどうなるか。後ろには何人か、たとえば部下や友人がいて必ず支えてくれる。「(他力本願とは)それを信じ、目をつむって後ろに倒れることができることだ」と、どこかのお寺で聞いたことがある。

これは信頼がないとできない。冗談で手をふっと引かれたり(笑)、本当に誰もいなかったりしたら頭をぶつけてしまう。でも、そこに仲間や部下がいると信じるのが他力本願だという。「ということは、自分ひとりで何かしようと思っても絶対にできない。大事なのは他の人をそこまで信じることができるかどうかなんです」と、だいぶ前に聞いた記憶が、今の田坂先生のお話と、この素晴らしい環境のなかで蘇ってきた。

なぜ、そうした他力本願が大切なのか。私は農林水産大臣を計844日務めたが、その間、たとえば役所や政府与党でいろいろ議論する際は、それが最後に実現できるかどうかを問われ続けてきたわけだ。ただ、やっぱり双方に理屈がある。だから我々の業界には「筋悪」という業界用語があったりして(笑)、「これは、まあ、筋悪だけど仕方ないよなあ」なんて言ってどこかで折り合いをつける。それが我々の大事な仕事だし、そこでこちらの理屈をどこまで通せるか、結論へ持っていくにあたって考えるわけだ。ひとりでどれほど立派な主張をしても、根回し等の術をどれほど弄しても、最後はなかなかうまくいかないことが必ずあるので。

ただ、そうしているうち、「この人は本当にやってくれるのかな」「この局長は本当についてきてくれるのかな」と考えてしまうこともある。普段はあまり考えないけれども、できるか否かというぎりぎりの仕事ではそんな思いがふと頭をよぎる。で、そういう思いは相手にも伝わる感じがする。だから相手も「大臣は大丈夫なのかな」なんて思ってしまう。そうなると、もうそのチームはパワーが落ちているという話になる。

従って、1~2年で交代する日本の閣僚からすると私の就任期間は長いほうだったけれど、基本的にはそうした短い期間で役人の皆さんと信頼関係を築くことが大事になる。もちろん閣僚になる前からあちこちで知己を得たり勉強会を行ったりはしているが、上司と部下の関係で仕事をすることになるとまた別の付き合い方になるからだ。私の場合、たとえば局長クラスの方々のなかには大学の同級生がいるし、先輩も後輩もいる。そうした方々との人間関係が、党の役員だった頃の付き合い方とまるで違ってくる。そのなかで信頼関係を築く必要があった。

それで、他の役所も経験していた私としては、「今度はどんな役所なのかな」なんてことも考えながら農林水産大臣に着任した。初めて大臣として着任した防衛省は、その前に政務次官として仕事をしていた財務省と、ある意味で対極にあった。当時は大蔵省だったけれど、ああいうところだから政務次官ごときが何か言った程度では物事もなかなか動かず、適当にあしらわれてしまうときもある。従って、こちらもしっかり理論武装してきちんと議論をしながら妥協点を見出すということをやっていた。

その経験から、防衛大臣になったときも、「私が10と言えば5ぐらいで返ってきて、もう1回言ってさらに返ってきて、それで、まあ最後に7ぐらいの落とし所になったらいいかな」なんて考えながら10の指示を出してみた。今でも覚えている。当時は「どういった話まで大臣に上げるか」ということを最初に決めた。大臣の仕事は法律に書いてあるけれども、ほかの仕事についても、「これは副大臣まで、これは局長まで」ということを最初に決めよう、と。で、当時は広報の関係でいろいろと不祥事もあった後だったから、なるべく多くのことを大臣にあげるよう指示を出した。

それで1週間ほどしたら担当部局が答えを持ってきたのだけれども、10と言ったことが10でそのまま通った。だからこっちも面喰らって「これ大丈夫なの?」って(笑)。すると、「はい。大臣がそうおっしゃったので」と言う。そういう役所だった。「ああ、そうか。それなら7へ落とすために10なんて言わず、きっちり考えて最初から7の指示を出さなきゃ」と思った。そんなことがあって、「農水省は(財務省的なのか防衛省的なのか)どっちだろう」なんてことも考えながら着任したわけだ。

それで実際に行ってみると、どちらかといえば7:3で防衛省寄りかなというところだった。恐らく財務省に近いのは、(会場の湯崎英彦広島県知事を見て)知事がおられた経産省や、私がいた経済企画庁、のちの経済財政諮問会議。ああいった経済関係のところは、「それで議論が弾むから良いんだ」という面もあるので。でも、恐らく警察や防衛のように組織で動くところはそれと逆の性質がある。

そういうことだったから、これほど長い就任になると思わなかったけれども、とにかく信頼関係を早く築くために就任当初からいろいろなことをした。通常でもまず副大臣や政務官、あるいは局長と食事に行ったりはする。ただ、それも行うけれども、農水省はかなり大きな役所だ。だから他方では大学の同級会や県人会等、縦横でいろいろな会をつくったりした。それで多くの人と飲み食いをする機会を設け、仕事と関係ないことも、馬鹿話も含めてなるべく話してしてもらえるような雰囲気をつくっていった。そのなかで、「あ、この大臣は言っても怒らないんだ」「言ってもあんまり外に言いつけないんだ」という風になればいいと考えていた。

それで、去年今年入省したような人たちとまでは行けないけれど、ある程度のクラスまではいろいろと名目をつけてそういう会を催した。で、実際にそこでさまざまな話が上がってきた。大事なのはそれを別のところでもきちんと出すこと。すると向こうにも身内感覚が芽生え、あれこれ相談してくるようになる。最初の半年ほどはそんなこともしていた。そのなかで、今まで手付かずだった米政策や農協の見直し、あるいはTPPの大きな仕事に関し、目をつむって後ろに倒れるようなことが何度かあった。私の場合、そこで梯子を外されることも心配せず、素直に倒れることができたと思う。

リーダーはオーケストラの指揮者のように振る舞うことも大切

やはり議員になりたての頃はどうしても「これをがんがん進めたい」といった思いが前に出てしまう。実際、そうした思い自体は今でもあるけれど、そこで政策もなかば分かったつもりになると、バンドであればどうしても前に出てリードギターを弾きたくなってしまう。「どうだ!」と。でも、後ろがついてこなければバンド全体のパフォーマンスは「なんだかギターの音だけ大きくてつまんないな」となってしまう。だから、ある程度の大きな組織おいて、リーダーはオーケストラ指揮者のように振る舞うべきなのだと思う。指揮者になるほどの人ならバイオリンやピアノぐらいは弾けると思うが、全楽器は演奏できない。だから自分以外の演奏者に良い音を出してもらわないといけない。「じゃあ、どうすれば一番良い音を出してもらえるのか」と、懸命に考えるわけだ。

また、それらの音が重なってハーモニーとなるときに一番大事なのは、皆がそれぞれ他の演奏者の音を聴くことができているかどうか。合唱でもオーケストラでも、そういうところにまで持っていけるのが一流の指揮者だと思う。同様に、自分と部下との関係がまず大事になるけれども、「部下同士でどんなハーモニーを築いてもらうか」「ハーモニーなっているかどうか」も大切になる。次の段階としてそういうことが少しでも分かるようになると、だんだん面白くなってくると感じる。農水省では2回ほど大きな人事を行ったが、そういうところまで分からないと人事もなかなか難しいと思う。

いずれにせよ、いろいろと仕事を進めていくうえでは、他の人がどう動いてくれるかがすごく大事になると、この世界に20年いる私としては思うようになった。最初の頃は「自分に与えられたことを頑張る」ということばかりずっと考えてきた。けれども、この歳になると少しずつ、人をどう動かすかという考えが大事になってくるし、それをするのがリーダーシップなのかなと思っている。

→日本を変革するリーダーとしての使命と自覚 ~G1中国・四国を契機に~[3]は1/24公開予定

※開催日:2015年10月16日~17日

東京大学卒業、同大学院修了。工学博士(原子力工学)。1987年、米国シンクタンク・ばてる記念研究所客員研究員。1990年、日本総合研究所の設立に参画。現在、フェロー。2000年、多摩大学大学院教授に就任。社会起業家論を開講。同年、21世紀の知のパラダイム転換をめざすグローバル・シンクタンク、ソフィアバンクを設立。代表に就任。2008年、世界経済フォーラムのグローバル・アジェンダ・カウンシルのメンバーに就任。2010年、4人のノーベル平和賞受賞者が名誉会員を務める世界賢人会議、ブダペストクラブの日本代表に就任。2011年、東日本大震災に伴い、内閣官房参与に就任。2013年、全国から1500名の経営者が集う場、「田坂塾」を開塾。著書は80冊余。

1961年生まれ。1984年に東京大学法学部卒業後、三井物産に入社。1991年渡米し、米上院議員ウィリアム・ロスのもとで国際問題アシスタントとして勤務(マンスフィールド法案を手掛ける)。1993年、林 義郎大蔵大臣政務秘書官に任命され一時帰国。1994年ハーバード大学ケネディ行政大学院卒業。1995年参議院議員選挙に初当選(山口県選挙区 現在三選目)。自民党参議院副幹事長、大蔵政務次官、内閣府副大臣などを歴任。2008年には防衛大臣に就任し、2009年に内閣府 経済財政政策特命担当大臣を務める。現在、自由民主党政務調査会会長代理、自由民主党シャドウ・キャビネット官房副長官、参議院財政金融委員会委員、参議院国家基本政策委員会委員などを務める。著書に、『林芳正のやさしい金融・財政論』(2003年・長崎出版)、共著に『国会議員の仕事』(2011年中公新書)、『希望のシナリオ』(2003年 PHP)

京都大学工学部卒、ハーバード大学経営大学院修士課程修了(MBA)。住友商事株式会社を経て、1992年株式会社グロービス設立。1996年グロービス・キャピタル、1999年 エイパックス・グロービス・パートナーズ(現グロービス・キャピタル・パートナーズ)設立。2006年4月、グロービス経営大学院を開学。学長に就任する。若手起業家が集うYEO(Young Entrepreneur's Organization 現EO)日本初代会長、YEOアジア初代代表、世界経済フォーラム(WEF)が選んだNew Asian Leaders日本代表、米国ハーバード大学経営大学院アルムナイ・ボード(卒業生理事)等を歴任。現在、経済同友会幹事等を務める。2008年に日本版ダボス会議である「G1サミット」を創設。2011年3月大震災後に、復興支援プロジェクトKIBOWを立ち上げ、翌年一般財団法人KIBOWを組成し、理事長を務める。2013年6月より公益財団法人日本棋院理事。いばらき大使、水戸大使。著書に、『創造と変革の志士たちへ』(PHP研究所)、『吾人(ごじん)の任務』 (東洋経済新報社)、『人生の座標軸』(講談社)等がある。

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