i-plug 中野氏、山田氏、田中氏「この3人でなければ、やれなかった」 

グロービス アルムナイ・アワード2015受賞者に聞く
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MBAの真価は取得した学位ではなく、「社会の創造と変革」を目指した現場での活躍にある――。グロービス経営大学院では、合宿型勉強会「あすか会議」の場で年に1回、卒業生の努力・功績を顕彰するために「グロービス アルムナイ・アワード」を授与している。今年、「創造部門」で受賞したi-plugの中野智哉氏、山田正洋氏、田中伸明氏(いずれもグロービス経営大学院2010期生/大阪校)に、MBAの学びをどのように活かしたのかについて聞いた。(聞き手は、GLOBIS知見録「読む」編集長 水野博泰)
 

知見録: アルムナイ・アワード受賞、おめでとうございます。

中野(CEO): 以前からの目標だったので大きな達成感があるし、ほっとしている。今はもう、次の目標に向けて気持ちを切り替えている。

山田(CTO): 気が引き締まる。受賞に値する実績をさらに積み上げていきたい。

田中(CMO): 元々はグロービスの社員だったので、古巣の皆さんに「おめでとう」と言っていただいて非常に嬉しい。「もっと上を目指せ」と背中を押してくれているようにも感じている。

知見録: ここに至るまでの経緯を伺いたい。

中野: 僕は大学を出て、求人情報を新聞に折り込む小さな会社に入った。しかし、そこがいわゆるブラック企業で、4カ月で辞めた。1年間ニートをした後にまた小さな会社に入ったが、そこがインテリジェンスに買収された。転職したり、会社の社名が変わったり、株主が変わったりしたが、「求人メディア」という仕事内容は一貫している。

知見録: 求人メディアに思い入れがあったのか?

中野: それは、たまたま。最初の会社は酷かったが、人材関係の仕事自体はとても面白くてのめり込んだ。転職後7年ぐらいは、がむしゃらに営業をやっていた。

当初は売れない営業マンだった。関西の営業600人の最下位。そんな自分が許せず、仕事漬けの生活が始まる。人の倍以上働き、お客さんのことだけを考えた。毎日が始発・終電だ。そして7年後、関西ではトップクラス、全国で6~7番目くらいの業績を出せるようになった。

知見録: 山田さんはどうか。

山田: 私は14年間、三菱電機のエンジニアをやっていた。2~3年に1つのプロジェクトを担当し、顧客調整、設計から納入まで損益責任を持つ部門で働いていた。8年くらい続けてから東京に転勤。3年間、営業と同行して顧客に技術の説明する技術営業の仕事をやったのだが、その時会社全体の経営の景色が見渡すことができた。「今のレベルの経営知識では、この先やっていけない」と思い、グロービス・マネジメント・スクールで1~2科目受講した。そうしたら、また大阪異動になりエンジニアの仕事に戻った。

東京での経験を通して何か新しい事業を生み出す仕事に取り組みたいと望むようになったが、大企業の中では部署間の折衝があったり、仕事のやり方ががっちりと決められていたり、なかなか難しいと感じていた。「起業」という2文字を意識したのはその頃。それがグロービスに入学した動機だ。

水野: なるほど。田中さんは?

田中: 大学時代は硬式野球部の主務(マネージャー)をやっていて、朝7時に大学に行き、夜11時半くらいに帰るような生活をしていた。リーグ戦との兼ね合いで満足に就職活動に時間が割けず、一番最初に内定をもらったアフラックにお世話になることを決めた。社会人並に働いていたので、どの道に進んでもなんとかなるという感覚を当時から持っていた。

アフラックの代理店営業は営業活動の支援、採用やM&Aまで多岐に渡る仕事があり、経営者と関わることも多く、経営の知識を体系的に学びたいと考えるようになった。そんな時に出会ったのがグロービス。小学校の頃から教育には課題意識を持っていたので即決で転職を決めた。とは言え、その時点では起業は考えておらず、グロービスで経営と教育のメソッドを学び、法人営業で多くの企業の人材・組織開発に関わる中で少しずつやりたいことが具体的になっていった。

知見録: 中野さんが起業しようと思ったのは?

中野: インテリジェンスに入社した頃は月の売り上げが“6万円”くらい。7年後に営業成績がトップクラスになって“1000万円”になったが、そこが天井だった。大口顧客3社を担当していたが、各社内での出稿費シェアでインテリジェンスが50%、50%、85%にまで上がっていた。平均の倍であり、それ以上はどうしようもない。行き着く所まで行ってしまった。

同時に、自分自身の成長にも限界を感じた。求人業界のことを知りつくし、転職やアルバイト媒体をまわり尽くし、ほとんどの業種の企業さんを訪問していたので、「こうしたらこうなる」「その次はこうなる」ということが、ほとんど分かるようになっていた。それまでは自分が伸びているという実感があったが、そこでピタッと止まってしまった。我流の限界を感じた。

知見録: 月の売り上げが1000万なら、年にすれば1億2000万円。それを1人で稼ぐ敏腕営業マンだったのから、それで良かったのでは?

中野: でも、面白くなくなってしまった。お客さんがそれ以上喜ぶことがなくなってしまったから。商品開発は東京で行われていたので、そういう面で工夫することもできない。自分がいくら努力してもお客さんを喜ばすことができないことに、もどかしさを感じていた。

そんな時、リーマンショックが起こった。発注も減り、会社は「早く帰れ」と言う。そこで、グロービス・マネジメント・スクールで「クリティカル・シンキング」を受講した。そこで僕の人生観が変わった。京都大学、大阪大学を出ているような優秀な人ばかり。会社は東証一部上場企業ばかり。そんな凄い人たちが、さらに勉強して努力しているんだという事実を知って驚いた。

クリシンに没頭して、会社の商品改善プランを作った。パワーポイントで40枚くらい。「この部署をこう変えましょう」と。でも、社内で提案しても全く響かなかった。

次は、「マーケティング・経営戦略基礎」のクラスを受けた。学び終えて、再び、違う切り口で企画書を作って提案したが、やはり響かない。

その次は、「アカウンティング基礎」と「リーダーシップと人材マネジメント基礎」を受け、また、提案したが響かない。

その頃には、「起業して自分でやろう」と決めていた。そして、グロービス経営大学院の本科に入学した。本科に通っている間にも、学んだことを使って何回も企画を提案した。

知見録: けっこう、しつこいほう(笑)?

中野: しつこい(笑)。「グロービスで学んだこと」みたいなまとめ資料作って配ったりもした。


自信と確信の一方にあった欠落感

知見録: 面白い。3人の共通点は、それぞれの場所で自信、確信を持っていたことのようだ。中野さんはトップ営業マンとして、山田さんは大企業の中でプロジェクトを動かすエンジニアとして、田中さんは大学野球部の主務としてのマネジメント経験――。しかし、同時に皆さん、自分には何かが足りないと感じていたように思える。

中野: その通りだ。僕は売ることはできるが、経営を知らない。経営するならお金のことが分からなければならないという点を意識したからグロービス経営大学院に入学した。そこに、後に創業パートナーとなる仲間がいるとは想像していなかった。

知見録: 最初の出会いは?

中野: 入学半年の節目で学長セッションがあり、その後の二次会で飲んでいる時に僕の横に山田がいて話しかけてきた。「勉強会しませんか?」って。

知見録: 山田さんはなぜ中野さんを選んだ?

山田: とにかく動かなければと思っていて、まずは起業の勉強会を立ち上げようとしていた。最初に声をかけたのが、たまたま中野だった。

中野: グロービスの勉強会は10人くらいでやることが多いが、起業するという目的があったのでそんなに大勢でやりたくなかった。「どうせなら2人でやりませんか?」と言ったら「やりましょう」ということになった。

ちょうど『プラットフォーム戦略』という本が出た頃。2週間後の朝7時に梅田のカフェで落ち合い、8時半まで読んだ感想を話し合う。男2人のやや異様な朝会だった(笑)。

知見録: その時、山田さんは三菱電機、中野さんはインテリジェンスにいて、出勤する前に落ち合った?

中野: 「朝活」という言葉も、まだ流行っていない頃だった。次に、ライフネット生命保険の岩瀬大輔さんの『132億円集めたビジネスプラン』。さらにもう1冊やった頃に、カネカと慶応大学ビジネス・スクール(KBS)が組んでマーケティングプラン・コンテストをやるというので応募してみることにした。10月に2人で勉強会を始め、12月に田中がジョインして3人になった。

知見録: 田中さんがジョインしたきっかけは?

田中: 当時、グロービスの法人営業部門に配属となって2年目に入っていて、大学院の1年目の終わりでもあった。平日徹夜で提案書を書き、週末は大学院の予習と授業に追われる日々だったのだが、よく提案書を書くのに行き詰まると大阪校の中をウロウロしていた。あの日も同じようにウロウロしていたら楽しそうにテーブルで話している2人を見かけた。声をかけたらビジネスプラン・コンテストに出場するチームをどうするかという話し合いの真っ最中で、「僕も応募しようと思っている」と言ったら、「ちょうど良い、入れよ」ということになった(笑)。

知見録: コンテストはどうだった?

中野: 惨敗。酷い出来だった。提出締め切りが12月末日の23時59分だったが、メールで送信したのはその数分前。全くまとまっていない50枚くらいのパワーポイント資料。「誰が読むねん?!」という感じの代物だった。1次選考で落ちた。

けど、僕らにとってはもの凄く良い経験になった。2カ月間、チームの5人で頑張った。悔しいので東京まで決勝を見に行った。ファイナリストたちは、さすがだった。プランの中身が具体的な施策まで練りこまれているし、プレゼンも上手い。ただ、自分たちに全く望みが無いとは思わなかった。「次は絶対勝つ」という空気感。

知見録: へこたれない(笑)。より結束が固くなって、次のステップは?

中野: 起業勉強会に1人加わり4人で続けた。その4人で2011年1月期(1~3月)に「ビジネスプラン」のクラスを受講し、一緒に演習に取り組んだ。テーマは、起業家を支援するプラットフォーム「起業家日記」だった。前回よりもレベルは確実に上がったが、実際にそのプランで起業するまでには至らなかった。

その後、本科2年目に「ベンチャー戦略」というクラスを皆一緒に受講した。「大学生向けの成長支援SNS」に狙いを定め、かなり気合を入れて取り組んだ。現在のi-plugモデルの原型と言っても良いもの。ところが、最後のプレゼンに対する講師からのフィードバックは非常に厳しいものだった。

それでも僕たちは、そのビジネスプランには必ずニーズがあると信じていた。作りこんでいくうちに、「これは行ける!」という根拠なき自信のようなものを抱くようになっていき、そのプランで起業するということでほぼ腹が固まっていた。“ベン戦”後も手直しを加えてビジネスプラン・コンテストに応募してファイナリストに残った。自信は確信に変わっていった。

田中: 市場分析も綿密に行っていたし、ターゲット顧客層の生声もヒアリングしていたので、チャンスはあると考えていたし、メンバーの中では「その方向性で行く」というコンセンサスは取れていた。それを最終的に確認したのは、卒業間近の2012年3月に行った合宿だった。会社も辞めて本当にやるという決断をし、最終的にこの3人が残った。

中野: 3人の役割も明確になっていった。僕と田中は営業、山田がシステムを作る。田中は大学生にFacebookで友達申請をしまくって、2012年1月からは学生を集めたイベントを始めていた。

田中: 学生の相談に乗る場を作って、どういう悩みを抱えているのかという声を集めることを繰り返した。2012年4月に会社登記を予定していたので、そこから逆算してそれぞれがやるべきことをやっていた。


創業2カ月でどん詰まり、ビジネスモデル大転換へ

中野: 当初は大学1~2年生向けのSNSをやろうとしていたのだが、それだけでは資金がもたないことは明白になってきた。そこで、日銭が稼げそうな就職支援サービスを先にやるということに急遽方針転換した。4月に会社を登記し、人材紹介業の認可を取り、6月から営業を開始した。

ところが、これが全くダメ。酷いものだった。電話しても電話してもアポが取れない。なんとかこうにか訪問にこぎつけた40社のうち、契約に至ったのは1社だけ。

テレアポ営業は100件電話したら3件のアポが取れる。平均3%だ。成功報酬型ビジネスの場合、顧客は初期負担が無いので5件訪問で1件は契約が取れる。平均20%だ。ところが、その時の実績は、100件電話して1件なので3分の1。40件訪問して契約1件なので8分の1。通常の平均と比べて24倍の差がついている。これでは絶対に無理だと悟った。

かなり追い詰められて、僕の顔面には斜線が何本も入っていたと思う(笑)。そんな時に、新卒逆求人型の「OfferBox(オファーボックス)」のビジネスモデルを思いついた。突如、アイデアが天から降ってきた。スタートアップのイベントで、イケてるベンチャーのピッチを見ていた時に閃いた。1週間ぐらい考えて事業計画を書き直した。7月初頭に「考えていることがある」と切り出して2人に聞いてもらった。

知見録: 山田さんと田中さんはどう思った?

山田: チャンスがあるかもしれないと思った。

田中: 私も、やはりその方向かなと…。

中野: 起業の第一歩から全然スマートじゃなかった。3人で話し合って、根本的に考え方を変えることにした。「机上の空論はやめよう」と。企業と学生にもう一度しっかりヒアリングしようと。すぐに、企業100社と学生200人くらいに話を聞いた。学生がアピールし、企業が学生を選ぶという「オファー型」のサービスは役に立つかどうか、興味を持ってもらえるかどうか。そこから、何かが変わっていった。

山田は開発。田中は法人営業と学生集め、僕は資金調達。夜集まって要件設計とかデザインを決めていく。

知見録: 企業や大学生にはどのように提案を?

田中: 営業するのではなく、ご意見をいただけないかとお願いして回った。「グロービス経営大学院で学んだ3人が新しいコンセプトの人材採用サービスを始めようとしているのだが果たして使えるだろうか」という具合に。ヒアリング結果は持ち帰ってサービスの細部に反映させていただいた。

感触は良かった。アンケートベースでは9割5分の企業が「導入したい」だった。2012年9月にOfferBoxのベータ版を公開した時には、登録学生は数百人、利用するという企業数も増え続けていた。

山田: その頃のウェブはまだ「皮」だけのような状態だったが、ユーザーの要望を聞き、それを反映しながら、さらに3人でサービスの細かいところを詰めていくというサイクルが高速で回り始めていた。

知見録: だが、創業1期目の夏時点で、その年の収入はゼロということが確定してしまった。どんな気持ち?

中野: その時は、ワクワク感しかなかった。凄いことになると感じていた。11月には登録学生数は1000人を超える勢いだったし、一般的な成功報酬型マッチングサービスに比べて、契約に至る率、登録に至る率のいずれも数倍高かった。かなりの手応えを感じていた。

知見録: 急な方針転換だったが、なぜ、うまくいったのか?

中野: とにかくユーザーの声を聞いて、聞いて、聞き続けたことだ。それ以外になかったと思う。

この3人でなければ、やれなかった

知見録: この3人だからできたということは何か?

中野: 逆の言い方をすると、この3人でなければできなかった。僕1人でやっていたら、今、何も無かっただろう。僕たちは3人ともオールマイティ・タイプではない。どこかが尖っているが、どこかが欠けている。だから、3人揃ってこそバランスが取れる。

山田: この3人でなければ起業していなかった。パズルのピースがぴたりとはまるようなチームができたのは奇跡的だ。

田中: それぞれが自分自身に向き合って「足らず」を知っていたからこそ、お互いのピースを合わせることができたのだと思う。

知見録: もう一度聞きたい。そんな3人が出会うことができたのは、なぜか?

中野: 偶然なんやろな…。人が持っている運の量は同じで、来るタイミングが違うだけだと思っている。3人が出会ったのも運。だが、その時に行動しているか、突っ走ることができるかで繋がるかどうかが決まる。

山田: 「思いの発信」がカギだったと思う。中野が「俺は起業する!」と周囲に話していたことが、最初に声をかけたきっかけだった。グロービスのコミュニティが3人を引き合わせてくれたという側面も大きい。

田中: 結局は、一人ひとりの心構えに帰結するのではないか。やると決めたらコミットし、全力を注ぎ、やり切るということ。出会ってから現在に至るまで、3人に共通するのはその点だと思う。

知見録: 最後に、これからi-plugをどう成長させていくのか?

中野: 「自分たちの子供が使って喜んでくれるようなサービスを創造する」ことを目指している。15年後ぐらいに、そんなことが実現できれば素晴らしいと思う。その時までに社会は相当変わっているはずだから、そうした変化に対応できるしなやかで強い会社にしていきたい。

山田: 今はまだ「0→1」。これから「1→10」「10→100」を経験していくことになる。苦しいこともあるだろうが何事も楽しみながら乗り越えていきたい。世の中の非効率を解消するサービスを創りだしていく。

田中: 次なる中核メンバーを育てていくことが、新しい事業を創り続けていくために重要だと思っている。自分自身も成長を続けて壁を突破していく。若い世代がもっと自由にいろいろなことにチャレンジできる環境を作るフロンティアとして。

知見録: 本日は長時間ありがとうございました。


 

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